1960年安保改定と安保闘争―日米安全保障条約の改定はなぜ大規模な政治対立を生んだのか
一言でいうと
岸信介内閣は、1951年の旧日米安全保障条約をより相互的な条約へ改めるため、アメリカと交渉し、1960年1月19日に新しい日米安全保障条約へ調印しました。新条約は、日本の施政下にある領域への武力攻撃に日米が共同して対処すること、条約の実施や安全への脅威について協議することを定め、在日米軍の重要な配置・装備変更などを事前協議の対象としました。同時に、米軍の日本駐留は続き、基地使用や極東の安全保障との関係も残りました。このため、改定を『対等化』と評価する政府側と、戦争への巻き込まれや基地固定化を懸念する反対側の対立が深まりました。さらに1960年5月、衆議院で警官隊が導入され、野党議員を排除したうえで会期延長と条約承認が進められると、条約内容への反対に加えて議会運営への批判も急速に広がります。労働組合、社会党、共産党、学生、市民、知識人など多様な人びとが参加した安保闘争は全国へ拡大しましたが、参加者の立場や目的は一様ではありませんでした。条約は6月に国会承認が成立し、23日に発効しました。一方、アイゼンハワー米大統領の訪日は中止され、岸内閣も退陣へ向かいます。60年安保は、条約改定そのものと、憲法・議会政治・市民運動をめぐる争点が重なった戦後政治の大きな分岐点でした。
なぜ岸内閣は旧日米安全保障条約の改定を目指したのか
1951年に結ばれた旧日米安全保障条約は、日本独立後も米軍が日本国内へ駐留する根拠となりました。しかし条約には、アメリカが日本を防衛する義務が明文で規定されておらず、日本国内の大規模な内乱・騒擾に米軍を使用できる規定も含まれていました。日本政府内では、こうした片務性や主権上の問題を見直したいという意識が強まります。
1957年に首相となった岸信介は、日米関係を維持しながら旧条約をより相互的な内容へ改めることを外交上の主要課題としました。交渉では、日本防衛へのアメリカの義務、日米間の協議、在日米軍の運用をめぐる事前協議などが焦点になります。
したがって安保改定は、日米同盟を廃止する交渉ではなく、米軍駐留を前提とした安全保障体制の条件を組み替える交渉でした。この点が、改定を必要と考える側と、安保体制そのものを問題視する側との立場の違いにつながります。
新日米安全保障条約は旧条約の何を変えたのか
1960年1月19日、岸首相はワシントンで新しい「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」に調印しました。第5条は、日本国の施政下にある領域で日米いずれかへの武力攻撃があった場合、両国がそれぞれの憲法上の手続に従って共通の危険へ対処すると定めました。旧条約になかったアメリカの日本防衛義務が明文化されたことが重要です。
また第4条は条約の実施や日本の安全、極東の平和と安全に対する脅威について協議する仕組みを定めました。さらに交換公文では、在日米軍の重要な配置変更、重要な装備変更、日本から行う一定の戦闘作戦行動のための基地使用を、日本政府との事前協議の対象としました。
一方、第6条によって米軍が日本国内の施設・区域を使用する枠組みは継続され、その具体的な地位は同時に署名された日米地位協定で定められました。つまり改定は旧条約の片務性を修正した面を持つ一方、在日米軍基地を基礎とする安全保障体制そのものを解消するものではありませんでした。
新安保条約を『旧条約とまったく同じ』とも『完全に対等な条約になった』とも扱いません。防衛義務・協議制度などの変更と、米軍駐留の継続を両方見る必要があります。
なぜ安保改定への反対は幅広い運動へ拡大したのか
反対運動には、日本社会党や日本共産党、総評などの労働組合、全学連をはじめとする学生組織、市民、研究者・文化人など多様な主体が参加しました。しかし全員が同じ理由で反対したわけではありません。
安保体制そのものに反対する立場、米軍基地の固定化やアメリカの戦争へ日本が巻き込まれることを警戒する立場、憲法9条との緊張を問題にする立場などがありました。さらに運動が進むにつれ、岸内閣の政治手法や国会運営に対する批判も大きくなります。
このため60年安保を『左派政党だけの運動』や『条約内容だけを争った運動』と説明すると、広がりを捉えられません。外交・安全保障への反対と、議会制民主主義や政治参加をめぐる問題意識が重なったことが、大規模化の重要な背景でした。
5月19〜20日の国会審議はなぜ反対運動をさらに広げたのか
条約承認をめぐる国会審議では、与党の自由民主党と野党の対立が激しくなりました。1960年5月19日、衆議院では警官隊が院内へ入り、座り込みを続けていた社会党議員らが排除されました。その後、与党側は会期を50日間延長し、20日未明に衆議院本会議で新安保条約を承認しました。
政府・与党側にとっては条約を期限内に成立させるための手続でしたが、反対側では、警官隊を国会へ入れ、多数の力で審議を進めたこと自体が議会政治を損なうという批判が急速に強まりました。新聞・知識人などからも国会運営への懸念が示されます。
ここから安保闘争は、日米安全保障政策への賛否だけでなく、『どのような手続で重要政策を決めるべきか』という問題を強く帯びました。条約への評価が同じでない人びとの間にも、国会運営への批判を共有する層が生まれたことが運動拡大の一因でした。
