第1次石油危機と高度成長の終焉―原油価格急騰はなぜ日本経済の成長パターンを変えたのか
一言でいうと
高度経済成長期の日本は、安価な輸入石油を大量に利用する重化学工業化と大量生産・大量消費を進め、1973年度には一次エネルギー国内供給の75.5%を石油に依存していました。1973年10月の第四次中東戦争を契機に、アラブ産油国による生産削減・禁輸と産油国側の大幅な価格引上げが進み、原油価格は短期間で約4倍に上昇します。石油をほぼ輸入に頼る日本では、物価高と供給不安が広がり、買いだめなどの社会的混乱も起きました。ただし、物価上昇は石油危機以前から進んでおり、政府・日本銀行はすでに金融引締めへ転じていました。石油価格上昇と総需要抑制が重なった結果、1974年度の実質経済成長率はマイナス0.5%となり、年度として戦後初のマイナス成長を記録しました。高度成長の終焉は一日で起きたのではなく、石油多消費型の成長を支えた条件が崩れ、経済運営の前提が変わった過程として捉える必要があります。
高度経済成長の日本は、なぜ石油危機に弱かったのか
1950年代後半から1970年代初めの高度経済成長では、鉄鋼、石油化学、自動車などの重化学工業が急速に拡大しました。そのエネルギーを支えたのが、中東などから大量に輸入される比較的安価な石油です。国内炭より輸入石油の利用が広がり、工場、発電、交通、家庭生活まで石油への依存を深めました。
資源エネルギー庁によれば、1973年度の一次エネルギー国内供給に占める石油の割合は75.5%に達していました。日本は国内で必要な原油の大部分を海外に依存していたため、国際市場で供給量や価格が大きく動けば、企業の生産費だけでなく、電力、交通、生活物資など広い範囲へ影響が及びやすい経済構造になっていました。
つまり第1次石油危機が大きな衝撃となったのは、単に原油価格が上がったからではありません。高度成長そのものが、安価で安定した輸入石油を大量に使えるという条件の上に成り立っていたためです。
1973年10月、中東の戦争はどうして世界的な石油危機へつながったのか
1973年10月6日、エジプトとシリアがイスラエルを攻撃し、第四次中東戦争が始まりました。戦争のなかで、アラブ産油国は石油を外交・政治上の手段として使います。10月17日にはアラブ石油輸出国機構(OAPEC)が原油生産を少なくとも毎月5%ずつ削減する方針を決め、イスラエルを支持する国への禁輸も進めました。
同時に、産油国側は原油価格を大幅に引き上げました。10月にはペルシャ湾岸のOPEC加盟国が原油価格を1バレル3.01ドルから5.12ドルへ引き上げ、その後も値上げが進み、年末には約12ドルとなりました。数か月で原油価格がほぼ4倍になったことは、石油輸入国の生産費と国際収支へ大きな負担を与えました。
日本はアメリカのように全面禁輸の主対象となったわけではありませんが、供給削減と価格急騰による影響を強く受けました。石油を大量輸入する経済にとって、実際の供給減少だけでなく『今後、必要な量を確保できないのではないか』という不安そのものが企業や消費者の行動を変えました。
第1次石油危機では、第四次中東戦争を背景に供給削減・禁輸と価格引上げが重なりました。日本にとっての核心は、輸入石油へ大きく依存した高度成長の前提が不安定になったことです。
『狂乱物価』は、すべて石油危機から始まったのか
石油危機の直後、日本では石油製品だけでなく多くの物価が上昇しました。石油は燃料だけでなく、輸送や化学製品など幅広い生産活動に関わるため、原油価格の急騰は企業のコストを押し上げ、価格転嫁を通じて生活にも影響しました。1974年度の消費者物価上昇率は20.9%に達します。
しかし、『狂乱物価』をすべて石油危機だけの結果とするのは正確ではありません。日本銀行が後年整理しているように、1970年代初めには金融緩和によるマネーサプライの大幅な増加などを背景に、石油危機が起きる前から物価上昇が加速していました。1973年春から日本銀行は公定歩合の引上げを始めており、すでにインフレ抑制が重要な政策課題になっていました。
そこへ原油・原材料価格の急騰が重なり、輸入インフレと国内の需要・賃金・価格の上昇が相互に作用しました。したがって1973〜1974年の激しい物価上昇は、石油危機以前からの過熱と、石油危機によるコスト上昇が重なったものとして理解する必要があります。
