大戦景気から戦後恐慌へ―第一次世界大戦は日本経済をどう変えたのか
一言でいうと
第一次世界大戦は、日本経済に急激な拡大と、その反動としての深い不況を続けてもたらしました。欧州諸国が戦争で生産・輸出を縮小すると、アジア市場などで日本製品への需要が増え、軍需品に加えて綿製品・雑貨・船舶などの輸出が急増します。貿易収支が改善して海外資産も増え、日本はそれまでの債務国から債権国へ転じ、造船・鉄鋼・化学など重化学工業も成長しました。財閥や新興企業が事業を拡大し、「成金」と呼ばれる富裕層が現れる一方、物資不足と物価上昇は賃金生活者や農村の暮らしを圧迫しました。1917年には金の国外流出を防ぐため事実上の金輸出禁止が行われます。大戦が終わると欧州の生産が回復し、戦時中に急拡大した日本の輸出・生産は過剰となりました。1920年には株価や商品価格が急落して戦後恐慌が起こり、企業・商社・銀行の破綻が相次ぎます。大戦景気は単なる繁栄ではなく、日本経済を拡大・重工業化させると同時に、物価高、産業構造のひずみ、1920年代の慢性不況へつながる問題も生み出した時期でした。
なぜヨーロッパの戦争が日本の好景気につながったのか
1914年に第一次世界大戦が始まった直後、日本経済も海上輸送の混乱や貿易の停滞で一時的な打撃を受けました。しかし戦争が長期化すると状況が変わります。欧州諸国が本国の戦争へ生産力を集中し、アジア市場への輸出を減らしたため、その不足を日本製品が埋めるようになりました。
輸出増加は軍需品から始まり、綿糸・綿布、雑貨、紙、船舶などへ広がりました。ロシアなど連合国向けの軍需需要に加え、それまで欧州製品を輸入していた中国・インド・東南アジアなどで日本製品の販路が拡大しました。
こうして1915年ごろから本格化した大戦景気は、1916〜1918年にかけて特に強まりました。日本が大規模な戦場にならず生産設備を保てたことも、欧州諸国との違いでした。
大戦景気は日本の産業構造をどう変えたのか
大戦前の日本では製糸・紡績など軽工業の比重が大きい状態が続いていました。大戦中は鉄鋼、機械、造船、化学工業などへの需要が急増し、輸入に頼っていた工業製品や原料の一部を国内で生産しようとする動きが強まりました。
特に海運・造船は世界的な船舶不足と運賃上昇から急成長し、鉄鋼・機械など関連産業にも需要が波及しました。これによって日本の重化学工業は大きく成長し、明治期以来の工業化が新しい段階へ進みました。
三井・三菱・住友などの財閥は金融・貿易・鉱工業への投資を拡大し、新興企業や商社も成長しました。貿易黒字と海外への貸付増加によって、日本は対外的には債務国から債権国へ転じます。ただし、景気拡大の利益が社会全体へ均等に配分されたわけではありません。
好景気の裏で、なぜ生活は苦しくなったのか
輸出と軍需が増えると、国内で使える物資が不足し、原料・食料・生活用品の価格が上昇しました。企業利益や資産価格が伸びて『成金』と呼ばれる人々が現れる一方、賃金の上昇が物価に追いつかない労働者や俸給生活者には負担が重くなりました。
物価上昇は農村にも一様な利益をもたらしたわけではありません。販売する農産物を持つ層が利益を得る場合がある一方、肥料や生活物資の価格も上昇し、小作農や都市の低所得層などには厳しい影響が出ました。1918年の米価急騰と米騒動は、こうした大戦期の物価高の延長上に位置づけられます。
また、金本位制のもとで各国が金の国外流出を警戒するなか、日本政府は1917年9月、金貨・金地金の輸出を大蔵大臣の許可制とし、事実上の金輸出禁止を行いました。これは大戦景気そのものを生んだ政策ではなく、戦時下の国際金融の変化に対応して正貨を維持する措置でした。
大戦景気を『国民全体が豊かになった時期』と覚えないことが重要です。企業・輸出産業は急成長しましたが、物価高によって生活が圧迫された層も多く、米騒動などの社会不安につながりました。
戦争が終わると、なぜ1920年に恐慌が起こったのか
1918年11月に第一次世界大戦が終わっても、日本ではしばらく投機的な好況が続きました。しかし欧州諸国の生産と輸出が回復すると、戦時中に日本が広げた海外市場で競争が戻り、日本の輸出は伸びにくくなりました。
