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鎌倉時代13世紀後半〜14世紀初め社会・経済重要度 A

悪党と永仁の徳政令―幕府は御家人の窮乏を救えたのかあくとうとえいにんのとくせいれい ばくふはごけにんのきゅうぼうをすくえたのか

一言でいうと

鎌倉時代後期には、御家人の所領問題が深刻になる一方、各地で幕府や荘園領主が「悪党」と呼ぶ人々の活動が問題となりました。悪党は現代語の「悪人」や単なる盗賊と同じ意味ではなく、史料上、その語の使われ方も時期や主体によって変化します。幕府は土地支配や年貢収納を妨げる行為などを取り締まりました。一方、所領を失う御家人が増えるなか、1297年には永仁の徳政令を出し、御家人所領の売買・質入れを規制し、一定の場合に失われた所領を無償で取り戻させました。ただし、土地を戻すだけで御家人窮乏の複合的な原因を解消することはできず、政策は土地・金融取引にも影響を与えました。

悪党とは盗賊のことなのか

単純に盗賊と覚えるのは適切ではありません。鎌倉時代の史料に現れる悪党あくとうという語は、現代語の「悪人」と同じ意味ではなく、その用法も時期や文書を出した主体によって変化しました。

幕府や荘園領主の側からは、他人の所領へ実力で入り込む、年貢収納を妨げる、土地支配を乱すといった行為を行う人々が悪党として問題にされました。

ただし、悪党という固定した身分集団が存在したわけではありません。在地の武士や荘園の住人など、さまざまな立場の人々が争いのなかで悪党と呼ばれることがありました。

なぜ鎌倉時代後期に悪党が問題になるのか

鎌倉時代後期には、地頭と荘園領主の権利が重なり、所領の相続・売買・質入れも行われるなど、土地をめぐる社会関係が複雑になっていました。貨幣経済の発達によって土地は金銭の貸借とも強く結びつきます。

こうした社会の変化のなかで、土地や年貢をめぐる争いが各地で起こりました。幕府は守護などを通じて悪党の取り締まりを進めましたが、地域の権力関係によっては十分に統制できない場合もありました。

つまり悪党問題は、単に「治安が悪くなった」というだけでなく、鎌倉幕府が各地の土地紛争や実力行使をどこまで統制できるのかという政治上の問題でもありました。

悪党は最初から幕府を倒そうとしていたのか

そうではありません。鎌倉後期に悪党と呼ばれた人々の活動目的は一様ではなく、所領をめぐる争い、年貢や土地支配への抵抗、地域の権益をめぐる対立など、それぞれの事情がありました。

のちの倒幕過程では、幕府に従わない地域勢力が後醍醐天皇側などと結びつくこともありますが、「悪党が増えたので直ちに全国的な倒幕運動になった」と一直線に説明することはできません。

まずは、鎌倉後期の在地社会で従来の支配秩序だけでは処理しにくい争いが増えていたことを押さえます。

幕府はなぜ御家人の土地を守ろうとしたのか

御家人にとって所領は生活の基盤であるだけでなく、幕府へ軍役を果たすための経済基盤でもありました。御家人が借金のために所領を売却・質入れして土地を失えば、軍事奉仕を支える力も弱くなります。

幕府は御家人の所領を保障する御恩ごおんと、御家人が軍事奉仕を行う奉公ほうこうの関係によって支えられてきました。そのため御家人の所領喪失は、個人の生活問題だけでなく御家人制そのものに関わる政治問題でした。

そこで幕府は、御家人制を維持するためにも御家人所領を保護しようとします。

1297年の永仁の徳政令とは何だったのか

1297年、北条貞時のもとで鎌倉幕府は永仁の徳政令えいにんのとくせいれいを出しました。中心となったのは御家人の所領問題です。

法令では今後の御家人所領の売買・質入れを禁止し、すでに御家人の手を離れていた所領についても一定の場合には元の御家人へ無償で返還させることを定めました。

ただし、買主が御家人で幕府から買得安堵を受けていた場合や、売買から20年以上が経過した場合などには取り戻せないという例外がありました。一方、買主が非御家人などの場合には、こうした例外が適用されない扱いでした。

ここから永仁の徳政令が、一般的な土地政策というより、まず御家人所領の保護を重視した法令だったことが分かります。

永仁の徳政令は借金を全部帳消しにしたのか

そのように理解するのは正確ではありません。永仁の徳政令は全国の人々の借金を一律に消滅させる法令ではなく、御家人所領の売買・質入れの規制と、失われた所領の取り戻しが大きな柱でした。

また幕府は、債権・債務に関する訴訟を受理しないことも定めました。これによって債権者が幕府裁判を通じて返済を求めることは難しくなりましたが、「借金そのものがすべて自動的に消えた」と同じではありません。

