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昭和時代1929〜1931年社会・経済重要度 A

金解禁と昭和恐慌―浜口内閣の金本位制復帰はなぜ深刻な不況と重なったのかきんかいきんとしょうわきょうこう はまぐちないかくのきんほんいせいふっきはなぜしんこくなふきょうとかさなったのか

一言でいうと

1929年に成立した浜口雄幸内閣は、井上準之助蔵相のもとで緊縮財政を進め、1930年1月に金輸出を解禁して金本位制へ復帰しました。第一次世界大戦以来の懸案を解決し、為替相場の安定や産業合理化を図る狙いがありましたが、復帰した旧平価は当時の経済実勢に比べ円高方向の調整を求め、国内では物価や賃金を押し下げるデフレ圧力が強まりました。しかも1929年秋に始まった世界恐慌が国際貿易と商品価格を急速に縮小させる時期と重なり、日本の輸出と企業活動は大きな打撃を受けます。昭和恐慌は金解禁だけが引き起こしたものではなく、世界恐慌、国内の慢性的な不況、旧平価での金本位制復帰と緊縮政策が重なって深刻化したと理解することが重要です。1927年の昭和金融恐慌とは原因と局面を区別します。

浜口内閣はなぜ金本位制への復帰を急いだのか

日本は第一次世界大戦中の1917年に金輸出を停止し、その後も金本位制への復帰時期を決められないまま1920年代を過ごしました。欧米主要国が戦後に金本位制へ戻るなか、日本では為替相場の不安定さを抑え、国際金融上の信用を整えるためにも金解禁が必要だという議論が続きました。

1929年7月に成立した立憲民政党の浜口雄幸内閣は、井上準之助を蔵相に起用しました。浜口・井上は金解禁を主要政策に掲げ、政府支出を抑える緊縮財政と、企業の合理化によって国際競争力を高める方針を進めます。

したがって金解禁は、単なる通貨制度の技術的変更ではありません。為替を安定させ、企業や財政の体質を引き締め、第一次世界大戦後から続く経済の不安定さを国際的な金本位制の枠組みの中で整理しようとする政策でした。

なぜ旧平価での金解禁がデフレ圧力を強めたのか

政府が選んだのは、戦前と同じ金との交換比率である旧平価での復帰でした。しかし1920年代末の円相場や国内物価は戦前とは異なっており、旧平価へ戻るには円の価値を高める方向への調整が必要でした。

円の価値を旧平価に近づけるため、浜口内閣は財政支出を削減し、消費節約や貯蓄を奨励しました。物価や生産費を引き下げて輸出競争力を回復させることが期待されましたが、景気が弱い局面での緊縮は国内需要を抑え、企業収益や雇用にも下押し圧力を加えます。

1930年1月11日に金輸出が解禁されると、日本円は金との交換を基礎とする国際金融制度へ再び組み込まれました。金本位制のもとでは、景気悪化に対して通貨価値を柔軟に下げて対応する余地が小さく、国内で物価と所得を調整する圧力が強まりました。

世界恐慌との重なりは何をもたらしたのか

浜口内閣が金解禁の準備を進めていた1929年10月、ニューヨーク株式市場の暴落を契機に世界恐慌が始まりました。世界各国で生産・貿易・物価が縮小し、日本が輸出する生糸などの商品にも大きな影響が及びました。

日本はその世界経済の悪化が進む1930年1月に金解禁を実施しました。輸出市場が縮小する一方、旧平価復帰と緊縮政策によるデフレ圧力も続いたため、物価下落、企業収益の悪化、失業や賃金低下が重なり、1930〜1931年の昭和恐慌が深刻化します。

ここで『金解禁が世界恐慌を日本へ持ち込んだ』とだけ説明するのは不十分です。世界恐慌そのものが巨大な外部ショックであり、日本国内にも1920年代から慢性的な不況や企業・金融の弱さがありました。その時期に旧平価で金本位制へ復帰し、緊縮を続けたことが不況をさらに厳しくする方向に働いたと捉える必要があります。

