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昭和時代1950〜1980年代社会・経済重要度 B

戦後北海道開発―国家的な地域開発は北海道の産業・人口・生活をどう変えたのかせんごほっかいどうかいはつ こっかてきなちいきかいはつはほっかいどうのさんぎょうじんこうせいかつをどうかえたのか

一言でいうと

戦後の北海道では、1950年の北海道開発法と北海道開発庁の設置、1952年に始まる北海道総合開発計画を軸に、国が長期的な地域開発を進めました。戦後復興期には食料増産・電源開発・道路や港湾、河川などの整備が重視され、高度経済成長期には農林水産業の近代化、工業基盤、交通・通信、生活環境へ対象が広がりました。公共投資と産業の変化は北海道の生産や交通、都市生活を支えましたが、地域間の人口移動や札幌への集中、産業構造の転換などをすべて解消したわけではありません。ここでいう『開発』は、北海道が人びとの暮らしや産業のない土地だったという意味ではなく、すでに社会が営まれていた地域に国家が特別な制度と計画を重ねていった政策史として捉える必要があります。

『北海道開発』は戦後に突然始まったのか

北海道に対する国家的な開発政策は、戦後に初めて始まったものではありません。明治政府は1869年に開拓使を設置し、その後も国が特別な制度のもとで北海道の交通、農業、資源利用などに関与してきました。戦後の北海道開発は、この長い政策史の上に再編されたものです。

同時に、『開発』という政策用語を、北海道がそれまで人のいない『未開の土地』だったという意味で受け取るのは適切ではありません。北海道には先住するアイヌ民族の社会があり、近代以降も農林水産業、鉱業、都市、鉄道や港湾などが形成されていました。戦後開発は、こうした既存の社会・産業・歴史を持つ地域に、国が新しい目的と制度をもって総合的な投資を行った過程です。

このTopicでは、開発政策が掲げた目的だけでなく、実際に重視された事業と、地域社会に生じた変化・限界を分けて見ます。アイヌ民族に対する政策と権利運動そのものは、次の独立Topicで詳しく扱います。

1950年の北海道開発法と1952年の総合開発計画は何を目指したのか

1950年、北海道開発法が制定され、北海道開発庁が設置されました。法律は、北海道の資源を総合的に開発する基本事項を定め、国民経済の復興と人口問題の解決に寄与するために国が北海道総合開発計画を樹立し、事業を実施する仕組みを設けました。翌1951年には、公共事業を現地で実施する北海道開発局も設置されます。

1952年度に始まった第1期北海道総合開発計画では、前半の第1次5か年計画で電源開発、道路・港湾・河川の整備、食料増産、基礎調査などが重点となりました。敗戦後の食料不足や経済復興という全国的な課題のなかで、北海道の農林水産物、鉱物・石炭、水力などの資源と広い地域を国家経済へ結びつけることが期待されたためです。

北海道博物館に残る第1期第1次5か年計画の宣伝ポスターにも、食料生産の増強、地下資源の調査・開発、交通整備、ダム建設による電源開発などが掲げられています。つまり初期の計画は、単一の産業を育てるのではなく、産業と社会を支える基盤をまとめて整備する総合開発を特徴としていました。

北海道開発法と北海道総合開発計画は、北海道だけの地域政策であると同時に、戦後日本の経済復興・人口問題・食料や資源の確保に北海道を位置づけた国家政策でした。

高度経済成長のなかで開発の重点はどう変わったのか

復興から高度経済成長へ移ると、北海道開発の重点も変化しました。第1期計画後半では道路・港湾などの産業基盤、国土保全、農業生産基盤、農林水産業の生産性向上、鉱工業、文化・厚生・労働施設などへ対象が広がりました。

1963年度からの第2期北海道総合開発計画は、産業構造の高度化を主要な目標とし、農林水産業の近代化、鉱工業の開発・振興、総合的な交通通信体系、国土保全、社会生活環境の整備などを進めました。北海道を食料や原料の供給地としてだけでなく、高度成長を支える産業地域として発展させようとする方向が強まったのです。

ただし、計画どおりに各地域・各産業が同じように成長したわけではありません。高度成長期には全国的なエネルギー・産業構造の転換も進み、北海道でも地域ごとに発展と縮小が並行しました。総合開発計画は経済・社会の変化に応じて第3期、第4期へと改められ、1970年代には生活環境や国土利用、地域社会のあり方もより強く意識されるようになります。

開発は北海道の人口配置と暮らしを均等にしたのか

道路、港湾、河川、農業基盤、電源などへの投資は、生産活動や人びとの移動、都市生活を支える条件を改善しました。一方で、公共投資が北海道全域の人口を均等に維持したわけではありません。高度成長期以後、進学・就職や産業構造の変化を背景に、道外への人口移動と道内の都市集中が続きました。

