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大正時代1915〜1918年政治・外交重要度 A

二十一か条の要求と西原借款―第一次世界大戦中、日本は中国への影響力をどう拡大したのかにじゅういっかじょうのようきゅうとにしはらしゃっかん だいいちじせかいたいせんちゅう にほんはちゅうごくへのえいきょうりょくをどうかくだいしたのか

一言でいうと

1914年に青島を占領した日本は、翌1915年、第一次世界大戦で欧州列強が欧州戦線へ力を集中するなか、中国の袁世凱政府へ二十一か条の要求を提出しました。山東の旧ドイツ権益の処理、南満州・東部内蒙古での権益延長、漢冶萍公司をめぐる要求などに加え、第5号には中国政府への日本人顧問採用など、中国の内政へ深く関わる内容が含まれていました。中国側は交渉を続け、要求内容を外部へ知らせて英米などの反応も利用しようとしましたが、日本は1915年5月に最後通牒を出し、中国政府は第5号の大部分が除かれた最後通牒を受諾しました。その後、寺内正毅内閣は段祺瑞政権への西原借款を通じ、軍事的圧力だけでなく資金供与によって中国政治への影響力を広げようとします。さらに1917年の石井・ランシング協定、1918年の日華共同防敵軍事協定によって、対米調整や日中軍事協力も組み合わせました。ただし、こうした政策は中国側の反発や国際的な警戒を強め、第一次世界大戦後の山東問題や五・四運動へつながる対立を残しました。

青島占領の次に、日本はなぜ中国へ要求を出したのか

1914年11月、日本軍は中国の山東半島にあったドイツの膠州湾租借地の中心・青島を攻略しました。すると次の問題は、戦争中に占領した山東の旧ドイツ権益を戦後も日本の権益として確保できるかどうかになりました。

第一次世界大戦ではイギリス・フランス・ドイツなど欧州列強が欧州の戦争へ多くの力を向けていました。大隈重信内閣と加藤高明外相はこの状況を利用し、山東だけでなく南満州・東部内蒙古などで日本の権益を強化しようとしました。

1915年1月18日、日本政府は中国の袁世凱えんせいがい政府に二十一か条の要求にじゅういっかじょうのようきゅうを提出しました。これは青島占領後の権益処理だけではなく、日本が中国で持つ政治的・経済的な影響力をさらに広げようとする要求でした。

二十一か条の要求は何を求め、中国はどう対応したのか

要求は五つのグループからなりました。第1号は山東におけるドイツ権益の日本への継承、第2号は南満州・東部内蒙古での租借期限などの延長と権益拡大、第3号は漢冶萍公司かんやひょうこんすをめぐる日中共同経営、第4号は中国沿岸を他国へ割譲・貸与しないことなどを求めました。

特に中国側が強く反発したのが第5号です。そこには政治・財政・軍事面での日本人顧問の採用、警察や兵器調達に関する要求など、中国政府の内政や統治へ深く関わる内容が含まれていました。

中国政府は要求をそのまま受け入れたわけではありません。交渉を長引かせる一方、秘密交渉とされていた要求内容を外部へ知らせ、英米などの警戒も利用しながら要求の縮小を図りました。日本政府は交渉が行き詰まると5月7日に最後通牒を出し、中国政府は5月9日にこれを受諾しました。5月25日に条約・交換公文が成立しましたが、第5号の大部分は最終的な合意から除かれました。

「二十一か条すべてを中国がそのまま受諾した」と覚えるのは不正確です。中国側は交渉を続け、第5号の大部分は最後通牒・最終合意から除かれました。一方、山東や南満州・東部内蒙古に関する重要な権益は日本側に認められました。

西原借款は軍事的圧力と何が違ったのか

1916年10月に成立した寺内正毅内閣は、対中国政策で金融・経済的な手段を積極的に使いました。寺内首相の意向を受けた西原亀三にしはらかめぞうは、北京政府の実力者段祺瑞だんきずいと接触し、日本興業銀行・台湾銀行・朝鮮銀行などを通じて借款を進めました。

1917〜1918年に結ばれた一連の西原借款にしはらしゃっかんは8契約、総額1億4500万円に達しました。交通銀行への融資、鉄道・電信・森林・鉱山に関する借款や前貸し、参戦借款などが含まれ、日本側は大戦景気で蓄積した資金を用いて段祺瑞政権との関係を強めようとしました。

ただし、中国側を単なる受け手と見るのも不正確です。辛亥革命後の中国では北京政府内の政治対立が続き、段祺瑞政権も自らの政権運営や軍事・財政のため資金を必要としていました。日本の資金と段政権の資金需要が結びついた一方、借款が特定の政治勢力を支えることには中国国内で反発が生じ、日本国内でも国際協調を重視する立場から批判が出ました。

