初の男子普通選挙と三・一五事件―政治参加の拡大と思想統制はなぜ同時に進んだのか
一言でいうと
1928年2月20日、1925年の衆議院議員選挙法改正、いわゆる男子普通選挙法にもとづく最初の衆議院議員総選挙が行われました。納税額による選挙権の制限がなくなり、原則として満25歳以上の男子へ国政選挙の選挙権が広がったことで、政党は従来よりはるかに広い有権者へ働きかける必要が生じ、労働者・農民などを支持基盤とする無産政党も議席を獲得しました。しかし女性には国政選挙権がなく、政治参加の拡大がそのまま自由な政治活動の全面的保障を意味したわけでもありません。総選挙から約1か月後の3月15日、政府は非合法の日本共産党員や関係者を全国で一斉に検挙する三・一五事件を起こし、6月には治安維持法を緊急勅令で改正して処罰を強化しました。昭和初期には、議会政治と選挙参加が拡大する一方、国家が特定の思想・政治運動を取り締まる制度も強化されました。この二つをどちらか一方だけで捉えず、同じ政治体制の中で並行して進んだ変化として理解することが重要です。
1928年の総選挙で何が変わったのか
1925年の衆議院議員選挙法改正では、それまで選挙権の条件だった納税資格が撤廃され、原則として満25歳以上の男子に選挙権が認められました。この制度が国政選挙で初めて実施されたのが、1928年2月20日の第16回衆議院議員総選挙です。
この変更によって有権者の範囲は大きく広がり、政党は都市の中間層だけでなく、労働者や農民を含むより広い層へ政策を訴える必要が強まりました。立憲政友会と立憲民政党が議席の大半を占める二大政党の競争が続く一方、社会民衆党・労働農民党・日本労農党などの無産政党も選挙に参加し、少数ながら衆議院に議席を得ました。
ただし、この『普通選挙』は現代の普通選挙と同じではありません。女性には国政選挙権がなく、制度上の欠格規定も残っていました。したがって1928年は政治参加が大幅に拡大した重要な転換点ですが、すべての成人に平等な参政権が実現した年ではありません。
無産政党の登場は何を示していたのか
大正期には労働運動や農民運動が発達し、それらの要求を議会政治へ持ち込もうとする政党も形成されました。1928年総選挙では、労働者・農民などの利益を掲げる複数の無産政党が候補者を立て、社会民衆党の安部磯雄・鈴木文治、労働農民党の山本宣治らが当選しました。
無産政党の議席は二大政党に比べれば少数でしたが、納税資格がなくなったことで、従来の制限選挙では政治的代表を得にくかった層の要求が選挙を通じて国政へ入りうるようになったことを示します。男子普通選挙は、単に投票できる人数を増やしただけでなく、政党が向き合う社会層を広げる効果を持ちました。
一方、日本共産党は当時非合法で、政党として公然と選挙へ参加できませんでした。共産党員の一部は労働農民党など合法的な運動との関係を通じて活動しており、政府・警察はこうした動きを強く警戒していました。無産政党一般と非合法の日本共産党を同一視しないことが重要です。
三・一五事件では何が取り締まられたのか
1928年3月15日、政府は治安維持法にもとづき、日本共産党員やその関係者とみなした人々を全国で一斉に検挙しました。これが三・一五事件です。総選挙の約1か月後に起きましたが、男子普通選挙そのものを取り消した事件ではなく、非合法の共産党組織とその周辺を対象とする大規模な弾圧でした。
政府・警察は以前から共産主義運動を監視しており、選挙運動を含む合法的な社会運動の周辺で非合法の共産党活動がどのように展開しているかも把握しようとしていました。三・一五事件によって多数の活動家が検挙され、社会運動・労働運動の側にも大きな影響が及びます。
ここで注意したいのは、男子普通選挙の実施と三・一五事件を『民主化の直後に突然独裁へ転換した』と単純化しないことです。政党内閣と議会選挙はなお続いており、その一方で治安維持法による思想・組織活動への統制が強化されていました。
なぜ治安維持法は同じ年に強化されたのか
三・一五事件の後、田中義一内閣は治安維持法の改正を進めました。改正案は第55帝国議会で成立しませんでしたが、政府は1928年6月29日に緊急勅令によって改正を実施しました。