大学受験では、1297年、御家人所領の売買・質入れを規制し、一定の場合に失った所領を無償で取り戻させた、という中心をまず押さえます。

永仁の徳政令で御家人は救われたのか

土地を取り戻せた御家人にとっては救済となる場合がありました。しかし御家人窮乏の背景には、所領の細分化、貨幣経済の発達、借金、蒙古襲来の負担、恩賞不足、長期の警固など複数の問題がありました。土地を一度戻すだけでそれらがすべて解決するわけではありません。

さらに、土地を購入した側や金銭を貸す側から見れば、後に土地を無償で取り戻される可能性が生まれます。そのため土地取引や金融にも影響が及びました。

1298年には、今後の所領売買・質入れ禁止や債権・債務訴訟の停止などが撤回されました。一方、1297年以前に売却・質流れしていた所領を取り戻させる措置は維持されました。

これは幕府が御家人を保護しながら、現実の土地・金融取引とも折り合いをつける必要があったことを示します。

悪党と徳政令から鎌倉後期の何が見えるのか

永仁の徳政令は、幕府が御家人問題に何もできなかったことを示す政策ではありません。御家人の所領喪失が幕府体制に関わる重大な問題だったため、強い介入を行ったと考えます。

しかし鎌倉後期の社会では、御家人だけでなく、非御家人の武士、荘園領主、農民、商人、金融業者など多様な人々が土地と貨幣を通じて結びついていました。各地では悪党問題のように幕府の統制だけでは処理しにくい紛争も起こります。

幕府は変化する社会のなかで御家人制を維持しようとしましたが、その政策には限界がありました。悪党問題と永仁の徳政令は、鎌倉後期の土地・社会・幕府支配の変化を一緒に考える手がかりとなります。

このページで覚えたい流れ

鎌倉時代後期、土地・貨幣をめぐる社会関係が複雑になる → 御家人の所領売却・質入れが問題になる → 各地で土地・年貢をめぐる紛争が起こる → 幕府・荘園領主が秩序を乱すとみなした人々を悪党と呼ぶ → 幕府が悪党の取り締まりを進める → 御家人の窮乏も続く → 1297年、永仁の徳政令 → 御家人所領の売買・質入れを禁止する → 一定の条件で失った所領を元の御家人へ無償返還させる → 債権・債務訴訟も受理しない → 土地を取り戻せる御家人がいる一方、土地取引・金融にも影響する → 1298年、一部の規制が撤回される → 幕府は御家人制の維持と変化する社会への対応という課題を抱え続ける

悪党を単なる盗賊、永仁の徳政令を全国的な借金帳消しと覚えず、鎌倉後期の土地・社会・幕府支配の変化として一続きに理解します。

Review

入試で押さえるポイント

  • 悪党は固定した身分名や単なる盗賊を意味する語ではなく、史料上の用法にも変化がある
  • 悪党問題は、鎌倉後期の土地・年貢をめぐる紛争と幕府の統制問題に関わる
  • 1297年、北条貞時の時代に永仁の徳政令が出された
  • 御家人所領の売買・質入れを規制し、一定の場合に失われた所領を無償で取り戻させた
  • 永仁の徳政令を全国民の借金をすべて帳消しにした法令とはしない
  • 徳政令は御家人保護を目指したが、御家人窮乏の複合的な原因をすべて解決するものではなかった

Check

理解度チェック

各文が正しいか、○か×で答えてください。回答すると、その場で解説を確認できます。

0 / 5 問回答

  1. 問1

    鎌倉後期の悪党とは、幕府が公式に定めた固定身分の盗賊集団を指す。

  2. 問2

    悪党と呼ばれた人々は、最初から全国で連携して鎌倉幕府を倒すことだけを目的としていた。

  3. 問3

    1297年の永仁の徳政令は、御家人所領の売買・質入れを規制し、一定の場合に失った所領を取り戻させることを重視した。

  4. 問4

    永仁の徳政令は、日本全国のすべての人の借金を一律に自動消滅させた法令だった。

  5. 問5

    1298年には永仁の徳政令の一部規定が撤回されたが、1297年以前に失われた所領の取戻し措置は維持された。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 悪党の活動が活発になる
  2. 永仁の徳政令が出される
  3. 蒙古襲来後、御家人の窮乏が深まる
  4. 借上などの高利貸しが活動する
  5. 得宗専制が進む

Sources

参考資料

  1. 鎌倉期における「悪党」の語義変化京都大学学術情報リポジトリ

    鎌倉期史料における「悪党」の語義と用法の変化を単純化しないために参照。

  2. 研究業績(西田友広)東京大学史料編纂所

    鎌倉幕府の検断権・悪党取り締まりと在地社会の関係を扱う研究の所在を確認するため参照。

  3. 日本史学特殊講義V―永仁の徳政令をめぐる政治・経済・社会東京大学

    永仁の徳政令を御家人所領の無償取戻しだけに単純化せず、政治・経済・社会状況と土地移動のなかで位置づけるため参照。