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大正時代1925年政治・外交重要度 A

男子普通選挙法と治安維持法―政治参加の拡大と思想統制はなぜ同時に進んだのかだんしふつうせんきょほうとちあんいじほう せいじさんかのかくだいとしそうとうせいはなぜどうじにすすんだのか

一言でいうと

1925年の第50帝国議会では、加藤高明内閣のもとで、一般に男子普通選挙法と呼ばれる衆議院議員選挙法の全面改正と、治安維持法が相次いで成立しました。普通選挙法は衆議院選挙の納税資格を撤廃し、原則として25歳以上の男子へ選挙権を広げました。これにより有権者は大幅に増え、長く続いた普通選挙運動の大きな要求が実現します。しかし女性には選挙権がなく、救恤を受ける者などに欠格規定も残り、今日の意味での普通選挙ではありませんでした。一方、治安維持法は「国体」の変革または私有財産制度の否認を目的とする結社の組織・加入などを処罰対象とし、共産主義運動を中心とする思想・政治運動への国家統制を強めました。二つの法律を一つの目的を持つ政策として理解してはいけません。政党政治と大衆運動の発達によって政治参加を広げる要求が無視できなくなる一方、ロシア革命後の共産主義運動や日本共産党の非合法活動、社会運動の拡大を政府や支配層が警戒したため、参加拡大と統制強化という異なる方向の政策が同じ時期に進んだのです。1925年は大正デモクラシーの単純な「完成」ではなく、民主化と抑圧の両面が並んだ転換点として捉える必要があります。なお、治安維持法はその後1928年などに改正され、取締りの範囲と刑罰がさらに強化されます。このTopicでは1925年制定時の内容に焦点を当て、昭和期の拡大運用を先取りしすぎないようにします。

なぜ1925年に普通選挙を実現する必要があったのか

衆議院選挙では長く納税額による選挙資格が設けられていました。1919年の選挙法改正で資格は緩和されたものの、納税要件そのものは残り、労働者や都市住民を含む多くの成人男性が選挙権を持てませんでした。

第一次世界大戦後には普通選挙運動が全国的に広がり、労働運動・農民運動・女性運動など政治参加を求める社会運動も活発になりました。政党も拡大する都市住民や勤労者を無視して政治を続けることが難しくなります。

1924年の第二次護憲運動で成立した加藤高明の護憲三派内閣は普通選挙実施を重要政策に掲げ、第50帝国議会に政府案を提出しました。こうして1925年3月に法案が成立し、5月5日に改正衆議院議員選挙法として公布されました。

男子普通選挙法は何を変え、何を変えなかったのか

最大の変更は、衆議院議員選挙の納税資格を撤廃したことでした。原則として帝国臣民である25歳以上の男子に選挙権が認められ、財産の多少と投票資格を直接結びつける仕組みがなくなりました。

この改正によって有権者は大幅に増加しました。政治参加の基盤は資産を持つ男性中心の制度から、より広い成人男性を対象とする制度へ移り、政党はより多くの有権者へ訴える必要を持つようになります。

ただし女性は選挙権から除外されました。また公私の救恤を受ける者などを対象とする欠格規定も設けられました。そのため、当時『普通選挙』と呼ばれた制度を、性別や社会的地位を問わない現代の普通選挙と同じものとして扱うことはできません。

1925年の『普通選挙』は、納税資格を撤廃して25歳以上の男子へ選挙権を大きく広げた制度です。女性参政権まで実現したわけではありません。

なぜ同じ議会で治安維持法が制定されたのか

政治参加が広がる一方、政府や支配層はロシア革命後に広がった共産主義・社会主義運動を強く警戒していました。1922年には日本共産党が非合法に結成され、労働運動や農民運動も拡大していました。

こうした状況のなか、政府は1925年2月に治安維持法案を第50帝国議会へ提出しました。法案は3月に成立し、4月22日に法律第46号として公布されます。

制定時の治安維持法は、『国体』を変革すること、または私有財産制度を否認することを目的とする結社を組織した者や、事情を知って加入した者などを処罰対象としました。共産主義運動を主要な対象として、政治思想と組織活動への国家の監視・取締りを強める法律でした。

