遺跡から見る縄文時代
一言でいうと
縄文時代の人々は文字による記録を残していません。そのため、当時の生活は、竪穴建物跡、貝塚、土器・石器、木製品、植物の種子、動物の骨、墓、祭祀施設など、遺跡に残されたさまざまな資料から復元されています。代表的な遺跡を比べることで、定住生活、多様な食料利用、遠距離交流、墓や祭祀、縄文晩期の地域文化など、縄文社会のさまざまな側面と大きな地域差・時期差が見えてきます。
縄文時代は何から分かるのか
縄文時代には、当時の人々が書いた文書は残っていません。
そのため、「どのような家に住んだのか」「何を食べたのか」「どのような道具を使ったのか」「他地域と交流していたのか」といったことは、発掘された資料から考えます。
たとえば、地面に残った竪穴建物跡からはムラの姿を、貝殻や動物の骨からは食生活を、黒曜石やヒスイの産地からは地域間交流を考えることができます。
また、遺跡によって残りやすい資料も違います。石や土器は比較的残りやすい一方、木や植物などの有機物は通常腐ってしまいます。しかし、水分の多い低湿地など、特別な環境では有機物が残ることがあります。
一つの遺跡ですべての縄文生活が分かるわけではありません。異なる遺跡と異なる種類の資料を組み合わせて、縄文時代の姿を復元することが重要です。
上野原遺跡―早い時期からムラをつくって暮らした
鹿児島県霧島市の上野原遺跡は、縄文時代早期の定住生活を考える重要な遺跡です。
約1万600年前の段階では、道筋に沿うように多数の竪穴住居跡がつくられ、調理に使ったと考えられる集石なども見つかっています。
早期前葉の集落からは多数の竪穴住居跡が確認されており、南九州における定住化初期の大規模なムラの姿を知ることができます。
また、別の時期の区域からは、壺形土器などを意図的に埋めた遺構も確認され、儀礼に関係する場所だった可能性が考えられています。
上野原遺跡から重要なのは、縄文時代の定住生活が三内丸山遺跡のような中期の大集落から突然始まったのではないことです。縄文時代のかなり早い段階から、一定の場所にムラを営む生活が形成されていました。
資料で見る:鹿児島県「上野原遺跡」
鳥浜貝塚―木や植物まで残った「縄文のタイムカプセル」
福井県若狭町の鳥浜貝塚は、縄文時代草創期から前期を中心とする低湿地の遺跡です。
鳥浜貝塚の大きな特徴は、普通の遺跡では腐って失われやすい資料が数多く残っていたことです。植物の種子や果皮、木の葉、木製品、動物の骨などが大量に発見されています。
木製品には弓、櫂、丸木舟、櫛などがあり、骨・角・貝を加工した釣り針や装身具も見つかっています。また、漆を使った資料も出土しています。
こうした資料から、縄文時代の人々が森林や水辺の資源を細かく利用し、木材加工や漆を扱う技術をもっていたことが分かります。
鳥浜貝塚を見ると、考古学では「何があったか」だけでなく、「何が残る環境だったのか」も重要だと分かります。石器や土器だけでは見えにくい、木・植物などを利用した縄文生活を知ることができる遺跡です。
資料で見る:福井県「福井県鳥浜貝塚出土品」
加曽利貝塚―貝塚から食生活と長く続いたムラを見る
千葉県千葉市の加曽利貝塚は、日本最大級の縄文貝塚です。
縄文時代中期の北貝塚と後期の南貝塚が隣接し、長期間にわたって同じ地域でムラが営まれました。
貝塚から見つかるのは貝殻だけではありません。魚や動物の骨、植物の痕跡、土器・石器・骨角器・装身具など、さまざまな資料が残されています。
これらから、人々が海だけに依存したのではなく、海・森・陸上の多様な資源を組み合わせて食料を得ていたことが分かります。
