← 縄文時代の年表へ戻る
縄文時代縄文時代前期〜中期を中心に社会・経済重要度 A

黒曜石とヒスイから見る縄文時代の遠距離交易こくようせきとひすいからみるじょうもんじだいのえんきょりこうえき

一言でいうと

縄文時代の遺跡からは、その土地では採れない黒曜石やヒスイなどが見つかっています。産地の限られた物資が遠く離れた場所まで運ばれていることから、縄文時代のムラは孤立していたのではなく、人や物が移動する広い地域間交流によって結ばれていたことが分かります。

産地の限られた物から交流を読み取る

縄文時代の遺跡では、黒曜石こくようせき、ヒスイ、天然アスファルトなど、その地域では手に入らない物資が見つかることがあります。

こうした物資は産出する場所が限られているため、「どこで採れた物なのか」と「どこから出土したのか」を比べることで、物がどれほど遠くまで移動したのかを考えることができます。

特に黒曜石では、産地によって含まれる元素の特徴が異なります。出土した石器と各地の原石を科学的に比較することで、どの産地の黒曜石が使われた可能性が高いのかを調べることができます。

つまり、縄文時代の遠距離交流は想像だけで考えられているのではありません。発掘された物と自然科学的な分析を組み合わせることで、地域間のつながりを具体的に調べることができます。

黒曜石―石器の材料が長距離を移動する

黒曜石は、火山活動によってできた天然ガラス質の石です。割ると鋭い刃をつくりやすいため、石鏃やナイフなどの石器の材料として利用されました。北海道や中部地方をはじめ、日本列島にはいくつもの代表的な産地があります。

しかし、黒曜石を利用していたのは産地の近くに暮らす人々だけではありません。

たとえば東京都の縄文時代中期の遺跡からは、伊豆諸島の神津島こうづしま産と分析された黒曜石製石器が見つかっています。神津島は本州から海を隔てているため、黒曜石が海を越えて運ばれていたことが分かります。

北海道産の黒曜石が本州で見つかる例などもあり、黒曜石は地域を越えて広く移動していました。三内丸山遺跡で北海道や長野県など遠方の黒曜石が見つかっているのも、その一例です。

画像で見る:文化遺産オンライン「黒曜石原石」

ヒスイ―糸魚川から各地へ広がる

ヒスイも、縄文時代の遠距離交流を考える代表的な資料です。

現在の新潟県糸魚川いといがわ周辺は、日本列島を代表するヒスイ産地です。縄文時代にはこの地域でヒスイが加工され、大珠などの装身具がつくられました。

糸魚川市の長者ケ原遺跡ちょうじゃがはらいせきでは、縄文時代中期になるとヒスイ製の大珠たいしゅなどが本格的につくられ、加工品を各地へ供給する拠点となっていました。

黒曜石が主に石器の材料として重要だったのに対し、ヒスイは装身具などにも使われました。用途の異なるさまざまな物が広い範囲を移動していたことが重要です。

資料で見る:糸魚川市「長者ケ原遺跡とは」

道具を支える天然アスファルトも運ばれた

遠くまで運ばれたのは、黒曜石やヒスイだけではありません。

縄文時代には天然アスファルトが、石器などの道具をつくったり修理したりするときの接着剤として利用されました。産地から離れた遺跡でも見つかっており、生活や道具づくりに使う実用品も地域間を移動していたことが分かります。

三内丸山遺跡でも、黒曜石やヒスイとともに、日本海側の地域から持ち込まれたと考えられるアスファルトが確認されています。

陸路だけでなく、海を越える交流もあった

縄文時代の人々の移動は陸上だけではありませんでした。各地の縄文遺跡から丸木舟が見つかっており、海や川も人や物を運ぶ経路として利用されました。

神津島産の黒曜石が本州で見つかることは、海を越えた物資移動を示す分かりやすい例です。また、北海道と本州の間でも黒曜石などの物資の移動が確認されています。

日本列島の海は地域を隔てるだけのものではなく、人々を結ぶ経路にもなっていました。

ただし、見つかった物だけから「一人の人が産地から出土地まで直接運んだ」と判断することはできません。複数の地域や集団を経由して、少しずつ物が移動した可能性もあります。