普通選挙法と治安維持法は同じ政策だったのか

二つの法律は同じ加藤高明内閣のもとで、同じ第50帝国議会に提出されました。このため、普通選挙を認める代わりに治安維持法を制定したという説明がされることがあります。

実際、普通選挙によって労働者や農民を含む新たな有権者が政治へ参加することに対し、社会主義・共産主義勢力が議会政治へ影響を広げることを警戒する意識は存在しました。国立国会図書館も、普通選挙法成立と並行して共産主義対策として治安維持法が成立した経緯を示しています。

しかし二法は法的目的も対象も異なります。普通選挙法は衆議院選挙の選挙資格を拡大する制度改革であり、治安維持法は特定の政治目的を持つ結社・活動を取り締まる治安立法でした。二つを一つの政策目的へ還元せず、同時期の政治が『参加の拡大』と『国家統制の強化』を併せ持っていたと考えることが重要です。

1925年を大正デモクラシーの「完成」と呼べるのか

男子普通選挙の実現は、第一次護憲運動以来の政党政治や普通選挙運動が積み重ねた大きな成果でした。選挙権の拡大によって、政党は従来より幅広い社会層の支持を組織しなければならなくなります。

一方で、女性は政治参加から排除され、治安維持法による思想・組織活動への統制も始まりました。政治参加が広がったから自由が一方向に拡大したわけではありません。

さらに最初の男子普通選挙による衆議院総選挙が行われるのは1928年、すでに昭和に入ってからです。1925年は制度上の重要な転換点ですが、大正デモクラシーがそこで完全に完成したと考えるより、民主化と統制の矛盾を抱えた政治体制が次の時代へ移った年と捉える方が実態に近いでしょう。

Review

入試で押さえるポイント

  • 1925年の衆議院議員選挙法全面改正、いわゆる男子普通選挙法は納税資格を撤廃し、原則25歳以上の男子へ選挙権を拡大した
  • 女性には選挙権が認められず、欠格規定も残ったため、現代の普通選挙と同じ制度ではなかった
  • 治安維持法は1925年4月22日に公布され、国体変革または私有財産制度否認を目的とする結社の組織・加入などを処罰対象とした
  • 普通選挙法と治安維持法は同じ時期に成立したが、前者は政治参加の拡大、後者は思想・組織活動への国家統制という異なる方向の法律だった
  • 1925年を大正デモクラシーの単純な完成とせず、参加拡大と統制強化が並存した転換点として捉えることが重要

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  1. 問1

    1925年の衆議院議員選挙法改正は納税資格を撤廃し、原則として25歳以上の男子へ選挙権を広げた。

  2. 問2

    1925年の男子普通選挙法によって、25歳以上であれば男女ともに衆議院議員選挙の選挙権を得た。

  3. 問3

    1925年制定時の治安維持法は、「国体」の変革または私有財産制度の否認を目的とする結社の組織・加入などを処罰対象とした。

  4. 問4

    男子普通選挙法と治安維持法は、同じ議会で成立したため、法的目的も対象も同じ一つの政策だった。

  5. 問5

    男子普通選挙法が成立した1925年のうちに、同法にもとづく最初の衆議院総選挙が実施された。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 普通選挙を求める大衆運動が全国的に高揚する
  2. 男子普通選挙法が成立する
  3. 治安維持法が公布される

Sources

参考資料

  1. 男子普通選挙法の成立と治安維持法国立国会図書館

    普通選挙運動から1925年普通選挙法成立への経緯、納税要件撤廃、欠格規定、治安維持法との同時成立を確認

  2. 衆議院議員選挙法 大正14年5月5日法律第47号国立国会図書館 日本法令索引

    普通選挙法の法律番号、公布日、第50回帝国議会への提出・成立日、法令沿革を確認

  3. 治安維持法 大正14年4月22日法律第46号国立国会図書館 日本法令索引

    治安維持法の法律番号、公布日、第50回帝国議会への提出・成立日、1928年以後の改正履歴を確認

  4. 学習コンテンツ 男子普通選挙―治安維持法国立公文書館

    治安維持法の制定原資料、法律第46号、加藤高明内閣による法案提出を確認