北海道の国勢調査では、全道人口に占める札幌市人口の割合は1970年の19.5%から1980年には25.1%へ上昇しました。この数字から開発政策だけが人口集中を引き起こしたとはいえませんが、戦後の大規模な地域開発が進む一方で、札幌への集中や地方部の人口流出という別の動きも進行していたことが分かります。

したがって、戦後北海道開発を『インフラ整備によって北海道全体が一様に豊かになった』という一本線で説明することはできません。交通・生産・生活基盤の改善、農業や工業の近代化、都市機能の集積と、地域ごとの人口減少や産業再編を同時に見る必要があります。

1980年代までの開発は何を残したのか

戦後の長期的な基盤整備を象徴する事業の一つが青函トンネルです。地質調査は戦後間もない1946年に始まり、洞爺丸事故後に建設への機運が高まり、調査・工事を経て1988年3月に津軽海峡線が開業しました。これにより本州と北海道は鉄道で直接結ばれました。

青函トンネルだけでなく、道路、港湾、空港、治水、農業基盤、電源など、昭和後期までに蓄積された社会資本は、その後の北海道の産業と生活を支える基盤になりました。しかし、巨大な公共事業が存在したことと、各地域の経済的な自立や人口維持が自動的に達成されたことは同じではありません。

戦後北海道開発の重要点は、国が北海道を全国的課題と結びつけ、独自の制度と総合計画によって長期投資を続けたことにあります。その成果を交通や生産基盤だけで測るのではなく、人口集中、地域差、環境、既存の地域社会との関係を含めて評価することが、北海道の近現代史を理解するうえで重要です。

Review

入試で押さえるポイント

  • 1950年に北海道開発法が制定され、北海道開発庁が設置された
  • 1952年度から第1期北海道総合開発計画が始まり、初期には電源・道路・港湾・河川・食料増産などが重視された
  • 高度経済成長期には農林水産業の近代化、鉱工業、交通通信、生活環境などへ開発対象が広がった
  • 北海道開発は戦後復興や人口問題など全国的課題と結びついた国家政策であり、北海道を無人の『未開地』とみなす説明は避ける
  • 開発が進む一方で札幌への人口集中や地方部の人口流出も進み、地域差は解消されなかった
  • 1988年の青函トンネル開業は、本州と北海道を鉄道で直接結んだ昭和後期の大規模交通基盤整備の象徴の一つである

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  1. 問1

    戦後の北海道開発は、それまで人びとの社会や産業がほとんど存在しなかった土地を初めて国家が利用し始めた政策だった。

  2. 問2

    1950年の北海道開発法と1952年度からの総合開発計画は、北海道の地域政策であると同時に、戦後日本の経済復興・人口問題・食料や資源確保とも結びついていた。

  3. 問3

    高度経済成長期の北海道開発では、政策対象が食料増産だけに絞られ、鉱工業や交通通信、生活環境の整備は重視されなくなった。

  4. 問4

    大規模な公共投資が進んだことで、北海道では札幌への人口集中や地方部からの人口流出が解消し、各地域の人口と経済が均等に維持された。

  5. 問5

    1988年の青函トンネル開業は本州と北海道を鉄道で直接結ぶ大規模基盤整備だったが、それだけで北海道各地域の人口維持や経済的自立が自動的に実現したわけではない。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 北海道開発法が制定され北海道開発庁が設置される
  2. 第1期北海道総合開発計画が始まる

Sources

参考資料

  1. 北海道開発行政の推進国土交通省

    北海道開発法制定、北海道開発庁・北海道開発局の設置と、戦前から戦後へ続く北海道開発行政の制度的経緯の確認に使用。

  2. 北海道総合開発の推進国土交通省

    北海道開発法の目的と、国民経済の復興・人口問題に寄与するため国が総合開発計画を樹立する法的位置づけの確認に使用。

  3. Sequence of Development Plan国土交通省 北海道開発局

    1952年以後の各期北海道総合開発計画の期間、目標、主要施策と、復興から高度成長へ重点が変化したことの確認に使用。

  4. 第4テーマ わたしたちの時代へ北海道博物館

    1952年開始の第1期第1次5か年計画と、食料増産・地下資源・交通・電源開発を掲げた当時の宣伝資料の確認に使用。

  5. 経済・社会情勢の変化を踏まえた新たな視点北海道

    国勢調査に基づく1970年・1980年の北海道人口と札幌市人口、札幌市への人口集中割合の確認に使用。

  6. 昭和63年度 運輸白書 青函トンネルの概要運輸省(国土交通省ウェブサイト)

    青函トンネルの調査・建設経緯、1988年3月13日の開業と本州・北海道が鉄道で結ばれたことの確認に使用。