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大正時代1919〜1922年政治・外交重要度 A

普通選挙運動と1919年選挙法改正―選挙権はどのように段階的に広がったのかふつうせんきょうんどうとせんきゅうひゃくじゅうきゅうねんせんきょほうかいせい せんきょけんはどのようにだんかいてきにひろがったのか

一言でいうと

大正デモクラシーの時代、衆議院選挙の有権者は一度に普通選挙へ移ったのではなく、納税資格の引下げと普選運動の拡大を経て段階的に増えました。原敬内閣は1919年に衆議院議員選挙法を改正し、25歳以上の男子に課されていた直接国税の納税資格を10円以上から3円以上へ引き下げました。これによって1920年総選挙の有権者は約307万人へ増えましたが、納税要件そのものは残りました。その一方、第一次世界大戦後の各国で参政権が拡大するなか、日本でも普通選挙を求める集会・デモが盛んになり、1919年には日比谷公園で大規模な普選集会が行われ、1920年には全国普選連合会が結成されます。原内閣は普通選挙の即時実施には消極的で、1919年改正は制限選挙の枠内での拡張でした。したがって、1919〜1922年は1925年の男子普通選挙へ向かう途中段階として理解する必要があります。女性はなお国政選挙から排除されていました。

大正初期の衆議院選挙はなぜ『普通選挙』ではなかったのか

明治憲法下の衆議院選挙では、選挙権は成人男性すべてに認められていたわけではありません。年齢・性別に加え、一定額以上の直接国税を納めるという財産上の条件がありました。

1900年の選挙法改正後も、衆議院議員を選べるのは原則として25歳以上の男子で直接国税10円以上を納める者に限られていました。人口全体からみれば有権者はごく一部で、労働者や小規模農民など多くの男性も選挙権を持ちませんでした。

この制度の背景には、一定の財産や納税能力を持つ者こそ政治判断を担うべきだという考えがありました。普通選挙運動は、この財産資格そのものをなくし、より広い男性に政治参加を認めることを求めました。

第一次世界大戦後、なぜ普通選挙を求める声が強まったのか

第一次世界大戦後、ヨーロッパでは参政権拡大が進み、1918年のイギリスでは成人男子の選挙権が大きく広がり、一部の女性にも選挙権が認められました。ドイツでも1919年に男女普通選挙が導入されました。こうした国際的変化は日本の議論にも影響しました。

国内では米騒動、労働運動、学生・知識人の政治活動などを背景に、大衆が政治へ関与する機会が増えました。1919年3月には日比谷公園に数万人が集まり、普通選挙の即時実施を求めて議会へ向かうデモが行われました。

普選運動には政党政治家、学生、労働者など多様な参加者が関わりました。したがって、普通選挙は議会内の制度改正だけではなく、議会外の大衆運動によっても政治課題として押し上げられていったと考える必要があります。

1919年の選挙法改正は何を変え、何を変えなかったのか

原敬内閣は1919年に衆議院議員選挙法を改正し、選挙権に必要な直接国税の納税額を10円以上から3円以上へ引き下げました。また選挙区制度も原則として小選挙区制へ変更されました。

この改正によって有権者は大きく増え、1920年の第14回衆議院議員総選挙では約307万人が有権者となりました。1917年総選挙の約142万人と比べると、政治参加の範囲は明らかに拡大しました。

しかし、納税資格のうぜいしかくは残っており、25歳以上の男性でも一定額の直接国税を納めない者には選挙権がありませんでした。女性にも国政選挙権は認められていません。1919年改正は普通選挙ではなく、制限選挙を広げた改革でした。

1919年改正は『普通選挙法』ではありません。直接国税の納税資格を10円から3円へ引き下げた、制限選挙の拡大です。

なぜ1919年改正の後も普選運動は続いたのか

納税資格が3円へ下がっても、財産要件そのものが残ったため、普選運動側は改正を不十分と考えました。1920年1月には政党・団体の枠を超えて全国普選連合会ぜんこくふせんれんごうかいが結成され、普通選挙の実現を求める運動が続きました。

