第一次世界大戦への参戦と青島・南洋諸島―日本はなぜヨーロッパの戦争を東アジア・太平洋の権益拡大へ結びつけたのか
一言でいうと
1914年7月、ヨーロッパで第一次世界大戦が始まると、日本政府は日英同盟を根拠の一つとしてドイツに参戦しました。イギリス側の当初の要請は中国近海のドイツ艦艇への対処を求める限定的なものでしたが、大隈重信内閣と加藤高明外相は、戦争を東アジアでの外交・安全保障上の機会とも捉え、8月23日にドイツへ宣戦布告します。日本軍は中国領山東半島にあるドイツの膠州湾租借地を攻撃し、11月に青島を攻略しました。同時に海軍は、赤道以北にあったドイツ領南洋諸島を9〜10月に占領します。日本の主戦場はヨーロッパ西部戦線ではなく、中国沿岸と西太平洋でした。参戦によって日本はドイツが持っていた山東・南洋の拠点を押さえ、その後の対中要求、南洋群島統治、戦後の国際秩序交渉へつながる足場を得ました。したがって日本の参戦は、日英同盟への単純な義務履行だけではなく、同盟関係を利用しつつ東アジア・太平洋で自国の影響力を広げようとした政策として理解する必要があります。
ヨーロッパの戦争に日本はなぜ参戦したのか
1914年7月28日、オーストリア=ハンガリーがセルビアに宣戦すると、同盟関係を通じてドイツ・オーストリア側とイギリス・フランス・ロシア側の戦争が広がり、第一次世界大戦となりました。日本はヨーロッパの主要戦場から遠く離れていましたが、1902年以来イギリスと日英同盟を結んでいました。
外務省の外交史料によれば、イギリスは中国近海を航行するドイツ艦艇への対処と商船保護のため、日本海軍の支援を求めました。要請は当初、限定的な海軍協力を想定していましたが、加藤高明外相はこれを日本が戦争へ本格参加する契機として利用しました。
その背景には、同盟国イギリスへの協力だけでなく、ドイツが中国・太平洋に持つ軍事・植民地拠点を除き、日本の安全保障上の位置と外交的影響力を強める狙いもありました。日本政府の参戦を「日英同盟があったので自動的に戦争へ入った」とだけ説明すると、政府自身の政策判断が見えなくなります。
日本はどのようにドイツとの戦争へ入ったのか
1914年8月15日、日本政府はドイツに最後通牒を出し、東アジアのドイツ艦艇の撤退・武装解除と、膠州湾租借地を中国へ還付する目的で日本へ引き渡すことを求めました。ドイツが期限までに応じなかったため、日本は8月23日にドイツへ宣戦布告しました。
ここで重要なのは、青島が「ドイツ本国の都市」ではなかったことです。青島は中国の山東半島にあり、ドイツが1898年以来、膠州湾租借地の中心として軍港・商港を整備していた拠点でした。したがって日本の対独戦は、中国領内に存在したドイツの権益をめぐる戦いでもありました。
日本はイギリスと同じ側で参戦しましたが、欧州へ大規模な陸軍主力を送って西部戦線で戦ったわけではありません。日本の軍事行動は、主として東アジアの青島と西太平洋のドイツ拠点に向けられました。
日本の第一次世界大戦参戦は、欧州西部戦線への大規模派兵ではありません。主な軍事行動は中国の青島と西太平洋のドイツ領南洋諸島で行われました。
青島攻略は何をもたらしたのか
日本海軍は8月末に膠州湾を封鎖し、陸軍第18師団などが山東半島へ上陸しました。イギリス軍の部隊も参加し、日本・イギリス側はドイツ軍が守る青島を包囲して攻撃しました。
戦闘の末、ドイツ側は1914年11月7日に降伏し、日本軍は青島を占領しました。国立国会図書館によれば、この攻略によって4,500人を超えるドイツ人俘虜が生じ、日本各地の収容所へ送られました。
軍事的にはドイツの東アジア拠点を排除したことになりますが、外交的にはより大きな問題を残しました。日本は占領後、ドイツが山東で持っていた権益を自国へ引き継ぐ方向で動き、翌1915年の二十一か条の要求へつなげていきます。ここでは青島攻略までを押さえ、対中要求の具体的内容は次のTopicで扱います。
日本はなぜ南洋諸島も占領したのか
ドイツは中国の青島だけでなく、西太平洋のミクロネシアにも植民地を持っていました。日本海軍は1914年9〜10月、赤道以北のドイツ領南洋諸島を相次いで占領しました。これにはマリアナ・カロリン・マーシャル諸島などが含まれます。
これらの島々は日本の南方航路に位置し、海軍上も通商上も重要でした。占領によってドイツ海軍が利用できる拠点を減らすと同時に、日本は西太平洋での戦略的な足場を広げました。
