部落解放運動と同和対策―戦後社会で被差別部落の差別是正はどのように制度課題となったのか
一言でいうと
戦後日本では、日本国憲法が法の下の平等と基本的人権を掲げても、被差別部落をめぐる生活環境・教育・就職・結婚などの差別や格差がただちに解消されたわけではありません。戦後に再建された部落解放運動は、1950年代に差別を個人の偏見だけでなく、劣悪な生活条件を放置してきた行政の責任とも結びつけて訴えました。1965年の同和対策審議会答申は、同和問題を基本的人権にかかわる課題と位置づけ、早急な解決を国の責務・国民的課題としました。これを受けて1969年に同和対策事業特別措置法が制定され、生活環境、社会福祉、産業、職業、教育、人権擁護などを対象とする特別対策が全国的に進められます。物的な生活環境の格差は大きく改善しましたが、結婚・就職などに表れる差別意識まで一挙に消えたわけではありません。
戦後の平等原則だけでは、なぜ部落差別は解消しなかったのか
1922年に結成された全国水平社の運動は戦時下で途絶えましたが、敗戦後には部落解放全国委員会が組織され、戦後の部落解放運動が再建されました。1955年には部落解放同盟へ改称し、差別の撤廃と生活条件の改善を求める運動を続けます。
日本国憲法は基本的人権と法の下の平等を保障しました。しかし、法律上の平等が定められたことと、社会の中に残る差別や生活条件の格差が解消されることは同じではありません。被差別部落では、住宅・道路・衛生などの生活環境、教育や就業の機会、結婚をめぐる偏見などが複雑に結びついていました。
そのため戦後の部落解放運動は、差別的な言動への抗議だけでなく、自治体や国に対して、生活環境・教育・福祉・就労を行政の責任として改善するよう求める方向を強めました。ここに、部落差別が社会政策・行政制度の課題として扱われていく重要な出発点があります。
1950年代の運動は、なぜ行政の責任を問うようになったのか
1951年の京都で起きたオール・ロマンス事件は、戦後の運動が行政責任を追及する方向へ進む契機の一つになりました。京都市職員が雑誌に発表した作品をめぐり、部落解放全国委員会京都府連合会は、差別的な表現の問題だけでなく、劣悪な生活環境を放置してきた市政の責任を問題にしました。
このような運動は、差別を『一部の人の心の問題』だけに限定せず、住宅、道路、衛生、教育、就労などの具体的な生活条件と結びつけました。差別意識と社会的・経済的な格差が互いに強め合うなら、偏見への啓発だけでなく、格差そのものを是正する行政施策が必要だという考え方です。
ただし、被差別部落の歴史や生活条件は地域によって異なります。京都での一事件を全国の経験そのものとして一般化するのではなく、1950年代以後、各地の運動と自治体行政の中で、部落問題を公共政策の課題として扱う動きが広がったことを押さえる必要があります。
戦後の部落解放運動は、差別を個人間の偏見だけでなく、生活環境・教育・就労などの格差を含む行政課題として可視化しました。
1965年の同和対策審議会答申は、何を国の責任としたのか
1961年、内閣総理大臣の諮問を受けて同和対策審議会が設置され、全国・特定地区の実態調査と審議が進められました。1965年8月11日に出された答申は、同和問題を人間の自由と平等にかかわる問題であり、日本国憲法が保障する基本的人権にかかわる課題だと位置づけました。
答申は、問題の早急な解決を『国の責務』であると同時に『国民的課題』としました。また、差別を心理的差別と実態的差別の両面から捉え、生活環境、社会福祉、産業・職業、教育、人権擁護を含む総合的な対策を求めました。
ここで重要なのは、同和問題が一部地域だけの特殊な問題ではなく、基本的人権を保障する国家と社会の課題として公式に整理されたことです。運動によって訴えられてきた生活実態と行政責任が、国の審議会答申という政策文書へ明確に組み込まれました。
1969年の同和対策事業特別措置法は、何を変えたのか
同和対策審議会答申を受け、1969年7月10日に同和対策事業特別措置法が公布・施行されました。法律は、日本国憲法の理念に基づき、歴史的・社会的理由によって生活環境などの安定向上が阻害されている地域について、国と地方公共団体が協力して特別の措置を講じることを定めました。
事業の目標には、生活環境の改善、社会福祉の増進、産業の振興、職業の安定、教育の充実、人権擁護活動の強化などが挙げられました。住宅や道路などの整備だけでなく、教育・就労・福祉を含む総合的な政策として制度化された点が重要です。
また、この法律は当初10年間の時限立法で、国の負担・補助に特別な財政措置を設けました。これによって、自治体ごとの対応だけでは進みにくかった大規模な生活環境改善などを、国の制度と財政支援のもとで進める枠組みが整えられました。
特別対策が進めば、部落差別は解消したといえるのか
