元寇後の御家人窮乏―なぜ御家人は戦後も苦しくなったのか
一言でいうと
鎌倉時代後期には、所領経営が苦しくなる御家人が増えていきました。その原因を蒙古襲来だけに求めることはできません。分割相続による所領の細分化、貨幣経済の発達に伴う借金や金銭支出の増加に加え、蒙古襲来では戦闘・防塁建設・警固など大きな負担を負ったにもかかわらず、新しい土地を獲得できず十分な恩賞を受けにくいという問題が重なりました。さらに弘安の役後も元の再来襲への警戒は続き、御家人の軍事負担はすぐにはなくなりませんでした。
御家人は蒙古襲来のために突然貧しくなったのか
そう単純には考えません。御家人の経済基盤には、蒙古襲来以前から変化が起きていました。
鎌倉時代前期には、所領を子どもたちへ分ける分割相続が広く行われていました。何世代も分割が続けば、一人の御家人が受け継ぐ所領は小さくなっていきます。
所領は御家人にとって単なる財産ではありません。その土地から得られる収入によって、自分や家族だけでなく従者を養い、武具や馬を用意し、幕府から求められる軍役にも応じる必要がありました。所領が細分化すれば、御家人としての軍事・経済的基盤も弱くなりやすくなります。
そのため鎌倉時代後期になると、所領を一人の後継者へ集中させる単独相続へ向かう傾向も強まっていきました。
貨幣経済の発達は御家人にどんな影響を与えたのか
鎌倉時代には宋銭が広く流通し、市場や商業、金融の活動も発達しました。貨幣経済の発達そのものを「悪いこと」と考える必要はありません。商品を売買したり遠隔地の物資を入手したりするうえで、貨幣は便利な交換手段でした。
一方で、御家人も現金を必要とする場面が増えていきます。所領から年貢を得ていても、軍役のための移動費、武具・馬の準備、鎌倉への出仕などには支出が必要です。収入だけでまかなえなければ、金銭を借りることになります。
鎌倉時代には、銭を貸し付ける借上などの金融業者も活動しました。借金を返せなくなれば、御家人が所領を質に入れたり売却したりすることもあります。御家人にとって所領を失うことは、収入源だけでなく幕府へ奉仕する基盤を弱める問題でもありました。
蒙古襲来では、なぜ恩賞が問題になったのか
蒙古襲来では、多くの武士が戦闘や警固に動員されました。御家人制では、御家人が軍役などの奉公を行う一方、将軍・幕府は所領を保障したり新しい土地を与えたりする御恩によって応えることが基本でした。
国内の戦乱であれば、敗れた側から没収した所領などを功績のあった御家人へ新恩給与として与えることができます。しかし蒙古襲来では元軍を退けても、日本が元や高麗の領土を獲得したわけではありません。
幕府が恩賞をまったく与えなかったわけではありませんが、戦闘や防衛に参加した武士たちの功績に対して十分な恩賞を用意することは難しくなりました。これは御恩と奉公という幕府と御家人の関係にとって大きな問題でした。
異国警固番役は弘安の役のあとに始まったのか
蒙古襲来後の負担を考えるときに重要なのが異国警固番役です。ただし、これは弘安の役が終わってから突然始まった制度ではありません。
幕府は蒙古襲来以前から九州の警備を強化し、1275年には異国警固番役を整えて九州各国が交代で北部九州の防衛を担当する体制を定めました。1276年に元寇防塁が築かれると、防塁の建設・修理と警固も御家人たちの負担となります。
問題は、1281年の弘安の役で元軍を退けても、この負担がすぐには終わらなかったことです。元はその後も日本遠征を計画したため、幕府は九州の警固体制を長く維持しました。
なぜ戦争が終わっても御家人の負担は軽くならなかったのか
元が再び攻めてくる可能性が残る以上、幕府は「二度退けたから、もう警戒しなくてよい」と判断できませんでした。そのため九州では、弘安の役後も異国警固や元寇防塁の維持が続きました。
戦闘に参加する → 防塁を築く → 警固を続ける → 費用や人員を負担する → しかし新しい領土は得られない → 十分な恩賞を受けにくい、という構造になります。
戦争に勝ったのに、御家人側の負担だけが簡単には解消されなかったことが重要です。
御家人窮乏は元寇だけで説明できるのか
できません。御家人の経済的な苦しさには、複数の変化が重なっていました。
分割相続による所領の細分化、商品・貨幣経済の発達に伴う借金や所領の質入れ・売却、蒙古襲来による軍事負担と恩賞不足、そして長期間にわたる異国警固などを合わせて考える必要があります。
また、すべての御家人が同じ程度に困窮したわけでもありません。所領の規模、地域、一族の立場などによって状況には差がありました。「鎌倉時代後期になると御家人全員が貧乏になった」と理解するのではなく、御家人社会のなかで所領を維持できない者が増え、経済的な不安定さが大きくなっていったと捉えます。