改正では、『国体変革』を目的とする結社の組織者・指導者などへの最高刑が死刑とされ、結社への加入だけでなく、結社の『目的遂行ノ為ニスル行為』も処罰対象として規定されました。さらに同年には特別高等警察の組織も全国的に拡充され、思想・社会運動を監視する警察体制が強化されていきます。
1925年の治安維持法制定と1928年の改正は区別して覚える必要があります。1925年に法律が成立し、1928年の三・一五事件後に刑罰と取締りの枠組みがさらに強化された、という順序です。
1928年は『普通選挙によって自由が完成した年』でも、『三・一五事件によって政党政治が終わった年』でもありません。選挙を通じた政治参加の拡大と、治安維持法による政治・思想活動への統制強化が同じ政党政治期に並行して進んだ点が重要です。
Review
入試で押さえるポイント
- 1928年2月20日の第16回衆議院議員総選挙が、1925年男子普通選挙法にもとづく最初の国政選挙
- 男子普通選挙法は納税資格を撤廃したが、女性には国政選挙権がなく、現代の普通選挙とは異なる
- 社会民衆党・労働農民党・日本労農党などの無産政党が参加し、労働者・農民などの要求を議会へ持ち込む回路が広がった
- 三・一五事件は1928年3月15日、治安維持法にもとづき非合法の日本共産党員・関係者らを全国で一斉検挙した事件
- 1928年6月の治安維持法改正は緊急勅令で行われ、『国体変革』目的の結社の組織者・指導者などへの最高刑を死刑とした
- 政治参加の拡大と思想統制の強化は、昭和初期の政党政治のもとで並行して進んだ
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1928年の第16回衆議院議員総選挙では納税資格が撤廃され、男女を問わずすべての成人に国政選挙権が認められた。
納税資格は撤廃されましたが、選挙権は原則として満25歳以上の男子に限られ、女性には国政選挙権がありませんでした。
本文の該当箇所を確認する - 問2
1928年総選挙では複数の無産政党が候補者を立て、少数ながら衆議院に議席を得た。
社会民衆党・労働農民党・日本労農党などが参加し、労働者・農民などの要求を議会へ持ち込む回路が広がりました。
本文の該当箇所を確認する - 問3
1928年に選挙へ参加した無産政党は、いずれも非合法の日本共産党そのものであり、両者を区別する必要はない。
無産政党は合法的に選挙へ参加した複数の政党で、日本共産党は当時非合法でした。両者を同一視するのは適切ではありません。
本文の該当箇所を確認する - 問4
三・一五事件は非合法の日本共産党員や関係者を対象とする大規模検挙だったが、この事件によって直ちに政党内閣と議会選挙が終了したわけではない。
政党内閣と議会選挙はその後も続きました。一方で、治安維持法による思想・組織活動への統制は強化されていきました。
本文の該当箇所を確認する - 問5
治安維持法は三・一五事件を受けて1928年に初めて制定され、その時点で初めて共産主義運動の取締りが始まった。
治安維持法は1925年に制定済みで、1928年には三・一五事件後に緊急勅令で改正され、刑罰と取締りの枠組みがさらに強化されました。
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Timeline
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Sources
参考資料
- 男子普通選挙法の成立と治安維持法国立国会図書館「史料にみる日本の近代」
1925年の衆議院議員選挙法改正による納税要件撤廃と、治安維持法成立の関係を確認
- 年表 日本のあゆみ国立公文書館
1928年2月に最初の普通選挙が実施されたことを公文書年表で確認
- 普選第1回総選挙[政]1928.2.20/3・15事件[政]1928.3.15法政大学大原社会問題研究所『社会・労働運動大年表』解説編
第1回男子普通選挙と無産政党、三・一五事件を社会・労働運動史の文脈で確認
- 治安維持法中改正ノ件 昭和3年6月29日勅令第129号国立国会図書館 日本法令索引
1928年6月29日の緊急勅令による治安維持法改正と法令上の処罰規定を確認
- 治安維持法改正[政]1928.6.12/全県警察部に特高課設置[政]1928.7.3法政大学大原社会問題研究所『社会・労働運動大年表』解説編
三・一五事件後の治安維持法改正と特高警察機構拡充の位置づけを確認
