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昭和時代1955年以後政治・外交重要度 A

55年体制―自由民主党の長期政権と日本社会党を主要野党とする構造はなぜ成立したのかごじゅうごねんたいせい じゆうみんしゅとうのちょうきせいけんとにほんしゃかいとうをしゅようやとうとするこうぞうはなぜせいりつしたのか

一言でいうと

1955年、日本の政党政治は大きく再編されました。講和問題などをめぐって左右に分裂していた日本社会党は10月13日に再統一し、これに対して保守勢力では日本民主党と自由党が11月15日に合同して自由民主党を結成しました。こうして自民党と社会党が国会で対峙する構図が生まれ、一般に「55年体制」と呼ばれます。ただし、これは政権交代を繰り返す対等な二大政党制ではありませんでした。自民党は幅広い保守勢力を一党内に抱え、派閥間競争を通じて首相・党総裁や政策をめぐる調整を行いながら、長期間にわたって政権を維持しました。戦後の中選挙区制では同じ選挙区に複数の自民党候補が立つことも多く、候補者ごとの後援会や派閥が発達します。また、中央政府の予算・政策と地方、農業・産業団体などを結ぶ利益調整も与党の支持基盤形成に関わりました。一方の社会党は主要野党として憲法・安全保障・労働などで自民党と対立しましたが、国会で単独政権を形成する議席には届かず、やがて民社党、公明党、日本共産党なども存在感を増しました。したがって55年体制は「自民・社会の完全な二党制」ではなく、自民党優位のもとで複数の野党が競争する政党政治の構造として理解する必要があります。

なぜ1955年に社会党統一と保守合同が相次いだのか

戦後の政党政治では、保守側でも社会主義側でも分裂と再編が続きました。日本社会党は1951年、サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約への態度などをめぐって左派と右派に分裂します。一方、保守側でも吉田茂の自由党と、鳩山一郎ら反吉田勢力を軸とする日本民主党が競合していました。

1955年2月の衆議院総選挙では鳩山内閣の日本民主党が第一党になりましたが、単独過半数には達しませんでした。同時に左右両派社会党の勢力が伸び、社会党再統一の動きも強まります。保守側では、社会党の統一に対抗して保守勢力を一つにまとめようとする動きが経済界なども巻き込みながら進みました。

10月13日、左派社会党と右派社会党は統一大会を開き、日本社会党として再統一しました。続いて11月15日、日本民主党と自由党が合同して自由民主党じゆうみんしゅとうを結成します。この二つの再編によって、保守の自民党と革新の社会党が国会政治の中心で対峙する構図が成立しました。

55年体制は対等な二大政党制だったのか

1955年の再編直後は、自民党と社会党という二つの大政党が対立する形が鮮明になりました。そのため『二大政党対立の図式』とも表現されます。しかし、両党の議席や政権担当能力は対等ではありませんでした。

自民党は結党時から衆議院で大きな勢力を持ち、1958年以後は長く単独で政権を担いました。社会党は最大野党として政府を批判し、憲法・安全保障・労働政策などで重要な対抗軸を形成しましたが、衆議院で単独過半数を得て政権を交代させるには至りませんでした。

さらに1960年代以後、民社党、公明党、日本共産党など複数の野党が議席を持ちました。したがって55年体制を『自民党と社会党だけが存在する完全な二党制』と理解するのは不正確です。自民党が優位を保ち、社会党が主要野党となり、その周囲に他党も存在する非対称な多党制的構造でした。

中選挙区制は派閥や後援会とどう結びついたのか

当時の衆議院では、一つの選挙区から原則として複数の議員を選び、有権者は候補者一人に一票を投じる中選挙区制ちゅうせんきょくせいが採用されていました。全国で多数の議席を得ようとする自民党は、同じ選挙区に複数の公認候補を立てる必要があり、同じ党の候補同士が票を争うことも珍しくありませんでした。

そのため候補者は、党名だけでなく自分自身への支持を組織する必要がありました。地域の支持者をまとめる後援会こうえんかいを育て、党内では資金・人事・公認などをめぐって派閥はばつに所属する議員が増えていきます。派閥は党内対立の原因であると同時に、複数の保守政治家を一つの党に抱えたまま競争させる仕組みにもなりました。

ただし、中選挙区制だけを自民党長期政権の原因とすることはできません。研究では、大政党が複数候補の票を配分する難しさも指摘されています。一方、後援会・派閥などを通じて自民党がその難しさへ対応し、結果として第二党の社会党より優位な議席獲得構造を築いたという分析もあります。

利益配分と政策調整はなぜ自民党の長期政権を支えたのか

自民党は都市の企業経営者だけ、あるいは農村だけを代表する単一の支持基盤を持った政党ではありませんでした。農業団体、業界団体、地方政治家、地域の有力者、企業や自営業者など、多様な集団を党内へ結びつけ、それぞれの要求を政策や予算へ取り込むことで支持を広げました。

戦後日本では税収や公共事業、補助金、制度設計など中央政府が握る資源が大きく、地方自治体や各種団体にとって中央政府との関係は重要でした。長期与党である自民党の国会議員は、地域や団体の要望を中央省庁・党の政策決定へつなぐ役割を担い、それが選挙での支持へ返る循環を形成しました。