なぜトイレットペーパーまで買いだめされたのか
石油供給への不安は、実際の原油不足を超えて日用品全般への不安へ広がりました。1973年秋には紙の節約を求める動きや物不足への報道が重なり、トイレットペーパー、洗剤、砂糖などを買いだめする消費者が各地に現れました。
スーパー店頭での品薄や買いだめの様子が報道されると、『石油が不足すれば日用品も不足するのではないか』という不安がさらに広がりました。ここで重要なのは、トイレットペーパーの在庫が全国で同時に消滅したから騒動になった、という単純な因果ではないことです。供給への不安、節約要請、報道、他の消費者の行動が相互に作用しました。
この買いだめ騒動は、石油危機が企業の生産費や国際収支だけでなく、人びとの将来予想や消費行動まで変えたことを示します。一方で、社会的混乱を象徴する出来事を経済危機全体の原因と取り違えないことも必要です。
1974年度の戦後初のマイナス成長は、どのように生じたのか
政府と日本銀行は激しいインフレを抑えるため、総需要を抑制する政策を強めました。日本銀行は1973年4月から12月までに公定歩合を5回引き上げ、4.25%から9%としました。1974年度には公共事業関係支出を前年度水準以下に抑えるなど、財政面でも需要抑制が進められました。
原油価格上昇は企業のコストを押し上げ、家計の実質的な購買力を弱めました。そこへ金融・財政の引締めが重なり、設備投資や消費、生産が落ち込みます。内閣府の整理では、景気は1973年11月をピークに後退し、1974年度の実質経済成長率はマイナス0.5%となりました。年度ベースでは戦後初のマイナス成長です。
したがって1974年の景気後退を『原油価格が4倍になったので、そのままGDPが減った』と説明するのは不十分です。石油・原材料価格の急上昇、すでに進んでいたインフレ、企業・家計の行動変化、インフレを抑えるための総需要抑制が重なって成長率を大きく押し下げました。
高度経済成長は、1973年の一日を境に『終わった』のか
日本史では、第1次石油危機を高度経済成長の終わりを示す重要な転換点として扱います。実際、1950年代後半から続いた年率10%前後の高い成長は戻らず、その後の日本経済はより低い成長率を前提とする安定成長期へ移っていきました。
ただし、高度成長が1973年10月の一日で機械的に終了したわけではありません。ニクソン・ショックと変動相場制への移行によって国際通貨環境はすでに変化し、国内では物価上昇と金融引締めも始まっていました。そこへ石油危機が重なり、安価な輸入石油を大量に使って生産・投資を拡大する成長パターンの弱点が一気に表面化したのです。
石油危機後、日本企業は省エネルギー化、生産効率化、産業構造の転換を進めます。これらの対応と第2次石油危機までの安定成長への移行は、次のTopicで詳しく扱います。このTopicでは、1973〜1974年に高度成長を支えた条件が崩れ、経済の成長パターンを組み替える必要が生じたところまでを押さえます。
第1次石油危機は高度成長の『終了日』ではなく、石油多消費型の成長を支えた条件の限界を露呈させ、戦後初のマイナス成長とその後の成長率低下につながった転換点です。
Review
入試で押さえるポイント
- 1973年度、日本の一次エネルギー国内供給の75.5%を石油が占め、高度成長は輸入石油への高い依存を前提としていた
- 1973年10月の第四次中東戦争を背景に、アラブ産油国の生産削減・禁輸と産油国側の価格引上げが進み、原油価格は短期間で約4倍になった
- 1973〜1974年の激しい物価上昇は、石油価格の上昇だけでなく、石油危機以前からの国内インフレと重なって生じた
- 供給不安と報道などを背景にトイレットペーパーなどの買いだめが広がり、石油危機は消費者行動にも大きな影響を与えた
- 政府・日本銀行は総需要抑制を強め、1973年中に公定歩合を4.25%から9%へ引き上げ、1974年度の実質経済成長率はマイナス0.5%となった
- 第1次石油危機は高度経済成長の重要な転換点だが、高度成長の終焉を一日・一事件だけで機械的に説明しない