6月の大規模デモのなかで条約はどのように成立したのか
5月下旬から6月にかけて、国会周辺を中心にデモや集会が繰り返され、労働組合による統一行動も行われました。6月15日には国会周辺で激しい衝突が起こり、東京大学学生の樺美智子が死亡しました。この事件は社会に大きな衝撃を与えました。
政府は治安上の混乱を受け、予定されていたアイゼンハワー米大統領の訪日延期を要請し、訪日は実現しませんでした。しかし条約承認そのものは覆らず、衆議院の承認後30日以内に参議院が議決しなかったため、憲法第61条で準用される第60条の規定により衆議院の議決が国会の議決となりました。
6月23日、日米両国が批准書を交換し、新安保条約と日米地位協定が発効しました。大規模な反対運動があっても条約成立を阻止できなかった一方、政治的な対立は岸内閣の求心力を大きく低下させました。
岸内閣の退陣は60年安保の何を示したのか
岸首相は新安保条約発効後に退陣の意向を表明し、7月に内閣は総辞職しました。条約改定という政府の政策目標は達成されましたが、その進め方をめぐる激しい対立によって政権は大きな政治的代償を払いました。
一方、安保反対運動も統一した政治勢力としてそのまま残ったわけではありません。参加した政党、労働組合、学生、市民には立場の違いがあり、条約成立後の運動方針も分かれました。60年安保を単純な『政府の勝利』『反対運動の敗北』だけで整理すると、その後の政治社会への影響を見失います。
その後、池田勇人内閣は所得倍増計画など経済成長を前面に出した政策を進めます。この転換は次のTopicで扱います。ここでは60年安保が、日米安全保障体制を現在につながる形へ改めると同時に、国会の手続、政治参加、市民運動のあり方をめぐる大きな経験を戦後社会に残した点を押さえます。
Review
入試で押さえるポイント
- 1960年1月19日に岸信介内閣が新日米安全保障条約へ調印し、日本施政下への武力攻撃に対する共同対処などを明文化した
- 交換公文により在日米軍の重要な配置・装備変更や一定の戦闘作戦行動のための基地使用が事前協議の対象とされた
- 1960年5月19〜20日の警官隊導入・会期延長・衆議院承認を契機に、条約内容だけでなく国会運営への批判も拡大した
- 安保闘争には政党・労組・学生・市民・知識人など多様な主体が参加し、反対理由も一様ではなかった
- 新安保条約は1960年6月23日に発効し、岸内閣はその後退陣した
Check
理解度チェック
各文が正しいか、○か×で答えてください。回答すると、その場で解説を確認できます。
0 / 5 問回答
- 問1
1960年の安保改定によって在日米軍の駐留は終了し、日本国内の米軍基地も廃止された。
新条約では米国の日本防衛義務や協議制度が整えられましたが、第6条にもとづく米軍の施設・区域使用は継続しました。
本文の該当箇所を確認する - 問2
60年安保の反対運動には政党・労組・学生・市民・知識人などが参加し、反対理由も安保体制そのもの、基地、戦争への巻き込まれ、国会運営への批判など一様ではなかった。
安保闘争は一つの政党や単一の論点だけで構成された運動ではなく、安全保障と議会政治の双方への問題意識が重なって拡大しました。
本文の該当箇所を確認する - 問3
1960年5月19〜20日の国会審議をめぐる批判は条約内容とは別の問題であり、安保闘争の拡大にはほとんど影響しなかった。
警官隊導入や多数による審議の進め方への批判が広がり、条約への評価が同じでない層にも議会運営への懸念が共有され、運動拡大の一因となりました。
本文の該当箇所を確認する - 問4
大規模な安保反対運動が続いたため、新日米安全保障条約は国会承認を得られず発効しなかった。
条約は衆議院承認後の憲法上の手続を経て国会承認が成立し、1960年6月23日に批准書交換とともに発効しました。
本文の該当箇所を確認する - 問5
岸内閣は新安保条約を発効させるという政策目標を達成した一方、その進め方をめぐる政治対立のなかで退陣に至った。
新条約は発効しましたが、国会運営や大規模な抗議をめぐる対立で岸内閣の求心力は低下し、7月に総辞職しました。
本文の該当箇所を確認する
Result
0 / 5 問正解
間違えた問題は解説と本文を確認してから、もう一度解いてみてください。
Timeline
関連する年表
前後の出来事とつなげて位置を確認できます。
Sources
参考資料
- 日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約外務省
新安保条約第4〜6条、条約期限・終了規定などの確認に使用。
- 安全保障関係(昭和35年版外交青書資料)外務省
新安保条約、事前協議に関する交換公文、日米地位協定の同時署名内容確認に使用。
- 6-13 60年安保国立国会図書館
1960年5月19〜20日の国会審議、6月の安保闘争、アイゼンハワー訪日延期などの確認に使用。
- 鈴木隆夫:昭和35(1960)年4月24日の日記より国立国会図書館
警官隊の国会導入をめぐる当時の国会内部の懸念と5月19〜20日の経過確認に使用。
