男女雇用機会均等法と労働者派遣法―1980年代の雇用制度は女性の就業と働き方をどう変えたのか
一言でいうと
1980年代、日本では女性雇用者が増え、サービス化・情報化の進展とともに働き方も多様化しました。国際的には女子差別撤廃条約への対応が求められ、日本は1985年に男女雇用機会均等法を成立させ、翌1986年4月に施行しました。ただし最初の均等法は、募集・採用、配置・昇進について男女均等を事業主の努力義務とする段階にとどまり、現在の制度と同じではありませんでした。同じ1985年には労働者派遣法も制定され、1986年7月から施行されます。派遣制度は当初、専門的知識などを必要とし常用雇用を代替するおそれが少ないとされた13業務を対象に始まり、施行後まもなく16業務へ拡大されました。均等法は女性が企業内で基幹的な仕事へ進む制度的入口を広げ、派遣法は企業の外部から労働力を受け入れる新しい雇用の仕組みを制度化しましたが、性別による職務分離、出産・育児期の就業中断、正規・非正規の違いなどは残りました。
1980年代、女性の就業と雇用はどのように変わっていたのか
高度成長後も、女性の雇用者数は増加を続けました。厚生白書によれば、女性雇用者は1980年の1354万人から1985年には1548万人、1990年には1834万人へ増え、雇用者全体に占める女性の割合も1985年には35.9%となりました。製造業だけでなく、事務、販売、サービスなど雇用の受け皿が広がったことも背景にありました。
一方、女性の年齢別労働力率には、結婚・出産期にいったん低下し、その後再び上昇する『M字型』が明瞭に残っていました。1980年には25〜29歳と30〜34歳が大きな谷となっており、女性の就業拡大は、そのまま継続就業の一般化を意味しませんでした。
この時期の課題は、女性が働く人数を増やすことだけではなく、採用、配置、昇進など企業内の雇用管理で男女をどう扱うか、また企業が必要とする専門・事務労働をどのような雇用関係で確保するかという制度の組み替えでした。
1985年の男女雇用機会均等法は、何を変え、何を残したのか
国連は1979年に女子差別撤廃条約を採択し、日本は1980年に署名しました。条約批准に向けた国内法整備の一つとして、1985年に男女雇用機会均等法が成立し、日本は同年6月に条約を批准しました。均等法は1986年4月1日に施行され、雇用における男女の機会と待遇を法制度の課題として明確にしました。
ただし、最初の均等法を現在の法律と同じものと考えてはいけません。1985年法では、募集・採用、配置・昇進について女性を男性と均等に扱うことは事業主の『努力義務』でした。一方、一定の教育訓練や福利厚生、定年・退職・解雇などでは女性に対する差別的取扱いが禁止され、結婚・妊娠・出産を理由とする退職制度や一定の解雇も禁止されました。
募集・採用や配置・昇進における女性差別が法的な禁止へ強化されるのは、1997年改正後です。したがって1986年の施行を『職場の男女平等が完成した年』とするのではなく、企業の雇用管理を男女均等の方向へ転換させる出発点の一つとして捉える必要があります。
最初の均等法では、募集・採用、配置・昇進は『努力義務』でした。現在の均等法の禁止規定を1986年へそのまま当てはめないことが重要です。
企業の『コース別雇用管理』は、女性の機会をどう広げ、同時に何を残したのか
均等法施行を前後して、企業の一部では男女別に採用・配置する方式から、『総合職』『一般職』など複数のコースを設ける雇用管理へ移る動きが広がりました。総合職には企画・営業・管理職候補など基幹業務への道が開かれ、女性が従来より幅広い職務へ進む制度上の入口が生まれました。
しかし、実際には女性の多くが一般職に集中し、総合職には転勤などの条件が付されることもありました。内閣府の男女共同参画白書も、均等法を機にコース別雇用管理が採用された一方、企業で働く女性の多くは一般職だったと整理しています。形式的に『男女別』でなくなっても、職務、昇進、賃金の差が容易に消えたわけではありません。
さらに、長時間労働や全国転勤を基幹職の前提とする雇用慣行と、家事・育児を女性が多く担う社会慣行が重なると、制度上応募できても実際の選択肢には差が残ります。均等法の意味と限界は、法律の文言だけでなく企業の雇用慣行と家庭内の役割分担を合わせて見る必要があります。
労働者派遣法は、どのような働き方を制度化したのか
1985年7月5日に労働者派遣法が公布され、1986年7月1日に施行されました。派遣労働では、労働者は派遣元企業と雇用契約を結びながら、実際の仕事では派遣先企業の指揮命令を受けます。雇用主と仕事上の指揮命令者が異なる点が、派遣労働の大きな特徴です。
制度発足時から、現在のように幅広い仕事へ派遣できたわけではありません。1985年の制度設計では、常用雇用を代替するおそれが少ない専門的知識などを必要とする13業務が対象とされ、施行後まもなく3業務が加わって16業務となりました。ソフトウェア開発、事務用機器操作、通訳・翻訳、秘書などがその例です。
1999年に対象業務が原則自由化される以前の派遣制度は、対象となる業務を列挙する『ポジティブ・リスト方式』でした。したがって、1986年の派遣法成立を、後の製造業派遣や広範な一般事務派遣まで一度に認めた出来事として説明してはいけません。
均等法と派遣法を一緒に見ると、1980年代の雇用変化はどう見えるのか
二つの法律は目的の異なる制度です。均等法は企業内の採用・配置・昇進などで女性の機会を拡大することを目指し、派遣法は企業が外部の労働者を受け入れる労働力需給の仕組みを法的に整備しました。『女性のための二つの法律』として同一視するのは適切ではありません。