人やイヌを埋葬した例も見つかっており、貝塚を単純な「貝殻のごみ捨て場」と考えるだけでは不十分です。貝塚には食生活だけでなく、道具の利用、ムラの継続、死者や動物の扱いなど、縄文時代の生活のさまざまな情報が残されています。
資料で見る:千葉市「加曽利貝塚」
三内丸山遺跡―大規模なムラと地域を越えたつながり
青森県の三内丸山遺跡からは、縄文時代前期から中期にかけて営まれた大規模なムラの姿を見ることができます。
多数の竪穴建物、掘立柱建物、大型建物、墓、貯蔵穴などが見つかり、ムラの中で住む場所、葬る場所、物を保存する場所などを使い分けていたことが分かります。
この遺跡については個別テーマで詳しく扱っているため、ここでは「大規模な定住集落の代表例」として位置づけます。
もう一つ重要なのが交流です。三内丸山遺跡からは、ヒスイ、黒曜石、琥珀、天然アスファルトなど、遠く離れた地域から運ばれた物資が見つかっています。
つまり、大規模なムラは周囲の地域だけで完結していたのではありません。縄文時代の人々は、定住しながらも広い地域との交流を続けていました。
資料で見る:三内丸山遺跡センター「縄文時代の扉を開く」
長者ケ原遺跡―ヒスイを加工し、各地へ送り出す
新潟県糸魚川市の長者ケ原遺跡は、縄文時代中期を中心に営まれた大規模な集落です。
この遺跡の大きな特徴が、石斧とヒスイ製品の製作です。糸魚川周辺はヒスイの代表的な産地で、縄文時代中期にはヒスイ製の大珠などが本格的につくられました。
長者ケ原遺跡では、完成品だけでなく製作途中の資料も見つかっており、ヒスイや石斧を加工する生産拠点だったことが分かります。
そして、そこでつくられた加工品は各地へ運ばれました。さらに、遺跡から出土した資料には他地域との交流を考える手がかりもあります。
長者ケ原遺跡を見ると、縄文時代のムラでは自分たちが使う物だけをつくっていたわけではなく、地域特有の資源を加工し、他地域との交流の中で広げていた例があることが分かります。
資料で見る:糸魚川市「長者ケ原遺跡とは」
大湯環状列石とキウス周堤墓群―地域によって異なる墓と祭祀
縄文時代後期には、共同体が多くの労力をかけてつくった墓や祭祀に関係する大規模な施設が、各地で見られるようになります。
秋田県鹿角市の大湯環状列石では、万座環状列石と野中堂環状列石という二つの大きな環状列石がつくられました。周囲には墓や建物があり、土偶・石棒など祭祀や儀礼に関係すると考えられる資料も見つかっています。
一方、北海道千歳市のキウス周堤墓群では、紀元前1200年ごろ、大規模な共同墓地がつくられました。
周堤墓は、地面を円形に掘り、その土を周囲へ環状に積み上げ、内側に複数の墓を配置したものです。キウス周堤墓群には9基が確認され、最大のものは外径83メートルに達します。
大湯では石を並べた環状列石、キウスでは土を大きく掘り積み上げた周堤墓というように、死者を葬り共同体で利用する大規模な場所にも、地域によって異なる形がありました。
これは、縄文時代の墓や祭祀を一つの形式で考えてはいけないことを示しています。施設の形も、そこで行われた活動も、地域や時期によって違っていたと考えることが重要です。
資料で見る:北海道・北東北の縄文遺跡群「大湯環状列石」
資料で見る:北海道・北東北の縄文遺跡群「キウス周堤墓群」
亀ヶ岡石器時代遺跡―縄文晩期の亀ヶ岡文化を見る
青森県つがる市の亀ヶ岡石器時代遺跡は、縄文時代晩期の亀ヶ岡文化を考える代表的な遺跡です。
紀元前1000〜400年ごろの遺跡で、台地上には多数の土坑墓が集まる墓域があり、土器などの供献品や玉類などの副葬品が見つかっています。
台地の周囲にある低湿地からは、漆塗りの土器や漆器、土偶、植物製品、ヒスイ製の玉類などが出土しています。残りにくい有機物や漆製品が残ったことで、縄文晩期の高い加工技術や儀礼に関わる活動を具体的に見ることができます。
