沖縄返還―米国施政権はなぜ1972年に終わり、基地問題はなぜ復帰後も残ったのか
一言でいうと
沖縄では1952年に日本本土が主権を回復した後も米国の施政権が続き、米軍基地が集中していました。1960年代には日本復帰を求める運動が広がり、1968年の初の行政主席公選では『即時・無条件・全面返還』を掲げた屋良朝苗が当選します。1969年の佐藤栄作首相とニクソン米大統領の共同声明で1972年中の返還方針が合意され、1971年に沖縄返還協定が署名、1972年5月15日に発効して日本の施政権が回復しました。しかし返還は米軍基地の全面撤去を意味しませんでした。復帰後は在沖米軍施設・区域の法的根拠が日米安全保障条約・日米地位協定へ移り、多くの基地が引き続き米軍に提供されました。沖縄返還は、日本の行政・立法・司法権が沖縄に及ぶようになった大きな転換である一方、基地の集中や土地利用、騒音・事故などをめぐる問題が復帰後も続く出発点でもありました。
復帰運動はなぜ1960年代に政治的な力を強めたのか
1952年4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効すると、日本本土では連合国による占領が終わりました。しかし沖縄では米国の施政権が続き、米国民政府のもとに琉球政府が置かれました。軍用地接収や基地負担への反発は1950年代の島ぐるみ闘争へつながり、1960年には沖縄県祖国復帰協議会が結成されて復帰運動の全国的・組織的な展開が進みました。
1960年代には、米軍統治から離れて日本国憲法のもとへ復帰すること、自治権を拡大すること、基地負担を軽減することなどが重要な政治課題となります。復帰を求める人びとの考え方は一様ではなく、基地のあり方や復帰条件をめぐって政党・労働組合・住民団体などの立場には違いがありました。
1968年11月には琉球政府の行政主席が初めて住民の直接選挙で選ばれ、『即時・無条件・全面返還』を掲げた屋良朝苗が当選しました。これは、復帰問題が米国と日本政府だけの外交案件ではなく、沖縄住民の政治的意思を無視できない問題になっていたことを示します。
佐藤・ニクソン共同声明はなぜ1972年返還への転換点となったのか
日本政府は1960年代後半、沖縄返還を対米外交の重要課題としました。1969年11月、佐藤栄作首相とニクソン米大統領は共同声明を発表し、沖縄の早期復帰について具体的な協議に入り、1972年中に返還を実現するよう交渉を進めることで合意しました。これによって返還時期が明確な政治目標となりました。
ただし返還交渉では、施政権を日本へ戻すことだけでなく、米軍基地を復帰後どのように使用するか、核兵器をどう扱うか、米国資産や財政負担をどう処理するかなどが争点となりました。佐藤首相は国会で『核抜き、本土並み、1972年返還』という方針を示しましたが、沖縄側では基地の大幅な整理縮小を求める声も強く、政府間合意と住民の期待は必ずしも一致しませんでした。
1970年以後、日本政府と琉球政府は、通貨・税制・司法・教育など長く異なっていた制度を日本の制度へ移行させる準備も進めました。返還は一日の式典だけではなく、四半世紀にわたって別の統治制度に置かれた沖縄を日本の法制度へ再接続する大規模な行政移行でもありました。
沖縄返還協定によって何が日本へ返されたのか
1971年6月17日、日本とアメリカは沖縄返還協定を署名しました。協定は、サンフランシスコ平和条約第3条に基づいてアメリカが行使していた琉球諸島・大東諸島に対する権利と利益を放棄し、日本が行政・立法・司法上の権能と責任を引き受ける枠組みを定めました。
1972年3月15日に批准書が交換され、同年5月15日に協定が発効しました。これによって沖縄県が復活し、日本国憲法をはじめとする日本の法制度が原則として適用されるようになりました。米国施政権の終了は、戦後沖縄の政治的地位を大きく変える出来事でした。
一方、復帰にあたって沖縄側からは生活制度、基地、土地、労働、教育など多くの要望が出されました。琉球政府は1971年に『復帰措置に関する建議書』をまとめており、返還条件が住民の希望をすべて満たしていたわけではないことも押さえる必要があります。
なぜ施政権が返還されても米軍基地は残ったのか
沖縄返還は、沖縄に対するアメリカの施政権を日本へ返すものであり、日米安全保障体制そのものを終了させる協定ではありませんでした。返還後、米軍施設・区域は本土と同じく日米安全保障条約第6条と日米地位協定の枠組みに基づいて日本から米軍へ提供される形に切り替わりました。
そのため、返還時に一部の施設・区域は返却・移管されたものの、多くの基地は米軍の使用が継続しました。東アジアの冷戦が続くなか、アメリカは沖縄の軍事的拠点としての機能を重視し、日本政府も日米安全保障体制を維持したまま施政権返還を実現する方針を取りました。
結果として、沖縄では日本へ復帰した後も広い米軍施設・区域が残り、基地による土地利用、騒音、事故、安全、地域振興などをめぐる問題が継続しました。『返還』という言葉から米軍統治と米軍基地を同時に解消したと考えると、戦後沖縄史の重要な違いを見落とします。
