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昭和時代1941〜1945年社会・経済重要度 A

銃後の総動員―配給・徴用・学徒動員は人びとの生活と労働をどう変えたのかじゅうごのそうどういん はいきゅうちょうようがくとどういんはひとびとのせいかつとろうどうをどうかえたのか

一言でいうと

アジア・太平洋戦争が長期化すると、日本本土では食糧や日用品を配給する仕組みが広がり、軍需生産への労働力集中も強まりました。1942年の食糧管理法は主要食糧の需給・価格・配給を国家が統制する仕組みを強化し、1943年には軍需会社法と軍需省の設置によって兵器・航空機などの増産がさらに重視されます。労働力不足を補うため、従来からの徴用に加え、女性や学生・生徒も生産現場へ組織的に動員されました。1943年には高等教育機関の男子学生を中心に徴兵猶予が停止されて学徒出陣が始まり、1944年には学徒勤労動員が通年化し、女子挺身勤労令も公布されました。一方、戦局悪化と輸送・生産の混乱によって配給は次第に不足し、1944〜45年には切符や通帳があっても必要な物資を十分に得にくい生活が広がります。当時「銃後」と呼ばれた本土社会は、戦争から離れた安全な後方ではなく、消費・労働・進学・家族生活まで戦争遂行へ組み込まれた社会でした。

配給と食糧管理は日常の買い物をどう変えたのか

日中戦争の長期化に伴い、軍需を優先しながら限られた物資を配分するため、政府は消費生活への統制を強めました。1940年6月には六大都市で砂糖・マッチの切符配給制が始まり、同年11月には全国へ広がりました。その後、米などの食糧、衣料、燃料を含む生活必需品へ配給対象が拡大していきます。

1942年2月には食糧管理法しょくりょうかんりほうが制定されました。国立公文書館に残る法案理由書は、主要食糧の需給・価格を調整し、配給を円滑にして食糧を確保するため、従来の米穀統制を含む制度を統一・強化することを目的に掲げています。配給は単なる節約運動ではなく、国家が流通と消費を管理する制度の一部でした。

しかし、配給制度が存在することと、必要な量が実際に届くことは同じではありません。戦争が長引くにつれて物資不足と輸送の混乱が深まり、配給の遅れや不足が起こりました。人びとは代用品を用いたり、食材を工夫したりして生活を維持しました。戦争末期の不足は、後の空襲被害とも重なりますが、空襲そのものは次のTopicで扱います。

軍需生産の拡大は働く人びとをどう組み替えたのか

国家総動員法と国民徴用令による労働力統制の制度は日中戦争期から整えられていました。アジア・太平洋戦争で兵器・航空機・艦船などの需要がさらに増えると、政府は労働力・資材・資金を軍需産業へ優先的に集中させる方向を強めます。ここでは制度成立そのものより、それが人びとの職場と働き方へ及ぼした変化に注目します。

1943年10月に軍需会社法が成立し、同年11月には軍需省ぐんじゅしょうが設置されました。軍需会社では生産責任者を中心に生産増強を進め、政府は企業への命令・監督を強めました。軍需省も航空兵器、機械、鉄鋼、燃料、電力など軍需工業行政を集め、軍需生産を計画的・統一的に進めようとしました。

その結果、労働力の配置は個人や企業の選択だけで決まる範囲が狭まりました。ただし、戦時中に工場で働いた人をすべて「徴用者」と呼ぶのは正確ではありません。従来から雇用されていた労働者、国民徴用令で徴用された人、勤労報国隊、女子挺身隊、勤労動員された学徒など、動員の制度と法的根拠は異なっていました。

女性の労働動員はなぜ拡大したのか

多数の男性が軍へ動員され、軍需生産の労働力需要が高まるなか、女性には家庭を維持する役割だけでなく、工場・交通・事務など幅広い職場で働くことが強く求められました。女性の戦時労働は1944年になって突然始まったものではなく、日中戦争以来の勤労奉仕や職場進出が段階的に拡大したものです。

1944年8月23日には女子挺身勤労令じょしていしんきんろうれいが公布され、国家総動員法にもとづいて女子挺身隊による勤労協力を命じる制度が法令上整えられました。国立公文書館の資料では、それまで行政上の勧奨を中心としていた女子挺身隊の組織・出動を、より強い法的動員へ移す措置だったことが確認できます。

一方、女性たちの経験は一様ではありません。年齢、婚姻、地域、職業、家族状況によって動員のされ方は異なり、工場労働に加えて家事、育児、地域活動などを担った人もいました。女性の就業拡大を単純に社会進出の前進とだけ評価するのでも、全員が同じ形で強制動員されたとみなすのでもなく、戦時の労働力政策と個々の生活を分けて考える必要があります。

「学徒出陣」と「学徒勤労動員」は何が違うのか

戦局悪化は、学生・生徒の進学や学校生活にも直接影響しました。1943年9月に学生・生徒の徴兵猶予を縮小する方針が決まり、10月2日に在学徴集延期臨時特例が公布されました。理工医系・教員養成系など一定の分野を除く高等教育機関の男子学生を中心に徴兵猶予が停止され、12月から入営が進みました。これが学徒出陣がくとしゅつじんです。

これに対して学徒勤労動員がくときんろうどういんは、学生・生徒を兵士として入営させる制度ではなく、工場や生産現場などへ労働力として動員するものでした。1944年には中等学校以上の学徒の通年動員が進み、8月23日の学徒勤労令によって学校単位の勤労動員が法令上制度化されました。