特別措置法に基づく事業によって、住宅・道路・公共施設などの物的な生活環境は大きく改善され、一般地域との格差も縮小しました。国も後年、物的な基盤整備について大きな成果があったと評価しています。
一方、物的な環境が改善したことと、差別そのものが消滅したことは同じではありません。結婚や就職をめぐる差別、身元調査、差別的な言動など、社会関係や意識に関わる問題は残りました。制度整備を『差別解消の完成』として扱うと、こうした問題が見えなくなります。
さらに、同和対策事業は地域を対象とする特別施策であったため、実施のあり方や周辺地域との関係など新たな課題も生じました。1982年以後は別の特別措置法へ制度が引き継がれますが、昭和史として重要なのは、1950年代の運動が社会的格差を行政課題として可視化し、1965年答申と1969年法によって国の制度課題へ組み込まれたこと、そして制度化後も差別解消が継続課題として残ったことです。
1969年の特別措置法は生活環境・教育・就労などの格差是正を国家的施策へ転換しましたが、制度整備と差別の完全解消は同義ではありません。
Review
入試で押さえるポイント
- 戦後に部落解放運動が再建され、1955年に部落解放同盟へ改称した
- 1950年代の運動は、部落差別を個人の偏見だけでなく生活環境・教育・就労などを含む行政課題として追及した
- 1965年の同和対策審議会答申は、同和問題を基本的人権にかかわる課題とし、その早急な解決を国の責務・国民的課題と位置づけた
- 1969年に同和対策事業特別措置法が制定され、生活環境・福祉・産業・職業・教育・人権擁護などを対象とする総合的な特別対策が制度化された
- 同和対策事業によって物的な生活環境の格差は大きく改善したが、結婚・就職などに表れる差別意識まで解消されたわけではない
- 被差別部落の歴史・生活条件には地域差があり、個別地域の経験を全国一律に説明しない
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日本国憲法が法の下の平等を保障したことで、被差別部落をめぐる生活環境・教育・就職・結婚などの差別や格差は戦後すぐに解消した。
法律上の平等と社会に残る差別・生活格差の解消は同じではありません。戦後も複数の領域で差別や格差が続きました。
本文の該当箇所を確認する - 問2
1950年代の部落解放運動は、差別を個人の偏見だけでなく、住宅・衛生・教育・就労などの生活条件を放置してきた行政の責任とも結びつけて追及した。
オール・ロマンス事件などを契機に、差別を生活条件や行政責任を含む公共政策上の問題として捉える動きが強まりました。
本文の該当箇所を確認する - 問3
1965年の同和対策審議会答申は、同和問題を基本的人権にかかわる課題とし、その早急な解決を国の責務であり国民的課題でもあると位置づけた。
答申は心理的差別と実態的差別の両面を捉え、生活環境、福祉、産業・職業、教育、人権擁護を含む総合対策を求めました。
本文の該当箇所を確認する - 問4
1969年の同和対策事業特別措置法は住宅や道路の整備だけを対象とし、教育・就労・福祉や人権擁護は政策対象に含めなかった。
同法は生活環境だけでなく、社会福祉、産業、職業、教育、人権擁護などを含む総合的な特別対策を制度化しました。
本文の該当箇所を確認する - 問5
同和対策事業で物的な生活環境の格差が改善したため、結婚や就職をめぐる差別意識や身元調査などの問題も同時に完全解消した。
生活環境の改善は大きな成果でしたが、社会関係や意識に関わる差別は残り、制度整備と差別の完全解消は同義ではありません。
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Sources
参考資料
- 同和対策審議会答申文部科学省
1965年8月11日の答申が、同和問題を基本的人権にかかわる課題とし、早急な解決を国の責務・国民的課題と位置づけたことを確認。
- 同和対策審議会答申京都大学
答申全文により、戦後の部落解放運動と行政闘争、心理的差別・実態的差別、総合対策の考え方を確認。
- 同和対策事業特別措置法国立国会図書館 日本法令索引
1969年7月10日公布、法律第60号、当初10年間の時限立法であったことを確認。
- 法律第六十号(昭四四・七・一〇) 同和対策事業特別措置法衆議院
法律の目的、事業目標、国・地方公共団体の責務、財政上の特別措置を条文で確認。
- 『京都市政史』第5巻 年表京都市
1951年のオール・ロマンス事件を受けた市会請願と、1952年以後の同和施策の展開を確認。
- 人権教育・啓発に関する基本計画(中間取りまとめ)法務省
特別対策により物的な基盤整備と一般地域との格差改善が進んだ一方、結婚・就職などの差別が残ったという国の評価を確認。
- じんけん通信(令和6年9月号)滋賀県
全国水平社から戦後の部落解放全国委員会、1955年の部落解放同盟への改称という組織史を確認。
