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昭和時代1968〜1969年社会・経済重要度 B

大学紛争と全共闘運動―1960年代末、大学と社会への異議申し立てはなぜ全国へ広がったのかだいがくふんそうとぜんきょうとううんどう せんきゅうひゃくろくじゅうねんだいまつだいがくとしゃかいへのいぎもうしたてはなぜぜんこくへひろがったのか

一言でいうと

1968〜1969年、日本各地の大学で校舎封鎖、授業・試験の停止、学生と大学当局・警察との衝突を伴う大学紛争が広がりました。発端は大学ごとに異なり、東京大学では医学部の研修医制度や学生処分、日本大学では大学運営や会計をめぐる問題などが争点となりました。そこへ学費、学生参加、寮・学生会館の管理、大学の意思決定のあり方、ベトナム反戦や日米安保への批判、より広い社会体制への疑問が重なります。既成の学生組織や政治党派の枠を越えて各大学に『全学共闘会議(全共闘)』型の組織がつくられましたが、すべての学生運動が全共闘だったわけではなく、全共闘内部にも無党派と各党派が混在し、他の学生組織との対立もありました。1969年1月の東大安田講堂封鎖解除は全国的な象徴となり、同年8月には大学の運営に関する臨時措置法が制定されます。大学紛争はその後しだいに沈静化しましたが、大学教育・学生参加・世代文化・政治運動のあり方を大きく問い直した出来事でした。

なぜ高度成長期の大学が大規模な紛争の場になったのか

高度経済成長期には大学進学者が増え、高等教育が一部の限られた層だけのものではなくなっていきました。学生数や教育需要が拡大する一方、教授会を中心とする大学運営、学費、授業・研究環境、寮や学生会館の管理、医学部の研修制度など、従来の制度や意思決定の仕組みに対する不満も蓄積しました。

文部省の整理では、1968〜1969年の紛争には学生参加、学寮・学生会館の管理、医局改組、学園民主化、大学改革など多様な学内問題が含まれていました。つまり大学紛争は、全国の学生が同じ一つの要求を掲げて始まった運動ではありません。大学ごとに異なる具体的な問題があり、それが大学運営そのものへの批判へ広がっていきました。

同時に、ベトナム戦争への反対、日米安全保障体制への批判、既成政党や官僚制・企業社会への違和感など、学外の政治・社会問題も大学内の争点と結びつきました。高度成長が豊かさを広げる一方、組織の管理や競争、社会の価値観そのものに異議を唱える若者文化が強まったことも背景にありました。

東大紛争と日大紛争は同じ理由で始まったのか

東京大学では、医学部の研修医制度をめぐる対立と学生への処分問題が紛争拡大の重要な発端となりました。1968年6月には学生が安田講堂を占拠し、大学側が機動隊を導入して排除すると、警察力の導入そのものへの反発が学内に広がり、ストライキや再占拠へ発展しました。

日本大学では、大学当局の会計・経営問題や学費、大学運営の民主化要求などを背景に大規模な運動が起こりました。学生側は大学当局との大衆団交を求め、校舎封鎖などを続けます。このように、東大と日大は1968年大学紛争の代表例ですが、出発点となった問題は同一ではありません。

各大学で固有の問題が表面化したにもかかわらず全国へ波及したのは、学生が個別の不満を大学の権威的な運営や社会構造そのものの問題と結びつけて考えたからです。文部省の記録では、紛争が起きた大学は1968年度の67大学から1969年度には127大学へ増加しました。

全共闘とはどのような運動組織だったのか

全共闘ぜんきょうとうは『全学共闘会議』の略称で、特定の一つの全国政党や学生組織の正式な下部組織ではなく、大学ごとの紛争で複数の政治党派や無党派の学生が共闘する形でつくられた組織を指します。大学ごとに組織や要求は異なり、統一された一つの『全共闘本部』が全国の学生を指揮していたわけではありません。

戦後の学生運動には以前から全日本学生自治会総連合(全学連)や各政治党派に結びつく学生組織がありました。全共闘型の運動は、そうした既成組織だけではまとめきれない無党派学生や学部・学科単位の運動を含み、個々の参加者が大学のあり方を自分自身の問題として問う点に特徴がありました。

ただし『学生運動=全共闘』でも、『全共闘=新左翼の一党派』でもありません。日本共産党系の民青など全共闘と対立した学生組織も存在し、全共闘内部でも戦術や政治思想は一致していませんでした。大学紛争を理解するには、この複数性を残しておく必要があります。

大学紛争、全共闘、全学連、新左翼、後年の武装闘争を同じものとして扱いません。組織・参加者・目的・時期を区別します。

ベトナム反戦や社会批判は大学紛争とどう結びついたのか

1960年代後半にはベトナム戦争が激化し、日本でも反戦運動が広がっていました。学生の一部は、米軍基地を抱える日本が戦争と無関係ではないと考え、ベトナム反戦や日米安保への批判を大学内の運動と結びつけました。

さらに、大学を企業社会へ人材を送り出す装置と捉える批判や、教授・大学当局による管理、学問の社会的責任、学生自身の生き方まで問い直そうとする主張も現れました。こうした問題意識は、単なる学費値下げや一つの制度改正を超えて『大学とは何か』『自分たちはどのような社会に参加しているのか』という問いへ拡大しました。