1972年に終わったのは米国による沖縄の施政権です。米軍基地の全面撤去ではなく、復帰後の基地使用は日米安全保障条約・日米地位協定の枠組みへ移りました。
なぜ1972年を沖縄戦後史の終点にしてはいけないのか
復帰によって沖縄の住民は日本の国政選挙や地方自治制度に本格的に組み込まれ、日本の社会保障・司法・教育などの制度が適用されるようになりました。米国施政権からの離脱は、住民の権利や政治参加の面でも重要な変化でした。
しかし、復帰当日に基地のない沖縄が実現したわけではありません。基地の整理縮小、土地返還、米軍活動に伴う負担をどうするかという問題は、復帰後の沖縄県と日本政府・米国政府の関係のなかで引き続き大きな政治課題となりました。
したがって沖縄返還は、米国統治の終結という意味では一つの到達点ですが、沖縄戦後史そのものの終点ではありません。復帰によって解決した問題と、制度を変えて継続した問題を分けて理解することが重要です。
Review
入試で押さえるポイント
- 1952年の日本本土の主権回復後も沖縄では米国施政権が続き、1960年に沖縄県祖国復帰協議会が結成された
- 1968年の初の行政主席公選で『即時・無条件・全面返還』を掲げた屋良朝苗が当選した
- 1969年の佐藤・ニクソン共同声明で1972年中の沖縄返還を目指すことが合意された
- 1971年6月17日に沖縄返還協定が署名され、1972年5月15日に発効して日本が行政・立法・司法上の権能と責任を引き受けた
- 沖縄返還は米軍基地の全面撤去ではなく、復帰後の米軍施設・区域は日米安全保障条約・日米地位協定に基づく提供へ移行した
- 1972年の復帰を沖縄戦後史の終点とせず、基地負担など復帰後も継続した問題を区別する
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- 問1
1952年に日本本土の占領が終わった後も、沖縄では米国の施政権が続いた。
サンフランシスコ平和条約発効後、日本本土は主権を回復しましたが、沖縄では米国施政権が継続し、琉球政府が米国民政府の下に置かれました。
本文の該当箇所を確認する - 問2
1968年の行政主席公選で屋良朝苗が当選したことは、沖縄返還が日米両政府だけで決める外交案件ではなく、住民の政治的意思も重要な要素だったことを示した。
初の行政主席直接選挙で『即時・無条件・全面返還』を掲げた屋良が当選し、復帰条件をめぐる沖縄住民の意思が明確に示されました。
本文の該当箇所を確認する - 問3
1972年の沖縄返還協定が発効すると、米国施政権の終了と同時に沖縄の米軍基地もすべて撤去された。
返還で日本が行政・立法・司法上の権能を回復しましたが、多くの米軍施設・区域は返還後も継続して使用されました。
本文の該当箇所を確認する - 問4
沖縄返還後の米軍施設・区域は、日米安全保障条約と日米地位協定に基づいて日本から米軍へ提供される枠組みに移った。
返還は日米安全保障体制の終了ではなく、基地使用の法的根拠が米国施政権から本土と同じ安保条約・地位協定の枠組みへ移行しました。
本文の該当箇所を確認する - 問5
1972年の日本復帰によって基地負担、土地利用、騒音や事故などの問題も解決し、沖縄の戦後史に残る主要な政治課題はなくなった。
復帰後も基地の整理縮小、土地返還、米軍活動に伴う負担などは継続し、沖縄県・日本政府・米国政府の関係で大きな政治課題となりました。
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Timeline
関連する年表
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Sources
参考資料
- 戦後沖縄の主な出来事沖縄県公文書館
1968年の行政主席公選と1972年復帰前後の琉球政府側の動き確認に使用。
- 1968年12月1日 初の公選行政主席に就任―あの日の屋良主席―沖縄県公文書館
1968年行政主席公選、屋良朝苗の当選と『即時無条件全面返還』の方針確認に使用。
- 1969―日米共同声明で沖縄の『72年返還』が決まる沖縄県公文書館
1969年佐藤・ニクソン共同声明と1972年返還方針の確認に使用。
- 外務省外交史料館 原本特別展示『沖縄返還協定』外務省
沖縄返還協定の批准書交換と1972年5月15日の発効確認に使用。
- 条約データ検索―琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定外務省
沖縄返還協定の法的枠組みと発効日の確認に使用。
- 日本復帰への道沖縄県公文書館
返還交渉における基地・核・財政をめぐる争点と沖縄側の期待との差の確認に使用。
- 『本土法適用に関する準備措置』―復帰前の沖縄と本土の法制度の比較沖縄県公文書館
復帰前後の法制度移行と琉球政府の準備作業の確認に使用。