「交易」を現代の商売と同じにしない

ここでいう「交易」は、遠く離れた地域の間で物資が移動し、交換されていた現象をまとめて表す言葉です。

現代のように店があり、お金を使って商品を売買していたという意味ではありません。また、専門の商人がいて決まった交易路を往復していたと断定することもできません。

物が贈られたのか、別の物と交換されたのか、人の移動に伴って持ち運ばれたのか、複数の集団を経由したのかなど、具体的な仕組みには分からない部分があります。

「物が遠距離を移動したこと」と、「その交換の仕組みまで分かっていること」は区別して考える必要があります。

遠距離交易から分かる縄文社会

黒曜石やヒスイなどの分布から最も重要なのは、縄文時代のムラがそれぞれ完全に孤立して暮らしていたわけではないということです。

人々は周囲の自然から食料や材料を得ながら生活する一方で、自分たちの地域では手に入らない物を、他地域との関係を通じて得ていました。

三内丸山遺跡で見た大規模なムラも、周辺だけで完結した社会ではありませんでした。遠距離交易を見ることで、個々のムラの生活から、さらに広い「地域どうしのつながり」へ視野を広げることができます。

ただし、日本列島全体に一つの統一された交易網が存在したと考える必要はありません。縄文時代は長く、地域ごとの文化や交流の範囲も変化しました。遠距離交易も、地域差・時期差のある複数の交流関係として理解することが大切です。

このページで覚えたい流れ

産地の限られた物資がある → 遠方の遺跡から同じ物資が見つかる → 産地分析などで移動を確認する → 黒曜石・ヒスイなどが陸路や海路を通じて広がる → 縄文時代のムラが広い地域間交流によって結ばれていたことが分かる

ただし、物が移動した経路や交換方法のすべてが分かっているわけではありません。「遠距離交流があった」という確かな部分と、「どのように交換したのか」という未解明の部分を分けて理解しましょう。

Review

入試で押さえるポイント

  • 黒曜石・ヒスイなど、産地の限られる物資が遠隔地から出土し、縄文時代に広域的な交流があったことが分かる
  • 黒曜石は石器の重要な材料で、科学的な産地分析によって遠距離移動を調べることができる
  • ヒスイは糸魚川周辺が代表的な産地で、縄文時代中期には大珠などに加工され各地へ供給された
  • 天然アスファルトなど、道具づくりに使う実用品も地域間を移動していた
  • 神津島産黒曜石などから、海を越える物資移動があったことも確認できる
  • 縄文時代の「交易」を、貨幣・市場・専門商人を前提とする現代の商取引と同じものとして考えない

Check

理解度チェック

各文が正しいか、○か×で答えてください。回答すると、その場で解説を確認できます。

0 / 5 問回答

  1. 問1

    黒曜石の産地分析で原産地を推定できても、その石を誰がどの経路で運んだかまで自動的に分かるわけではない。

  2. 問2

    本州の遺跡から神津島産黒曜石が見つかることは、産地から出土地まで一人の人が直接運んだことを証明する。

  3. 問3

    糸魚川周辺でヒスイ加工の痕跡があり、ヒスイ製品が遠方でも見つかることは、地域を越えた物資移動を考える根拠になる。

  4. 問4

    黒曜石やヒスイの遠距離移動が確認できるため、縄文時代には貨幣を使う市場と専門商人が存在したことも分かっている。

  5. 問5

    縄文時代の海や川は地域を隔てるだけでなく、人や物を運ぶ経路としても利用された。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 黒曜石・ヒスイなどの遠距離交易が盛んになる
  2. 三内丸山遺跡で大規模な集落が営まれる

Sources

参考資料

  1. 縄文時代ってどんな時代?茅野市

    黒曜石・ヒスイの遠距離移動と理化学的な産地分析を確認。

  2. 今月の逸品東京都埋蔵文化財センター

    縄文時代中期の神津島産黒曜石と海を越える物資移動を確認。

  3. 長者ケ原遺跡とは糸魚川市

    縄文時代中期のヒスイ大珠製作と、加工品を各地へ供給した拠点であることを確認。

  4. 我が国を代表する北の縄文集落:特別史跡三内丸山遺跡文化庁

    北海道・長野県産の黒曜石、新潟県産ヒスイ、日本海側から持ち込まれたと考えられるアスファルトなど、三内丸山遺跡の交流・交易を確認。

  5. 縄文時代について北海道・北東北の縄文遺跡群

    丸木舟を利用した遠方との交流・交易と、ヒスイ・アスファルト・黒曜石の移動を確認。