極東国際軍事裁判―連合国は日本の戦争指導者の責任をどのように裁いたのか
一言でいうと
敗戦後、連合国はポツダム宣言で示した戦争犯罪人の処罰方針にもとづき、1946年に極東国際軍事裁判所を設けました。東京裁判では東条英機ら28人の軍人・政治家・外交官などが起訴され、侵略戦争の計画・遂行に関わる「平和に対する罪」を中心に、通例の戦争犯罪や人道に対する罪に関する訴因も審理されました。1948年には、公判中に死亡した2人と訴訟能力を欠くとされた1人を除く25人全員に有罪判決が言い渡されました。一方で、裁判所の設置根拠、法の不遡及、連合国側が裁く「勝者の裁き」という問題などをめぐって、当時の判事間でも意見が分かれ、その評価は現在まで論点を残しています。東京裁判は戦争指導者個人の刑事責任を問う場でしたが、日本の戦争責任全体をこの裁判だけで説明することはできません。
なぜ敗戦後に国際軍事裁判が設けられたのか
1945年7月のポツダム宣言は、日本に対して「一切の戦争犯罪人」に厳重な処罰を加える方針を示しました。日本は宣言を受諾して降伏し、連合国軍の占領下に入ります。その後、連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーは1946年1月19日の特別宣言で極東国際軍事裁判所の設置を命じ、同日の憲章で裁判所の管轄や手続を定めました。
裁判所には、米国、英国、中国、ソ連、フランス、オランダ、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、インド、フィリピンの11か国から判事が参加しました。東京・市ヶ谷に法廷が置かれ、1946年5月3日に公判が始まりました。
ここで重要なのは、東京裁判が日本国内の通常の裁判所ではなく、連合国側が占領下に設置した国際軍事裁判所だったことです。したがって、裁判の目的だけでなく、その設置根拠や手続の公正さ自体も、のちに評価の対象となりました。
「A級戦犯」は何を意味したのか
1946年4月29日、国際検察局は東条英機、広田弘毅ら28人を起訴しました。被告には首相経験者、陸海軍の指導者、外相・外交官、官僚などが含まれ、1928年以後の対外政策と戦争指導に関する責任が問われました。起訴状は55の訴因から成り、戦争の計画・開始・遂行だけでなく、殺人や通例の戦争犯罪・人道に対する罪に関する訴因も含んでいました。
一般にいうA級戦犯の「A」は、人物の地位や罪の重さを上から順に並べた等級ではありません。裁判所憲章が示した「平和に対する罪」に対応する区分で、侵略戦争の計画・準備・開始・遂行や、そのための共同謀議に関与した責任を問うものでした。
これに対してBは「通例の戦争犯罪」、Cは「人道に対する罪」に対応します。ただし東京裁判の被告にもB・Cに関係する訴因があり、A・B・Cを互いに完全に別の裁判対象と考えるのも正確ではありません。学習上は、A級を「上級戦犯」という身分の呼び名ではなく、主として戦争指導責任を問う訴追区分として理解する必要があります。
裁判は何をどのように審理したのか
検察側は、日本が満州事変以後に中国大陸で戦線を拡大し、さらに対米英蘭戦争へ進んだ過程を、政府・軍部の政策決定や外交文書などから立証しようとしました。また、捕虜や民間人に対する殺害・虐待などについても証拠を提出し、指導者が個々の戦争犯罪にどのような責任を負うかが争われました。
弁護側は、侵略戦争を個人の犯罪として処罰できるのか、行為時に確立していなかった法を後から適用していないか、裁判所の管轄や証拠採用は適切か、といった点を争いました。東京裁判は単に事件の事実認定を行うだけでなく、戦争を開始・遂行した国家指導者の個人責任をどこまで国際法上の犯罪として問えるかという問題を含んでいました。
審理は2年半に及び、多数の証人、供述書、政府・軍の文書などが提出されました。したがって東京裁判は、戦争指導者の責任を裁く場であると同時に、1930年代から敗戦までの日本の政策決定と戦争遂行を大量の資料によって検討する場にもなりました。
1948年の判決はどのようなものだったのか
公判中に松岡洋右と永野修身が死亡し、大川周明は訴訟能力を欠くとして審理から外れました。残る25人について、裁判所は1948年11月4日から判決文を朗読し、11月12日に刑を言い渡しました。25人全員が有罪とされ、7人が死刑、16人が終身刑、1人が禁錮20年、1人が禁錮7年となりました。
死刑判決を受けた7人には東条英機、広田弘毅らが含まれ、1948年12月23日に刑が執行されました。判決は、戦争の計画・遂行に関わった指導者を国家の行為の背後にいる個人として処罰した点で重要でした。
ただし、判決は「日本人全体」の責任を認定したものではなく、起訴された特定の被告について刑事責任を判断したものです。戦争への政治的責任、行政・企業・社会の関与、被害を受けた各地域との関係など、より広い戦争責任の問題は、裁判の有罪・無罪だけでは捉えきれません。
BC級戦犯裁判とは何が違ったのか
東京裁判と並行して、中国大陸、東南アジア、太平洋地域、日本国内などでは、米国、英国、中国、オーストラリア、オランダ、フィリピンなど連合国各国による戦犯裁判が行われました。一般にBC級戦犯裁判と呼ばれるこれらの裁判では、捕虜虐待、住民殺害、処刑など、具体的な戦争法規違反に関わった将兵や軍属などが数多く裁かれました。
東京裁判が主として国家の戦争指導層を対象に「平和に対する罪」を問ったのに対し、BC級裁判は各地で起きた具体的行為と、その実行者・指揮官の責任を中心に審理しました。裁判主体、裁判地、適用された手続、被告の範囲も一様ではありません。
