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昭和時代1950〜1973年を中心に社会・経済重要度 A

国民皆保険・皆年金と社会保障―高度成長期に「生活保障」の制度はどう広がったのかこくみんかいほけんかいねんきんとしゃかいほしょう こうどせいちょうきにせいかつほしょうのせいどはどうひろがったのか

一言でいうと

敗戦直後の日本では、生活困窮者を支える生活保護などの制度整備がまず急務でした。その後、復興と雇用・所得の増加が進む一方、農業・自営業・零細企業などで既存の被用者向け保険や年金の対象外となる人びとが多く残ったため、病気や老後を個人や家族だけで支えるのではなく、社会保険を全国民へ広げることが課題になります。1958年に新しい国民健康保険法が制定され、1961年4月までに全市町村で国民健康保険を実施する体制が整い、国民皆保険が実現しました。年金では1959年に国民年金法が制定され、無拠出の福祉年金を経て1961年4月に拠出制の国民年金が始まり、国民皆年金となります。これらは医療や老後保障を全国民へ制度的に広げる画期でしたが、給付水準や自己負担、制度間格差などの課題は残りました。高度成長を背景に社会保障はさらに拡充され、1973年には老人医療費の公費負担拡大、高額療養費制度、年金給付の引上げと物価スライドなどが実施されて「福祉元年」と呼ばれます。ただし同年の石油危機以後は低成長と高齢化の進行を前提に制度の持続可能性が新たな課題となり、1973年を社会保障制度の完成点とみなすことはできません。

戦後の社会保障はなぜ生活困窮対策から出発したのか

敗戦直後は、失業、食料不足、住宅難、戦災孤児、傷病者などへの対応が急務でした。1946年の旧生活保護法に続き、日本国憲法第25条の生存権保障を踏まえて1950年に現在の生活保護法が制定され、国が困窮する国民の最低生活を保障する制度的な枠組みが整えられました。

児童福祉法や身体障害者福祉法なども整備され、まずは生活そのものを維持できない人への公的扶助・福祉が戦後社会保障の重要な柱となりました。しかし経済が復興すると、困窮した後に救済するだけでなく、病気・失業・老齢などによって生活が不安定になることをあらかじめ社会保険で支える必要性が強く意識されるようになります。

この変化を、生活保護から社会保険へ単純に『置き換わった』とは考えません。生活保護など公費による公的扶助と、保険料を基礎とする医療保険・年金保険は役割が異なり、戦後日本の社会保障は複数の仕組みを組み合わせて発展しました。

なぜ国民皆保険が必要になったのか

日本の医療保険はもともと、会社員など被用者を対象とする健康保険から発達しました。農業従事者、自営業者、零細企業の従業員などには保険に加入していない人が多く、1950年代半ばにも多数の無保険者が残っていました。病気になると医療費負担が家計を直接圧迫するため、被用者以外にも公的医療保険を広げることが社会的な課題となります。

1958年に新しい国民健康保険法こくみんけんこうほけんほうが制定され、市町村を中心とする国民健康保険を全国へ普及させる方針が明確になりました。1961年4月1日までにすべての市町村で国民健康保険事業を実施することが義務づけられ、被用者保険と国民健康保険を組み合わせて全国民を公的医療保険の対象とする国民皆保険こくみんかいほけんが実現しました。

国民皆保険は『医療費がすべて無料になった』という制度ではありません。保険料と公費を財源にし、患者にも制度に応じた自己負担がありました。重要なのは、職業や地域によって公的医療保険から外れていた人を制度の対象へ組み込んだことです。

国民皆保険の『皆』は、全国民が公的医療保険の仕組みに加入できる体制を意味します。医療費の全面無料化を意味する言葉ではありません。

国民年金は誰を新たに保障しようとしたのか

年金も当初は厚生年金や共済年金など被用者を中心に発展し、自営業者や農業従事者などには公的年金制度の対象外となる人がいました。戦後に核家族化や都市への人口移動が進むと、高齢者の生活を家族扶養だけに依存することへの不安も高まり、全国民を対象とする老後の所得保障が求められました。

1959年に国民年金法こくみんねんきんほうが制定されました。すでに高齢で保険料を長期間納められない人などには同年11月から全額公費による福祉年金が始まり、20〜59歳で厚生年金・共済年金などの対象外となる人を主な対象とする拠出制国民年金は1961年4月から実施されました。これによって国民皆年金こくみんかいねんきんの体制が成立します。

ただし、1961年に全国民が直ちに同じ額の老齢年金を受け取れるようになったわけではありません。拠出制年金では保険料納付期間などの条件があり、制度発足時の高齢者には福祉年金など別の措置が必要でした。皆年金とは、職業による制度の空白を埋め、老後保障の制度的な対象を全国民へ広げたことを意味します。

1961年の皆保険・皆年金は社会をどう変えたのか

1961年の国民皆保険・皆年金によって、医療と老後所得という生活上の大きなリスクを、公的制度を通じて広く分担する基盤が整いました。会社員は健康保険・厚生年金、自営業者や農業従事者などは国民健康保険・国民年金というように、就業形態等に応じて異なる制度へ加入する構造でした。

この仕組みは、高度成長による雇用・所得の拡大と人口構造の変化のなかで定着していきました。社会保障は経済成長から独立した制度ではなく、保険料収入や税収を確保しやすい成長期の経済条件にも支えられていました。