1927年の昭和金融恐慌と何が違うのか

1927年の昭和金融恐慌は、戦後処理の遅れや震災手形、台湾銀行問題を背景に銀行取り付けが広がった金融システムの危機でした。これに対して1930〜1931年の昭和恐慌は、世界恐慌による輸出市場の縮小と、金解禁・緊縮政策によるデフレが重なった実体経済全体の深刻な不況として区別できます。

昭和恐慌は農村にも深刻な影響を与え、生糸価格や農産物価格の急落が家計を圧迫しました。ただし農村の困窮、特に東北地方の冷害との重なりは次のTopicで詳しく扱い、このTopicでは金本位制復帰と世界経済の収縮を中心にします。

1931年には世界の金本位制そのものが崩れ始め、日本も同年12月に金輸出を再禁止しました。その後の高橋是清による財政・金融政策と景気回復は別Topicで扱います。金解禁は短期間で終わりましたが、その失敗は世界恐慌期に金本位制へ復帰することの制約を明確に示しました。

昭和金融恐慌(1927年)と昭和恐慌(1930〜1931年)は区別します。前者は銀行取り付けを中心とする金融危機、後者は世界恐慌・輸出不振・金解禁と緊縮によるデフレが重なった深刻な不況です。

Review

入試で押さえるポイント

  • 浜口雄幸内閣は1929年成立、蔵相井上準之助のもとで緊縮財政と金解禁を主要政策とした
  • 金輸出解禁は1930年1月11日、戦前と同じ旧平価で金本位制へ復帰
  • 旧平価復帰には円高方向の調整が必要で、緊縮財政とあわせて物価・需要を押し下げるデフレ圧力が強まった
  • 1929年に始まった世界恐慌と金解禁が重なり、輸出不振・物価下落・企業活動悪化が進んで1930〜1931年の昭和恐慌が深刻化
  • 昭和恐慌を金解禁だけの単一原因で説明せず、世界恐慌と国内の慢性不況、緊縮政策など複数要因の重なりとして理解する
  • 1927年の昭和金融恐慌は銀行取り付けを中心とする金融危機で、1930〜1931年の昭和恐慌とは区別する

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0 / 5 問回答

  1. 問1

    浜口内閣の金解禁は、為替の安定や国際金融上の信用、産業合理化などを視野に入れた政策で、単なる通貨制度上の技術変更ではなかった。

  2. 問2

    旧平価で金本位制へ復帰するには、当時の円の価値を下げる円安方向の調整が必要だった。

  3. 問3

    1930〜1931年の昭和恐慌は金解禁だけが原因であり、世界恐慌や1920年代からの国内不況は主要な要因ではなかった。

  4. 問4

    1927年の昭和金融恐慌と1930〜1931年の昭和恐慌は、同じ金融危機を二つの呼び方で表したものである。

  5. 問5

    世界的に金本位制が崩れ始めるなか、日本は1931年12月に金輸出を再び禁止した。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 浜口雄幸内閣が成立する
  2. ニューヨーク株式市場の暴落を契機に世界恐慌が始まる
  3. 浜口内閣が金輸出を解禁する
  4. 金解禁と世界恐慌の影響で昭和恐慌が深刻化する
  5. 高橋是清蔵相が金輸出を再禁止する

Sources

参考資料

  1. 日本銀行百年史(第3巻)―第6章 世界不況下の金解禁日本銀行

    金解禁をめぐる経済情勢、浜口内閣の決定、旧平価・新平価論争、金解禁下の経済情勢と金本位制度崩壊を確認

  2. 浜口内閣の成立国立国会図書館「史料にみる日本の近代」

    1929年の浜口内閣成立、井上準之助の入閣、緊縮財政と1930年金輸出解禁の位置づけを確認

  3. 1930年代の日記より―金解禁国立国会図書館憲政資料室「日記の世界」

    1930年1月11日の金解禁と当時の浜口雄幸らの日記記録を確認

  4. 信用補完制度の解説~主に信用保険制度の観点から~(Ⅰ)財務省

    旧平価復帰の円高・デフレ圧力、世界恐慌との重なり、輸出不振と昭和恐慌深刻化を複数要因として確認