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明治時代1868〜1869年政治・外交重要度 A

戊辰戦争の拡大と箱館戦争―江戸城開城後もなぜ戦争は続いたのかぼしんせんそうのかくだいとはこだてせんそう えどじょうかいじょうごもなぜせんそうはつづいたのか

一言でいうと

1868年4月に江戸城が新政府へ引き渡されても、戊辰戦争は終わりませんでした。徳川慶喜は恭順しましたが、旧幕臣すべてが新政府に従ったわけではなく、5月には彰義隊が上野で新政府軍と戦いました。東北でも、新政府から討伐対象とされた会津・庄内両藩の処遇をめぐり、仙台・米沢などの諸藩は当初、両藩への寛大な処分を求めて連携しました。しかし嘆願が受け入れられず対立が深まる中で奥羽越列藩同盟は新政府軍との戦争へ進み、やがて各藩が降伏して会津藩も敗れます。さらに榎本武揚ら旧幕府の海軍勢力は蝦夷地へ移り、五稜郭を拠点に蝦夷地仮政権をつくって抵抗しました。1869年5月、箱館戦争で榎本らが降伏し、鳥羽・伏見から約一年半続いた戊辰戦争は終結します。江戸城開城は徳川政権の中枢が新政府へ移った節目でしたが、全国的な軍事抵抗を終わらせるには、東北から蝦夷地まで続く戦争を経る必要があったのです。

江戸城を引き渡しても、なぜ戦争は終わらなかったのか

江戸城開城によって、徳川慶喜と徳川宗家を中心とする旧幕府の政治的中枢は新政府に服する方向へ進みました。しかし、旧幕府は多数の幕臣、軍隊、艦船を抱えており、そのすべてが慶喜の恭順と同時に新政府の指揮下へ入ったわけではありませんでした。

旧幕臣の中には、新政府による徳川家の処分や自らの将来に反発し、なお武力抵抗を続ける者がいました。また東北の諸藩には、京都・江戸で成立した新政府の決定にそのまま従うだけでは処理できない地域政治上の利害と藩同士の関係がありました。

そのため戊辰戦争は、徳川慶喜と新政府の一対一の戦争ではありません。旧幕臣、諸藩、旧幕府海軍など異なる主体が、それぞれの理由で新政府と対立したため、江戸城開城後も戦線が関東・北越・東北、さらに蝦夷地へ移っていきました。

上野戦争は何を示したのか

1868年5月、江戸の上野では旧幕臣を中心とする彰義隊しょうぎたいが新政府軍と戦いました。彰義隊はもともと徳川慶喜の警護などを掲げて集まった旧幕臣らの組織でしたが、江戸城開城後も上野にとどまり、新政府側との緊張を強めていました。

5月15日の上野戦争で彰義隊は新政府軍に敗れました。江戸城そのものは交渉で引き渡されても、江戸の旧幕府勢力がすべて無抵抗で新政府へ編入されたわけではなかったことを示す戦いです。

一方、新政府は江戸で旧幕府の町奉行などを廃止し、新しい行政機関を置く作業も同時に進めていました。戦争と政府制度の移行は別々に順番よく起こったのではなく、旧体制の抵抗を軍事的に抑えながら、新しい統治機構を動かす作業が並行していたのです。

奥羽越列藩同盟はなぜ成立し、新政府と戦うことになったのか

東北では、新政府から会津藩・庄内藩への攻撃を命じられた諸藩の間で対応が問題となりました。仙台藩・米沢藩などは、ただちに会津・庄内を攻撃するより、両藩に謝罪させて寛大な処分を得ようとし、諸藩が連携して新政府へ嘆願しました。

秋田県公文書館の資料解説でも、奥羽諸藩が1868年閏4月に会津・庄内両藩への寛典を求める盟約を結んだことが確認できます。したがって、奥羽越列藩同盟おううえつれっぱんどうめいを最初から『新政府を倒して旧幕府を復活させるための同盟』とだけ説明するのは正確ではありません。

しかし新政府側が会津への厳しい処分方針を維持し、嘆願が受け入れられない中で対立は深まりました。奥羽諸藩に越後諸藩も加わった同盟は、新政府軍に対抗する軍事的な連合へ変化していきます。ここでも政治交渉の行き詰まりが戦争へ移る過程を見ることができます。

奥羽越列藩同盟は、最初から単純な『旧幕府復活同盟』として出発したのではありません。会津・庄内への寛典を求める東北諸藩の連携が、新政府との対立の中で軍事同盟へ変化した点を押さえます。

東北の戦争はどのように新政府軍の勝利へ向かったのか

新政府軍との戦闘が北越・東北へ広がると、同盟諸藩の置かれた状況には差があり、統一した戦争を長く続けることは困難になりました。米沢藩が降伏すると仙台藩なども相次いで新政府側へ服し、会津藩は孤立していきます。

会津若松では激しい籠城戦となりましたが、1868年9月に会津藩は降伏しました。国立公文書館は、会津藩の降伏を機に新政府軍の勝利が確定することになったと位置づけています。

東北諸藩の降伏によって、本州で組織的に新政府へ抵抗する大規模な藩連合は崩れました。しかし旧幕府海軍の一部はなお強力な艦船と人員を保持しており、戦争の最後の舞台は海を越えた蝦夷地へ移ります。