一方、制度が複数に分かれていたため、保険料負担や給付内容には違いがありました。また医療技術の進歩や平均寿命の延伸、人口高齢化が進むほど給付費も増加します。1961年は社会保障の完成ではなく、全国民をカバーする基盤をつくった大きな節目でした。

皆保険・皆年金の後も社会保障はなぜ拡大したのか

医療と年金が全国民へ広がった後も、生活上の支援は病気と老後だけではありません。1960年の精神薄弱者福祉法(現在の知的障害者福祉法)、1963年の老人福祉法、1964年の母子福祉法などが整備され、生活保護・児童福祉・障害者福祉などと合わせて『福祉六法』と呼ばれる制度体系が形成されました。

1971年には児童手当法も制定されました。こうした制度拡充の背景には、高度成長によって財政的余力が増えたことだけでなく、核家族化、都市化、女性の就業、平均寿命の延伸など、家族と人口の構造が変化し、従来は家族内で担っていた生活保障を社会的に支える必要が高まったことがありました。

したがって戦後社会保障は、1961年の皆保険・皆年金だけで成立したものではありません。公的扶助、医療、年金、児童・高齢者・障害者福祉など異なる制度が段階的に重なって形成されました。

1973年はなぜ「福祉元年」と呼ばれたのか

高度成長の成果を社会保障の給付拡充へ振り向ける政策が進み、1973年には70歳以上を中心とする老人医療費の公費負担拡大、医療保険の高額療養費制度、被用者保険の家族給付率引上げなどが実施されました。年金でも給付水準が大きく引き上げられ、物価上昇に応じて年金額を改定する物価スライド制度が導入されました。

こうした大幅な給付拡充から1973年は福祉元年ふくしがんねんと呼ばれました。しかし『元年』という呼称は、それ以前に社会保障が存在しなかったことを意味しません。1950年生活保護法、1961年皆保険・皆年金、その後の各種福祉法などの積み重ねの上にある拡充局面です。

さらに同じ1973年には第1次石油危機が起こり、高度成長が終わります。その後は低成長と人口高齢化のもとで、給付をどこまで拡充するかだけでなく、制度をどのように持続させるかが大きな政策課題となりました。福祉元年を『完成した福祉国家の到達点』とみなすのではなく、成長期型社会保障が転換点へ差しかかった年として見ることが重要です。

Review

入試で押さえるポイント

  • 1950年の生活保護法は日本国憲法第25条の生存権保障を踏まえ、国が最低生活を保障する公的扶助の基礎となった
  • 1958年の新国民健康保険法と1961年4月までの全国市町村での国保実施により、被用者保険と国保を組み合わせた国民皆保険が実現した
  • 1959年に国民年金法が制定され、福祉年金を経て1961年4月に拠出制国民年金が開始され、国民皆年金が実現した
  • 皆保険・皆年金は全国民を公的医療保険・年金制度の対象とする体制の成立であり、医療費全面無料化や全員への即時同額年金を意味しない
  • 1960年代には老人福祉法など福祉立法も拡充され、医療・年金だけでなく生活保障の対象が広がった
  • 1973年『福祉元年』には老人医療、高額療養費、年金給付・物価スライドなどが拡充されたが、同年の石油危機以後は財政と高齢化への対応が課題となった

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  1. 問1

    国民皆保険・皆年金が整備されると、生活保護など公的扶助は役割を終え、社会保険へ全面的に置き換えられた。

  2. 問2

    1961年の国民皆保険は、全国民の医療費を全面的に無料にする制度だった。

  3. 問3

    国民皆年金が成立した1961年には、全国民が直ちに同じ額の老齢年金を受け取れるようになった。

  4. 問4

    1961年の皆保険・皆年金は、医療と老後所得のリスクを公的制度で広く分担する全国的な基盤を整えた大きな節目だった。

  5. 問5

    1973年の「福祉元年」は、それ以前に社会保障がなかったことを意味するのではなく、既存制度の給付拡充が進む一方、同年の石油危機後には持続可能性が新たな課題となる転換点でもあった。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 国民皆保険・国民皆年金が実現する
  2. 社会保障が拡充され「福祉元年」と呼ばれる

Sources

参考資料

  1. 昭和100年の社会保障 第3回―国民皆保険・国民年金 昭和21〜40年厚生労働省

    1961年の国民皆保険・皆年金、医療保険・年金制度の組合せ、福祉三法・六法の展開確認に使用。

  2. 年金制度の仕組みと考え方―公的年金制度の歴史厚生労働省

    1959年国民年金法、福祉年金、1961年拠出制国民年金と国民皆年金の対象・仕組み確認に使用。

  3. 第2章 時代のニーズに対応した社会保障制度の発展を振り返る厚生労働省

    戦後社会保障の構造、1950年代の無保険者、1961年皆保険・皆年金、1973年福祉元年の制度拡充確認に使用。

  4. 生活保護法の施行に関する件(昭和25年5月20日)厚生労働省

    1950年生活保護法の制定趣旨と憲法25条・最低生活保障との関係確認に使用。

  5. 昭和100年の社会保障 第4回―拡大から充実へ 昭和41〜60年厚生労働省

    1973年福祉元年の老人医療、高額療養費、年金水準引上げ・物価スライドと石油危機後の政策転換確認に使用。

  6. 厚生白書 昭和35年度版厚生省

    皆保険・皆年金成立直前の公的扶助、年金、医療保険、所得倍増計画と社会保障の同時代的な整理確認に使用。