2009年政権交代と民主党政権―選挙による政権交代はなぜ実現し、なぜ短期間で終わったのか
一言でいうと
2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙で民主党は480議席中308議席を獲得し、自民党中心の政権から民主党中心の政権へ交代しました。1994年の政治改革で導入された小選挙区比例代表並立制のもとでは、自民党と民主党が政権獲得を競う構図が強まり、2007年参院選後のねじれ国会、自民党政権下での短期内閣の連続、年金・政治資金・景気への不満、そして世界金融危機後の厳しい経済状況などが重なって、政権交代への期待が高まりました。鳩山由紀夫内閣は、官僚機構だけに政策立案を委ねず、内閣と政務三役が主導する政治を目指し、国家戦略室や行政刷新会議を設け、予算や税制の決定過程を見直しました。事業仕分けは予算事業を公開の場で検証する試みとして注目されました。一方で、民主党は社会民主党・国民新党との連立を組み、選挙公約の実現、財源確保、官僚機構との役割分担、外交・安全保障、党内調整など複数の課題に直面しました。2010年6月に菅直人内閣へ交代し、同年7月の参院選では与党が参議院の過半数を失って再びねじれ国会となります。2011年9月に野田佳彦内閣が発足し、震災復興や社会保障・税一体改革などを進めましたが、これらの詳細は別Topicで扱います。2012年12月の衆院選では自民党が294議席を得て過半数を確保し、民主党は57議席へ大きく後退しました。民主党政権が約3年3か月で終わった理由は、一つの政策失敗や震災対応だけでは説明できません。大きな選挙公約を実行する難しさ、財政制約、連立・党内調整、参議院の多数派との関係、首相交代、外交・安全保障上の課題、震災後の危機対応などが重なった結果として捉える必要があります。
2009年に、なぜ選挙による本格的な政権交代が実現したのか
1990年代の政治改革以後、衆議院選挙では自民党と民主党が政権獲得を競う構図が強まりました。衆議院調査局も、小選挙区制導入後に野党第一党が政権獲得を具体的な目標として行動するようになり、民主党が2009年総選挙で308議席を得て政権を獲得したと整理しています。
2006年以後、自民党政権では安倍・福田・麻生の各内閣が短期間で交代し、2007年参院選後にはねじれ国会が続きました。年金記録問題、政治資金をめぐる問題、景気や雇用への不安なども政治への不満を強めました。2008年秋以後の世界金融危機は、こうした不満の上に深刻な経済問題を加えました。
2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙で民主党は308議席を獲得し、9月16日に鳩山由紀夫内閣が発足しました。これは単に首相が交代しただけではなく、総選挙の結果によって政権を担う中心政党が自民党から民主党へ交代した出来事でした。
民主党政権は、政策決定の仕組みをどう変えようとしたのか
鳩山内閣は、政策決定を内閣の政治家がより強く主導することを掲げました。2009年9月18日には内閣官房に国家戦略室を置き、税財政の骨格や経済運営など、首相が指定する重要政策の企画・立案・総合調整を担わせました。
同じ9月18日には行政刷新会議も設置されました。国の予算や制度、行政全般の在り方を国民的な観点から見直すことを目的とし、その活動の一つとして事業仕分けが行われました。事業仕分けでは、各事業の必要性や実施主体、予算規模を公開の場で検討し、結果を予算編成に反映させようとしました。
税制についても、従来の与党税制調査会と政府税制調査会を一元化し、政府内の政治家が責任を持って議論する仕組みが採られました。こうした改革は『政治主導』や意思決定過程の透明化を目指したものですが、新しい組織を設けただけで政策実行が自動的に円滑になるわけではありませんでした。
民主党政権の『政治主導』は、官僚を政策から排除することではなく、選挙で選ばれた政治家が政策の優先順位と責任をより明確に担おうとした試みとして捉えます。
大きな選挙公約は、なぜ政権運営の難しさにもつながったのか
民主党は選挙で、子ども手当、高速道路料金、農業者戸別所得補償など生活に直結する政策を掲げ、従来の予算配分や行政の仕組みを見直す姿勢を示しました。しかし、政権を担うと、景気低迷による税収減や既存制度の経費を抱えながら、新たな政策の財源を確保する必要がありました。
さらに鳩山内閣は、民主党だけでなく社会民主党・国民新党との連立政権でした。政策ごとに連立各党の立場を調整する必要があり、外交・安全保障や郵政改革などでは意見の違いも現れました。党内でも多数の議員と政府の意思決定をどう結び付けるかが課題となります。
新しい政策決定方式も、既存の省庁が持つ専門知識や実施能力との接続が必要でした。したがって民主党政権の困難は、『官僚対政治家』という単純な対立だけでなく、政権公約、財政、連立、党内調整、行政実務を同時に組み合わせる難しさとして見る必要があります。
鳩山内閣から菅内閣への交代と2010年参院選は、政権基盤をどう変えたのか
鳩山内閣は2009年9月16日に発足しましたが、2010年6月8日に総辞職し、同日に菅直人内閣が成立しました。鳩山内閣の退陣には普天間飛行場移設問題などが影響しましたが、基地問題の経緯そのものはTopic 10で扱います。
菅内閣発足後の2010年7月11日、第22回参議院議員通常選挙が行われました。民主党は44議席にとどまり、非改選を合わせた与党会派は参議院の過半数を失いました。その結果、衆議院では与党が多数を持つ一方、参議院では与党が過半数を持たない再度のねじれ国会となりました。