この遺跡から出土した大型土偶は、目の部分の特徴から遮光器土偶という名称が生まれるきっかけとなった資料としても知られています。
亀ヶ岡文化は精緻な土器や土偶で知られますが、それだけを「縄文晩期の標準的な姿」と考えてはいけません。東北北部を中心に発達した地域文化の代表例として理解することが大切です。
資料で見る:北海道・北東北の縄文遺跡群「亀ヶ岡石器時代遺跡」
八つの遺跡を比べると、縄文時代の広がりが見える
ここまで見た遺跡は、すべて縄文時代の遺跡ですが、同じものが残されているわけではありません。
上野原遺跡では早期の定住的なムラ、鳥浜貝塚では木製品・植物・漆などの有機質資料、加曽利貝塚では長期間続いた集落と多様な食生活、三内丸山遺跡では大規模なムラと遠距離交流、長者ケ原遺跡ではヒスイなどの加工と地域間交流が重要な資料となっています。
さらに、大湯環状列石とキウス周堤墓群を比べると墓・祭祀施設の地域差が見え、亀ヶ岡石器時代遺跡からは縄文晩期の東北北部に発達した地域文化を見ることができます。
それぞれ別の側面から、縄文時代の人々の暮らしと社会を教えてくれます。
ここから特に重要なのは、「縄文時代の人々はみんな同じ生活をしていた」と考えないことです。
縄文時代は1万年以上続き、日本列島は南北にも長いため、環境、食料、集落の規模、土器、道具、墓、祭祀などには大きな地域差・時期差がありました。
一つの遺跡で分かったことを、そのまま縄文時代全体の標準像にしてはいけません。
「有名な遺跡名」を覚えるだけではない
縄文時代の遺跡を勉強すると、遺跡名が多く出てきます。
しかし、遺跡名だけを暗記しても、縄文時代の理解にはなかなかつながりません。
大切なのは、「遺跡 → 見つかった資料 → そこから分かること」をセットにすることです。
たとえば、鳥浜貝塚なら「木製品や植物が残る → 縄文時代の植物利用や漆の技術まで分かる」、長者ケ原遺跡なら「ヒスイ加工 → 生産と遠距離交流」、キウス周堤墓群なら「大規模な周堤墓 → 北海道の共同墓地と墓制」とつなげて理解します。
また、このページで扱った八つだけが重要な縄文遺跡という意味でもありません。日本列島には非常に多くの縄文遺跡があります。ここでは、縄文時代の異なる側面を理解しやすい代表例として選んでいます。
遺跡名を単独で暗記するのではなく、「何が見つかり、そこから何が分かるのか」をセットで覚えることが重要です。
このページで覚えたいこと
上野原遺跡 → 縄文時代早期の定住的なムラ
鳥浜貝塚 → 木製品・植物・漆など、残りにくい有機質資料
加曽利貝塚 → 貝塚から分かる食生活と長期間続いた集落
三内丸山遺跡 → 大規模なムラと遠距離交流
長者ケ原遺跡 → ヒスイ加工と地域間交流
大湯環状列石 → 石を用いた墓・祭祀と共同体
キウス周堤墓群 → 土を大規模に掘り積み上げた共同墓地
亀ヶ岡石器時代遺跡 → 縄文晩期の亀ヶ岡文化と墓・漆・土偶
遺跡によって見える縄文時代の姿が違うこと自体が、縄文文化の長い時間と大きな地域差を示しています。
Review
入試で押さえるポイント
- 上野原遺跡は鹿児島県にあり、縄文時代早期の定住的な大規模集落を知る代表的な遺跡
- 鳥浜貝塚は福井県にあり、低湿地の環境によって木製品・植物などの有機質資料が多く残った
- 加曽利貝塚は千葉県にある日本最大級の貝塚で、食生活や長期間続いた集落を考えることができる
- 三内丸山遺跡は青森県にある前期〜中期の代表的な大規模集落で、遠距離交流も確認できる
- 長者ケ原遺跡は新潟県糸魚川市にあり、ヒスイ・石斧の加工と流通の拠点だった
