← 江戸時代の年表へ戻る
江戸時代17世紀を中心に社会・経済重要度 A

17世紀の新田開発・交通・三都・全国市場―なぜ全国を結ぶ商品流通が発達したのかじゅうななせいきのしんでんかいはつ こうつう さんと ぜんこくしじょう なぜぜんこくをむすぶしょうひんりゅうつうがはったつしたのか

一言でいうと

17世紀には、新田開発による農業生産の拡大、城下町や江戸などの都市成長、五街道・宿駅・海運の整備が並行して進みました。都市人口が増えると食料や日用品への需要が大きくなり、各地の米や特産物が遠隔地へ運ばれるようになります。江戸・大坂・京都の三都を重要な結節点として地域ごとの市場が広く結ばれ、全国的な商品流通が発達しました。

なぜ戦乱の終結が商品流通の拡大につながったのか

戦国時代にも都市や市場、長距離交易は存在していたため、江戸幕府の成立と同時に突然商業社会が生まれたわけではありません。

ただし17世紀になると、大名同士の大規模な戦争がほぼ終わり、各地では城下町が整備されました。大名が家臣を城下へ集住させ、江戸にも幕臣・大名・町人など多数の人びとが集まると、都市の外から食料や衣料、燃料などを継続的に供給する必要が高まりました。

政治秩序の安定と都市人口の増加は、各地域の商品を遠くへ運んで売る経済を拡大させる重要な条件になったのです。

新田開発はなぜ進んだのか

17世紀には各地で新田開発しんでんかいはつが進み、耕地面積と農業生産が拡大しました。新田を開くには、土地を耕すだけでなく、用水路・ため池・堤防・排水路などを整える必要がありました。

幕府や藩にとって、生産力の増加は年貢収入の増加にもつながるため、新田開発を奨励する理由がありました。領主だけでなく、農民や町人などが開発にかかわる場合もありました。

ただし、新田開発の進み方は水利・地形・領主政策などによって異なります。日本全国が同じ時期に同じように開発されたわけではありません。

江戸・大坂・京都の三都は何が違ったのか

江戸時代には全国各地で城下町が発達し、そのなかでも江戸・大坂・京都は三都さんととして特に重要な都市となりました。

江戸は将軍の城下町で、多数の武士と町人が暮らす巨大な消費都市へ成長しました。大坂は西日本を中心とする海運と結びつき、諸藩の米や特産物などが集まり取引される流通の中心となりました。京都は天皇・公家・寺社を持つ伝統的都市であるとともに、西陣織など手工業生産でも重要でした。

三都は同じ機能を持つ都市ではなく、政治・消費・流通・生産など異なる役割を持ちながら、人・商品・資金の移動によって結びついていました。

五街道は政治の道なのか、経済の道なのか

幕府は江戸を起点として東海道・中山道・甲州道中・日光道中・奥州道中の五街道ごかいどうを主要交通路として整備しました。街道には宿駅が置かれ、人や荷物を運ぶための人馬を用意する伝馬制が設けられました。

五街道は幕府の使者や参勤交代など政治的な移動を支える重要な道路でした。しかし、人が安定して往来できる交通網は商人・旅人・商品・情報の移動にも利用されました。

したがって、五街道を経済発展のためだけにつくられた制度と理解するのではなく、政治的な交通制度が商品流通の基盤としても機能したと捉えます。

なぜ大量輸送では海運が重要だったのか

米や材木などの重い商品を長距離にわたって大量に運ぶ場合、陸上輸送だけでは大きな負担がかかります。そのため江戸時代の広域物流では海や河川を利用する船が重要でした。

国立歴史民俗博物館が示すように、17世紀を通じて各種の航路や廻船組織が整備され、江戸・大坂間や遠隔地間で船による大量輸送が発達しました。

街道・河川・港・海上航路は別々に働いたのではなく、産地から川船で港へ運び、海船へ積み替え、到着後に陸路を利用するなど、複数の交通手段を組み合わせて商品が移動しました。

河村瑞賢は東廻り・西廻り航路を「発明」したのか

17世紀後半、幕府は東北地方などから年貢米を安定して輸送する必要がありました。そこで幕命を受けた河村瑞賢かわむらずいけんが海上輸送の改善を進めます。

1671〜1672年ごろ、太平洋側を利用する東廻り航路ひがしまわりこうろと、日本海から下関・瀬戸内海方面を経由する西廻り航路にしまわりこうろの輸送体制が整えられました。

ただし、それ以前に海上輸送が存在しなかったわけではありません。瑞賢の重要性は、既存の航路や港を利用しながら、幕府の年貢米などをより安定して輸送できる仕組みを整えたことにあります。

