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昭和時代1931〜1936年社会・経済重要度 A

高橋財政―日本経済はどのように昭和恐慌から回復し、なぜ軍事費膨張との緊張を抱えたのかたかはしざいせい にほんけいざいはどのようにしょうわきょうこうからかいふくしなぜぐんじひぼうちょうとのきんちょうをかかえたのか

一言でいうと

1931年末に犬養毅内閣の大蔵大臣となった高橋是清は、金輸出を再禁止して金本位制から離脱し、積極財政・低金利政策・国債の日銀引受けを組み合わせました。円相場の下落による輸出回復、政府支出の拡大、金融緩和などが重なり、日本経済は欧米主要国に比べて早い時期に昭和恐慌から回復へ向かいます。しかし財政支出には農村救済などとともに軍事費の急増も含まれ、赤字国債への依存が拡大しました。景気回復が進むと高橋は財政膨張を抑えようとしましたが、軍事費削減をめぐる対立も強まります。高橋財政は、恐慌対策としての効果と、拡張した財政をどう終わらせるかという難しさをあわせて見る必要があります。

高橋是清はなぜ金輸出再禁止から政策を転換したのか

1930年の金解禁後、日本経済は世界恐慌とデフレ、輸出不振が重なって昭和恐慌に陥りました。1931年12月に犬養毅内閣が成立すると、高橋是清たかはしこれきよが大蔵大臣に就任しました。

高橋は就任直後に金輸出を再び禁止し、金本位制から離脱しました。これにより、金との交換を基準に円相場を旧平価へ固定する政策は終わり、円相場は下落しました。円安方向への変化は、日本製品の輸出価格を相対的に下げる方向に作用しました。

この政策転換は、井上準之助蔵相のもとで進められた金解禁・緊縮政策からの大きな転換でした。ただし、恐慌からの回復を金輸出再禁止だけで説明することはできません。高橋は財政政策と金融政策も同時に転換しました。

高橋財政はどのような政策を組み合わせたのか

高橋財政の特徴は、金本位制離脱、積極財政、金融緩和を組み合わせたことです。政府は支出を拡大し、不況で落ち込んだ民間需要を補おうとしました。農村・失業対策として道路や河川などの土木事業を進める時局匡救事業も実施されました。

一方、満州事変後には軍事費も急速に増加しました。政府支出の拡大には生活・地域経済を支える支出と軍事関係支出の両方があり、『高橋財政=軍需景気』だけで捉えるのは不十分です。

財源不足を補うため赤字国債が増発され、1932年11月から日本銀行による国債の直接引受けが始まりました。日銀は引き受けた国債を民間市場へ売却する運用も行い、同時に低金利政策を進めました。こうして財政支出を支えながら金融を緩和する仕組みがつくられました。

日本経済はなぜ比較的早く回復へ向かったのか

金本位制離脱後の円安は輸出を増やす方向に働き、政府支出の拡大と低金利政策は国内需要や企業活動を支えました。物価も下落から上昇方向へ転じ、工業生産は1930年代前半に回復していきました。

日本銀行は、高橋財政期の景気回復について、為替レートの大幅な下落による輸出増加、国債の日銀引受けを背景とする財政支出の拡大、金融緩和・低金利政策が支えたと整理しています。欧米主要国がなお不況に苦しむなか、日本は比較的早くデフレから脱しました。

もっとも、回復の要因を高橋個人の政策だけに帰すこともできません。世界貿易の動向、東アジアへの経済進出、軍需の増加なども経済活動に影響していました。高橋財政は重要な要因ですが、経済回復を一つの原因だけで説明しないことが必要です。

景気回復後、なぜ財政膨張が新しい問題になったのか

景気が回復しても政府支出と公債発行は容易には縮小しませんでした。とくに満州事変後の軍事費は拡大を続け、一般会計に占める比重も上昇しました。赤字国債と日銀引受けを使う財政運営を長く続ければ、物価上昇や財政規律の弱まりにつながる危険がありました。

高橋は景気回復が進んだ1930年代半ばには、恐慌期の積極財政をそのまま拡大し続けるのではなく、歳出と公債発行を抑える方向へ転じました。時局匡救事業も縮小され、財政健全化を意識する段階へ入ります。

