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昭和時代1945〜1947年社会・経済重要度 A

女性参政権と家族法改革―敗戦後、女性の法的・政治的地位はどこまで変わったのかじょせいさんせいけんとかぞくほうかいかく はいせんごじょせいのほうてきせいじてきちいはどこまでかわったのか

一言でいうと

敗戦後の改革によって、日本の女性は国政選挙の選挙権・被選挙権を得て、家族法上でも戸主を中心とする「家」制度から個人の尊厳と両性の平等を原則とする制度へ移りました。1945年12月の衆議院議員選挙法改正で女性参政権が実現し、1946年4月の総選挙では女性が初めて国政選挙へ投票し、39人の女性衆議院議員が誕生しました。さらに日本国憲法第24条が婚姻と家族について個人の尊厳・両性の本質的平等を掲げ、1947年の民法改正で戸主・家督相続など旧民法の「家」に関する法制度が廃止されました。ただし、法律上の地位が大きく変わったことと、職場・家庭・政治の実態で男女の格差がすぐ解消したことは同じではありません。制度上の変化と社会の実態を分けて理解する必要があります。

戦前の女性はなぜ国政選挙に参加できなかったのか

戦前の衆議院議員選挙法では、国政選挙の選挙権・被選挙権は男性に限られていました。大正期には新婦人協会などが女性の政治参加を求め、1922年には治安警察法第5条が改正されて女性の政治集会への参加などが可能になりましたが、女性参政権そのものは実現しませんでした。

敗戦後、この状況は急速に変わりました。1945年10月11日にマッカーサーが幣原喜重郎首相へ示した占領改革の方向には、女性の政治的・社会的地位の向上が含まれていました。一方、日本国内でも戦前から参政権を求めてきた女性運動家らが活動を再開し、婦人参政権の実現を求めました。

したがって、戦後の女性参政権を「占領軍が突然与えた制度」とだけ説明すると、戦前からの女性参政権運動の蓄積が見えなくなります。ただし、敗戦と占領開始が法改正を短期間に実現させる大きな契機となったことも重要です。

1945年の選挙法改正で何が変わったのか

幣原内閣は衆議院議員選挙法の改正を進め、1945年12月15日に改正法が成立し、17日に公布されました。選挙人資格から男性に限定する規定が取り除かれ、女性にも衆議院議員選挙の選挙権・被選挙権せんきょけんひせんきょけんが認められました。

同時に選挙権年齢は25歳以上から20歳以上へ、被選挙権年齢は30歳以上から25歳以上へ引き下げられました。この改正は1946年公布の日本国憲法より先に行われたため、女性参政権は新憲法が施行されて初めて生まれた制度ではありません。

法改正によって女性は有権者になっただけでなく、候補者として国政へ参加できるようになりました。これは、政治参加の主体を成人男性だけに限ってきた戦前の制度からの大きな転換でした。

1946年総選挙で女性の政治参加はどう始まったのか

1946年4月10日、新しい選挙法による第22回衆議院議員総選挙が行われました。女性が国政選挙で投票した最初の選挙であり、女性候補者も立候補しました。選挙の結果、39人の女性が衆議院議員に当選しました。

女性が有権者・候補者として国政へ参加したことは、戦後の議会政治の重要な変化でした。同年に開かれた第90回帝国議会では、女性議員も憲法改正案などの審議に参加しました。つまり、女性参政権は単なる権利の宣言にとどまらず、実際の選挙と議会活動へ結びつきました。

しかし、39人の当選によって政治における男女格差が解消したわけではありません。その後、女性議員の人数や比率は長期にわたって変動し、政治参加の制度的な入口が開かれたことと、男女が同程度に政治的意思決定へ参加することは別の課題として残りました。

日本国憲法は家族と男女の関係をどう位置づけたのか

1946年11月3日に公布された日本国憲法は、法の下の平等を定める第14条に加え、第24条で婚姻と家族に関する新しい原則を示しました。婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を持つこと、家族に関する法律は個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚することが定められました。

明治民法の家族法では、戸主が家族の婚姻などについて強い権限を持ち、家督相続によって「家」の地位と財産が承継される仕組みが置かれていました。新憲法の原則とこれらの制度を両立させるには、民法そのものの改正が必要でした。

