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昭和時代1971〜1973年社会・経済重要度 A

ニクソン・ショックと変動相場制―戦後の国際通貨体制の転換は日本経済をどう揺さぶったのかにくそんしょっくとへんどうそうばせい せんごのこくさいつうかたいせいのてんかんはにほんけいざいをどうゆさぶったのか

一言でいうと

高度経済成長期の日本は、1ドル=360円の固定相場を前提に輸出と国際取引を拡大してきました。しかし1971年8月15日、アメリカのニクソン大統領がドルと金の交換停止と10%の輸入課徴金などを発表すると、ドルを中心とするブレトン・ウッズ体制は大きく揺らぎます。日本は360円相場を維持しようとしましたが、円切上げを見込むドル売り・円買いが集中し、8月末には変動相場へ移りました。同年12月のスミソニアン合意で1ドル=308円の固定相場へ戻ったものの、この体制も長続きせず、1973年2月14日に円は再び変動相場制へ移行しました。日本経済にとってこれは、安定した固定為替相場を前提に成長する時代から、為替変動を織り込んで企業・政府が対応する時代への転換でした。

なぜ1ドル=360円の固定相場が高度成長を支える前提になっていたのか

第二次世界大戦後の国際通貨制度では、各国通貨をドルに固定し、アメリカがドルを一定価格で金と交換するブレトン・ウッズ体制が採られました。日本では1949年に1ドル=360円の単一為替レートが設定され、その後の国際通貨体制のなかでもこの相場が維持されました。

固定相場制は、輸出入企業にとって将来の為替レートを見通しやすくする効果を持ちました。高度経済成長期、日本企業は生産性を高めながら輸出を拡大し、日本の国際収支も次第に強くなっていきます。一方、アメリカでは海外への軍事支出・投資などを背景にドルが海外へ積み上がり、保有する金に対してドルの量が増え、ドルと金の交換を維持することが難しくなっていました。

したがって1971年の通貨危機は、日本だけの問題ではありません。戦後の世界経済を支えたドル中心の固定相場制そのものが、アメリカの国際収支と金準備、成長した西欧・日本の競争力との間で維持しにくくなった結果として起きました。

1971年8月15日のニクソン・ショックは、何を突然変えたのか

1971年8月15日、ニクソン大統領は新経済政策を発表し、外国政府などが保有するドルと金の交換を停止しました。さらに、課税対象となる輸入品に10%の輸入課徴金を一時的に課しました。ドルを金に結びつける戦後通貨体制の中心的な仕組みが停止されたため、各国は従来の対ドル固定相場をそのまま維持することが難しくなります。

日本では、円の切上げを見込んでドルを売り円を買おうとする動きが強まりました。日本の通貨当局は当初、1ドル=360円を守るためドルを買い支えましたが、大量のドル流入を受け、8月末には360円の固定相場から離れて円を変動させることになります。

円高は、同じドル価格の商品を輸出しても企業が受け取る円換算額を減らし、日本製品のドル建て価格を押し上げる方向に働きます。そのため輸出企業を中心に景気への不安が広がりました。ただし、日本経済がこの時点で長期的な成長を終えたわけではなく、政府・日本銀行は景気を下支えする政策をとりながら対応しました。

ニクソン・ショックの核心は、円高だけではなく、ドルを金と交換する仕組みが停止され、戦後の固定相場制の土台そのものが崩れ始めたことにあります。

スミソニアン合意で、なぜ1ドル=308円へ切り上げられたのか

各国は固定相場制を再建するため協議を続け、1971年12月18日に主要10か国がスミソニアン合意に達しました。アメリカはドルの対金価値を切り下げ、各国も対ドル交換レートを調整し、為替変動の許容幅を広げることになりました。

日本の新しい中心相場は1ドル=308円となりました。360円から308円への変更は、ドルに対して円の価値を16.88%切り上げる調整でした。高度成長を通じて輸出競争力と国際収支が強くなった日本に対し、円の対外価値を引き上げる圧力が強まっていたことが背景にあります。

これによって日本はいったん固定相場制へ戻りましたが、360円時代へ戻ったわけではありません。企業は大幅な円高を前提に輸出価格、生産性、投資などを考える必要が生じました。また政府は、国際収支の不均衡を小さくするため輸入・資本取引の自由化なども進めていきます。

日本は円高による景気悪化への不安に、どう対応したのか

円切上げによる輸出や設備投資への悪影響が懸念されたため、日本銀行は1971年末以後に公定歩合を引き下げ、政府も財政支出を拡大するなど景気を支える方向の政策をとりました。実際には輸出も比較的早く持ち直し、日本経済は1972年に再び強い拡大へ向かいます。

しかし、景気を支えるための金融・財政政策は、土地・株式・商品などへの資金流入や需要拡大とも重なり、物価上昇への圧力を強める一因になりました。1973年の石油危機以前から、日本ではすでに物価上昇が問題になり始めていた点が重要です。

したがって、1970年代初めの経済変動を『ニクソン・ショックの後、すぐ石油危機が起きて高度成長が終わった』という一つの出来事のようにまとめるのは適切ではありません。国際通貨体制の転換と、それへの国内政策対応が先にあり、その後に別の衝撃として石油危機が重なります。

