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昭和時代1945年政治・外交重要度 A

占領開始と非軍事化・政治活動の再開―連合国占領は敗戦直後の国家制度をどう変え始めたのかせんりょうかいしとひぐんじかせいじかつどうのさいかい れんごうこくせんりょうははいせんちょくごのこっかせいどをどうかえはじめたのか

一言でいうと

1945年の敗戦後、日本は連合国軍の占領下に入りました。占領では、連合国最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)が日本政府を廃止して直接行政を行うのではなく、原則として日本政府・官僚機構へ指令を出し、その実施を求める間接統治が採られました。その一方で、軍隊・軍事機構の解体、思想・言論を取り締まってきた制度の廃止、政治犯の釈放、政党活動の再開など、戦時体制を支えた制度は短期間に大きく組み替えられました。占領初期の改革は、その後の憲法・選挙・労働・教育・経済改革の出発点になりましたが、占領政策全体が最初から最後まで同じ方向で進んだわけではありません。このTopicでは、敗戦直後の1945年に国家制度と政治活動の前提がどう変わり始めたかを追います。

連合国占領はどのような仕組みで始まったのか

1945年8月30日、連合国最高司令官に任命されたダグラス・マッカーサーだぐらすまっかーさーが厚木飛行場へ到着しました。9月2日の降伏文書調印を経て占領が本格化し、10月2日には東京に連合国最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)れんごうこくさいこうしれいかんそうしれいぶが置かれました。

日本の占領では、ドイツのように既存政府を全面的に解体して占領軍が行政を直接担当する方式ではなく、天皇・政府・官僚機構を残し、GHQ/SCAPが日本政府へ指令を出して実施させる間接統治が基本となりました。日本政府には行政を行う余地が残りましたが、連合国最高司令官の要求に従うことが降伏条件に含まれており、占領政策に反する判断を自由に行える状態ではありませんでした。

また「連合国占領」と呼ばれるように、占領管理はアメリカ一国だけを名目上の主体としたものではありませんでした。のちに極東委員会や対日理事会も設けられましたが、日本国内で占領政策を実施するうえではマッカーサーとGHQ/SCAPが大きな権限を持ちました。

非軍事化では何が解体されたのか

ポツダム宣言と降伏後の占領方針では、日本の軍事力を解体し、再び戦争を行う能力を取り除くことが重要な目標とされました。国内外の日本軍は武装解除・復員を進め、日本国内では軍の中央機構も順次廃止されました。

1945年10月15日には陸軍の参謀本部と海軍の軍令部などが廃止され、12月1日には陸軍省・海軍省も廃止されました。ただし、軍人の帰郷や海外部隊の送還は同時に完了したわけではありません。国内部隊の復員、海外からの復員・引揚げ、シベリア抑留などの違いはTopic 33で扱ったとおりです。

非軍事化は、単に兵器を取り上げるだけではありませんでした。軍事組織、軍国主義的団体、戦争遂行を支えた制度を解体・整理することで、戦前・戦時の国家構造そのものを組み替える出発点となりました。

「自由の指令」は政治活動の条件をどう変えたのか

1945年10月4日、GHQは日本政府に対し、正式には「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の除去の件」と呼ばれる自由の指令じゆうのしれいを出しました。これは思想・信仰・集会・言論の自由を制限してきた法令の廃止、特別高等警察の廃止、政治犯の釈放などを求めるものでした。

東久邇宮稔彦内閣は指令への対応を困難として10月5日に総辞職し、10月9日に幣原喜重郎内閣が成立しました。10日には徳田球一ら政治犯が釈放され、11日には治安維持法などの廃止が閣議で決定されました。戦前から続いた思想取締りの制度は、占領開始後の短期間に大きく解体されました。

ただし、占領下で言論活動が完全に無制限になったわけではありません。GHQ自身も新聞・出版・放送などを検閲しました。したがって、占領初期を「統制がなくなり完全な言論の自由が実現した」と説明するのではなく、日本政府による戦前型の思想統制が解体される一方、占領当局による統制も存在したことを区別する必要があります。

なぜ戦後すぐに政党活動が再開したのか

戦時中、大政翼賛会を中心とする政治体制のなかで既成政党は解党していました。敗戦後は政治活動の制限が緩和され、戦前の政党・社会運動に関わった人びとが新しい政党を組織し始めました。

1945年11月2日に日本社会党、11月9日に日本自由党、11月16日に日本進歩党が相次いで結成されました。治安維持法のもとで非合法とされてきた日本共産党も、指導者の釈放後に合法的な政治活動を再開しました。政党の再建は、戦時期に縮小していた選挙・議会政治を再び動かす前提となりました。

