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昭和時代1974〜1980年代初め社会・経済重要度 A

安定成長と第2次石油危機―日本企業はなぜ省エネルギー化と産業構造転換を進めたのかあんていせいちょうとだいにじせきゆきき にほんきぎょうはなぜしょうえねるぎーかとさんぎょうこうぞうてんかんをすすめたのか

一言でいうと

第1次石油危機で高度経済成長の前提が崩れたあと、日本経済は成長そのものを失ったのではなく、より低い成長率を前提とする安定成長へ移りました。その過程で企業は、原油価格の上昇を単なる一時的な負担とみなさず、少ないエネルギーで生産する設備や工程への転換を進めます。製造業では省エネルギー化が進む一方、鉄鋼や石油化学などの素材型産業の比重が相対的に低下し、自動車・電機・機械など加工組立型産業の比重が高まりました。政府も石油備蓄、省エネ法、代替エネルギー開発などを制度化します。1979年のイラン革命を背景に第2次石油危機が起こると原油価格は再び大幅に上昇しましたが、第1次危機後の備えと省エネ化が進んでいたため、同じ形の社会的混乱は繰り返されませんでした。安定成長とは『何もしなくても低成長が続いた時代』ではなく、資源制約に対応して企業・産業・エネルギー政策が組み替えられた結果として理解する必要があります。

高度成長が終わったあと、日本経済は『停滞』しただけなのか

1974年度に戦後初のマイナス成長を経験した日本経済は、その後、高度成長期のような年率10%前後の成長には戻りませんでした。しかし、これは生産や生活水準の拡大が止まったことを意味しません。成長率が低下したなかでも、企業は設備や製品を変えながら生産性を高め、経済はより低い成長率で拡大する安定成長へ移っていきました。

第1次石油危機は、安価な輸入石油を大量に使い、重化学工業の生産と設備投資を急速に増やす成長モデルの弱点を示しました。原油価格が高い状態が続くなら、同じ製品を同じ方法で作り続けるだけでは企業の収益も国際競争力も維持しにくくなります。そこで『成長率を元へ戻す』だけでなく、エネルギーを使う量そのものと産業の構成を変える対応が重要になりました。

企業は、なぜ省エネルギー投資を進めたのか

石油危機後、原油や電力などの価格上昇は企業にとって恒常的なコスト問題となりました。エネルギーを大量に使う設備では、燃料を節約できる技術や、生産工程を連続化して加熱・冷却の回数を減らす仕組みを導入するほど、生産費を抑えやすくなります。省エネルギーは環境対策だけではなく、企業の競争力に直結する経営課題になりました。

資源エネルギー庁は、石油ショック以降、製造業では生産が増える一方でエネルギー消費が抑制された主な理由として、省エネの進展と産業構造の変化を挙げています。つまり日本企業は、同じ量の生産に必要なエネルギーを減らすと同時に、エネルギーを大量に消費する産業への依存も下げていきました。

安定成長への移行は、単なる『低成長化』ではありません。企業が省エネルギー化と生産工程の改善を進め、資源価格が高くても競争できる体質へ変わったことが重要です。

なぜ素材型産業から加工組立型産業へ比重が移ったのか

鉄鋼、化学、非鉄金属などの素材型産業は、製品を作る過程で大量のエネルギーを必要とします。石油危機でエネルギー価格が上がると、これらの産業はコスト上昇の影響を強く受けました。これに対し、自動車、電機、一般機械などの加工組立型産業は、製品価格に占める原材料・エネルギー費の比重が相対的に小さく、技術、品質、生産管理の改善で競争力を高めやすい分野でした。

その結果、製造業では素材型産業の比重が相対的に低下し、加工組立型産業の比重が高まります。これは『重化学工業がなくなった』という意味ではありません。鉄鋼などの基礎素材産業も設備の効率化を進めながら存続しましたが、日本経済全体としては、より少ないエネルギーで高い付加価値を生み出す産業へ重心が移ったのです。

政府は石油危機後のエネルギー政策をどう制度化したのか

第1次石油危機後、政府は石油を確保するだけでなく、『使う量を減らす』『石油以外のエネルギーを増やす』政策を組み合わせました。1975年には石油備蓄法を制定し、民間備蓄を制度化します。国家備蓄も1978年に始まり、供給途絶への備えが強化されました。

1979年には『エネルギーの使用の合理化に関する法律』(省エネ法)が制定され、工場などに効率的なエネルギー利用を求める枠組みが整えられました。さらに1980年には石油代替エネルギーの開発・導入を促す法律が制定され、天然ガス、石炭、原子力、新エネルギーなどを含む供給源の多様化が進められます。