学徒出陣と学徒勤労動員は、どちらも学校にいた若者を戦争遂行へ組み込む政策ですが、軍人としての動員と労働力としての動員という違いがあります。また、男子高等教育学生を中心とする学徒出陣と、中等学校以上の男女を広く生産へ動員した勤労動員では対象も異なりました。受験では名称だけでなく、この違いを押さえることが重要です。

「銃後」は戦争とどのようにつながっていたのか

「銃後」は、戦地の兵士を後方から支える国内社会を表す当時の言葉です。しかし本土の人びとは、戦争と切り離された生活を送っていたわけではありません。配給、供出、貯蓄運動、徴用や勤労動員、地域組織を通じた協力など、日常生活の多くが戦争遂行と結びつけられました。

1944〜45年には、戦局の悪化と輸送・生産の混乱によって食糧・衣料・燃料などの不足がいっそう深刻になりました。昭和館の資料が示すように、配給切符や通帳があっても品物が不足することがあり、代用品や食生活の工夫が日常化しました。同時に軍需工場では生産増強が求められ、女性や学徒を含む労働力動員が広がりました。

したがって銃後社会は、単に「戦争の被害を受けた人びと」としてだけ捉えることも、全員が自発的に戦争へ協力した社会として捉えることもできません。国家による制度的動員、社会的圧力、自発的な協力、生活維持のための対応、そして増大する負担が重なっていました。1944年以後に本土空襲が生活をさらに大きく破壊していく過程は、次のTopicで扱います。

戦争末期の本土社会では、配給による消費統制、軍需生産への労働力集中、女性・学生の動員が同時に進みました。学徒出陣は主に高等教育機関の男子学生を軍へ動員したのに対し、学徒勤労動員は学生・生徒を生産現場へ動員する制度です。「銃後」を一つの経験にまとめず、制度・対象・時期の違いと、協力・圧力・負担が重なった生活を捉える必要があります。

Review

入試で押さえるポイント

  • 1940年以後、砂糖・マッチから食糧・衣料・燃料などへ配給統制が広がり、1942年の食糧管理法は主要食糧の需給・価格・配給を統一的に管理する仕組みを強化した
  • 1943年の軍需会社法と軍需省設置は軍需生産の統制・増強を強めたが、戦時工場労働者をすべて国民徴用令による徴用者とみなさない
  • 1944年8月の女子挺身勤労令により、女子挺身隊による勤労協力が国家総動員法にもとづく法的動員として強化された
  • 1943年の学徒出陣は徴兵猶予の停止により高等教育機関の男子学生を中心に軍へ動員したもので、1944年の学徒勤労動員とは区別する
  • 学徒勤労動員は中等学校以上の学生・生徒を軍需工場などの生産現場へ労働力として動員し、1944年には通年化・法令化された
  • 1944〜45年には物資不足が深刻化し、「銃後」の生活は消費統制、労働動員、社会的協力と負担が重なるものとなった

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0 / 5 問回答

  1. 問1

    戦争末期には配給制度があったため、切符や通帳を持っていれば必要な食糧や日用品をほぼ確実に受け取ることができた。

  2. 問2

    戦時中に軍需工場などで働いた人びとは、全員が国民徴用令によって徴用された同じ身分の労働者だった。

  3. 問3

    女性の戦時労働は1944年の女子挺身勤労令で初めて始まったのではなく、それ以前から勤労奉仕や職場進出が進み、同令によって法的動員がさらに強化された。

  4. 問4

    学徒出陣は主に高等教育機関の男子学生を軍人として動員したのに対し、学徒勤労動員は学生・生徒を工場などへ労働力として動員した。

  5. 問5

    「銃後」と呼ばれた本土社会は戦場から離れていたため、消費・労働・進学などの日常生活は戦争遂行とはほとんど結びついていなかった。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 食糧管理法が公布され米などの配給統制が強化される
  2. 軍需会社法が公布され軍需生産への国家統制が強化される
  3. 軍需省が設置される
  4. 徴兵猶予が停止され学徒出陣が始まる
  5. 学徒勤労動員が本格化する
  6. 食料・衣料・燃料の不足が深刻化する

Sources

参考資料

  1. 食糧管理法ヲ定メ…国立公文書館デジタルアーカイブ

    1942年2月の食糧管理法について、主要食糧の需給・価格調整、配給円滑化、制度の統一強化という制定目的を確認

  2. 戦後復興までの道のり―配給制度と人々の暮らし―昭和館

    1940年の砂糖・マッチ切符配給制から配給品目の拡大、戦争末期の遅配・欠配、代用品を含む生活実態を確認

  3. 公文書の世界―軍需省の文書管理国立公文書館

    1943年11月1日の軍需省設置と、軍需工業行政の一元化を確認

  4. 第83回帝国議会 衆議院 軍需会社法案委員会 第2号国立国会図書館 帝国議会会議録検索システム

    軍需会社法の生産責任者・生産担当者、政府の命令・監督、生産増強をめぐる制度趣旨を確認

  5. 昭和18年(1943)10月|学徒出陣が始まる国立公文書館

    在学徴集延期臨時特例の公布、徴兵猶予停止の対象、1943年10月21日の出陣学徒壮行会を確認

  6. 三 戦時下の教育行政文部科学省

    1944年の学徒勤労動員の通年化、8月23日の学徒勤労令、1943年12月からの学徒出陣を確認

  7. 女子挺身勤労令・御署名原本・昭和十九年・勅令第五一九号国立公文書館デジタルアーカイブ

    1944年8月23日の女子挺身勤労令と、国家総動員法にもとづく女子挺身隊の勤労協力制度を確認

  8. 夢と希望と困難と―昭和の働く女性―昭和館

    戦時下の女性の職場進出、勤労奉仕、女子挺身隊、学徒勤労動員の生活史的側面を確認