もっとも、戦前政党の単純な復活ではありません。戦時中の翼賛体制への関わり方、新しい社会状況、占領改革への態度によって政治家の再編が起こり、1946年には公職追放も政党の指導者構成へ大きく影響しました。ここでは1945年の活動再開までを中心とし、その後の政党再編は後続Topicへつなげます。

占領初期の改革はその後の制度改革へどうつながったのか

1945年10月11日、マッカーサーは幣原首相に対して、女性の解放、労働組合の育成、教育の自由主義化、秘密警察など抑圧的制度の廃止、経済制度の民主化という方向を示しました。一般に「五大改革指令」と呼ばれるこの方針は、占領初期の民主化政策の大枠を示しました。

しかし、その後の改革をすべてこの一度の指示だけから説明するのは適切ではありません。女性参政権、憲法、財閥解体、農地改革、労働改革、教育改革にはそれぞれ異なる立法・交渉・国内政治の過程がありました。Topic 35以降では、これらを別々の制度改革として確認します。

また占領政策は1952年の占領終了まで一方向に「民主化」だけを強め続けたわけではありません。国際的な冷戦の進行に伴う政策転換、いわゆる「逆コース」は後のTopic 43で扱います。1945年は、戦時国家を支えた制度を解体し、新しい政治制度をつくるための条件が急速に形成された時期として位置づけるのが重要です。

占領初期の変化は、「GHQが日本政府を廃止して直接統治した」と理解するのではなく、GHQ/SCAPの指令を日本政府が実施する間接統治のもとで進んだと捉えます。非軍事化、自由の指令、政党再建は互いに関連しますが、それぞれ別の制度・過程でした。

Review

入試で押さえるポイント

  • 日本占領ではGHQ/SCAPの指令を日本政府が実施する間接統治が基本となった
  • 1945年10月2日にGHQ/SCAPが東京に設置され、非軍事化・民主化を中心とする占領改革が進められた
  • 10月4日の自由の指令は思想・言論等を制限する法令の廃止、特高廃止、政治犯釈放などを要求した
  • 治安維持法などの廃止により戦前型の思想取締りは解体されたが、占領当局自身による検閲も存在した
  • 1945年11月に日本社会党・日本自由党・日本進歩党が相次いで結成され、日本共産党も合法的活動を再開した
  • 10月11日に示された五大改革の方向は後続の女性・労働・教育・経済改革につながるが、個々の改革には別の過程があった

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  1. 問1

    日本占領ではGHQ/SCAPが日本政府と官僚機構を廃止し、占領軍が地方行政まで直接担当する統治方式が基本だった。

  2. 問2

    占領初期の非軍事化は兵器の回収だけでなく、参謀本部・軍令部や陸海軍省など軍事組織・制度の解体も含んでいた。

  3. 問3

    自由の指令によって日本政府の戦前型思想統制は解体された一方、占領下ではGHQ自身による新聞・出版・放送などへの検閲も存在した。

  4. 問4

    1945年の政党再建は、戦前に存在した政党組織と指導者をそのまま元通りに復活させただけで、新しい政治再編は起こらなかった。

  5. 問5

    いわゆる五大改革の方向は後の制度改革につながったが、女性参政権・憲法・農地改革などはそれぞれ別の立法・交渉・国内政治の過程を経て具体化した。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. GHQの指令を通じた連合国による日本占領が続く
  2. 日本軍の武装解除と復員が進められる
  3. GHQが自由の指令を出し政治犯釈放や治安維持法廃止などを命じる
  4. GHQが女性解放・労働組合育成・教育自由化など五大改革を指示する
  5. 日本社会党・日本自由党・日本進歩党など政党が再建される

Sources

参考資料

  1. 5-3 占領と改革の開始国立国会図書館

    占領初期の非軍事化・民主化、初期対日方針と間接統治の形成を確認

  2. 用語解説 自由の指令・連合国最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)国立国会図書館

    GHQ/SCAPの設置・間接統治、自由の指令の内容と実施を確認

  3. 詳細年表 1 1939年9月1日~1945年10月25日国立国会図書館

    マッカーサー厚木到着、GHQ設置、自由の指令、治安維持法廃止決定などの日付を確認

  4. 5-4 政党の再建国立国会図書館

    日本社会党・日本自由党・日本進歩党の結成と日本共産党の活動再開を確認

  5. 表から検索(年表) 公文書に見る終戦―復員・引揚の記録―国立公文書館 アジア歴史資料センター

    1945年10月の参謀本部・軍令部廃止と国内部隊復員の進行を確認