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昭和時代1986〜1989年を中心に社会・経済重要度 A

バブル経済の形成―円高不況対策と金融緩和はなぜ株価・地価の急上昇へつながったのかばぶるけいざいのけいせい えんだかふきょうたいさくときんゆうかんわはなぜかぶか ちかのきゅうじょうしょうへつながったのか

一言でいうと

1985年のプラザ合意後、急速な円高によって輸出産業を中心に景気が減速すると、政府は内需拡大策を進め、日本銀行は1986年1月から1987年2月まで5回にわたって公定歩合を5.0%から2.5%へ引き下げました。2.5%という低金利は1989年5月まで続きます。こうした金融緩和は円高不況からの回復を支えましたが、それだけでバブル経済が生まれたわけではありません。金融自由化によって大企業が銀行以外から資金を調達しやすくなるなか、銀行は不動産業などへの融資を拡大し、地価上昇を前提とした担保融資や土地・株式への投資が増えました。『土地は値下がりしにくい』という期待や、値上がりがさらに値上がり期待を生む循環も重なり、1980年代後半には一般物価が比較的安定する一方で株価と地価が大きく上昇します。昭和末に形成されたこの資産価格上昇は平成初期まで続き、1989年末には日経平均株価が当時の最高値を記録しました。

円高不況に対して、政府と日本銀行は何をしようとしたのか

プラザ合意後に円高が急速に進むと、自動車・電機など輸出産業の採算が悪化し、1986年を中心に景気が減速しました。政府には、輸出への依存を弱めながら国内需要を増やし、景気を支えることが求められました。1986年9月や1987年5月には公共投資などを含む景気対策が打ち出されます。

金融政策でも緩和が進みました。日本銀行は1986年1月から1987年2月まで5回公定歩合を引き下げ、5.0%から2.5%としました。借入金利が低下すれば、企業は設備投資を行いやすくなり、家計の住宅取得なども促されます。円高不況への対応として、金融緩和には国内需要を支える役割が期待されていました。

ここで重要なのは、『円高対策をしたから直ちにバブルになった』わけではないことです。景気対策と金融緩和はまず円高不況からの回復を目的としており、資産価格上昇が大きくなるには、金融機関の融資行動、土地への期待、企業・投資家の行動など別の条件が重なる必要がありました。

低金利が長く続いたことは、なぜ重要だったのか

1987年2月に2.5%となった公定歩合は、1989年5月まで2年以上維持されました。1986〜1988年には消費者物価の上昇率が低い状態にあり、円高が輸入物価を抑える効果もあったため、一般物価の安定だけを見ると金融引締めを急ぐ必要性は見えにくい状況でした。

しかし、一般の物価と資産価格は同じ動きをするとは限りません。低い金利が長く続けば、預金より高い収益を求めて株式・土地などへ資金が向かいやすくなり、借入れによる投資の負担も小さくなります。景気回復と低金利が重なるなかで、企業や投資家の資産取得意欲が強まりました。

後から振り返ると、長期の金融緩和はバブル形成を支えた重要な条件の一つと評価されています。ただし、日本銀行の金融政策だけをバブルの単一原因とするのも適切ではありません。資金を実際にどこへ貸し、何を買うために使ったのかという金融機関・企業・投資家の行動も見る必要があります。

1986年1月から1987年2月までに公定歩合は5.0%から2.5%へ5回引き下げられ、2.5%は1989年5月まで続きました。ただし『低金利だけでバブルが発生した』とは説明しません。

なぜ銀行の資金が不動産や資産取引へ向かいやすくなったのか

1980年代には金融自由化が進み、大企業は社債など銀行借入れ以外の方法で資金を調達しやすくなりました。従来の大口取引先への貸出機会が相対的に減るなか、銀行などの金融機関は新しい貸出先を開拓する必要に迫られます。

そこで不動産業や中小企業、土地を担保とする融資などが拡大しました。地価が上がれば担保価値も上がり、さらに大きな融資を受けやすくなります。その資金で土地や株式が買われ、価格が上昇すると、さらに担保価値と融資余力が増すという循環が生まれました。

金融機関側にも、貸出競争の激化や資金運用先を確保したいという事情がありました。バブル形成では、『低い金利で資金が多かった』ことだけでなく、その資金が不動産・株式などの資産市場へ流れ込む信用の経路が拡大したことが重要です。

地価・株価の上昇は、なぜ自己増殖するようになったのか

東京を中心にオフィス需要や再開発への期待が高まると、限られた都市の土地に強い需要が集まりました。そこへ『土地は長期的には値下がりしない』という、いわゆる土地神話が重なります。将来さらに値上がりすると考えれば、現在の価格が高くても買う動機が生まれます。

株式市場でも企業収益の改善や景気拡大への期待に加え、豊富な資金が株式へ向かいました。企業自身も保有資産の値上がりや株式・土地への投資によって利益を得ようとする『財テク』を強めます。値上がりを見た投資家がさらに買うことで、価格上昇が新しい値上がり期待を生む循環が強まりました。