大坂と江戸は全国市場でどんな役割を持ったのか

大名は年貢として集めた米などを市場で販売し、江戸での支出や藩の運営に必要な貨幣を得ました。大坂には多くの藩が蔵屋敷くらやしきを置き、領国から運ばれた米や特産物を保管・販売しました。

一方、江戸には武士・町人など多数の消費者が集まり、各地から米・酒・木綿・油・紙・材木などが送られました。江戸の巨大な需要は、各地域の商品生産と流通を刺激しました。

大坂が商品の集積・取引の結節点となり、江戸が巨大な消費市場となることで、地域ごとの生産と市場が広域的に結びついていきました。

「全国市場が発達した」とはどういう意味か

17世紀の日本に現代と同じ完全に一体化した全国市場が成立したわけではありません。地域ごとの市場や流通圏は残り、交通条件にも差がありました。

それでも、地方で生産された米や商品が大坂・江戸などへ運ばれ、別の地域の商品が地方へ入る流れは強まりました。自家消費だけでなく、市場で売ることを前提とした生産も広がっていきます。

全国市場の発達とは、地域市場が消滅したことではなく、三都・主要港・街道・商人を介して、それぞれの地域がより広い商品流通の網へ結びついたことを意味します。

17世紀の経済発展は「新田開発」「都市成長」「交通・海運」「商品流通」を別々に暗記するより、互いに需要と供給を拡大させた一つの流れとして理解すると分かりやすくなります。

このページで覚えたい流れ

戦乱の終結・幕藩体制の成立 → 城下町と江戸の成長 → 都市の食料・日用品需要が拡大 → 17世紀に新田開発と農業生産が進展 → 五街道・宿駅など陸上交通を整備 → 海運・廻船による大量輸送が発達 → 江戸・大坂・京都の三都が成長 → 1671〜1672年ごろ 河村瑞賢が東廻り・西廻り航路の輸送体制を整備 → 地域市場が広域的に結ばれ全国的な商品流通が発達 → 貨幣経済がさらに浸透

Review

入試で押さえるポイント

  • 17世紀には新田開発が進み、耕地面積と農業生産が拡大
  • 五街道は江戸を起点とする幕府の主要交通路で、宿駅・伝馬制が整備された
  • 江戸・大坂・京都を三都といい、それぞれ異なる都市機能を持った
  • 大量の米や商品を遠隔地へ輸送するうえで海運が重要
  • 河村瑞賢が1671〜1672年ごろに東廻り・西廻り航路の輸送体制を整備
  • 全国市場の発達は、地域市場が消滅したことではなく、広域的な商品流通によって各地域が結ばれたことを意味する

Check

理解度チェック

各文が正しいか、○か×で答えてください。回答すると、その場で解説を確認できます。

0 / 5 問回答

  1. 問1

    17世紀の新田開発は、日本全国で同じ時期に同じ方法で一斉に進められた。

  2. 問2

    江戸・大坂・京都の三都は、それぞれ政治・消費・流通・生産など異なる都市機能を持ちながら相互に結びついていた。

  3. 問3

    五街道は商品流通のためだけに整備され、参勤交代や幕府使者の移動には使われなかった。

  4. 問4

    河村瑞賢の役割は海上輸送をゼロから発明することではなく、既存の航路や港を利用して年貢米輸送を安定させる仕組みを整えることだった。

  5. 問5

    全国市場の発達とは、地域市場が消滅したことではなく、各地域が三都・港・街道・商人を介して広域流通へより強く結ばれたことを意味する。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 新田開発が進み耕地面積が拡大する
  2. 江戸・大坂・京都など都市が発達する
  3. 五街道と宿駅制度の整備が進む
  4. 海運と陸上交通の全国的な流通網が整う
  5. 河村瑞賢が東廻り・西廻り航路を整備する
  6. 貨幣経済と全国的な商品流通が発達する
  7. 参勤交代が武家諸法度に明文化される

Sources

参考資料

  1. 第3展示室「都市の時代」「ひとともののながれ」国立歴史民俗博物館

    近世都市の形成と17世紀の航路・廻船組織、遠隔地間の大量輸送について参照。

  2. 道の歴史:近世の道国土交通省

    五街道、宿駅、伝馬制について参照。

  3. 河村瑞賢国土交通省 東北地方整備局 山形河川国道事務所

    東廻り・西廻り航路の整備と年貢米輸送について参照。

  4. 江戸時代の新田開発により誕生した入鹿池農林水産省

    17世紀の新田開発、水利整備、藩収入との関係の具体例として参照。