三貨制度と貨幣経済―なぜ米中心の年貢社会で貨幣経済が発達したのか
一言でいうと
江戸時代の支配制度では石高と年貢米が重要でしたが、大名や武士は米だけで生活したわけではありません。大名は年貢米や特産物を市場で売って貨幣を得て、江戸での生活や藩政の支出に充てました。17世紀には新田開発・都市成長・交通・全国的な商品流通が発達し、農村でも貨幣を使う機会が増えていきます。幕府は金貨・銀貨・銭貨からなる三貨制度を整え、異なる貨幣を交換する両替商も発達しました。米を基礎とする年貢制度と貨幣経済は対立するのではなく、米を市場で貨幣化することで結びついていたのです。
江戸幕府ができるまで、日本では貨幣を使っていなかったのか
江戸幕府が成立する以前から、日本では貨幣を使った取引が広く行われていました。中世には中国から輸入された渡来銭が大量に流通し、市場で商品の売買に利用されました。
戦国時代には金山・銀山の開発も進み、金や銀も貨幣として利用されました。織田信長や豊臣秀吉の時代にも金・銀・銭は経済活動に使われていました。
したがって三貨制度は、徳川政権が何もないところから突然つくった制度ではありません。中世以来の銭貨流通や戦国期の金銀利用を引き継ぎながら、全国政権として貨幣の規格と発行体制を整えていったものです。
三貨制度とは何だったのか
江戸幕府は、金貨・銀貨・銭貨の三種類を基礎とする三貨制度を整えました。
徳川家康は金山・銀山を支配下に置き、1601年には慶長金銀を発行しました。さらに1636年には幕府が寛永通宝の鋳造を始め、銭貨についても幕府の貨幣が広く流通していきます。
こうして金貨・銀貨・銭貨という異なる貨幣を併用する仕組みが近世の貨幣制度として定着していきました。ただし、三種類が同じ単位・同じ使い方で統一されていたわけではありません。
金貨・銀貨・銭貨は何が違ったのか
金貨の代表である小判は、基本的に一枚ごとの価値が決められた計数貨幣でした。金貨は両・分・朱という単位で数え、1両=4分=16朱という関係でした。
これに対して江戸時代前期の銀貨は、主として重さを量って価値を決める秤量貨幣でした。銀は匁などの重さの単位で取引されました。
銭貨は一枚を一文として数える小額貨幣で、日常の比較的小さな取引に広く用いられました。つまり、金は両建て、銀は匁などの銀目、銭は文建てという異なる仕組みが併存していました。
「東日本は金、西日本は銀」だったのか
大学受験では「東日本の金遣い・西日本の銀遣い」と整理することがあります。大まかな傾向として、高額取引では江戸を中心とする東日本で金建てが多く、大坂・京都を中心とする西日本や北陸では銀建てが多く使われました。
一方、小額取引では銭貨が全国で広く用いられました。また地域によっては高額取引でも銭建てが使われる場合がありました。
そのため「東=金、西=銀」は地域的傾向を覚えるための整理であり、日本列島が境界線で完全に二分されていたと理解しないことが重要です。
三種類のお金はどうやって交換したのか
金貨・銀貨・銭貨は単位も価値の決め方も違うため、それぞれを交換する仕組みが必要でした。幕府は金・銀・銭の間に公定相場を定めましたが、実際の市場での交換比率は需要や供給などによって変動しました。
そのため異なる貨幣を交換する両替商が重要になります。両替商は金銀銭の交換だけでなく、しだいに預金・貸付・送金などにもかかわるようになりました。
商品流通が広域化するほど、異なる地域・異なる貨幣体系を資金面で結ぶ両替商の役割も大きくなりました。
年貢が米なのに、なぜ大名は貨幣を必要としたのか
大名は領内の百姓から年貢米などを徴収しました。しかし、江戸屋敷の維持、参勤交代、家臣団の扶持、物資の購入など、大名の支出をすべて米そのもので行えるわけではありません。
そこで領国から集めた米や特産物を大坂などの市場へ送り、商人を通じて売却して貨幣へ換えました。年貢米を集める → 市場へ運ぶ → 売却する → 貨幣を得る → 幕府・藩・武士の支出に使う、という流れが成立します。
つまり、米を基礎とする年貢制度そのものが大規模な商品取引と貨幣需要を生み出した面がありました。石高制と貨幣経済は矛盾する仕組みではありません。
江戸時代の経済は「米か貨幣か」の二者択一ではありません。年貢米を市場で売って貨幣化する仕組みを通じて、米を基礎とする支配制度と貨幣経済が結びついていました。
貨幣経済は都市の商人だけのものだったのか
都市で生活する武士は、米と結びついた収入を持ちながらも、衣服・食料・燃料・道具などを購入するため貨幣を必要としました。江戸の巨大な武士人口と町人人口は、大きな貨幣需要を生みました。
農村も貨幣経済の外側にあったわけではありません。農民は年貢を負担する一方、余剰生産物や地域の特産物を市場で販売し、必要な商品を購入しました。商品作物の生産が広がると、農村と市場の結びつきも強まります。