石井・ランシング協定と共同防敵軍事協定は何を意味したのか

中国への影響力拡大は、借款だけではありませんでした。1917年11月、日本の特使石井菊次郎とアメリカ国務長官ランシングの間で石井・ランシング協定いしいらんしんぐきょうていが成立しました。アメリカは中国における日本の「特殊利益」を認める一方、日米両国は中国の独立・領土保全と門戸開放・機会均等を支持することも確認しました。

したがって、この協定を「アメリカが日本の中国支配や二十一か条の要求を全面的に承認した」と理解するのは適切ではありません。日本の特殊利益を認める文言と、中国市場での門戸開放・機会均等を維持する原則を併記した、日米間の妥協的で曖昧さを残す合意でした。

さらに1918年5月、日本と北京政府の陸海軍当局は、陸軍・海軍それぞれの共同防敵軍事協定を結びました。一般に日華共同防敵軍事協定にっかきょうどうぼうてきぐんじきょうていと呼ばれます。ロシア革命後、ドイツなど敵国の勢力がロシアを通じて東方へ及ぶ可能性への共同防衛を名目としましたが、日本にとっては中国北部・満州方面で軍事協力の枠組みを広げる意味も持ちました。

影響力の拡大はなぜ中国の反発を強めたのか

1915〜1918年の日本は、青島占領後の軍事的優位を背景に、二十一か条の要求による条約・交換公文、西原借款による資金供与、石井・ランシング協定による対米調整、日華共同防敵軍事協定による軍事協力を組み合わせました。影響力の拡大は一つの方法だけで進められたのではありません。

しかし、この政策は安定した日中協力を生みませんでした。二十一か条の要求は中国の主権を圧迫するものとして強い反発を招き、西原借款も段祺瑞政権など特定の政治勢力を支える政策と見られました。日本の対中政策への不信は、中国国内だけでなく英米などにも広がりました。

第一次世界大戦が終わると、日本はパリ講和会議で山東の旧ドイツ権益を引き継ぐことを求めます。これに中国側が反発し、1919年の五・四運動へつながっていきます。次のTopicでは、山東問題がなぜ大規模な反日・反帝国主義運動へ発展し、最終的に山東還付へ向かったのかを扱います。

Review

入試で押さえるポイント

  • 1915年1月18日、大隈重信内閣は袁世凱政府へ二十一か条の要求を提出した
  • 要求は山東の旧ドイツ権益、南満州・東部内蒙古、漢冶萍公司などに加え、第5号に日本人顧問採用などを含んだ
  • 中国政府は交渉と要求内容の外部公表で縮小を図ったが、日本は5月7日に最後通牒を出し、中国は5月9日に受諾した
  • 第5号の大部分は最終合意から除かれており、二十一か条すべてがそのまま条約化されたわけではない
  • 1917〜1918年の西原借款は段祺瑞政権への大規模な資金供与を通じ、日本の政治・経済的影響力を広げようとした政策
  • 1917年の石井・ランシング協定と1918年の日華共同防敵軍事協定は、対米調整と日中軍事協力という別の手段を加えた

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0 / 5 問回答

  1. 問1

    二十一か条の要求は、中国政府が21か条すべてをそのまま受け入れ、全項目が条約化された。

  2. 問2

    二十一か条の要求の第5号には、日本人顧問の採用など中国の内政・統治へ深く関わる要求が含まれていた。

  3. 問3

    西原借款は、日本が軍事力だけではなく資金供与を通じて段祺瑞政権との関係を強めようとした政策だった。

  4. 問4

    石井・ランシング協定によって、アメリカは日本による中国支配と二十一か条の要求を全面的に承認した。

  5. 問5

    1915〜1918年の日本の対中政策は、要求・借款・対米協定・軍事協力など複数の手段を組み合わせて進められた。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 日本軍がドイツの租借地青島を占領する
  2. 日本政府が中国の袁世凱政権に二十一か条の要求を提出する
  3. 日本政府が段祺瑞政権を西原借款で支援する
  4. 石井・ランシング協定が結ばれる
  5. 日華共同防敵軍事協定が結ばれる

Sources

参考資料

  1. 大正4年(1915)1月|対華21か条要求を中国に行う:日本のあゆみ国立公文書館

    二十一か条の要求の構成、1915年5月の最後通牒・受諾、最終的な条約成立を確認

  2. 対華二十一カ条要求国立公文書館 アジア歴史資料センター

    要求の各グループ、中国側の反発・要求内容の漏洩、英米の警戒、最終合意までの交渉経過を確認

  3. 第1部第3章 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動外務省

    寺内内閣期の西原借款の契約件数・総額・政策目的、石井・ランシング協定の内容を確認

  4. 外交史料館 日本外交文書デジタルコレクション 大正6年(1917年)第3冊外務省

    中国問題に関する日米交渉と石井・ランシング協定関係史料の所在を確認

  5. 日中軍事協定締結ニ関スル件外務省

    1918年5月の日中陸海軍共同防敵軍事協定の締結を外交文書で確認