- 大湯環状列石は秋田県にあり、縄文時代後期の墓・祭祀・共同体を考える代表的な遺跡
- キウス周堤墓群は北海道千歳市にあり、紀元前1200年ごろの大規模な共同墓地。9基の周堤墓が確認されている
- 亀ヶ岡石器時代遺跡は青森県つがる市にあり、縄文晩期の墓・漆製品・土偶・玉類などから亀ヶ岡文化を考える代表的な遺跡
- 縄文時代の遺跡は時期・地域によって大きく異なり、一つの遺跡を縄文時代全体の標準像にしない
Check
理解度チェック
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0 / 5 問回答
- 問1
縄文時代の代表的な遺跡を一つ詳しく調べれば、日本列島全体の縄文生活をそのまま復元できる。
遺跡によって残る資料や時期・地域が異なるため、一つの遺跡だけで縄文時代全体を説明することはできません。異なる遺跡と資料を組み合わせて考える必要があります。
本文の該当箇所を確認する - 問2
上野原遺跡は、縄文時代のかなり早い段階から一定の場所にムラを営む生活が形成されていたことを考える重要な資料である。
上野原遺跡では縄文時代早期の多数の竪穴住居跡などが確認されており、南九州における定住化初期のムラを考える資料になります。ただし、その姿を全国へ一般化はできません。
本文の該当箇所を確認する - 問3
鳥浜貝塚では低湿地の環境によって、通常は腐りやすい木製品や植物などの有機質資料が多く残った。
鳥浜貝塚では水分の多い環境が有機物の保存に適し、木製品・植物の種子や果皮など、通常の遺跡では失われやすい資料が多く残りました。
本文の該当箇所を確認する - 問4
長者ケ原遺跡でヒスイ製品の完成品だけでなく製作途中の資料も見つかり、加工品が各地へ運ばれていることは、生産と地域間交流を考える手がかりになる。
長者ケ原遺跡ではヒスイや石斧の製作途中の資料が確認され、生産拠点だったことが分かります。加工品が各地へ広がったことと合わせ、地域間交流を考えられます。
本文の該当箇所を確認する - 問5
鳥浜貝塚などから植物や動物の遺物が見つかれば、当時の人々が毎日何をどの量食べたかまで正確に復元できる。
出土資料から利用した食料や資源を考えることはできますが、残り方には環境や保存条件の偏りがあります。日々の食事内容や量までそのまま正確に復元できるわけではありません。
本文の該当箇所を確認する
Result
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Timeline
関連する年表
前後の出来事とつなげて位置を確認できます。
Sources
参考資料
- 上野原遺跡鹿児島県教育委員会
縄文時代早期の竪穴住居群と、定住化初期の大規模集落を確認。
- 上野原遺跡の紹介鹿児島県上野原縄文の森
竪穴住居群、集石、土器埋納遺構などを確認。
- 福井県鳥浜貝塚出土品福井県
木製品、植物遺存体、骨角器、漆を用いた資料などを確認。
- 加曽利貝塚千葉市
貝塚の年代、食料残滓、集落、人・イヌの埋葬などを確認。
- 縄文時代の扉を開く三内丸山遺跡センター
集落内の土地利用と、ヒスイ・黒曜石・琥珀・アスファルトなどの交流・交易を確認。
- 長者ケ原遺跡とは糸魚川市
ヒスイ・石斧の製作、流通、他地域との交流を確認。
- 大湯環状列石北海道・北東北の縄文遺跡群
環状列石、墓、建物、祭祀・儀礼に関わる遺物を確認。
- キウス周堤墓群北海道・北東北の縄文遺跡群
紀元前1200年ごろの9基の周堤墓、最大外径83メートルの大規模な共同墓地を確認。
- 亀ヶ岡石器時代遺跡北海道・北東北の縄文遺跡群
縄文晩期の土坑墓群、供献品・副葬品、漆塗り土器・漆器、土偶、植物製品、ヒスイ製玉類を確認。