ここで重要なのは、省エネが個々の企業の自主努力だけで進んだわけでも、政府の命令だけで進んだわけでもないことです。高いエネルギー価格による企業側の経済的な動機と、法制度・研究開発支援・備蓄政策が重なって、日本経済のエネルギー利用の仕方が変わっていきました。

第2次石油危機では、なぜ第1次ほどの社会的混乱が起きなかったのか

1978年末から原油価格が上昇し、1979年2月のイラン革命によるイランの石油生産中断、1980年に始まるイラン・イラク戦争などが重なって、第2次石油危機が進みました。資源エネルギー庁の整理では、国際原油価格は約3年間で約2.7倍になり、日本でも物価上昇と成長率の鈍化が起こりました。

それでも、第1次石油危機のようなトイレットペーパーの買いだめなど大規模な社会的混乱は繰り返されませんでした。第1次危機を経験したことで、企業・政府・消費者が石油不足への対応を学び、備蓄や省エネも進んでいたためです。第2次危機は日本経済に打撃を与えましたが、同時に、1970年代半ばから進めてきた体質転換の効果を確かめる局面にもなりました。

安定成長への転換は、日本経済に何を残したのか

二度の石油危機を通じ、日本企業は少ないエネルギーで生産する技術や設備を競争力の源泉の一つにしました。自動車や電機などの加工組立型産業の拡大も、1980年代に日本製品が世界市場で存在感を高める背景になります。

ただし、この変化を『石油危機のおかげで日本経済が強くなった』と単純に評価することはできません。エネルギー多消費型産業の縮小や設備調整は地域や雇用に負担をもたらし、輸出競争力の上昇はのちの日米貿易摩擦も強めました。1970年代後半の安定成長は、高度成長の単なる続きではなく、資源制約に適応するための構造調整を伴う新しい成長段階でした。

Review

入試で押さえるポイント

  • 第1次石油危機後、日本経済は高度成長から安定成長へ移行したこと
  • 石油ショック後の製造業では、省エネの進展と素材型産業から加工組立型産業への比重移動がエネルギー消費抑制の主要因となったこと
  • 1979年に省エネ法が制定され、石油備蓄・省エネルギー・代替エネルギー開発が政策として制度化されたこと
  • 第2次石油危機はイラン革命による石油生産中断などを背景に1979年に深刻化したこと
  • 第2次石油危機では原油価格が再び大幅に上昇したが、第1次危機ほどの社会的混乱は起きなかったこと
  • 安定成長を単なる停滞ではなく、省エネ化・産業構造転換を伴う成長モデルの変化として捉えること

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  1. 問1

    高度成長の終了後、日本経済は生産や生活水準の拡大そのものを失ったのではなく、より低い成長率を前提とする安定成長へ移った。

  2. 問2

    石油危機後の企業の省エネルギー投資は環境対策だけを目的とし、生産費や国際競争力とはほとんど関係がなかった。

  3. 問3

    石油危機後に加工組立型産業の比重が高まったため、鉄鋼や化学などの素材型産業は日本からほぼ消滅した。

  4. 問4

    石油危機後の省エネ・備蓄・供給源多様化は、企業の経済的動機と政府の法制度・備蓄政策などが重なって進められた。

  5. 問5

    第2次石油危機では、第1次石油危機と同じようにトイレットペーパーの買いだめなど大規模な社会的混乱が再び広がった。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 省エネルギー化と産業構造転換のもとで安定成長へ移行する
  2. イラン革命を背景に第2次石油危機が起こる
  3. 第1次石油危機で原油価格が急騰し物価上昇と景気後退が進む

Sources

参考資料

  1. 平成29年度エネルギーに関する年次報告 第1部第1章第4節 1970・80年頃~経済産業省 資源エネルギー庁

    第1次石油危機後の省エネルギー政策と1979年省エネ法制定を確認

  2. 令和5年度エネルギーに関する年次報告 第2部第1章第2節 部門別エネルギー消費の動向経済産業省 資源エネルギー庁

    石油ショック後の製造業における省エネ進展と素材型から加工組立型への産業構造変化を確認

  3. 日本のエネルギー、150年の歴史④―2度のオイルショックを経て、エネルギー政策の見直しが進む経済産業省 資源エネルギー庁

    石油備蓄、省エネ法、代替エネルギー政策、第2次オイルショックの経過と社会的混乱の差を確認

  4. エネルギー白書2016 第2部第1章第1節 エネルギー需給の概要経済産業省 資源エネルギー庁

    イラン革命による石油生産中断と第2次石油ショック、エネルギー源多様化を確認