しかし軍部は軍備拡張のための予算増額を強く求めました。恐慌脱出のために始めた財政拡張をどこで止めるのかという問題は、軍事費をどこまで認めるかという政治問題とも結びつき、高橋と軍部の緊張を深めました。

高橋財政はどのように終わり、何を残したのか

1936年2月26日、陸軍青年将校らが起こした二・二六事件で高橋是清は殺害されました。高橋は事件の犠牲となった重臣の一人であり、その死によって彼が進めようとしていた財政支出抑制も大きな転機を迎えました。

その後、日本の財政は軍事費の増大とともに再び拡張へ向かい、1937年の日中戦争開始後は戦時財政の性格を急速に強めます。ただし、後の戦時統制経済を1932年からの高橋財政と同一視してはいけません。高橋自身は景気回復後に財政拡張を抑制しようとしていました。

高橋財政を学ぶポイントは、恐慌期の需要不足に対して財政・金融・為替政策を組み合わせたこと、その政策が回復に作用したこと、そして一度拡大した政府支出と公債発行を縮小することが難しかったことです。恐慌からの回復と軍事費膨張という二つの流れを区別しながら捉えます。

高橋財政は『赤字国債で軍需を増やした政策』だけではありません。金本位制離脱、円安、積極財政、低金利、国債の日銀引受けを組み合わせた恐慌対策であり、景気回復後には高橋自身が財政膨張の抑制へ向かった点まで押さえます。

Review

入試で押さえるポイント

  • 1931年末、犬養毅内閣の高橋是清蔵相が金輸出を再禁止し金本位制から離脱
  • 高橋財政は金本位制離脱・積極財政・低金利政策・赤字国債の日銀引受けを組み合わせた政策
  • 1932年11月から歳入補填国債の日本銀行引受発行が開始
  • 円安による輸出増加、財政支出拡大、金融緩和などにより日本経済は比較的早く昭和恐慌から回復
  • 積極財政には時局匡救事業などの救済・土木支出と、急増する軍事費の双方が含まれた
  • 景気回復後、高橋は財政膨張・軍事費を抑えようとしたが、1936年の二・二六事件で殺害された

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  1. 問1

    高橋財政による昭和恐慌からの回復は、金輸出再禁止だけで実現し、財政政策や金融政策はほとんど関係しなかった。

  2. 問2

    高橋財政では、積極財政と金融緩和を組み合わせ、1932年には赤字国債の日本銀行引受けも始まった。

  3. 問3

    高橋財政の政府支出は軍事費だけで構成され、農村救済や土木事業などの支出は含まれていなかった。

  4. 問4

    景気回復が進むと、高橋是清は歳出と公債発行を抑え、財政膨張を縮小する方向へ転じた。

  5. 問5

    二・二六事件で高橋是清が殺害された後も、彼が進めた軍事費と財政支出の抑制方針はそのまま維持され続けた。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 高橋是清蔵相が金輸出を再禁止する
  2. 高橋財政のもとで積極財政と金融緩和が進められる
  3. 歳入補填国債の日本銀行引受けが始まる
  4. 円安・積極財政・輸出増加を背景に日本経済が恐慌から回復する
  5. 二・二六事件で陸軍青年将校らが政府要人を襲撃し東京中心部を占拠する

Sources

参考資料

  1. 高橋是清翁顕彰シンポジウム 挨拶―高橋財政について日本銀行

    金輸出再禁止、積極財政、低金利、国債の日銀引受けからなる政策パッケージとデフレ脱却を確認

  2. 沿革 1900年~日本銀行

    1931年12月の金輸出再禁止、1932年の管理通貨制移行と歳入補填国債の日銀引受開始を確認

  3. 日本銀行百年史 第4巻日本銀行

    1932〜1936年の管理通貨制度移行、積極財政、国債増大と日銀引受け、高橋財政期の金融財政政策を確認

  4. 昭和恐慌後の財政運営と高橋財政財務省『ファイナンス』2021年4月号

    1932年以後の歳出・公債増加、時局匡救事業、軍事費膨張、高橋財政後半の財政健全化への転換を確認