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平成時代2002〜2017年政治・外交重要度 A

日朝平壌宣言・拉致問題と核・ミサイル問題―日朝関係はなぜ正常化へ進まなかったのかにっちょうぴょんやんせんげんらちもんだいとかくみさいるもんだい にっちょうかんけいはなぜせいじょうかへすすまなかったのか

一言でいうと

2002年9月、小泉純一郎首相は日本の首相として初めて北朝鮮を訪問し、金正日国防委員長との首脳会談後に日朝平壌宣言へ署名しました。宣言は国交正常化交渉の再開、過去の清算、安全保障上の問題の解決などを通じて早期の国交正常化を目指す枠組みを示しました。同じ首脳会談で北朝鮮側は、それまで否定していた日本人拉致を認め、同年10月には拉致被害者5人が帰国しました。しかし、その後も安否不明者をめぐる説明や調査に日本政府が納得できない状態が続き、拉致問題は国交正常化交渉の大きな懸案として残りました。一方、核・ミサイル問題は拉致問題とは別の安全保障上の問題です。2006年には北朝鮮による弾道ミサイル発射と核実験を受け、国連安全保障理事会が制裁決議を採択し、日本も独自の措置を強化しました。2014年には拉致問題を含む再調査をめぐる日朝合意が成立しましたが、2016年の核実験・弾道ミサイル発射と日本の制裁強化の後、北朝鮮側は調査中止と特別調査委員会の解体を表明しました。2017年には日本上空を通過する弾道ミサイル発射や6回目の核実験があり、安全保障上の緊張はさらに高まりました。日朝関係が正常化へ進まなかったのは、一つの問題だけが原因ではなく、未解決の拉致問題と、核・ミサイルをめぐる国際的な安全保障問題がそれぞれ解決されず、交渉と制裁が繰り返されたためです。

2002年の日朝平壌宣言は、何を正常化の条件として示したのか

2002年9月17日、小泉純一郎首相は平壌を訪れ、金正日国防委員長と首脳会談を行いました。日本の首相による初めての北朝鮮訪問です。会談後、両首脳は日朝平壌宣言に署名しました。

宣言では、日朝間の『不幸な過去』を清算し、懸案事項を解決して国交正常化を早期に実現するため、2002年10月中に国交正常化交渉を再開することが確認されました。日本側は植民地支配への反省とおわびを表明し、国交正常化後に無償資金協力・低金利の長期借款などの経済協力を実施することを基本とする考え方が示されました。

同時に、宣言は安全保障上の問題も扱いました。双方は朝鮮半島の核問題の包括的解決のため国際的合意を遵守し、核・ミサイル問題を含む安全保障上の諸問題を対話によって解決する必要性を確認しました。つまり、正常化は二国間の過去の清算だけでなく、拉致を含む懸案と地域の安全保障問題を並行して解決する枠組みとして構想されていました。

日朝平壌宣言は『国交正常化に合意した文書』ではなく、懸案を解決しながら正常化交渉を進めるための基本原則と道筋を示した文書として理解します。

拉致問題は、なぜ首脳会談後も解決しなかったのか

2002年の首脳会談で、北朝鮮側はそれまで否定していた日本人拉致を認め、謝罪し、再発防止を約束しました。日本政府は北朝鮮側から示された安否情報を検証するため調査団を派遣し、同年10月15日には拉致被害者5人が帰国しました。

しかし、帰国した5人以外について、北朝鮮側から示された説明には日本政府が疑問点や矛盾を指摘しました。現在の日本政府は12件17人を日本人拉致被害者として認定しており、2002年に帰国した5人以外の被害者について帰国と真相究明を求めています。政府認定の人数と、拉致の可能性を排除できないとして捜査・調査されている事案は区別する必要があります。

2004年5月には小泉首相が再び訪朝し、北朝鮮側は拉致問題の再調査を約束しました。帰国した被害者の家族の来日も実現しましたが、安否不明者に関する説明をめぐる対立は残りました。拉致問題は、2002年の首脳会談によって存在が確認され、被害者の帰国という進展があった一方、そこで解決した問題ではありませんでした。

核・ミサイル問題は、拉致問題とどのように異なるのか

核・ミサイル問題は、日本人拉致という二国間の人権・主権上の問題とは異なり、核不拡散体制や北東アジアの安全保障に関わる国際的な問題です。日朝平壌宣言にも核・ミサイル問題の解決が盛り込まれていましたが、2000年代には北朝鮮の核・ミサイル開発をめぐる緊張が高まりました。

2006年7月、北朝鮮は複数の弾道ミサイルを発射しました。同年10月9日には北朝鮮が核実験を実施したと発表し、国連安全保障理事会は10月14日に決議第1718号を全会一致で採択しました。決議は核実験を非難し、北朝鮮に核兵器・核計画と弾道ミサイル計画の放棄を求めるとともに、武器や大量破壊兵器関連物資などに関する制裁措置を定めました。

日本も北朝鮮籍船舶の入港禁止などの独自措置を実施し、その後の核実験やミサイル発射に応じて措置を追加・延長しました。ここで重要なのは、拉致問題を理由とする要求と、核・ミサイル開発に対する国際的・国内的な制裁措置を同じ問題として扱わないことです。両者は別の論点ですが、同じ日朝関係の中で同時に交渉を難しくしました。

拉致問題と核・ミサイル問題は別の問題です。前者は被害者の帰国・真相究明などを中心とする日朝間の懸案、後者は核不拡散と地域安全保障を含む国際的な懸案です。

交渉再開の試みは、なぜ正常化へつながらなかったのか

交渉が完全に途絶えていたわけではありません。2014年5月のストックホルムでの日朝政府間協議では、北朝鮮側が拉致被害者を含む全ての日本人に関する包括的・全面的な調査を実施し、日本側は調査開始時に独自措置の一部を解除することで合意しました。同年7月、北朝鮮側が特別調査委員会を設置して調査開始を発表し、日本は人的往来などに関する措置の一部を解除しました。

