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鎌倉時代13世紀を中心に鎌倉時代社会・経済重要度 A

農業と貨幣経済―鎌倉時代の生産・市場・交易はどう変わったのかのうぎょうとかへいけいざい かまくらじだいのせいさんしじょうこうえきはどうかわったのか

一言でいうと

鎌倉時代には農地開発や農業技術の発達が進み、西日本を中心に二毛作も広がりました。生産される作物や商品が増える一方、中国から流入した宋銭の使用が13世紀には浸透し、交通の要地や寺社門前では定期市が開かれます。日宋貿易や海上交通も続き、1232年に築かれた和賀江島は鎌倉の物流を支えました。農業・商品・市場・貨幣・交易が相互に結びついて中世の経済活動が活発になったことが重要です。

農業生産はどう変わったのか

鎌倉時代には新田開発が進み、牛馬耕ぎゅうばこうや鉄製農具の利用も広がりました。こうした技術や開発によって土地をより集約的に利用する動きが進みます。

ただし、鎌倉時代になった瞬間に全国の農村で同じ技術が普及したわけではありません。農業技術の広がりには地域差がありました。

二毛作は全国で行われたのか

一つの耕地で一年に異なる二種類の作物を栽培する二毛作にもうさくも行われるようになります。鎌倉時代には、とくに西日本を中心に米の収穫後に麦などを栽培する形が広がりました。

重要なのは「鎌倉時代に全国で一斉に二毛作が普及した」としないことです。地域差を残し、西日本を中心とする変化として理解します。

新田開発と商品作物はどうつながるのか

農地を増やす新田開発に加えて、茶・桑・苧など、販売や加工に使われる商品作物しょうひんさくもつの栽培も広がりました。農業は自家消費用の食料を作るだけでなく、市場へ出す商品を生み出す活動とも結びついていきます。

生産された農産物や手工業品が地域を越えて動くようになると、人々が定期的に集まって売買する場所の重要性も高まりました。

市場と宋銭はなぜ広がったのか

交通の要地や寺社門前などでは定期市が開かれ、鎌倉時代には月に三回ほど開く三斎市さんさいいちが代表的です。商品取引が増えると、交換手段として貨幣の利便性も高まります。

そこで広く使われるようになったのが中国から流入した宋銭そうせんなどの渡来銭です。鎌倉幕府が発行した貨幣ではなく、日宋貿易などを通じて日本へ入った中国銭が13世紀には広く流通しました。

宋銭が広がっても、米や布などによる年貢・取引が直ちになくなったわけではありません。物による支払いと貨幣による支払いが並存しながら、貨幣を使う経済活動が拡大していきます。

商人・座・借上は何を示しているのか

商品と貨幣の流通が活発になる中で、商人や手工業者の活動も広がりました。一部は公家・寺社などとの関係を背景に座ざと呼ばれる集団を形成します。

また銭を貸し付ける借上かしあげなどの金融業者も活動しました。貨幣経済の発達は便利さを生む一方、金銭の貸借を通じて御家人や庶民の生活にも影響を与え、のちの御家人窮乏を考える前提にもなります。

日宋貿易と和賀江島はどうつながるのか

平安末期から続く日宋貿易にっそうぼうえきによって、宋銭や陶磁器など中国の品々が日本へ入り、日本からも物資が輸出されました。鎌倉時代の経済は国内だけで完結せず、東アジアの交易圏とも結びついていました。

1232年には鎌倉の海岸に和賀江島わかえじまが築かれました。政治都市である鎌倉へ多くの物資を運び込むため、海上交通を支える港湾施設が重要になっていたことを示します。

農業・市場・貨幣・交易はどうつながるのか

農地開発や農業技術の発達によって生産活動が変化し、市場で取引される商品が増えました。定期市で売買が行われ、中国から入った宋銭が交換手段として広く使われ、海上交通や日宋貿易によって国内外の物資が動きます。

つまり「生産 → 商品 → 市場 → 貨幣 → 流通・交易」というつながりで理解すると、鎌倉時代の社会経済の変化が見えます。ただし、これらが全国で同時・一様に進んだわけではありません。

このページで覚えたい流れ

新田開発・農業技術の発達 → 牛馬耕・鉄製農具の利用が広がる → 西日本を中心に二毛作が広がる → 商品作物の栽培が広がる → 商品取引が活発になる → 交通の要地や寺社門前で三斎市が開かれる → 宋銭の使用が13世紀に浸透する → 座・借上など商工業・金融の活動も広がる → 日宋貿易と海上交通が続く → 1232年、和賀江島が築かれる → 商品・貨幣流通がさらに発達する

鎌倉時代の経済は、農業だけでも商業だけでもなく、生産・市場・貨幣・交通・東アジア交易が結びついて変化したことを押さえます。

Review

入試で押さえるポイント

  • 牛馬耕・鉄製農具の利用や新田開発など、農業生産を支える技術・開発が進んだ
  • 二毛作は西日本を中心に広がったのであり、鎌倉時代に全国で一斉に普及したとはしない
  • 交通の要地や寺社門前などで定期市が開かれ、三斎市が代表的
  • 中国から流入した宋銭が13世紀には広く使用されるようになった。鎌倉幕府が発行した貨幣ではない
  • 商品・貨幣経済の発達に伴って、座や借上など商工業・金融に関わる人々の活動も広がった
  • 日宋貿易と海上交通が続き、1232年の和賀江島は鎌倉の物流を支える港湾施設となった

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0 / 5 問回答

  1. 問1

    鎌倉時代になると牛馬耕や鉄製農具などの農業技術が全国の農村へ同じ時期に一斉普及した。

  2. 問2

    鎌倉時代の二毛作は、とくに西日本を中心に米の収穫後に麦などを栽培する形で広がった。

  3. 問3

    鎌倉時代に広く使われた宋銭は、貨幣経済を進めるため鎌倉幕府が国内で発行した貨幣だった。

  4. 問4

    宋銭の流通が広がっても米や布などによる年貢・取引は直ちに消えず、物と貨幣による支払いが並存した。

  5. 問5

    鎌倉時代の経済は国内だけで完結せず、日宋貿易や海上交通を通じて東アジアの交易圏とも結びついていた。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 牛馬耕や鉄製農具の利用が広がる
  2. 西日本を中心に二毛作が広がる
  3. 新田開発が進む
  4. 茶・桑・苧などの商品作物の栽培が広がる
  5. 宋銭の流通が拡大する
  6. 交通の要地や寺社門前で三斎市が開かれる
  7. 寺社・公家の保護を受ける座が発達する
  8. 日宋貿易が続く
  9. 和賀江島が築かれる
  10. 借上などの高利貸しが活動する

Sources

参考資料

  1. 農業の歴史―中世の農業農林水産省

    鎌倉時代の牛馬耕、二毛作、農地開発など農業生産の変化について参照。

  2. 貨幣の歴史日本銀行金融研究所 貨幣博物館

    中国銭の流入と13世紀における銭貨使用の浸透について参照。

  3. 和賀江島と中世鎌倉の海上交通鎌倉市

    和賀江島の築港と鎌倉の海運・交易について参照。