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昭和時代1945〜1950年社会・経済重要度 A

労働改革と権利制限―占領期の労働基本権はなぜ拡大した後に制約も受けたのかろうどうかいかくとけんりせいげん せんりょうきのろうどうきほんけんはなぜかくだいしたあとにせいやくもうけたのか

一言でいうと

敗戦後、戦前・戦時に強く制限されていた労働運動は急速に再建されました。1945年12月の労働組合法は団結権・団体交渉権・争議権を保障し、多数の労働組合が結成されました。1946年には労働関係調整法が争議の調整制度を整え、1947年には日本国憲法第28条が労働基本権を保障し、労働基準法が労働条件の最低基準を定めました。しかし権利拡大は一直線には続きません。深刻なインフレと生活難を背景に労働運動が高揚するなか、1947年1月31日にはマッカーサーが翌日に予定された二・一ゼネストの中止を命じました。さらに1948年7月、マッカーサー書簡を受けた政令201号によって公務員の争議権が否認され、団体交渉権も大きく制限されました。これは民間労働者を含む労働基本権全体が撤回されたことを意味しません。占領初期の権利保障を基礎に労働組合運動が拡大する一方、公共部門では冷戦と占領政策の転換のなかで強い制約が加わった、と分けて理解する必要があります。

敗戦後、なぜ労働組合が急速に再建されたのか

戦前には労働組合法の制定が試みられたものの成立せず、治安維持法などによる社会運動の弾圧、戦時期の産業報国会への組織化によって自主的な労働運動は強く制約されていました。敗戦と戦時統制組織の解体によって、労働者が自主的な組合を組織する条件が大きく変わりました。

占領初期のGHQ/SCAPも、日本社会の民主化の一環として労働組合の育成を重視しました。1945年10月にマッカーサーが幣原喜重郎首相へ示した占領改革の方向にも労働組合の育成が含まれ、日本政府は労働法制の整備を急ぎました。

もっとも、戦後労働運動を占領政策だけから始まったものと見るのも適切ではありません。大正期以来の労働組合運動や争議の経験を持つ活動家・労働者も組織再建に関わりました。占領による制度転換と国内の運動の蓄積が重なって、組合結成が急速に広がりました。

1945年の労働組合法は何を保障したのか

1945年12月22日、労働組合法ろうどうくみあいほうが公布され、翌1946年3月1日に施行されました。法律は労働者の団結権を保障し、団体交渉を保護・助成することで労働者の地位を向上させることを目的としました。正当な組合活動を法的に保障する枠組みが初めて整えられました。

この法制のもとで、企業別組合を含む多数の労働組合が短期間に結成されました。賃金、労働時間、解雇、経営参加などをめぐる労使交渉や争議も活発になり、労働組合は敗戦直後の社会・政治に大きな影響を持つようになりました。

労働組合法は単にストライキを認めた法律ではありません。労働者が組織を作る団結権、使用者と交渉する団体交渉権、要求実現のため集団行動を行う団体行動権という労働基本権の制度化を進めた点が重要です。

労働関係調整法と労働基準法は何を加えたのか

1946年9月27日に公布された労働関係調整法ろうどうかんけいちょうせいほうは、労使の主張が一致しない場合に、斡旋・調停・仲裁などによって争議を予防・解決する仕組みを整えました。労働組合法が組合と団体交渉の権利を支えるのに対し、労働関係調整法は紛争を調整する制度を整える役割を担いました。

1947年4月7日には労働基準法ろうどうきじゅんほうが公布されました。同法は労働条件について『人たるに値する生活』を営むための基準を掲げ、当時の制度として週48時間労働、年次有給休暇、女子・年少者の深夜業制限、災害補償など最低基準を定めました。大部分は同年9月1日に施行されました。

さらに1946年11月公布の日本国憲法は第28条で勤労者の団結権、団体交渉その他の団体行動権を保障しました。労働組合法・労働関係調整法・労働基準法は一般に『労働三法』と呼ばれ、戦後の労働関係の基本的な法制度となりました。

二・一ゼネストはなぜ実施直前に中止されたのか

敗戦直後には激しいインフレと食料・生活物資不足が続き、実質賃金の低下に対する不満が高まりました。官公庁労働者を中心に賃上げなどを求める共同闘争が広がり、1947年2月1日に大規模なゼネラル・ストライキを行う計画が進められました。

しかし実施前日の1月31日、マッカーサーはストライキの中止を命じました。労働側は命令を受けて計画を中止し、実際に全国ゼネストへ突入することはありませんでした。このため二・一ゼネストは、労働運動が急速に拡大した象徴であると同時に、占領当局が労働運動へ直接介入し得ることを示す出来事となりました。

この中止命令だけをもって占領初期の労働改革が直ちに全面撤回されたとみなすことはできません。労働組合法などの制度は存続し、組合活動も続きました。一方で、占領当局が社会秩序や占領政策への影響を理由に労働運動を制約する局面が生じた点は、その後の政策転換につながる重要な変化でした。