ここで重要なのは、憲法第24条の制定過程そのものは次のTopic 36で扱うことです。このTopicでは、新しい憲法原理が女性の家族法上の地位を変える基準となり、その基準に合わせて民法改正が進められた関係を押さえます。

1947年の民法改正は「家」制度をどう変えたのか

憲法施行に合わせるため、1947年5月3日からは民法の応急的措置が施行され、その後、親族・相続編を中心とする本格的な民法改正が進められました。12月22日に「民法の一部を改正する法律」が公布され、翌1948年1月1日に施行されました。

改正によって戸主・家族に関する規定と家督相続かとくそうぞくが廃止され、配偶者の相続権や共同相続を基礎とする相続制度が整えられました。婚姻・離婚・親族・相続についても、個人の尊厳と両性の本質的平等という新しい原則に合わせて制度が改められました。法律上、女性を戸主や夫の権限に従属させる旧来の家制度は大きく転換しました。

ただし、「家制度の廃止」とは家族や親族関係そのものがなくなったという意味ではありません。廃止されたのは、戸主権と家督相続を柱として家を法的単位とする旧民法上の制度です。また、法改正後も家族生活の慣行や職場での男女格差などは残りました。

Review

入試で押さえるポイント

  • 1945年12月の衆議院議員選挙法改正で女性に選挙権・被選挙権が認められた
  • 選挙法改正では選挙権年齢が20歳以上、被選挙権年齢が25歳以上へ引き下げられた
  • 1946年4月10日の第22回衆議院議員総選挙で女性が初めて国政選挙へ参加し39人の女性議員が当選した
  • 日本国憲法第24条は婚姻について両性の合意・同等の権利、家族法について個人の尊厳と両性の本質的平等を原則とした
  • 1947年の民法改正で戸主・家族に関する規定と家督相続が廃止され旧民法上の法的な家制度が転換した
  • 女性の法的・政治的地位の大幅な改善と社会・経済面での男女格差の解消は同じではない

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  1. 問1

    女性の国政選挙権・被選挙権は日本国憲法が施行された1947年に初めて認められ、それ以前の1946年総選挙には女性は参加できなかった。

  2. 問2

    1945年の選挙法改正は女性に選挙権・被選挙権を認めるとともに、選挙権年齢を20歳以上、被選挙権年齢を25歳以上へ引き下げた。

  3. 問3

    1946年4月の衆議院議員総選挙では女性が初めて国政選挙へ参加し、39人の女性衆議院議員が当選した。

  4. 問4

    日本国憲法第24条が公布された時点で旧民法の戸主・家督相続制度も自動的に消滅したため、その後の民法改正は必要なかった。

  5. 問5

    戦後改革で女性の政治的・家族法上の地位は大きく改善したが、法律上の平等が実現したことと、職場・家庭・政治で男女格差が直ちに解消したことは同じではない。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 衆議院議員選挙法が改正され女性参政権が認められる
  2. 戦後最初の衆議院総選挙が行われ女性が初めて投票・立候補する
  3. 日本国憲法が公布される
  4. 民法改正で家制度が廃止され家族法上の男女平等が定められる

Sources

参考資料

  1. 女性参政権の実現国立公文書館

    戦前の女性政治参加制限、五大改革、1945年の選挙法改正と1946年総選挙での女性議員39人を確認

  2. 昭和20年(1945)11月|衆議院議員選挙法が改正され、婦人参政権が認められる国立公文書館

    法案成立・公布、女性の選挙権・被選挙権、選挙権・被選挙権年齢の引下げを確認

  3. 詳細年表 3 1946年2月1日~1946年4月19日国立国会図書館

    1946年4月10日の第22回衆議院議員総選挙実施を確認

  4. 女性国会議員比率の動向国立国会図書館 調査及び立法考査局

    1946年総選挙で定数466人中39人の女性衆議院議員が誕生したことを確認

  5. 日本国憲法国立国会図書館

    第14条の法の下の平等と第24条の婚姻・家族における個人の尊厳・両性の本質的平等を確認

  6. 昭和22年(1947)12月|民法が改正される国立公文書館

    1947年12月22日の民法改正、家・戸主・家督相続の廃止と女性の地位向上を確認

  7. 民法の一部を改正する法律 昭和22年12月22日法律第222号国立国会図書館 日本法令索引

    法律第222号の公布日・成立経過を確認