その一方で、日本国内には戦時需要を前提として拡張した工場設備や在庫が残っていました。需要が鈍ると、生糸・綿糸・鉄材などの商品価格が下落し、過大な在庫や借入を抱えた企業・商社の経営が悪化します。
1920年3月には株式市場が急落し、商品価格の暴落、企業・商社・銀行の破綻へ波及して戦後恐慌となりました。これは大戦景気で膨張した生産・投機が、戦後の世界経済の正常化に適応できなかった反動という面を持っています。
大戦景気と戦後恐慌は1920年代に何を残したのか
大戦景気によって、日本の工業生産力、重化学工業、海運・貿易、金融資産は大きく拡大しました。都市への人口集中や企業組織の拡大も進み、その後の都市大衆社会の基盤の一部になります。
しかし戦後恐慌では、競争力の弱い企業や中小銀行の経営問題が表面化し、財閥系大企業や大銀行への集中が進みました。さらに1923年の関東大震災、1927年の金融恐慌などが重なり、日本経済は1920年代を通じて不安定さを抱えることになります。
つまり第一次世界大戦は、日本を一時的に豊かにしただけではありません。産業の重工業化と国際的な経済地位の上昇を促す一方、急拡大の反動、企業・銀行の脆弱性、物価高と社会的格差を残しました。大戦景気と戦後恐慌を一続きで見ると、大正期の社会運動と昭和初期の金融問題までつながります。
Review
入試で押さえるポイント
- 第一次世界大戦中、欧州からアジアへの輸出減少と軍需増加を背景に日本の輸出が急増し大戦景気となった
- 大戦期には造船・鉄鋼・機械・化学など重化学工業が発達し、財閥や新興企業が事業を拡大した
- 貿易黒字と海外資産の増加により日本は債務国から債権国へ転じた
- 好景気と同時に物価が上昇し、賃金生活者などの生活を圧迫して1918年の米騒動につながる社会的背景となった
- 1917年、日本は金貨・金地金の輸出を許可制として事実上の金輸出禁止を実施した
- 欧州経済の復興と戦時中の過剰生産・投機の反動から1920年に戦後恐慌が起こった
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- 問1
第一次世界大戦が始まった直後から、日本経済は一度も混乱せず一貫して大戦景気に入った。
開戦直後には海上輸送や貿易の混乱で打撃もあり、欧州の輸出減少と需要増加を背景に1915年ごろから大戦景気が本格化しました。
本文の該当箇所を確認する - 問2
大戦期には造船・鉄鋼・機械・化学などの需要が伸び、日本の重化学工業が大きく成長した。
船舶不足や軍需、輸入代替の必要から重化学工業が発達し、明治以来の工業化が新しい段階へ進みました。
本文の該当箇所を確認する - 問3
大戦景気では物価上昇が起こらなかったため、企業だけでなく賃金生活者も一様に生活が豊かになった。
企業利益が伸びる一方、物価上昇が賃金を上回って生活を圧迫された層も多く、米騒動の背景にもなりました。
本文の該当箇所を確認する - 問4
1917年の事実上の金輸出禁止は、大戦景気を生み出すための景気刺激策そのものだった。
金輸出禁止は戦時下の国際金融変化に対応し、正貨の国外流出を防ぐための措置でした。
本文の該当箇所を確認する - 問5
1920年の戦後恐慌には、欧州の生産回復と、戦時中に拡大した日本の設備・在庫・投機の反動が関係した。
戦時需要の縮小と国際競争の回復で価格が下落し、過剰設備や在庫、借入を抱えた企業・商社・銀行へ打撃が広がりました。
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Timeline
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Sources
参考資料
- 第4章 第1次大戦下の日本銀行 7. 大戦後の好況と本行の施策日本銀行
大戦期の経済成長、大戦終結後の反動、輸出・産業への影響を確認
- 日本貨幣史 本文日本銀行金融研究所 貨幣博物館
第一次世界大戦期の銀行券需要増加と戦後の輸出減少・不況を確認
- 第4期第1章 第1次大戦と積極財政財務省
大戦期の正貨増加、1917年の金輸出制限と戦後の金融環境を確認
- 信用補完制度の解説~主に信用保険制度の観点から~(Ⅰ)財務省
大戦景気の輸出拡大、物価上昇、1920年戦後恐慌と企業・銀行への影響を確認