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江戸時代1767〜1786年を中心に政治・外交重要度 A

田沼政治と商品経済―なぜ幕府は商業を財源として取り込もうとしたのかたぬませいじとしょうひんけいざい なぜばくふはしょうぎょうをざいげんとしてとりこもうとしたのか

一言でいうと

18世紀後半には商品流通と貨幣経済がさらに発達し、商人や問屋が大きな経済力を持つようになりました。田沼意次を中心とする幕政では、年貢増徴だけに頼らず、株仲間を公認して運上・冥加を徴収するなど、商業活動を幕府の統制と財政へ取り込もうとしました。長崎貿易や蝦夷地にも関心を広げた一方、商人と幕府役人の結びつきは利権・贈答への批判を招き、天明の飢饉と政治的不信が重なるなかで田沼は失脚しました。田沼政治は「賄賂政治」か「先進的改革」かの一語で評価せず、成長した商品経済を利用する政策の成果と矛盾を分けて理解することが重要です。

享保の改革のあと、なぜ別の経済政策が必要になったのか

享保の改革では、徳川吉宗が新田開発や定免法などを通じて、米と年貢を中心に幕府財政の再建を進めました。

しかし18世紀には、江戸・大坂などの都市と全国各地が商品流通によってさらに強く結ばれ、農村でも商品作物や手工業生産が広がりました。社会の富が土地・米だけでなく、商品・商業・貨幣の流通にも蓄積されるようになったのです。

ところが幕府の税収は依然として年貢に大きく依存していました。そこで、成長する商業からも幕府収入を得るという課題が重要になりました。

田沼意次はどのように政治の中心へ進んだのか

田沼意次たぬまおきつぐは、9代将軍徳川家重の側近として昇進し、10代将軍徳川家治からも強い信任を受けました。

1767年には側用人となり、1769年には老中格、1772年には老中となって幕政の中心に位置しました。

ただし、田沼一人が幕府を支配したわけではありません。将軍家治、老中・勘定奉行などの幕府官僚、商人など多くの主体がかかわるなかで、田沼が大きな影響力を持った政治として捉えます。

株仲間とは何だったのか

江戸時代には、同じ種類の商品を扱う商人や職人が同業者団体をつくることがあり、幕府や藩から公認されたものを株仲間かぶなかまと呼びます。

株仲間は営業できる業者を限定し、仲間内で商売の規則を定め、商品の流通や業者を把握する仕組みとして利用されました。

株仲間そのものを田沼意次が初めてつくったわけではありません。田沼期に重要なのは、こうした商業組織を積極的に公認し、商業統制と財政収入へ利用する傾向が強まったことです。

運上・冥加をなぜ財源にしたのか

幕府は商人や職人に営業上の特権を認める代わりに、運上うんじょうや冥加みょうがと呼ばれる金銭を徴収しました。

田沼政治では、株仲間など商工業者からこうした収入を得ることが重視されました。年貢率を引き上げ続けることには限界があるため、発達した商品流通そのものを課税対象として把握しようとしたのです。

農民から年貢を得る仕組みに加え、商人・職人から運上・冥加を得る仕組みを積極的に利用したことに、田沼政治の財政政策上の特徴があります。

田沼政治の商業重視は、商人を自由放任する政策ではありません。商業を公認・組織化して幕府の管理下に置き、その利益の一部を財源として取り込もうとする政策でした。

田沼政治は「重商主義」だったのか

大学受験では、田沼政治を「重商主義的政策」と整理することがあります。米・年貢だけに依存せず、商業・貿易・鉱山などを幕府財政へ利用しようとした点を理解するには有効な表現です。

ただし、近世ヨーロッパの重商主義と田沼政治が制度として完全に同じだったわけではありません。

田沼政治は、商品・貨幣経済や対外貿易を積極的に幕府財政へ利用しようとしたため「重商主義的」と整理される、と理解するのが安全です。

なぜ長崎貿易を重視したのか

長崎では中国船・オランダ船との貿易が続いていました。田沼期には、この統制された貿易を幕府収入へより積極的に利用することが考えられました。

輸出品として銅のほか、いりこ・干鮑・ふかひれなどの乾燥海産物である俵物たわらものも重要になりました。金銀を海外へ流出させるだけでなく、国内で生産できる商品を輸出に利用しようとしたのです。

これは近世の対外関係制度を廃止して自由貿易へ転換する政策ではありません。長崎を幕府の管理下に置いたまま、貿易から得られる利益を増やそうとした政策でした。

なぜ蝦夷地へ関心を持ったのか

18世紀後半にはロシアの活動が千島列島方面へ及んでいるという情報が日本側にも伝わり、蝦夷地の経済的・軍事的な重要性への関心が高まりました。

工藤平助は『赤蝦夷風説考あかえぞふうせつこう』でロシアへの対応や蝦夷地経営について論じました。

1785〜1786年には田沼意次の意向のもとで幕府の蝦夷地調査が行われ、最上徳内らが参加しました。北方の外国勢力への対応と、資源・交易・開発の可能性という複数の関心が重なっていました。