なぜ御家人の生活問題が幕府の政治問題になるのか
頼朝以来、幕府は御家人の所領を保障し、御家人は軍役などによって幕府へ奉仕してきました。御家人が所領を失ったり軍役を負担する力を弱めたりすれば、幕府を支える御家人制そのものも不安定になります。
蒙古襲来では幕府は御家人に大きな奉公を求めましたが、それに見合う御恩を十分に用意することが難しいという問題が表面化しました。そのため、御家人の所領をどう守るかは幕府にとって重要な政治課題となります。
やがて幕府は、借金などによって御家人の手を離れた所領を取り戻させようとする政策にも踏み込みます。その代表が1297年の永仁の徳政令です。ただし、その内容と限界は後のテーマで詳しく扱います。
同じ時期には北条氏の得宗とその家臣である御内人の力も強まり、幕府内部の政治構造も変化していきました。御家人窮乏だけで幕府が滅亡したわけではありませんが、鎌倉時代後期の政治・社会を理解する重要な背景となります。
このページで覚えたい流れ
鎌倉時代前期に分割相続が行われる → 世代を重ねると所領が細分化する → 貨幣経済が発達する → 借上などから金銭を借りる御家人も現れる → 所領の質入れ・売却などが問題になる → 所領を維持するため単独相続へ向かう動きが強まる → 蒙古襲来で戦闘・防塁建設・警固の負担が増える → 元軍を退けても新しい領土を獲得できない → 御家人へ十分な恩賞を与えにくい → 弘安の役後も異国警固が続く → 御家人の経済的負担が重なる → 御家人の所領維持が幕府の重要な政治課題となる → 得宗専制や永仁の徳政令へ
御家人の窮乏は蒙古襲来だけで生まれたのではなく、所領相続・貨幣経済・借金・軍事負担・恩賞問題が重なった結果として理解することが重要です。
Review
入試で押さえるポイント
- 御家人窮乏を蒙古襲来だけの結果としない。分割相続による所領細分化や貨幣経済・借金の問題も背景にある
- 蒙古襲来では新しい領土を獲得できなかったため、戦功のあった御家人へ十分な新恩給与を行いにくかった
- 異国警固番役は弘安の役後に突然始まったのではなく、文永の役後に体制が整えられ、その後も長く続いた
- 元寇防塁の建設・修理や北部九州の警固も御家人側の負担となった
- 鎌倉後期には所領細分化を防ぐため、分割相続から単独相続へ向かう傾向が強まった
- 御家人の所領問題は、のちの得宗専制・永仁の徳政令を理解する前提になる
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0 / 5 問回答
- 問1
鎌倉後期の御家人窮乏は、蒙古襲来だけを原因として説明できる。
分割相続による所領細分化、貨幣経済と借金、蒙古襲来の軍事負担・恩賞問題、長期の異国警固など複数の要因が重なりました。
本文の該当箇所を確認する - 問2
貨幣経済の発達は御家人を一方的に貧しくしただけで、商品取引や遠隔地の物資購入には役立たなかった。
貨幣は取引に便利な一方、御家人の現金支出や借金が増える局面もありました。貨幣経済そのものを単純に悪いものとはできません。
本文の該当箇所を確認する - 問3
蒙古襲来では新領土を得にくかったため、幕府が軍役に見合う十分な新恩給与を用意しにくいことが御恩と奉公の関係上の問題となった。
御家人は戦闘・警固などの奉公を負いましたが、国内戦争のように没収地を広く恩賞へ回すことが難しく、幕府の恩賞確保が課題となりました。
本文の該当箇所を確認する - 問4
異国警固番役は1281年の弘安の役が終わった後に初めて始まり、その後すぐ廃止された。
異国警固番役は1275年には体制が整えられ、弘安の役後も元の再来襲への警戒から長く維持されました。
本文の該当箇所を確認する - 問5
鎌倉後期には、所領のさらなる細分化を防ぐため、分割相続から嫡子を中心とする単独相続へ向かう傾向が強まった。
分割相続を重ねると所領が細分化し、御家人の軍事・経済基盤が弱くなりやすいため、所領を後継者へ集中する傾向が強まりました。
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Timeline
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Sources
参考資料
- 元寇防塁福岡市文化財活用部
異国警固番役、1276年の元寇防塁築造、弘安の役後も続く警固負担について参照。
- 日本史授業における説明的知識の習得に関する研究兵庫教育大学
分割相続、貨幣経済、元寇の恩賞問題・役負担を御家人窮乏の複合的背景として整理する際に参照。
- 日本中世における『Face to face』の変容東京大学教養学部附属教養教育高度化機構
竹崎季長の恩賞要求と、蒙古襲来における御恩・奉公の関係を考える補助資料として参照。