1920年には芝公園などで大規模な普選集会が開かれ、集会後に群衆が原敬首相邸へ向かい警官隊と衝突する事件も起きました。普通選挙をめぐる対立は、議会内だけでなく街頭政治の問題にもなっていました。

原内閣は普通選挙の即時導入を『時期尚早』とみなし、段階的な選挙権拡張を選びました。運動側とのこの距離が、1920年代前半を通じて普選問題を主要な政治争点として残しました。

1919〜1922年の運動は1925年の普通選挙法へどうつながったのか

1920年代に入ると、普通選挙は一部の活動家だけの主張ではなく、政党政治の正統性を問う全国的な課題となりました。1922年には政府側でも普通選挙を将来的に実行する方向が示され、選挙法改正の調査が進められます。

最終的に1925年、加藤高明内閣のもとで納税資格を撤廃する衆議院議員選挙法改正、いわゆる男子普通選挙法が成立しました。これによって25歳以上の男子に選挙権が広がりました。

ただし、このTopicで押さえるべき中心は1925年の完成形ではなく、その前段階です。1919年の納税資格引下げと1919〜1922年の普選運動が、制限選挙の限界を政治問題として可視化し、次の制度改革を準備しました。また、1925年になっても女性参政権は実現しておらず、『普通選挙』という言葉の範囲にも時代的な限界がありました。

Review

入試で押さえるポイント

  • 1919年の衆議院議員選挙法改正で、男子の選挙権に必要な直接国税の納税資格が10円以上から3円以上へ引き下げられた
  • 1919年改正は納税資格を撤廃した普通選挙ではなく、制限選挙の範囲を広げた改革だった
  • 第一次世界大戦後の国際的な参政権拡大と国内の大衆運動を背景に、日本でも普通選挙運動が高揚した
  • 1920年1月に全国普選連合会が結成され、集会・デモを伴う普選運動が続いた
  • 1919〜1922年の選挙権拡張と普選運動は1925年の男子普通選挙法へつながったが、女性参政権は実現しなかった

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  1. 問1

    大正初期の衆議院選挙では、25歳以上の男子であれば納税額に関係なく全員が選挙権を持っていた。

  2. 問2

    普通選挙を求める動きは議会内の政党だけで進んだのではなく、学生や労働者なども参加する集会・デモによって政治課題として押し上げられた。

  3. 問3

    1919年の衆議院議員選挙法改正で納税資格は撤廃され、男子普通選挙が実現した。

  4. 問4

    1919年の改正後も財産要件が残ったため、1920年の全国普選連合会結成など普通選挙運動は続いた。

  5. 問5

    1925年の普通選挙法によって納税資格が撤廃され、女性にも国政選挙権が認められた。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 衆議院議員選挙法が改正され選挙権の納税資格が3円以上へ引き下げられる
  2. 普通選挙を求める大衆運動が全国的に高揚する
  3. 全国普選連合会が結成される
  4. 男子普通選挙法が成立する

Sources

参考資料

  1. 年表|インターネット特別展『普選』への道国立公文書館 アジア歴史資料センター

    1919年の選挙法改正、普選集会、1920年全国普選連合会結成、1920年総選挙有権者数を確認

  2. チャプター1:普通選挙の世界的潮流と第二次憲政擁護運動国立公文書館 アジア歴史資料センター

    1919年までの納税資格引下げ、第一次世界大戦後の普選運動、原内閣の普通選挙への対応を確認

  3. 男子普通選挙国立公文書館

    1917年と1920年総選挙の有権者数、1920年時点の直接国税3円以上という選挙資格を確認

  4. 衆議院議員選挙法 大正14年5月5日法律第47号国立国会図書館 日本法令索引

    1925年の男子普通選挙法の成立・公布を確認し、1919年改正との区別に使用