ただし、貨幣経済の浸透度には時期差・地域差があります。江戸時代になると全国の農村が一斉に同じ程度まで貨幣経済化したと考えるのは適切ではありません。
交通と全国市場は貨幣経済とどうつながったのか
17世紀には五街道・宿駅・河川交通・海上航路が整えられ、遠隔地間の商品流通が発達しました。各地域の産物が江戸・大坂などへ運ばれるようになると、取引のたびに貨幣が必要になります。
商品を生産する人、運ぶ人、保管する人、仲介する商人、購入する人という多くの経済活動がつながり、商品だけでなく貨幣も広い範囲を移動するようになりました。
交通網の発達 → 商品流通の拡大 → 貨幣取引の増加という関係を押さえると、三貨制度が都市だけの制度ではなかったことが分かります。
幕府は全国のお金を完全に統一したのか
三貨制度によって幕府が全国の基準となる貨幣を発行したことは、全国政権の成立と深く関係しています。しかし、現代国家のように全国で一種類の通貨・一つの単位だけが使われたわけではありません。
金・銀・銭という異なる貨幣が併存し、その交換相場も変動しました。さらに各地域では、のちに藩札など地域内で使われる紙幣も発行されます。
そのため江戸時代の貨幣制度は、幕府が全国の基準となる貨幣体系を整えながら、複数の貨幣・地域的慣行も残る仕組みとして理解すると分かりやすくなります。
なぜ1695年に元禄金銀へ改鋳したのか
1695年、5代将軍徳川綱吉の時代に金銀貨の改鋳が行われ、元禄金銀が発行されました。
元禄金銀は、それまでの慶長金銀より金や銀の含有率を下げた貨幣でした。同じ量の金銀からより多くの貨幣を発行できるため、改鋳によって幕府は収入を得ることができました。
一方、貨幣の量や質を変える政策は、物価や金銀の交換相場など経済全体にも影響します。ここから貨幣制度が商業の道具であるだけでなく、幕府財政や政治とも深く結びついていたことが分かります。
このページで覚えたい流れ
中世に渡来銭を中心とする貨幣流通が発達 → 戦国時代に金銀利用が進む → 徳川政権が金銀山と貨幣製造を統制 → 1601年 慶長金銀を発行 → 1636年 寛永通宝の鋳造開始 → 金貨・銀貨・銭貨からなる三貨制度が整う → 両替商が三貨の交換を担う → 新田開発・都市成長・交通網整備によって商品流通が拡大 → 大名が年貢米を売却して貨幣を得る → 武士・町人・農村にも貨幣取引が広がる → 1695年 元禄金銀への改鋳
Review
入試で押さえるポイント
- 江戸時代の三貨制度は金貨・銀貨・銭貨からなる
- 1601年に慶長金銀、1636年に寛永通宝の鋳造が始まる
- 金貨は両・分・朱で数える計数貨幣、銀貨は匁などで量る秤量貨幣、銭貨は文で数える
- 高額取引では東日本で金建て、西日本・北陸で銀建てが多かったが、例外のない地域区分ではない
- 三貨の交換相場は変動し、両替商が交換や送金・金融を担った
- 年貢米を市場で売って貨幣化するため、米を基礎とする年貢制度と貨幣経済は密接に結びついていた
- 1695年に元禄金銀への改鋳が行われ、貨幣政策が幕府財政とも結びついていた
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- 問1
日本で貨幣を使った取引が広く行われるようになったのは、江戸幕府が三貨制度を整えてから初めてである。
中世には渡来銭が広く流通し、戦国期にも金・銀・銭が経済活動に利用されていました。
本文の該当箇所を確認する - 問2
三貨制度では金貨・銀貨・銭貨がすべて同じ単位と同じ方法で価値を表していた。
金貨は両・分・朱で数える計数貨幣、銀貨は主に重さで量る秤量貨幣、銭貨は文で数える小額貨幣でした。
本文の該当箇所を確認する - 問3
『東日本は金、西日本は銀』という整理は大まかな傾向であり、列島が例外なく二つの貨幣圏へ完全分割されていたことを意味しない。
小額取引では銭貨が全国で使われ、地域によっては高額取引でも別の建て方が用いられるなど例外がありました。
本文の該当箇所を確認する - 問4
年貢米を市場で売って貨幣に換える仕組みによって、石高・年貢を基礎とする支配と貨幣経済は結びついていた。
大名は年貢米や特産物を売却して貨幣を得て、江戸屋敷・参勤交代・物資購入などの支出に充てました。
本文の該当箇所を確認する - 問5
三貨制度の成立によって、全国では一種類の通貨だけが使用され、交換相場や地域的慣行はなくなった。
金・銀・銭が併存し、交換相場は変動しました。のちには藩札など地域内で使う紙幣も存在しました。
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Sources
参考資料
- 日本貨幣史日本銀行金融研究所 貨幣博物館
慶長金銀、寛永通宝、三貨制度と近世貨幣史について参照。
- お金の歴史に関するFAQ日本銀行金融研究所 貨幣博物館
金・銀・銭の利用、江戸時代の貨幣制度について参照。