ただし、1914年の時点でこれらの島々が直ちに日本領へ正式併合されたわけではありません。日本は占領後に軍政を敷き、第一次世界大戦後の国際的な処理を経て、赤道以北の旧ドイツ領南洋諸島を国際連盟の委任統治領として統治することになります。この展開は後の南洋群島Topicで詳しく扱います。
参戦はなぜ日本の権益拡大へつながったのか
第一次世界大戦では、ヨーロッパ列強が本国周辺の戦争へ多くの軍事力を振り向けました。日本政府にとってこれは、東アジア・太平洋にあるドイツの拠点を比較的短期間で奪う機会となりました。
その結果、日本は青島・山東の旧ドイツ権益をめぐって中国への要求を強め、南洋諸島では占領から軍政、のちの委任統治へ進みます。また、欧州からアジア市場への輸出が減ったことで日本製品の輸出が増え、大戦景気につながっていきました。
このため日本の参戦は、一つの軍事事件で完結しません。対中外交、太平洋での統治、国内経済の変化、戦後の国際秩序へ連鎖する出発点でした。日英同盟を参戦の法的・外交的な根拠の一つとして押さえつつ、日本政府が戦争を地域的な影響力拡大へ結びつけたことまで理解すると、大正期の外交史がつながります。
Review
入試で押さえるポイント
- 1914年8月23日、日本は日英同盟を根拠の一つとしてドイツに宣戦布告し第一次世界大戦へ参戦した
- イギリスの当初の要請は中国近海での限定的な海軍協力だったが、日本政府は参戦を東アジアでの外交・安全保障上の機会として広げた
- 青島は中国領山東半島にあるドイツの膠州湾租借地の中心で、日本軍はイギリス軍とともに攻撃し1914年11月に攻略した
- 日本の主な軍事行動は欧州西部戦線ではなく、中国の青島と西太平洋で行われた
- 日本海軍は1914年9〜10月に赤道以北のドイツ領南洋諸島を占領したが、この時点で日本領へ正式併合したわけではない
- 青島・南洋諸島の占領は二十一か条の要求、南洋群島の委任統治、大戦景気など大正期の外交・経済変化へつながった
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- 問1
日本は日英同盟を結んでいたため、政府の政策判断とは無関係に自動的に第一次世界大戦へ参戦した。
日英同盟は参戦の根拠の一つでしたが、イギリスの当初要請は限定的で、日本政府が東アジアでの利益も考えて本格参戦を選びました。
本文の該当箇所を確認する - 問2
日本が1914年に攻撃した青島は、中国の山東半島にあるドイツの膠州湾租借地の中心だった。
青島はドイツ本国ではなく、中国領内でドイツが租借して軍港・商港を整備していた拠点でした。
本文の該当箇所を確認する - 問3
第一次世界大戦で日本陸軍の主力はヨーロッパ西部戦線へ送られ、そこで長期の地上戦を行った。
日本の主な軍事行動は東アジアの青島と西太平洋であり、欧州西部戦線への大規模な陸軍主力派兵ではありませんでした。
本文の該当箇所を確認する - 問4
日本が1914年に占領した赤道以北のドイツ領南洋諸島は、その時点で直ちに日本領へ正式併合された。
占領後は軍政が敷かれ、戦後の国際的処理を経て国際連盟の委任統治領として日本が統治しました。
本文の該当箇所を確認する - 問5
青島・南洋諸島の占領は、その後の二十一か条の要求や南洋群島統治、大戦景気へつながる出発点となった。
参戦は軍事行動だけで終わらず、対中外交、太平洋統治、国内経済、戦後秩序へ連鎖しました。
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Timeline
関連する年表
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Sources
参考資料
- 第1部第3章 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動外務省
第一次世界大戦勃発時の英側要請、日本政府の参戦判断、対独最後通牒、青島攻略までの外交・軍事経緯を確認
- 第2章 ドイツ人俘虜がもたらした技術や文化国立国会図書館
1914年8月23日の対独宣戦、青島攻略、ドイツ人俘虜の発生を確認
- アジ歴資料にみるペリリュー島の戦い国立公文書館 アジア歴史資料センター
ドイツ領南洋諸島の由来、1914年の日本占領、軍政から戦後の委任統治への流れを確認
- 1910年代の日記より国立国会図書館 憲政資料室
第一次世界大戦勃発と日本の参戦日を年表で再確認