一方、すべての参加者が同じ政治思想を持っていたわけではなく、学内の具体的な制度改善を求めた学生、反戦を重視した学生、革命的な社会変革を目指した党派、運動に反対した学生など立場は多様でした。全国的な広がりを一つの思想だけで説明しないことが重要です。

安田講堂事件はなぜ大学紛争の象徴になったのか

東京大学では1968年7月以降、安田講堂の封鎖が続きました。1969年1月18〜19日、大学の要請を受けた機動隊が安田講堂などの封鎖解除に入り、立てこもった学生との激しい衝突の末に占拠を解きました。テレビ報道を通じて全国に映像が伝えられ、安田講堂は大学紛争を象徴する場所となりました。

東大では1969年度入学試験が中止される事態となり、大学紛争が教育・研究だけでなく社会全体へ大きな影響を及ぼしていることが可視化されました。しかし安田講堂の攻防だけを大学紛争の全体像とみなすと、各大学で長く続いた交渉、授業放棄、学生自治、大学改革をめぐる議論が見えなくなります。

紛争が全国へ広がる一方、学生同士の党派対立や暴力的衝突も深まりました。運動への支持や共感だけでなく、長期封鎖や暴力への反発も強まり、大学内部でも紛争をどのように収拾するかが大きな課題となりました。

1969年の臨時措置法で大学紛争は終わったのか

1969年8月、政府は大学の運営に関する臨時措置法だいがくのうんえいにかんするりんじそちほうを制定しました。法律は、紛争大学の自主的な収拾を助け、教育・研究の正常な実施を図ることを目的とする5年間の時限立法でした。長期にわたり正常な運営が困難な大学に対して、休校などを含む措置を取れる仕組みが設けられました。

同法の制定だけで紛争が突然終了したわけではありません。大学内外の収拾努力、長期闘争による運動の疲弊、社会からの支持の変化、党派間対立などが重なり、1969年後半以降、大学紛争はしだいに沈静化しました。

その後、一部の新左翼党派は大学の外でさらに急進化し、党派間抗争や武装闘争へ進む場合がありました。しかし、1970年代初めの連合赤軍事件やあさま山荘事件などを、1968〜69年の大学紛争・全共闘運動そのものと同一視してはいけません。大学紛争の歴史的意味は、大学制度・学生参加・政治文化・世代意識をめぐる異議申し立てが全国規模で噴き出した点にあります。

Review

入試で押さえるポイント

  • 1968〜1969年の大学紛争は大学ごとに原因が異なり、学生参加、学費、寮・学生会館、医学部制度、大学運営、政治問題など複数の争点が重なった
  • 東大紛争は医学部の研修医制度・学生処分などから拡大し、1969年1月18〜19日の安田講堂封鎖解除が全国的な象徴となった
  • 日大紛争は大学経営・会計や大学運営の民主化要求などを背景とし、東大紛争と同じ原因ではない
  • 全共闘は大学ごとの共闘組織であり、全学生・全学連・新左翼を一括した単一組織ではない
  • 文部省の記録では紛争発生大学は1968年度67大学、1969年度127大学へ拡大した
  • 1969年8月の大学の運営に関する臨時措置法は収拾の一契機となったが、大学紛争が法律一つで終了したとは説明しない

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  1. 問1

    1968〜1969年の大学紛争は、全国の学生が最初から同じ一つの要求を掲げて始めた統一運動だった。

  2. 問2

    東大紛争と日大紛争は、どちらも同じ会計不正問題を直接の発端として始まった。

  3. 問3

    全共闘は一つの全国組織が各大学を指揮する仕組みではなく、大学ごとに複数党派や無党派学生が共闘する形でつくられた。

  4. 問4

    安田講堂封鎖解除は大学紛争の象徴的事件だったが、それだけで各大学の交渉、学生自治、大学改革をめぐる運動全体を説明することはできない。

  5. 問5

    1969年の大学の運営に関する臨時措置法が制定されたことで、その日から全国の大学紛争は一斉に終了した。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 大学紛争と全共闘運動が全国へ広がる

Sources

参考資料

  1. 東大史Q&A Q3-4―東大紛争というのはいつごろあったものですか?東京大学

    東大紛争の年代、医学部研修医問題と1969年1月の安田講堂事件の確認に使用。

  2. 平成18年度東京大学卒業式総長告辞東京大学

    安田講堂封鎖、1969年1月の機動隊導入、卒業式への長期的影響の確認に使用。

  3. 学生運動と学生活動文部科学省

    1968〜1969年の全国的拡大、67大学・127大学という規模、全国全共闘連合と運動沈静化の経過確認に使用。

  4. 高等教育の発展と整備文部科学省

    学生参加、寮管理、医局改組、学園民主化、大学改革など大学紛争の多様な争点確認に使用。

  5. 大学の運営に関する臨時措置法(法律第70号)衆議院

    1969年8月の臨時措置法の目的・定義・制度内容確認に使用。

  6. 『1968年』と社会運動の高揚(1)国立国会図書館デジタルコレクション

    全共闘の組織的多様性、無党派と政治党派が混在した運動形態の研究史確認に使用。