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縄文時代約5,900〜4,200年前社会・経済重要度 A

三内丸山遺跡から見る縄文時代のムラさんないまるやまいせきからみるじょうもんじだいのむら

一言でいうと

青森県の三内丸山遺跡では、縄文時代前期から中期にかけて大規模なムラが長期間営まれました。住居・墓・貯蔵施設などを使い分けた集落の姿や、多様な食料の利用、遠い地域との交流から、縄文時代には一定の場所に定住しながら、多くの人々が関わり合って暮らす社会が形成されていたことが分かります。

約5,900年前から営まれた大規模なムラ

青森県青森市にある三内丸山遺跡さんないまるやまいせきは、縄文時代を代表する大規模な集落遺跡です。

発掘調査によって、縄文時代前期から中期、現在から約5,900〜4,200年前にかけて、大規模なムラが営まれていたことが分かっています。

遺跡からは、多数の竪穴建物跡や掘立柱建物跡、大型の建物跡、大人と子どもの墓、貯蔵穴などが見つかっています。また、土器・石器だけでなく、木製品や骨角製品、食料となった動植物の痕跡なども残っていました。

これらの資料によって、縄文時代の人々がどのようにムラをつくり、食料を得て、人を葬り、他地域と交流していたのかを具体的に考えることができます。

画像で見る:特別史跡 三内丸山遺跡「三内丸山遺跡とは」

ムラの中を使い分ける

三内丸山遺跡では、建物や墓などが無秩序につくられていたわけではありません。

人々が日常生活を送る場所、大人の墓が並ぶ場所、子どもを埋葬する場所、物を貯蔵する場所、土器や石器などを捨てる場所など、ムラの中で土地が使い分けられていました。

特に大人の墓には、道路の両側に並ぶようにつくられた例があります。こうした配置からは、長期間暮らすムラの中に、人々が共有する一定の決まりがあったことがうかがえます。

定住生活とは、単に同じ場所に住み続けることだけではありません。多くの人々が同じ場所で暮らすには、住居・墓・貯蔵場所などを使い分けながら、ムラ全体を維持していく必要があります。

三内丸山遺跡は、縄文時代の定住生活が、こうした集団で暮らす社会へ発展していたことを考える重要な資料です。

さまざまな建物がつくられる

日常生活の中心となったのは、地面を掘り下げて床をつくった竪穴建物たてあなたてものです。

三内丸山遺跡では多数の竪穴建物跡に加えて、通常よりはるかに大きな大型竪穴建物跡も見つかっています。最大級のものは長さ約32メートルに及び、その用途については、集会所、共同作業所、共同住宅などの説があります。

さらに有名なのが、6本の巨大な柱穴が並ぶ大型掘立柱建物跡おおがたほったてばしらたてものあとです。柱穴は直径・深さとも約2メートル、約4.2メートルの間隔で規則的に並び、中には直径約1メートルのクリの木柱が残っていました。

現在の遺跡には、発掘成果をもとに大型掘立柱建物が復元されています。

資料で見る:三内丸山遺跡縄文デジタルアーカイブ「建物跡」

柱の位置や太さなどは発掘によって分かりますが、地上部分が実際にどのような形・高さだったのかには不明な点があります。復元建物は、考古学的資料をもとにした復元案として見ることが重要です。

森・川・海から食料を得る

三内丸山遺跡の周辺には、クリやクルミなどを利用できる森林があり、近くには川や陸奥湾もありました。

遺跡からは植物の種子や木の実、魚や動物の骨などが見つかっています。人々は植物の採集、狩猟、漁労などを組み合わせ、周囲のさまざまな環境から食料を得ていました。

これは、これまで学んだ縄文時代の「狩猟・採集・漁労を組み合わせた生活」を、具体的な一つの遺跡から見る例でもあります。

森・川・海から得られる資源を組み合わせることが、この場所での定住生活を支えました。

ただし、三内丸山遺跡でクリが重要な資源だったことを、そのまま日本列島全体の縄文社会へ当てはめてはいけません。縄文時代の生業は地域の環境によって大きく異なりました。

大人と子どもを葬る

三内丸山遺跡では、大人と子どもで異なる埋葬方法が確認されています。

大人は、地面に穴を掘った土坑墓どこうぼに葬られました。一方、子どもは土器の中に入れて埋葬した例が多数見つかっています。

大人の墓と子どもの墓はつくられる場所も異なり、大人の墓には道路に沿って並ぶなど一定の配置が見られます。

こうした墓は、縄文時代の人々が死者をどのように扱ったのかを示すだけではありません。同じムラで暮らす人々が埋葬の方法や場所を共有していたことから、共同体としてのつながりや決まりを考える資料にもなります。

