← 平安時代の年表へ戻る
平安時代967〜969年を中心に10世紀後半政治・外交重要度 A

摂関政治の定着と安和の変―藤原北家はどう政治の中心を占めたのかせっかんせいじのていちゃくとあんなのへん ふじわらほっけはどうせいじのちゅうしんをしめたのか

一言でいうと

藤原良房・基経は9世紀に人臣摂政・関白の先例を作りましたが、基経の死後も摂政・関白が切れ目なく置かれたわけではありません。10世紀前半には宇多・醍醐・村上天皇のもとで摂関が置かれない時期もありました。967年、冷泉天皇の即位後に藤原実頼が関白となり、969年の安和の変では有力公卿の源高明が失脚します。このころから藤原北家の人物が摂政・関白として天皇を補佐する政治が継続的な仕組みとして定着していきました。ただし、藤原氏の権力を関白という官職だけで説明せず、天皇家との婚姻・外戚関係・皇位継承・太政官での地位が組み合わさった政治として理解します。

基経のあとも摂政・関白はずっと続いたのか

前に学んだ藤原良房は858年に摂政となり、藤原基経は887年に関白となりました。しかし、基経が891年に亡くなったあと、摂政・関白が切れ目なく置かれたわけではありません。

宇多天皇は基経の死後に新たな関白を置かず、醍醐天皇の時代にも長く摂政・関白が置かれませんでした。930年、幼い朱雀天皇が即位すると藤原忠平が摂政となり、のちに関白となりますが、忠平の死後の村上天皇期には再び関白が置かれない時期が続きます。

つまり、良房・基経の時代は摂政・関白の先例が作られた段階であり、藤原北家の摂関が朝廷政治の通常の仕組みとして定着した段階とは区別します。

10世紀、藤原北家の力はどう受け継がれたのか

藤原忠平の子には、長男の藤原実頼ふじわらのさねよりと次男の藤原師輔ふじわらのもろすけがいました。二人の系統は10世紀後半の朝廷政治で重要な位置を占めます。

特に師輔は娘の藤原安子ふじわらのあんしを村上天皇の中宮としました。安子は冷泉天皇や、のちの円融天皇となる皇子たちを産み、藤原北家と天皇家の婚姻関係はさらに強くなります。

藤原氏が高い官職に就くだけでなく、娘を天皇家へ入れ、その皇子が天皇となることで母方の親族として皇位継承へ関わることが、後の摂関政治を支える重要な土台となりました。

967年―藤原実頼が関白となる

967年、村上天皇が亡くなり、冷泉天皇れいぜいてんのうが即位しました。このとき藤原実頼が関白となります。年表では、ここを10世紀後半に摂関政治が定着していく重要な節目として押さえます。

ただし、実頼は冷泉天皇の外祖父ではありません。冷泉天皇の母・安子の父は実頼の弟である師輔です。

この点は、関白という地位だけで政治権力を説明できないことを示します。後の藤原兼家や道長のように外戚関係を強く持つ人物と比べると、個々の摂政・関白の立場や権力には違いがありました。

冷泉天皇の次を誰にするのか―皇位継承が政治問題になる

村上天皇と安子の間には、冷泉天皇のほかに為平親王ためひらしんのうと守平親王もりひらしんのうらがいました。冷泉天皇が即位すると、兄の為平親王ではなく弟の守平親王が皇太弟となります。守平親王がのちの円融天皇です。

為平親王の妻は、有力公卿の源高明みなもとのたかあきらの娘でした。源高明は醍醐天皇の皇子として生まれ、臣籍降下して源氏となった人物です。

もし為平親王の系統が皇位を継げば、源高明が天皇家の有力な外戚・後見者になる可能性がありました。ここには単純な『藤原氏対源氏』だけではなく、どの皇統が続き、その天皇を誰が支えるのかという皇位継承と外戚関係の問題がありました。

969年―安和の変が起こる

969年、安和の変あんなのへんが起こりました。源満仲らから謀反計画についての密告があり、左大臣の源高明がその計画に関係したとして失脚し、大宰府へ送られました。関係者も処罰されます。