しかし、サービス化・情報化が進む1980年代の労働市場では、事務・情報処理・専門サービスなど、女性が多く就く職域の拡大と派遣制度の成立が重なりました。女性が正社員として基幹職を目指す道が広がる一方、パートや派遣など企業の内部昇進とは異なる働き方も拡大していく条件が整いました。
この変化を『自由な働き方が増えた』とも『非正規化がただちに進んだ』とも一面的に評価しないことが重要です。1980年代には新しい選択肢と制度的保護が生まれましたが、雇用の安定、処遇、昇進機会、仕事と家庭の両立という課題も残りました。派遣対象の大幅な自由化と非正規雇用の拡大は、平成期の変化として区別して考える必要があります。
昭和末の雇用制度改革は、どこまで到達していたのか
1980年代後半までに、女性の雇用者数は増え、若い女性の労働力率も上昇しました。均等法は『女性だから基幹的な仕事へ進めない』という雇用管理を見直す契機となり、派遣法は新しい労働力需給の制度を社会に定着させる出発点となりました。
一方、女性のM字型労働力率、コース別雇用管理における職務差、管理職への昇進格差などは残り、均等法自体も後の改正によって強化されることになります。昭和末の制度改革は、完成した平等な労働市場の成立ではなく、企業中心の雇用慣行を維持しながら、男女均等と働き方の多様化を組み込み始めた過渡期として位置付けられます。
Review
入試で押さえるポイント
- 1985年に男女雇用機会均等法が成立し、1986年4月1日に施行されたこと
- 1985年法では募集・採用、配置・昇進の男女均等が事業主の努力義務で、現在の禁止規定とは異なったこと
- 日本が1985年に女子差別撤廃条約を批准し、そのための国内法整備が均等法成立の重要な背景だったこと
- 労働者派遣法が1985年に制定され、1986年7月1日に施行されたこと
- 派遣制度は当初13業務を対象とし、施行後まもなく16業務へ広がった限定的なポジティブ・リスト方式だったこと
- 女性雇用者が増えた一方、M字型の就業中断、コース別雇用管理、昇進格差などが残り、制度成立を男女平等の完成としないこと
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- 問1
1986年施行の男女雇用機会均等法は、募集・採用、配置・昇進における男女差別を現在と同じ形で直ちに全面禁止した。
最初の均等法では、募集・採用、配置・昇進の男女均等は事業主の努力義務でした。これらが禁止規定へ強化されるのは後の改正です。
本文の該当箇所を確認する - 問2
1985年の男女雇用機会均等法成立には、日本が女子差別撤廃条約を批准するための国内法整備という背景もあった。
日本は1980年に条約へ署名し、1985年の批准に向けて国内法を整備しました。均等法はその重要な一環でした。
本文の該当箇所を確認する - 問3
コース別雇用管理が導入されたことで、女性の一般職への集中や昇進・賃金の差はほぼ解消した。
総合職への道は広がりましたが、女性の多くが一般職に集中し、転勤条件や家庭内役割分担も重なって職務・昇進・賃金の差は残りました。
本文の該当箇所を確認する - 問4
1986年施行の労働者派遣法は、当初から製造業を含むほぼすべての業務への派遣を認めていた。
制度発足時は専門的知識などを必要とする13業務が対象で、施行後まもなく16業務へ拡大されました。広範な自由化は後の時代です。
本文の該当箇所を確認する - 問5
男女雇用機会均等法と労働者派遣法は同じ目的の法律ではなく、前者は企業内の男女均等、後者は派遣という労働力需給の仕組みを主に整備した。
二つの法律は同時期に成立しましたが目的は異なります。1980年代の雇用変化を理解するには、それぞれの制度上の役割を分けて見る必要があります。
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Timeline
関連する年表
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Sources
参考資料
- 女性活躍推進って何のこと? 男女雇用機会均等法厚生労働省
1985年法で募集・採用・配置・昇進が努力義務だったことと、1997年改正による禁止規定への強化を確認
- 男女雇用機会均等法の変遷厚生労働省
1985年法の努力義務・差別禁止の対象範囲と女性保護規定の見直しを確認
- 女子差別撤廃条約について内閣府男女共同参画局
日本の1980年署名、1985年6月25日批准、7月25日発効を確認
- 労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律厚生労働省
1985年7月5日の制定と1986年7月1日の施行を確認
- 労働者派遣制度の変遷労働政策研究・研修機構
施行時13業務、3か月後16業務、1999年の原則自由化までのポジティブ・リスト方式を確認
- 令和元年版男女共同参画白書 第1節 女性の教育・学びの進展内閣府男女共同参画局
均等法施行後のコース別雇用管理と女性の一般職集中を確認
- 厚生白書 平成8年版厚生省
1980・1985・1990年の女性雇用者数と雇用者全体に占める女性割合を確認
- 国勢調査トピックス No.6 緩やかになってきた女性のM字型曲線総務省統計局
1980年の女性労働力率のM字型とその後の変化を確認
