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平成時代1990年代を中心に社会・経済重要度 A

「1.57ショック」と少子化対策―出生率低下はなぜ国家的な人口政策課題となったのかいってんごななしょっくとしょうしかたいさく しゅっしょうりつていかはなぜこっかてきなじんこうせいさくかだいとなったのか

一言でいうと

1990年、前年1989年の合計特殊出生率が1.57だったことが公表され、1966年の丙午(ひのえうま)の1.58を下回ったことから「1.57ショック」と呼ばれました。出生率の低下自体は1970年代半ばから続いていましたが、この数字を契機に少子化が一時的な変動ではなく、将来の人口・労働力・社会保障や子育て環境に関わる政策課題として強く認識されるようになります。背景には晩婚化・未婚化、仕事と子育ての両立の難しさ、育児負担、住宅事情や子育て費用など複数の要因があり、個人の価値観だけで説明することはできません。政府は1994年にエンゼルプランを策定し、保育サービス、雇用環境、母子保健、住宅、教育、経済的負担などを含む総合的な子育て支援へ踏み出しました。ただし出生率低下はその後も続き、少子化対策は1990年代後半以降さらに拡充されていきます。

「1.57ショック」は、何が衝撃だったのか

合計特殊出生率とは、その年の15〜49歳女性の年齢別出生率を合計し、現在の出生状況が続いた場合に一人の女性が生涯に産む子どもの数に相当する指標です。1989年の値は1.57となり、翌1990年に公表されると大きな注目を集めました。

注目された理由の一つは、1966年の丙午に記録した1.58を下回ったことです。1966年の低下には丙午の出生を避けようとする一時的な行動が大きく影響しましたが、1989年の1.57はそうした特殊な暦年要因では説明できませんでした。しかも出生率は1975年に2を下回って以降低下傾向を続けており、人口再生産の長期的な変化として受け止められるようになったのです。

「1.57ショック」は1989年に突然少子化が始まったという意味ではありません。長く進んでいた出生率低下が1990年の公表を契機に政策問題として強く可視化された出来事です。

出生率は、なぜ低下していたのか

1990年代初めの政府の整理では、少子化の直接的な要因として晩婚化の進行が重視され、夫婦が持つ子どもの数にも低下の兆しがあるとされました。日本では婚姻外の出生が比較的少ないため、結婚する年齢が上がることや結婚しない人が増えることは出生率に強く影響します。

しかし、晩婚化・未婚化を単なる価値観の変化として片付けることはできません。エンゼルプランは、女性の就業拡大に対して仕事と育児を両立しやすい環境が十分でないこと、育児の心理的・身体的負担、住宅事情、教育を含む子育て費用などを背景として挙げました。結婚・出産の選択は、雇用、家族内の役割分担、保育サービス、住居、所得など複数の社会条件と結び付いていたのです。

なぜ少子化が国家的な政策課題になったのか

出生数が長期的に減ると、将来の子どもや若者の人口が小さくなります。政府は、子ども同士の交流機会が減ることなど子どもの成長環境への影響に加え、将来の若年労働力の減少、社会保障を支える現役世代の負担増大などを懸念しました。少子化は家庭だけの問題ではなく、人口構成と社会制度の持続性に関わる問題として扱われるようになります。

ただし、政策の目的を出生数の増加だけに単純化すると、当時の対策の重要な側面を見落とします。政府は、子どもを持ちたい人が希望を実現しやすくし、安心して子どもを生み育てられる環境を整えるという考え方を掲げました。少子化対策は人口政策であると同時に、働き方や子育て支援の環境整備でもあったのです。

1994年のエンゼルプランは、何を変えようとしたのか

1994年12月、文部・厚生・労働・建設の4大臣合意により、最初の総合的な少子化対策と位置付けられるエンゼルプランが策定されました。仕事と育児の両立支援、多様な保育サービス、母子保健、住宅・生活環境、教育・健全育成、子育て費用の軽減などを幅広く対象としました。

翌1995年度からは緊急保育対策等5か年事業が進められ、低年齢児保育や延長保育など保育サービスの量と種類を増やす取り組みが具体化しました。1992年に施行された育児休業法も含め、1990年代には『家庭だけで子育てを担う』ことを前提にするのではなく、職場・保育・地域を含めて支援する方向が強まっていきます。

対策を始めても、なぜ少子化はすぐ反転しなかったのか

エンゼルプラン後も合計特殊出生率は低下し、1999年には1.34となりました。保育サービスを増やすだけで、結婚・出産に関わる雇用、所得、長時間労働、家族内の役割分担、住宅や教育費などの条件を短期間で変えることはできなかったからです。少子化は複数の社会構造が重なった長期的な変化でした。

政府は1999年に新エンゼルプランを策定し、2000年代には少子化社会対策基本法などへ政策を広げていきました。ここで重要なのは、1990年の1.57という数字だけではなく、それをきっかけに出生率低下を社会全体の制度設計と結び付けて考える政策領域が形成されたことです。総人口の減少や高齢化との本格的な関係は、後続のテーマで分けて扱います。

Review

入試で押さえるポイント

  • 1989年の合計特殊出生率1.57が1990年に公表され、1966年の丙午の1.58を下回ったことから「1.57ショック」と呼ばれたこと
  • 出生率低下は1989年に突然始まったのではなく、1970年代半ば以降の長期的な低下が背景にあったこと
  • 少子化の背景には晩婚化・未婚化、仕事と子育ての両立困難、育児負担、住宅・子育て費用など複数の社会条件があり、個人の価値観だけでは説明できないこと
  • 1994年に4大臣合意でエンゼルプランが策定され、保育・雇用・母子保健・住宅・教育・経済的負担を含む総合的な子育て支援が進められたこと
  • 少子化対策開始後も出生率低下が続き、1999年の新エンゼルプランなどへ政策が拡充されたこと

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  1. 問1

    1989年の合計特殊出生率1.57は、日本で少子化がその年に初めて始まったことを示す数字だった。

  2. 問2

    出生率低下の背景には晩婚化・未婚化だけでなく、仕事と育児の両立、育児負担、住宅や子育て費用など複数の社会条件が関わっていた。

  3. 問3

    少子化対策の目的は出生数を増やすことだけに限定され、仕事と子育てを両立しやすくする環境整備は政策目的に含まれていなかった。

  4. 問4

    1994年のエンゼルプランは保育だけでなく、雇用環境、母子保健、住宅、教育、子育て費用などを含む総合的な支援を対象とした。

  5. 問5

    エンゼルプラン策定後、合計特殊出生率はすぐに反転上昇し、1990年代末には少子化対策を拡充する必要がなくなった。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 前年の合計特殊出生率1.57が公表され「1.57ショック」と呼ばれる
  2. 女性の就業・社会参加が拡大し男女共同参画政策が進む

Sources

参考資料

  1. (参考)これまでのこども・子育て政策の変遷 ~1.57ショックからの30年~厚生労働省

    1.57ショック、1994年エンゼルプラン、緊急保育対策等5か年事業など少子化対策の政策史を確認

  2. Q3 少子化対策に関する現行制度は、どのようになっていますか内閣府

    1990年の1.57ショックと1994年エンゼルプランの位置付け、当時整理された少子化の背景要因を確認

  3. Q2 どうして日本では少子化が深刻化しているのですか内閣府

    未婚化・晩婚化、就業・子育て環境など出生率低下に関わる複数要因を確認

  4. 平成16年人口動態統計月報年計(概数)の概況 参考資料1厚生労働省

    1989年1.57、1994年1.50、1999年1.34など合計特殊出生率の推移を確認