この関係は政治学で利益誘導政治りえきゆうどうせいじやクライエンテリズムなどの概念で分析されてきました。ただし、公共事業や補助政策のすべてを不正や買収と同一視するのは適切ではありません。地域開発や産業・福祉政策として公共的効果を持つ政策もあり、重要なのは政策資源の配分と支持形成がどのように結びついたかを考えることです。

社会党はなぜ主要野党でありながら政権交代を実現できなかったのか

日本社会党は、労働組合を重要な支持基盤とし、護憲、再軍備への批判、社会保障の充実などを掲げて自民党に対抗しました。国会で自民党に次ぐ勢力を持ち、戦後政治の政策論争に大きな影響を与えました。

しかし、自民党が保守層から中間層、農村・業界団体まで幅広い支持を取り込み、党内の派閥競争によって異なる政策志向も一定程度吸収したのに対し、社会党は支持の拡大や候補者擁立で長期的な制約を抱えました。中選挙区制が第二党の社会党に相対的に不利に働いたとする研究もあります。

また、社会党の内部にも安全保障・社会主義路線・労働運動との関係をめぐる違いがあり、1960年には一部が民主社会党を結成しました。その後は公明党や日本共産党なども勢力を伸ばし、野党票は複数政党へ分かれていきます。ここでは60年安保そのものは先取りせず、社会党が『唯一の野党』ではなかったことを押さえます。

なぜ55年体制は長く続き、何を意味する言葉になったのか

55年体制が長く続いた理由を一つに絞ることはできません。自民党が多様な保守勢力を一党内に維持したこと、中選挙区制のもとで派閥・後援会を使った選挙競争に適応したこと、中央政府の政策・予算を通じて地方や各種団体との関係を築いたこと、そして高度経済成長のなかで生活水準が上昇したことなどが重なりました。

一方、野党側では社会党が主要野党であり続けながら自民党を上回る全国的な政権基盤を形成できず、複数の野党へ支持が分散しました。つまり、自民党の長期政権は与党側の強さだけでなく、野党側の組織・選挙戦略や政党間競争の構造との関係で成立していました。

一般に55年体制は、1955年に成立し、1993年に自民党が下野して非自民連立政権が成立するまでの政治構造を指すことが多い用語です。ただし、その間にも政党構成、社会の争点、自民党の支持基盤は変化しました。約40年間を固定した一つの仕組みとみなすのではなく、自民党優位という基本構造を保ちながら内部が変化し続けた時代として捉える必要があります。

Review

入試で押さえるポイント

  • 1955年10月13日に左右両派の日本社会党が再統一し、11月15日に日本民主党と自由党が合同して自由民主党を結成しました。この政党再編を基礎に55年体制が成立しました。
  • 55年体制は自民党と社会党が対等に政権交代する完全な二大政党制ではなく、自民党が長期政権を維持し、社会党が主要野党となる非対称な構造でした。
  • 中選挙区制では同じ選挙区に複数の自民党候補が立つことがあり、候補者個人の後援会や党内派閥の発達と結びつきました。
  • 自民党の長期政権には、派閥を通じた党内競争、多様な社会集団との利益調整、中央政府の政策・予算と地方・団体を結ぶ関係、高度経済成長など複数の要因が関わりました。
  • 1960年代以後は民社党、公明党、日本共産党なども存在感を増したため、55年体制を『自民党と社会党だけの二党制』と理解してはいけません。

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0 / 5 問回答

  1. 問1

    1955年には日本社会党の再統一と、日本民主党・自由党の合同による自由民主党結成が相次ぎ、55年体制の基本構図が形成された。

  2. 問2

    55年体制では自民党と社会党がほぼ同じ議席を持ち、両党が定期的に政権交代を繰り返した。

  3. 問3

    中選挙区制では同じ選挙区に複数の自民党候補が立つことがあり、同党候補間の競争が後援会や派閥の発達と結びついた。

  4. 問4

    自民党の長期政権は中選挙区制だけで説明でき、利益調整、派閥競争、高度経済成長、野党側の構造などは関係しなかった。

  5. 問5

    55年体制のもとでは日本社会党以外の野党は存在せず、国会は自民党と社会党だけで構成されていた。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 自由民主党を中心とする保守政権と日本社会党を主要野党とする55年体制が続く

Sources

参考資料

  1. 第6章 55年体制の形成―概説国立国会図書館

    1955年2月総選挙、社会党統一、保守合同と55年体制成立の基本経過確認に使用。

  2. 6-6 社会党統一国立国会図書館

    1955年10月13日の左右社会党統一大会と統一宣言の確認に使用。

  3. 6-7 保守合同国立国会図書館

    日本民主党・自由党の保守合同と1955年11月15日の自由民主党結成の確認に使用。

  4. 中選挙区制と政党間競争日本政治学会 / J-STAGE

    中選挙区制が自民党・社会党の議席競争へ与えた影響に関する研究確認に使用。

  5. 中選挙区制研究と新制度論日本選挙学会 / J-STAGE

    中選挙区制、複数候補競争、派閥・後援会と自民党の選挙戦略の関係について研究史の確認に使用。