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- 問1
第1次石油危機が日本経済へ大きな衝撃となった背景には、高度成長期の日本が輸入石油へ強く依存していたことがあった。
1973年度には一次エネルギー国内供給の75.5%を石油が占め、工業・交通・生活の広い範囲が安価で安定した輸入石油を前提としていました。
本文の該当箇所を確認する - 問2
日本が第1次石油危機で大きな影響を受けたのは、アメリカと同様にアラブ産油国による全面禁輸の主対象に指定されたからである。
日本はアメリカのような全面禁輸の主対象ではありませんでしたが、供給削減、価格急騰、将来の供給不安によって強い影響を受けました。
本文の該当箇所を確認する - 問3
1973〜1974年の激しい物価上昇は石油危機によって初めて始まり、それ以前の国内インフレや金融政策とは無関係だった。
石油危機以前から物価上昇は加速しており、日本銀行は1973年春から金融引締めを始めていました。そこへ原油・原材料価格の急騰が重なりました。
本文の該当箇所を確認する - 問4
1974年度のマイナス成長には、原油・原材料価格の上昇だけでなく、インフレ抑制のための金融・財政の引締めも重なっていた。
原油高で企業コストと家計負担が増す一方、政府・日本銀行は総需要抑制を強め、設備投資や消費、生産が落ち込みました。
本文の該当箇所を確認する - 問5
日本の高度経済成長は1973年10月の石油危機発生日に突然終了し、それ以前の変動相場制移行や物価上昇は成長パターンの転換と関係がなかった。
国際通貨環境や国内物価は石油危機以前から変化していました。石油危機はそれらに重なり、石油多消費型の成長の限界を表面化させた重要な転換点です。
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Timeline
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Sources
参考資料
- 第1節 エネルギー需要の概要資源エネルギー庁
高度経済成長を輸入石油が支えたこと、1973年度の一次エネルギー国内供給に占める石油比率75.5%、第一次石油ショック後の政策転換を確認。
- 石油がとまると何が起こるのか?―歴史から学ぶ、日本のエネルギー供給のリスク資源エネルギー庁
第一次オイルショックの時期、日本の高い石油・中東依存、産油国による価格引上げ・輸出停止、国内の供給不安と買いだめを確認。
- 日本のエネルギー、150年の歴史④―2度のオイルショックを経て、エネルギー政策の見直しが進む資源エネルギー庁
スーパー店頭からトイレットペーパーや洗剤が消え、供給不安から買いだめ・買い占めが広がったこと、1974年度の戦後初のマイナス成長を確認。
- 第1章 第2節 原材料価格の上昇とデフレ脱却に向けた展望内閣府
1973年11月の景気ピーク、1974年度実質成長率マイナス0.5%、戦後初の年度マイナス成長、公定歩合4.25%から9%への引上げと総需要抑制策を確認。
- 第3節 原油・原材料価格の高騰と日本の物価・賃金内閣府
1974年度消費者物価20.9%、石油危機後の輸入インフレと国内の物価・賃金上昇、総需要抑制政策を確認。
- 最近の金融経済情勢と金融政策運営日本銀行
第一次石油ショック以前から日本のインフレ率が加速していたことと、1970年代初めのマネーサプライ増加を含む国内要因を確認。
- Oil Embargo, 1973–1974U.S. Department of State, Office of the Historian
第四次中東戦争、アラブ産油国による禁輸・生産削減と国際的な石油危機の背景を確認。
- Foreign Relations of the United States, 1969–1976, Volume XXV, Document 200U.S. Department of State, Office of the Historian
1973年10月17日のOAPECによる生産削減方針と、湾岸OPEC加盟国による原油価格3.01ドルから5.12ドルへの引上げを確認。