したがって、「A級が最も重く、B級、C級の順に軽い」と理解するのは誤りです。A・B・Cは犯罪類型の区分であり、東京裁判と各地のBC級裁判は別の法廷・手続で行われました。戦争犯罪裁判全体を理解するには、両者を区別したうえで関連づける必要があります。
なぜ裁判の評価は現在まで論点を残しているのか
東京裁判の多数意見に対し、判事全員が同じ見解を持っていたわけではありません。インド代表のラダビノード・パールは被告全員を無罪とする反対意見を提出し、フランス代表アンリ・ベルナールやオランダ代表B・V・A・レーリンクも多数意見の一部に異議を示しました。裁判長ウィリアム・ウェッブらにも別個意見がありました。
争点の一つは、侵略戦争を個人の犯罪として処罰する「平和に対する罪」が、被告の行為当時に十分確立した国際法上の犯罪だったのかという法の不遡及の問題です。また、連合国側の行為は裁判対象にならず、敗戦国の指導者だけを連合国が裁いたことから、「勝者の裁き」という批判も提起されました。
一方で、こうした裁判制度・法理への批判と、日本軍が各地で行った個々の戦争犯罪や侵略による被害の事実評価は、同じ問題ではありません。東京裁判を学ぶときは、判決をそのまま戦争責任全体と同一視することも、裁判への批判を戦争犯罪の否定へ結びつけることも避け、何が刑事裁判で判断され、何が裁判の外に残ったのかを区別する必要があります。
Review
入試で押さえるポイント
- 1946年1月19日、マッカーサーの特別宣言で極東国際軍事裁判所が設置され、5月3日に東京裁判が開廷した
- 東条英機ら28人が55の訴因で起訴され、主として侵略戦争の計画・遂行に関わる「平和に対する罪」が問われた
- 「A級」は罪の重さの等級ではなく、「平和に対する罪」に対応する犯罪類型の区分である
- 1948年11月、死亡2人・訴訟能力を欠く1人を除く25人全員が有罪となり、7人に死刑判決が言い渡された
- BC級戦犯裁判は各連合国が各地で具体的な戦争法規違反などを裁いた別の裁判群で、東京裁判と混同しない
- 東京裁判では法の不遡及や「勝者の裁き」などをめぐって判事間にも意見の相違があり、刑事責任と広い意味での戦争責任は区別して考える必要がある
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東京裁判は日本の通常の国内裁判所が独自に行った裁判ではなく、連合国側が占領下に設置した極東国際軍事裁判所で行われた。
極東国際軍事裁判所はマッカーサーの特別宣言と裁判所憲章にもとづき設置され、11か国の判事が参加しました。
本文の該当箇所を確認する - 問2
「A級戦犯」のAは、B級・C級より罪が重い人物を示す上位等級という意味である。
A・B・Cは罪の重さの順位ではなく犯罪類型の区分です。Aは主として侵略戦争の計画・準備・開始・遂行などに関わる「平和に対する罪」に対応します。
本文の該当箇所を確認する - 問3
1948年の東京裁判判決は、日本人全体の刑事責任を一括して認定したものだった。
判決が判断したのは起訴された特定の被告の刑事責任です。より広い政治的・社会的な戦争責任は裁判の有罪・無罪だけでは捉えきれません。
本文の該当箇所を確認する - 問4
BC級戦犯裁判は東京裁判と同じ一つの法廷で行われたのではなく、連合国各国が各地で具体的な戦争法規違反などを裁いた別の裁判群だった。
東京裁判は主として戦争指導層の責任を扱い、BC級裁判は各地の具体的な戦争犯罪の実行者・指揮官などを別の法廷・手続で裁きました。
本文の該当箇所を確認する - 問5
東京裁判の法的根拠や手続を批判することと、日本軍による個々の戦争犯罪や侵略被害の事実を否定することは同じ問題である。
裁判制度・法理への評価と、個々の戦争犯罪や被害の事実認定は区別する必要があります。裁判への批判だけから戦争犯罪の不存在を導くことはできません。
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Timeline
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Sources
参考資料
- 極東国際軍事裁判記録(当館所蔵分)国立国会図書館
裁判所設置、起訴、開廷、28被告・55訴因、25人への有罪判決、刑の内訳など裁判の基本経過を確認。
- National Archives Collection of World War II War Crimes RecordsU.S. National Archives and Records Administration
1946年1月19日の裁判所設置、11人の判事、28被告と1948年判決・刑の内訳を確認。
- World War II - Military Legal ResourcesLibrary of Congress
極東国際軍事裁判所判決の構成、公判期間、証人・審理回数など裁判記録の概要を確認。
- 昭和100年インターネット特別展 第2回 日本とアジア諸国の“戦後” 1. 戦争の検証と講和国立公文書館 アジア歴史資料センター
A・B・Cの犯罪類型、判決朗読、パール・ベルナール・レーリンクらの反対・個別意見、各地の戦犯裁判との関係を確認。
- Copies of Judgments of the IMTFE, 1948国立国会図書館
多数意見の判決に加え、パール判事、レーリンク判事、ベルナール判事、ウェッブ裁判長らの個別意見が保存されていることを確認。
- Sources on Australian investigations into Japanese war crimes in the PacificAustralian War Memorial
東京裁判とは別に、各地で具体的な捕虜虐待・住民殺害などを扱ったBC級戦犯裁判が行われたことを確認。