1973年2月、なぜ固定相場制への復帰を断念したのか

スミソニアン体制の下でも、アメリカの国際収支やドルへの信認をめぐる不安は解消されませんでした。1973年初めに再び国際通貨市場が不安定になると、固定された中心相場を各国の介入だけで維持することが難しくなります。

日本は1973年2月14日に円を変動相場制へ移行しました。その後は市場の需給によって為替レートが動き、政府・日本銀行が必要に応じて市場へ介入する仕組みへ変わっていきます。1ドル=360円、次いで308円という固定レートを政策の前提とする時代はここで終わりました。

変動相場制は、日本企業に為替変動という新たな経営条件をもたらしました。円高になれば輸出採算が悪化しやすく、円安になれば輸入価格が上がりやすくなります。企業は生産性向上、価格設定、海外取引、のちには海外生産などを通じて為替変動へ対応していくことになります。

この転換は、高度成長期の日本経済にとって何を意味したのか

ニクソン・ショックから変動相場制への移行は、戦後日本が長く利用してきた安定的な国際通貨環境の終わりを意味しました。固定された360円相場のもとで輸出・投資を拡大するだけでなく、通貨の対外価値そのものが経済政策や企業活動を大きく左右する時代になったのです。

一方、この転換だけで高度経済成長が終わったと考えるのも単純化です。日本経済は1972〜1973年前半には再び拡大し、変動相場制にも対応しました。成長パターンをさらに大きく変える衝撃となったのは、1973年秋に始まる第1次石油危機です。

したがって1971〜1973年は、高度成長の単純な『終わり』ではなく、日本経済を支えていた国際的な前提の一つが変わった転換期として理解すると、次の石油危機との違いが明確になります。

1971〜1973年の通貨体制転換と、1973年秋の石油危機は別の衝撃です。前者は固定為替相場の前提を崩し、後者はエネルギー価格と成長パターンを大きく揺さぶりました。

Review

入試で押さえるポイント

  • 1971年8月15日、ニクソン大統領がドルと金の交換停止と10%の輸入課徴金などを発表し、ブレトン・ウッズ体制が大きく動揺した
  • 日本は1ドル=360円の固定相場を維持しようとしたが、1971年8月末にいったん変動相場へ移行した
  • 1971年12月のスミソニアン合意で円は1ドル=308円となり、対ドル16.88%切り上げられた
  • スミソニアン体制も長続きせず、日本は1973年2月14日に変動相場制へ移行した
  • 円高への景気対策として金融・財政政策が拡張され、1972年には景気が再拡大した一方、物価上昇圧力も強まった
  • ニクソン・ショックによる国際通貨体制の転換と1973年の第1次石油危機は、原因と影響の異なる出来事として区別する

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  1. 問1

    1971年の通貨危機は日本の輸出増加だけが原因で起こった国内問題であり、アメリカの国際収支や金準備、ブレトン・ウッズ体制の構造とは関係がなかった。

  2. 問2

    ニクソン・ショックの核心は、アメリカがドルと金の交換を停止し、戦後の固定相場制を支えた仕組みの土台を揺るがしたことにあった。

  3. 問3

    1971年12月のスミソニアン合意後、日本は1ドル=308円の中心相場でいったん固定相場制へ戻ったが、この体制は長続きしなかった。

  4. 問4

    円高への景気対策として行われた金融緩和や財政拡大は、物価を抑える方向にだけ働き、1973年の石油危機以前には日本で物価上昇圧力は生じていなかった。

  5. 問5

    1973年2月の変動相場制移行と同年秋の第1次石油危機は同じ出来事で、どちらも原油価格上昇を直接の原因として起きた。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. アメリカがドルと金の交換停止などを発表しニクソン・ショックが起こる
  2. スミソニアン協定で円が1ドル308円へ切り上げられる
  3. 円が変動相場制へ移行する

Sources

参考資料

  1. 沿革 1950年~日本銀行

    1971年8月の金・ドル交換停止と外国為替相場の変動幅制限停止、同年12月のスミソニアン合意と1ドル360円から308円への変更を確認。

  2. 外為法の目的と変遷財務省

    1971年の1ドル308円への為替レート変更と1973年の変動相場制移行を確認。

  3. オイル・ショック前後の財政金融政策:昭和47-54年度財務省財務総合政策研究所

    スミソニアン合意の内容、円の対ドル16.88%切上げ、1973年2月14日の変動相場制移行、当時の財政金融政策を確認。

  4. Can a Rapidly-Growing Export-Oriented Economy Smoothly Exit an Exchange Rate Peg? Lessons for China from Japan’s High-Growth Era日本銀行金融研究所

    1971年8月の360円維持とドル買入れ、円切上げ後の景気への懸念、金融・財政による景気下支えと輸出回復を確認。

  5. Nixon Ends Convertibility of U.S. Dollars to Gold and Announces Wage/Price ControlsFederal Reserve History

    ブレトン・ウッズ体制の仕組み、1971年8月のドル金交換停止、10%輸入課徴金と米国内の政策背景を確認。

  6. Foreign Relations of the United States, 1969–1976, Volume IIIU.S. Department of State, Office of the Historian

    1971年8月15日の新経済政策がドル金交換停止、10%輸入課徴金を含んだことと、その後の国際通貨協議を確認。

  7. Chapter 26: Road to the Smithsonian AgreementInternational Monetary Fund

    スミソニアン合意における日本の中心相場1ドル308円、対ドル16.88%の円切上げを確認。