参議院で多数を持たない政権は、法案成立や国会運営で野党との協議を必要とします。民主党政権は、2009年に大きな衆議院多数を得たにもかかわらず、翌年からは二院制による制約を強く受けることになりました。2011年3月以後は東日本大震災への対応も政権の最重要課題となりますが、震災・復興の詳細はTopic 30、原発事故はTopic 31へ分けます。
野田内閣を経て、なぜ2012年に自民党政権へ戻ったのか
菅内閣は2011年9月2日に総辞職し、野田佳彦内閣が発足しました。野田内閣は震災復興を続けながら、社会保障と税の一体改革を重要課題としました。消費税率引上げを含む一体改革は民主党内にも対立を生みましたが、その制度内容はTopic 32で扱います。
民主党政権の3年間には、鳩山・菅・野田と首相が3人交代しました。これは首相個人の問題だけではなく、選挙公約と財源の調整、連立・党内対立、参議院のねじれ、外交・安全保障、震災後の危機対応など、複数の課題が重なった時期でした。
2012年11月16日に衆議院が解散され、12月16日に第46回総選挙が行われました。自民党は294議席を獲得して単独過半数を確保し、民主党は57議席へ大きく後退しました。12月26日には第2次安倍内閣が発足します。2009年の政権交代によって、選挙で政権担当政党が入れ替わり得ることは実際に示されましたが、同時に、新しい政権が長期的な統治基盤を築くことの難しさも明らかになりました。
民主党政権が約3年3か月で終わった理由を、普天間・消費税・震災対応など一つの争点だけに還元しません。制度・財政・党内外の政治関係・危機対応を分けて考えます。
Review
入試で押さえるポイント
- 2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙で民主党は308議席を獲得し、同年9月に鳩山内閣が発足した。
- 2009年の政権交代は、1990年代の選挙制度改革後に自民党と民主党が政権獲得を競う構図が形成されたことを背景に持つ。
- 鳩山内閣は国家戦略室・行政刷新会議を設置し、政治主導や予算・税制の意思決定過程の見直しを進めた。
- 事業仕分けは行政刷新会議のもとで予算事業を公開検証し、その結果を予算編成へ反映させようとした試みだった。
- 2010年参院選後、与党は参議院の過半数を失い、民主党政権下でもねじれ国会が生じた。
- 民主党政権は鳩山・菅・野田の3内閣からなり、普天間、震災、社会保障・税などの詳細は別Topicと区別する。
- 2012年12月総選挙では自民党が294議席を得て過半数を確保し、民主党政権は終わった。
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- 問1
2009年の民主党政権成立は、戦後初めて自民党以外の勢力が政権を担った出来事だった。
1993年には細川護熙を首相とする非自民連立政権が成立しています。2009年の特徴は、総選挙で民主党が308議席を得て、自民党から民主党へ政権の中心が交代したことです。
本文の該当箇所を確認する - 問2
民主党政権が掲げた『政治主導』は、官僚を政策形成から全面的に排除することではなく、政治家が政策の優先順位と責任をより明確に担おうとする試みだった。
国家戦略室や行政刷新会議などを通じて政治家主導の意思決定を強めようとしましたが、省庁の専門知識や実施能力との接続も必要でした。
本文の該当箇所を確認する - 問3
民主党は2009年総選挙で308議席を得たため、財源確保や連立各党との調整、行政実務を考えずに選挙公約を実施できた。
大きな衆議院多数があっても、税収減や既存経費のもとでの財源確保、連立・党内調整、省庁との実務調整など複数の制約がありました。
本文の該当箇所を確認する - 問4
2010年参院選後、与党は参議院の過半数を失い、衆議院では与党多数・参議院では与党過半数割れという再度のねじれ国会となった。
民主党政権は2009年に衆議院で大多数を得ましたが、2010年参院選後は参議院で過半数を失い、法案成立などで野党との協議が重要になりました。
本文の該当箇所を確認する - 問5
民主党政権が2012年に終わった理由は東日本大震災への対応だけであり、財政・連立・党内対立・参議院との関係などは影響しなかった。
民主党政権には選挙公約と財源、連立・党内調整、ねじれ国会、外交・安全保障、震災後の危機対応など複数の課題が重なっていました。
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Timeline
関連する年表
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Sources
参考資料
- 論究 第9号『小選挙区制導入後の政治と国会』衆議院調査局
小選挙区制導入後の政党間競争と2009年総選挙で民主党が308議席を獲得したことを確認
- 第93代 鳩山由紀夫首相官邸
鳩山内閣の成立日・在職期間・閣僚構成を確認
- 国家戦略室の設置に関する規則首相官邸
国家戦略室の設置日と任務を確認
- 行政刷新会議の設置について首相官邸
行政刷新会議の設置目的と構成を確認
- 第22回参議院議員通常選挙参議院
2010年参院選で民主党44議席、与党会派が非改選を合わせても過半数を割ったことを確認
- 第94代 菅直人首相官邸
菅内閣の成立日・在職期間を確認
- 第95代 野田佳彦首相官邸
野田内閣の成立日・在職期間を確認
- 平成24年 衆議院の動き衆議院
2012年総選挙で自民党294議席、民主党57議席となったことを確認