榎本武揚らはなぜ蝦夷地へ向かったのか

旧幕府の軍艦を率いた榎本武揚えのもとたけあきらは1868年8月に品川沖を離れ、東北を経て10月に蝦夷地へ上陸しました。榎本は幕府の海軍官僚としてオランダ留学を経験し、航海術や国際法を学んだ人物で、旧幕府海軍には洋式軍事技術を持つ人材が集まっていました。

榎本らは五稜郭を占拠し、松前・江差方面にも勢力を広げ、12月には榎本を総裁とする蝦夷地仮政権えぞちかりせいけんを樹立しました。しばしば『蝦夷共和国』と呼ばれますが、函館市の公的解説では『蝦夷地仮政権』と表記しており、近代的な独立共和国が正式に成立したと単純化しない方が適切です。

旧幕府脱走軍には土方歳三らも加わりました。彼らの抵抗は単に江戸幕府をそのまま復活させる試みではなく、旧幕臣の処遇や蝦夷地での新たな政治・開拓構想なども背景に持っていました。ただし、この政権を新政府は認めず、翌1869年に軍を送りました。

箱館戦争の終結は何を意味したのか

1869年春、新政府軍は蝦夷地へ上陸し、箱館周辺へ進撃しました。旧幕府脱走軍は前年に主力艦開陽を失っており、海陸で次第に追い詰められます。5月には新政府軍が箱館を総攻撃し、土方歳三も戦死しました。

5月18日、榎本武揚らが降伏し、五稜郭は新政府へ引き渡されました。国立公文書館・函館市はいずれも、この箱館での旧幕府軍降伏を戊辰戦争の終結として位置づけています。

これによって、鳥羽・伏見から続いた新政府と旧幕府系勢力との大規模な内戦は終わりました。しかし、戊辰戦争に勝っただけで新政府の中央集権国家が完成したわけではありません。各藩はなお土地と人民を支配しており、次には版籍奉還や廃藩置県によって、諸藩の権限を中央政府へ集める課題が残っていました。

Review

入試で押さえるポイント

  • 江戸城開城後も旧幕臣や東北諸藩などの抵抗が続き、戊辰戦争は1869年の箱館戦争終結まで続いた
  • 1868年5月の上野戦争では旧幕臣を中心とする彰義隊が新政府軍に敗れた
  • 奥羽越列藩同盟は当初、会津・庄内両藩への寛典を求める諸藩の連携として形成され、新政府との対立の中で軍事同盟へ変化した
  • 奥羽越列藩同盟は新政府軍に敗れ、米沢・仙台などの降伏後に会津藩も1868年9月に降伏した
  • 榎本武揚ら旧幕府脱走軍は蝦夷地へ渡り五稜郭を拠点として、榎本を総裁とする蝦夷地仮政権を樹立した
  • 1869年5月に榎本武揚らが降伏して箱館戦争・戊辰戦争が終結したが、中央集権化はその後の版籍奉還・廃藩置県へ続く

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  1. 問1

    1868年4月に江戸城が新政府へ引き渡されたことで、戊辰戦争はその時点で終結した。

  2. 問2

    奥羽越列藩同盟は、最初から旧幕府を復活させることだけを目的に結成された軍事同盟だった。

  3. 問3

    彰義隊が上野で新政府軍と戦ったのは、江戸城開城後である。

  4. 問4

    榎本武揚らが五稜郭を拠点につくった政権は、国際的に承認された近代的な独立共和国として正式に成立した。

  5. 問5

    1869年の箱館戦争終結で戊辰戦争は終わったが、各藩の土地・人民支配はなお残り、中央集権化には版籍奉還や廃藩置県が必要だった。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 鳥羽・伏見の戦いが起こり戊辰戦争が始まる
  2. 江戸城が新政府へ引き渡される
  3. 新政府軍が戊辰戦争で旧幕府勢力を制圧する
  4. 箱館戦争が終結する
  5. 版籍奉還が行われる

Sources

参考資料

  1. 近代国家 日本の登場―戊辰戦争国立公文書館

    奥羽越列藩同盟、会津藩降伏、箱館五稜郭陥落までの戊辰戦争全体の流れを確認。

  2. 明治元年(1868)1月|鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争が始まる)国立公文書館

    江戸城開城後に上野・北越・東北戦争を経て1869年5月の箱館まで戊辰戦争が続いたことを確認。

  3. 変貌―町奉行を廃止し市政裁判所を設置国立公文書館

    1868年4月の江戸城開城後、5月15日に彰義隊が上野で新政府軍に敗れたことを確認。

  4. 奥羽列藩同盟約書写秋田県公文書館・美の国あきたネット

    仙台・米沢の呼びかけで奥羽諸藩が会津・庄内への寛典を求める盟約を結んだことを確認。

  5. 宮島誠一郎 明治元年9月6日の日記より国立国会図書館 憲政資料室

    米沢藩の降伏後、仙台藩など同盟各藩が相次いで降伏し会津藩が孤立した流れを確認。

  6. 榎本釜次郎脱艦一件書並仏人ブリユウネ等所罰方国立公文書館

    榎本武揚の幕府海軍経歴と箱館戦争で新政府と戦ったことを確認。

  7. 五稜郭の歴史(箱館戦争から現在)函館市

    1868年の旧幕府脱走軍上陸・五稜郭占拠・蝦夷地仮政権樹立、1869年5月18日の榎本武揚らの降伏を確認。

  8. 公文書の世界―函館五稜郭の図国立公文書館

    榎本武揚らが五稜郭を占領し、1869年5月の降伏後に明治政府へ引き渡されたことを確認。