この後の縄文時代には、環状列石など、墓や祭祀に関係すると考えられるさらに大規模な施設も現れます。

遠く離れた地域ともつながる

三内丸山遺跡の人々の生活は、ムラの周辺だけで完結していたわけではありません。

遺跡からは、ヒスイ・黒曜石・琥珀など、その周辺では採れない物資が見つかっています。

ヒスイは現在の新潟県糸魚川周辺から、黒曜石は北海道や東北・中部地方など複数の産地から運ばれたものが確認されています。

つまり、縄文時代のムラはそれぞれ孤立していたのではなく、人や物が移動する広い交流のネットワークによって結ばれていたことが分かります。

ただし、これは現代の市場で商品を売買するような交易と同じ仕組みだったという意味ではありません。物資がどのような方法や関係を通じて運ばれたのかには、分からない部分もあります。

三内丸山遺跡では「遠く離れた地域とつながっていた」という点をまず押さえ、縄文時代の遠距離交流そのものは別のテーマで詳しく学ぶと理解しやすくなります。

三内丸山遺跡を縄文時代全体の姿にしない

三内丸山遺跡は、縄文時代の社会を具体的に理解するうえで非常に重要な遺跡です。

しかし、三内丸山遺跡の姿が、そのまま縄文時代のすべてのムラの姿だったわけではありません。

縄文時代は1万年以上続き、日本列島は南北にも長いため、集落の規模、食料、建物、墓、交流のあり方には大きな地域差・時期差がありました。

三内丸山遺跡は、その多様な縄文社会の中で、縄文時代前期〜中期の東北地方に存在した大規模な拠点集落の代表例として理解することが大切です。

一つの遺跡から分かったことを日本列島全体へそのまま広げず、「代表的な具体例から縄文社会の一つの姿を見る」と考えましょう。

その後―ムラから地域どうしのつながりへ

三内丸山遺跡を見ると、縄文時代の定住生活が、単に家を建てて暮らす段階にとどまらなかったことが分かります。

住居・墓・貯蔵場所などを使い分け、多くの人々が同じ場所で暮らし、周囲の自然を利用しながら、遠く離れた地域とも交流していました。

一方、縄文時代中期末から後期になると、大規模な拠点集落が減少し、集落が分散する地域も見られるようになります。

縄文社会は同じ姿のまま続いたのではなく、長い時代の中でムラのあり方そのものも変化していきました。

次に黒曜石やヒスイなどの遠距離交易を詳しく見ると、個々のムラを越えて人々がどのようにつながっていたのかを、さらに深く理解できます。

このページで覚えたい流れ

定住化が進む → 大規模なムラが形成される → ムラの中で住居・墓・貯蔵場所などを使い分ける → 森・川・海の資源を利用する → 遠い地域とも交流する

三内丸山遺跡からは、縄文時代の人々が一定の場所に定住するだけでなく、集団でムラを維持し、地域内外の人々と関係を結びながら暮らしていたことが分かります。

ただし、この大規模なムラを縄文時代全体の標準的な姿とは考えず、地域差・時期差があったことを忘れないことが重要です。

Review

入試で押さえるポイント

  • 三内丸山遺跡さんないまるやまいせきは青森県にある、縄文時代前期〜中期の代表的な大規模集落遺跡
  • 多数の竪穴建物跡・掘立柱建物跡・墓・貯蔵穴などが見つかり、ムラの中で土地を使い分けていたことが分かる
  • 大型竪穴建物や大型掘立柱建物跡などから、個々の住居だけでは説明できない集団的な活動があった可能性を考えることができる
  • 植物採集・狩猟・漁労などを組み合わせ、周囲の多様な自然資源を利用していた
  • ヒスイ・黒曜石・琥珀など遠方から運ばれた物資があり、他地域との広い交流が確認できる
  • 三内丸山遺跡を縄文時代全体の標準像とせず、縄文社会には大きな地域差・時期差があったことを押さえる

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理解度チェック

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0 / 5 問回答

  1. 問1

    三内丸山遺跡では、縄文時代前期から中期にかけて、長期間にわたり大規模なムラが営まれた。

  2. 問2

    三内丸山遺跡の大型竪穴建物は、集会所として使われたことが発掘によって確定している。

  3. 問3

    現在復元されている大型掘立柱建物の形や高さは、発掘資料によって地上部分まで完全に確認された姿である。

  4. 問4

    三内丸山遺跡から遠方産のヒスイや黒曜石などが見つかることは、ムラが他地域とつながっていたことを示す手がかりになる。

  5. 問5

    三内丸山遺跡の大規模なムラの姿は、縄文時代を通じて日本列島のどの地域にも共通した標準的な集落像である。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 三内丸山遺跡で大規模な集落が営まれる
  2. 定住化が進み、ムラが形成される
  3. 黒曜石・ヒスイなどの遠距離交易が盛んになる
  4. 大規模な拠点集落が減少し、集落の分散化が進む

Sources

参考資料

  1. 三内丸山遺跡とは三内丸山遺跡センター

    遺跡の年代、竪穴建物・大型竪穴建物・大型掘立柱建物、墓、貯蔵穴などの発掘成果を確認。

  2. 縄文時代の扉を開く三内丸山遺跡センター

    集落内の土地利用、周辺環境と食料、墓の配置、ヒスイ・黒曜石・琥珀などの交流・交易を確認。

  3. 建物跡三内丸山遺跡縄文デジタルアーカイブ

    竪穴建物跡・掘立柱建物跡などの分類と実物資料を確認。