蝦夷地調査を「北海道開拓の始まり」と考えてよいのか

この時点で幕府が現在の北海道全域を直接支配し、近代的な開拓事業を始めたわけではありません。

近世の蝦夷地では松前藩が和人側の交易を統制する一方、アイヌ社会は独自の政治・社会・交易関係を持っていました。

田沼政権の調査は幕府側の関心が強まった重要な節目ですが、「無人の未開地を開拓した」「1785年に幕府支配が完成した」とは捉えません。

なぜ田沼政治は「賄賂政治」と呼ばれたのか

営業特権や事業の認可が大きな利益につながる政治では、商人から役人への贈答や働きかけが利権と結びつきやすくなります。田沼意次も後世まで「賄賂政治家」の代表として語られてきました。

しかし、贈答や利権への批判があったことと、商業を財源化する政策に経済的意味があったことは別の問題です。

逆に、田沼期の商業政策に合理性があったからといって、腐敗や利権への批判をすべて後世の作り話とみなすこともできません。政策の目的・効果と政治運営への批判を分けて考えます。

天明の飢饉は田沼政治とどう関係したのか

1782年ごろから冷害や凶作が続き、特に東北地方などで天明の飢饉てんめいのききんが深刻化しました。1783年の浅間山噴火も、社会不安が強まった時期と重なります。

食料不足と米価高騰は人びとの生活を直撃し、幕府政治への不満を強めました。

ただし、天明の飢饉だけを田沼失脚の単独原因とすることはできません。自然災害、飢饉への対応、利権批判、幕府内部の権力関係など複数の要因が重なりました。

田沼意次はなぜ失脚したのか

1784年、田沼意次の子で若年寄だった田沼意知が江戸城内で殺害されました。

さらに1786年には、田沼を強く信任していた10代将軍徳川家治が死去しました。最大の政治的支えを失った田沼意次は、その年に失脚します。

背景には天明の飢饉と社会不安、商人との結びつきや賄賂政治への批判、幕府内部の反田沼勢力などもあり、田沼失脚を一つの事件だけで説明しないことが重要です。

田沼政治は失敗だったのか

田沼政治は長く「賄賂と腐敗の悪政」と評価されましたが、現在では、商品経済の発達を利用して幕府財政を立て直そうとした政策面も重視されています。

一方で、評価を単純に逆転させて「本当はすべて正しかった改革政治」とすることも適切ではありません。

商業税収・貿易・資源開発を利用する新しい政策方向と、特権商人との結びつき・利権・飢饉への対応という問題が同時に存在した政治として理解します。

田沼失脚後、幕府政治はどう変わるのか

1787年には松平定信まつだいらさだのぶが老中となり、寛政の改革を進めました。

定信は田沼政治の商業重視や風紀を批判し、倹約、農村復興、武士の生活再建、朱子学の重視などを進めます。

ただし商品・貨幣経済そのものを消すことはできません。享保の改革 → 田沼政治 → 寛政の改革を、成長する商品経済へ幕府が異なる方法で対応した政策転換として理解することが重要です。

Review

入試で押さえるポイント

  • 田沼政治は1767〜1786年を中心に展開
  • 1767年に田沼意次が側用人、1769年に老中格、1772年に老中
  • 株仲間を公認し、運上・冥加を幕府財源として利用
  • 株仲間そのものを田沼意次が初めてつくったわけではない
  • 商業を自由放任するのではなく、公認・統制して財源化する政策
  • 長崎貿易を重視し、銅や俵物などの輸出を利用
  • 1785〜1786年に田沼政権の意向による蝦夷地調査
  • 天明の飢饉、利権・賄賂批判、家治の死などが重なり田沼は失脚
  • 田沼政治を「賄賂政治」だけでも「先進的改革」だけでも評価しない
  • 田沼失脚後は松平定信の寛政の改革へ移る

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0 / 5 問回答

  1. 問1

    株仲間は田沼意次が初めて考案し、田沼期以前には存在しなかった。

  2. 問2

    田沼政治の商業重視は、商人への規制をなくして自由放任にする政策だった。

  3. 問3

    田沼期には、株仲間など商工業者から運上・冥加を得て、商品流通を幕府財政の収入源として利用しようとした。

  4. 問4

    1785〜1786年の蝦夷地調査によって、幕府は北海道全域の直接統治を完成させた。

  5. 問5

    田沼意次の失脚には、家治の死だけでなく、天明の飢饉、利権・賄賂批判、幕府内部の政治関係など複数の要因が重なった。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 田沼意次を中心に商業を重視した幕政が進められる
  2. 幕府が株仲間を公認し運上・冥加を財源に取り込む
  3. 田沼意次が側用人となる
  4. 田沼意次が老中となる
  5. 天明の飢饉が続く
  6. 幕府が最上徳内らを蝦夷地へ派遣する
  7. 田沼意次が失脚する

Sources

参考資料

  1. 田沼意次と税(答え)国税庁 税務大学校

    田沼期に株仲間へ営業税を課し、商品流通の発展を幕府財政へ取り込もうとした背景を確認

  2. 問屋の仕事国税庁 税務大学校

    問屋・株仲間運上と商業統制の関係を確認

  3. 税の歴史国税庁

    江戸時代の年貢と運上金・冥加金の位置づけを確認

  4. 田沼意次政権期の蝦夷地調査に関する研究北海道博物館

    1785〜1786年の蝦夷地調査と田沼政権の北方関心を確認