1948年、公務員の労働基本権はなぜ制限されたのか

1948年7月22日、マッカーサーは芦田均首相へ、公務員と民間企業の労働者を区別し、公務員の争議行為を禁止する方向の制度改正を求める書簡を送りました。これを受けて日本政府は7月末に政令201号を制定し、国・地方公共団体の職員について争議権を否認し、団体交渉権も大きく制限しました。

同年12月には国家公務員法が大幅に改正され、国家公務員の労働関係は一般の労働組合法などから切り離されました。公務員には公共の利益を担う立場を理由とした制約が課される一方、人事院など勤務条件を保障するための制度が整えられました。

ここで『労働基本権が制限された』対象を区別することが重要です。1948年の大きな転換は特に公務員に対するもので、民間労働者の団結権・団体交渉権・争議権まで一括して消滅したわけではありません。公共部門と民間部門では戦後の労使関係の制度が異なる方向へ分かれていきました。

戦後労働改革は『自由化』と『制限』のどちらだったのか

1945〜1947年には、労働組合法、憲法第28条、労働関係調整法、労働基準法によって労働者の権利と労働条件を支える制度が急速に整備されました。戦前・戦時の状態と比べれば、労働者が自主的に組織し交渉する制度的余地は大きく広がりました。

一方、二・一ゼネスト中止や1948年の公務員労働基本権制限が示すように、占領政策は労働運動を一貫して拡大させ続けたわけではありません。冷戦の進行や国内の経済・政治情勢のなかで、占領当局は社会の安定や反共を重視する方向へ重点を移していきました。

この全体的な占領政策の転換、いわゆる『逆コース』はTopic 43で扱います。また1950年代に形成される春闘や三井三池争議などはTopic 51へ送ります。このTopicでは、戦後労働法制の基礎が作られたことと、その直後から公共部門を中心に権利制限が加わったことの両方を押さえるのが重要です。

占領期の労働改革は、一貫した『自由化』でも一貫した『抑圧』でもありません。1945〜1947年には労働基本権と最低労働条件を支える制度が整えられましたが、1947年の二・一ゼネスト中止を経て、1948年には特に公務員の争議権・団体交渉権が強く制限されました。民間労働者の権利と公務員の制度を分けて理解する必要があります。

Review

入試で押さえるポイント

  • 1945年12月22日に労働組合法が公布され、団結権・団体交渉権・争議権を保障する戦後労働法制の基礎が作られた
  • 1946年の労働関係調整法は斡旋・調停・仲裁など労働争議の調整制度を整えた
  • 1947年の労働基準法は労働条件の最低基準を定め、日本国憲法第28条は勤労者の労働基本権を保障した
  • 1947年1月31日、マッカーサーは翌日に予定されていた二・一ゼネストの中止を命じた
  • 1948年7月のマッカーサー書簡と政令201号を契機に、公務員の争議権が否認され団体交渉権も大きく制限された
  • 労働改革は権利拡大と制限の両面を持ち、1948年の公務員制限を民間労働者を含む労働基本権の全面撤回とみなさない

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0 / 5 問回答

  1. 問1

    敗戦後の労働組合再建は占領政策だけで突然始まったのではなく、大正期以来の労働運動や争議の経験を持つ人びとも組織再建に関わった。

  2. 問2

    労働組合法・労働関係調整法・労働基準法はすべて同じ内容の法律で、いずれもストライキの実施手続だけを定めた。

  3. 問3

    二・一ゼネストは1947年2月1日に全国で実施された後、マッカーサーの命令によって途中で中止された。

  4. 問4

    1948年の政令201号などによる公務員の労働基本権制限は、民間労働者の団結権・団体交渉権・争議権まで一括して消滅させたものではない。

  5. 問5

    占領期の労働政策は1945年から占領終了まで一貫して権利拡大だけを進め、労働運動への制約や政策転換は起こらなかった。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 労働組合法が公布される
  2. 労働関係調整法が公布される
  3. マッカーサーが二・一ゼネストの中止を命じる
  4. 労働基準法が公布される
  5. GHQの指令を受け公務員の争議権が制限される

Sources

参考資料

  1. 昭和20年(1945)12月|労働組合法が制定される国立公文書館

    労働組合法の成立・公布・施行と団結権・団体交渉権・ストライキ権の保障を確認

  2. 労働関係調整法厚生労働省

    1946年9月27日の公布と労働争議の予防・解決、調整制度の目的を確認

  3. 昭和22年(1947)4月|労働基準法が制定される国立公文書館

    労働基準法の公布・施行と当時の労働時間、年休、女子・年少者保護、災害補償等を確認

  4. 詳細年表 5 1946年12月1日~1947年6月23日国立国会図書館

    1947年1月31日のマッカーサーによる二・一スト中止命令を確認

  5. 5-11 労働運動国立国会図書館

    戦後労組の拡大、冷戦下の占領政策転換、1948年の政令201号による公務員労働基本権制限を確認

  6. 政令第201号の解釈と取扱について国立国会図書館 リサーチ・ナビ

    政令201号による公務員の団体交渉権・争議権制限の具体的な取扱いを確認