このような期待は、土地や株式から得られる実際の収益だけでは説明しにくい価格上昇を生みます。資産価格が実体経済の成長や企業の基礎的な収益力から離れて上昇することが、後に『バブル』と呼ばれる重要な特徴です。

資産価格の上昇は、実体経済にもどのような影響を与えたのか

株価や地価が上がると、企業や資産を持つ家計は自らの資産価値が増えたと感じ、設備投資や消費を増やしやすくなります。土地を担保に追加融資を受けることも可能になり、資産価格の上昇がさらに国内需要を押し上げました。

その結果、円高不況後の日本経済は内需を中心に力強い景気拡大へ転じました。しかし、一般物価の上昇が穏やかなまま土地や株式の価格だけが大きく上がったため、当時は景気の強さと資産市場の過熱をどう評価するかが難しい状況でもありました。

バブルは昭和の終了と同時に終わったわけではありません。昭和末に形成された資産価格上昇は平成初期へ続き、1989年12月29日には日経平均株価が38,915円87銭の当時最高値を記録しました。バブルの形成を昭和で学び、その崩壊と長期的な影響は平成の歴史としてつなげて理解する必要があります。

バブル形成を、なぜ一つの原因だけで説明してはいけないのか

1980年代後半のバブル形成には、円高不況後の金融緩和、低金利の長期化、金融自由化、銀行の貸出競争、不動産担保融資、都市の土地需要、土地価格への強い上昇期待、株式投資の拡大などが重なりました。どれか一つだけで同じ規模の資産価格上昇が必ず起こるわけではありません。

したがって、『プラザ合意がバブルを起こした』『日本銀行が低金利にしたからバブルになった』『土地神話だけが原因だった』と単線的に説明するのは避けます。プラザ合意後の円高が景気対策を促し、その政策環境のもとで金融・企業・土地市場の構造と期待が相互に作用した、と段階を分けて捉えることが重要です。

また、資産価格が上がり続けていた時点では、その後の崩壊規模が確定していたわけではありません。昭和末の歴史としては、なぜ資産価格上昇が加速したのかを検討し、金融引締め後の崩壊、金融機関の不良債権、長期停滞は平成期へ送ります。

Review

入試で押さえるポイント

  • プラザ合意後の円高不況への対応として、財政による内需拡大と金融緩和が進められたこと
  • 日本銀行が1986年1月から1987年2月まで5回公定歩合を引き下げ、5.0%から2.5%としたこと
  • 2.5%の低金利が1989年5月まで続き、一般物価が比較的安定する一方で資産価格が大きく上昇したこと
  • 金融自由化や大企業の銀行離れを背景に、金融機関が不動産関連などへの融資を拡大したこと
  • 地価上昇→担保価値上昇→信用拡大→追加の土地購入という循環や、値上がり期待が資産価格上昇を増幅したこと
  • バブル形成をプラザ合意や金融緩和だけの単一原因にせず、金融・土地・企業行動・期待の相互作用として理解すること

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0 / 5 問回答

  1. 問1

    プラザ合意後の円高不況に対する財政・金融緩和を行った時点で、株価・地価のバブル発生は自動的に決まった。

  2. 問2

    1980年代後半には一般物価の上昇が比較的穏やかな一方で、土地や株式などの資産価格は大きく上昇した。

  3. 問3

    金融自由化で大企業が銀行以外から資金を調達しやすくなると、銀行は不動産業や土地担保融資など新しい貸出先を拡大する動きを強めた。

  4. 問4

    地価が上がると担保価値が増し、追加融資と土地購入を通じてさらに地価上昇を促す循環が生じることがあった。

  5. 問5

    バブル経済は昭和の終わりと同時に崩壊し、平成に入る頃には株価・地価の上昇はすでに終わっていた。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 低金利と金融緩和を背景に株価・地価が上昇しバブル経済が進む
  2. 大都市圏を中心に地価と株価の上昇が加速する
  3. プラザ合意後に円高が急速に進む

Sources

参考資料

  1. 基準割引率および基準貸付利率(従来『公定歩合』として掲載されていたもの)の推移日本銀行

    1986年から1987年の5回の公定歩合引下げと1989年5月の利上げを確認

  2. 資産価格バブルと金融政策―1980年代後半の日本の経験とその教訓日本銀行金融研究所

    1980年代後半の金融政策、低金利の長期化、資産価格上昇に関する歴史的分析を確認

  3. グローバル・インバランスと経常収支不均衡日本銀行

    2.5%の政策金利が1989年5月まで維持されたこと、一般物価の安定と資産価格上昇の併存を確認

  4. 平成5年度 年次経済報告 第2章第2節 バブルの発生・拡大と景気拡大経済企画庁

    金融緩和、資産価格上昇、財テク、地価上昇期待と景気拡大の関係を確認

  5. 平成5年度 年次経済報告 第2章第5節 金融機関行動と信用拡大経済企画庁

    金融自由化、大企業の銀行離れ、不動産関連融資と信用拡大の背景を確認

  6. バブル景気(第11循環)内閣府

    円高不況後の景気対策と低金利、1980年代後半の資産価格上昇の位置付けを確認