ところが、調査結果をめぐる具体的な進展が見えないまま、2016年1月の核実験と2月の弾道ミサイル発射を受け、日本は独自措置を強化しました。これに対して北朝鮮側は、日本人に関する調査の全面中止と特別調査委員会の解体を一方的に表明しました。日本政府はこれに抗議し、ストックホルム合意を破棄する考えはないとして履行を求めました。

この経緯は、拉致と核・ミサイルが同一問題だったことを意味しません。別々の懸案であっても、制裁と外交交渉が同じ二国間関係の中で行われるため、一方の安全保障危機が他方の交渉環境にも影響しました。正常化交渉には、複数の未解決問題を同時に扱わなければならない難しさがありました。

2017年までに安全保障上の緊張はどう高まったのか

北朝鮮は2017年にも弾道ミサイル発射を繰り返しました。8月29日と9月15日には弾道ミサイルが日本列島上空を通過し、9月3日には6回目の核実験を実施しました。国連安全保障理事会は石炭輸出や石油関連供給などをさらに制限する制裁決議を相次いで採択し、日本も独自措置を追加しました。

2002年の日朝平壌宣言が目指したのは、懸案事項の解決と安全保障上の信頼を積み重ね、その先に国交正常化を実現することでした。しかし、拉致問題では帰国・真相究明をめぐる隔たりが残り、核・ミサイル問題では国連制裁が強化されるほど緊張が高まりました。正常化への入口は示されても、その前提となる複数の問題が解決されなかったのです。

したがって平成の日朝関係を、『拉致問題だけで正常化が止まった』『核・ミサイル問題だけで交渉が止まった』と単純化するのは適切ではありません。それぞれ異なる問題が並行し、交渉再開の機会があっても十分な信頼と合意形成に至らなかった過程として捉える必要があります。

Review

入試で押さえるポイント

  • 2002年9月17日の第1回日朝首脳会談で日朝平壌宣言が署名され、国交正常化交渉の再開と核・ミサイル問題を含む懸案解決の枠組みが示されたこと
  • 北朝鮮側が2002年の首脳会談で日本人拉致を認め、同年10月15日に拉致被害者5人が帰国したが、安否不明者の真相究明と帰国は未解決のまま残ったこと
  • 拉致問題と核・ミサイル問題は別の論点であり、前者は被害者の帰国・真相究明、後者は核不拡散・弾道ミサイルと地域安全保障を中心とすること
  • 2006年の核実験後、国連安保理決議第1718号が採択され、北朝鮮の核・ミサイル開発に対する国際的制裁が強化されたこと
  • 2014年ストックホルム合意で日本人に関する再調査が合意されたが、2016年の核実験・弾道ミサイル発射と日本の措置強化後、北朝鮮側が調査中止と特別調査委員会解体を表明したこと
  • 2017年には日本上空を通過する弾道ミサイル発射と6回目の核実験があり、日朝正常化を取り巻く安全保障環境が一段と緊張したこと

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  1. 問1

    2002年の日朝平壌宣言への署名によって、日本と北朝鮮の国交正常化はその場で完了した。

  2. 問2

    2002年の首脳会談で北朝鮮側が日本人拉致を認め、その後同年10月に拉致被害者5人が帰国した。

  3. 問3

    拉致問題と核・ミサイル問題は、前者が被害者の帰国・真相究明、後者が核不拡散や地域安全保障を中心とする、異なる論点である。

  4. 問4

    2014年のストックホルム合意によって拉致問題の再調査は完了し、その後この問題をめぐる日朝間の対立は解消した。

  5. 問5

    平成期の日朝正常化が進まなかった原因は拉致問題だけであり、核・ミサイル問題や国際的制裁は交渉環境に影響しなかった。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 小泉首相が北朝鮮を訪問し日朝平壌宣言に署名する
  2. 北朝鮮に拉致された日本人5人が帰国する
  3. 北朝鮮が初の核実験を実施する
  4. 北朝鮮の弾道ミサイルが相次いで日本上空を通過する

Sources

参考資料

  1. 日朝平壌宣言外務省

    2002年9月17日の首脳会談、国交正常化交渉再開、過去の清算、安全保障上の核・ミサイル問題に関する基本原則を確認

  2. 拉致問題を巡る日朝間のやりとり外務省

    2002年の事実調査と5人の帰国、2004年第2回首脳会談、2014年ストックホルム合意、2016年の特別調査委員会解体表明までの交渉経緯を確認

  3. 北朝鮮による拉致問題とは内閣官房 拉致問題対策本部

    日本政府が現在12件17名を日本人拉致被害者として認定していることと、政府認定事案と拉致の可能性を排除できない事案の区別を確認

  4. Security Council Resolution 1718 (2006)United Nations Security Council

    2006年10月9日の核実験を受けた安保理決議第1718号の採択、核・弾道ミサイル計画の放棄要求と制裁措置を確認

  5. 安保理決議に基づく対北朝鮮制裁外務省

    2006〜2017年の核実験・弾道ミサイル発射と国連安保理制裁決議の対応関係を確認

  6. 北朝鮮基礎データ外務省

    2014年ストックホルム合意、2016年以後の核・ミサイル問題、2017年の日本上空通過ミサイルと核実験、日本の措置の時系列を確認

  7. 令和4年版防衛白書 第I部第3章第4節 北朝鮮防衛省

    2017年8月29日・9月15日の弾道ミサイルが日本の領域上空を通過したことを確認