事件では為平親王を皇位につけようとする計画があったとする史料があり、皇位継承問題と源高明の婚姻関係が事件の重要な背景となっています。

安和の変によって、藤原北家と並ぶ有力政治家だった源高明は中央政界から退きました。結果として藤原北家が朝廷政治の中心を占めるうえで有利な状況が生まれます。

安和の変は藤原氏の陰謀だったのか

教科書では安和の変を、藤原氏による他氏排斥の大きな節目として説明することがあります。事件の結果、源高明が失脚し、藤原北家にとって有力な政治的競争相手が減ったことは重要です。

しかし、藤原氏が源高明を排除するために事件の全過程を最初から仕組んだと断定するのは避けます。事件を理解するときは、為平親王と守平親王をめぐる皇位継承、源高明と為平親王の婚姻関係、藤原北家内部の政治関係まで含めて見ます。

前に学んだ承和の変や応天門の変と同じく、事件によって誰が利益を得たかと、誰が事件をどこまで計画したかは分けて考えます。

安和の変のあと、なぜ摂関政治が定着したのか

969年、冷泉天皇が退位し、皇太弟だった守平親王が円融天皇えんゆうてんのうとして即位しました。その後、藤原師輔の子である伊尹・兼通・兼家らが相次いで政治の中心へ進みます。

10世紀後半になると、幼い天皇には摂政、成人した天皇には関白という形で、藤原北家の人物が天皇を補佐する状態が継続するようになります。967年以後は、摂政・関白が朝廷政治の通常の仕組みとして定着していったと理解します。

ただし、摂政・関白になった人物が常に天皇の外祖父だったわけではなく、個々の摂関の権力にも強弱がありました。摂関政治は一つの官職だけではなく、婚姻・外戚関係・皇位継承・太政官での地位が組み合わさって機能した政治でした。

摂関政治とは、結局どんな政治なのか

摂関政治を『藤原氏が天皇の代わりに政治をした』とだけ覚えると不十分です。

基本となるのは、天皇と藤原氏が婚姻する → 藤原氏の娘が皇子を産む → その皇子が天皇となる → 藤原氏が天皇の母方の親族となる → 摂政・関白などとして天皇を補佐する、という関係です。

実際の朝廷政治では、摂政・関白だけでなく、左大臣・右大臣などの公卿、天皇自身、后妃とその一族など複数の人物が政治に関わりました。藤原北家は天皇家との婚姻と外戚関係を背景に、その中で天皇を補佐する中心的地位を長期的に確保していきました。

その後―藤原道長・頼通の最盛期へ

10世紀後半に定着した摂関政治は、その後、藤原兼家の系統へ受け継がれます。995年には藤原道長ふじわらのみちながが内覧となり、道長の子・頼通へ政治的地位が継承されていきます。

道長・頼通の時代には、天皇家との婚姻と外戚関係がさらに強く利用され、摂関政治は最盛期を迎えます。

良房・基経=摂政・関白の先例形成 → 10世紀後半=摂関政治の定着 → 道長・頼通=最盛期、という三段階で整理すると流れがつかみやすくなります。

このページで覚えたい流れ

887年、藤原基経が関白となる → 基経の死後は摂政・関白が置かれない時期もあり、まだ制度として定着していない → 藤原忠平の子・実頼と師輔の系統が政治の中心となる → 師輔の娘・安子が村上天皇との間に皇子を産み、藤原北家と皇室の婚姻関係が強まる → 967年、冷泉天皇が即位し藤原実頼が関白となる → 為平親王ではなく弟の守平親王が皇太弟となる → 為平親王の妻の父・源高明が有力政治家として存在する → 969年、安和の変で源高明が失脚する → 守平親王が円融天皇として即位する → 10世紀後半以降、藤原北家の摂政・関白が継続的に置かれる → 摂関政治が定着する → 藤原道長・頼通の最盛期へ

良房・基経の時代を『基礎形成』、967年以後を『定着』と区別し、摂関政治を関白一職ではなく婚姻・外戚関係・皇位継承を含む政治構造として理解します。

Review

入試で押さえるポイント

  • 基経の死後、宇多・醍醐・村上天皇期には摂政・関白が置かれない時期があり、摂関政治が切れ目なく続いていたわけではない
  • 967年、冷泉天皇即位後に藤原実頼が関白となる
  • 実頼は冷泉天皇の外祖父ではない。冷泉天皇の母・安子の父は藤原師輔
  • 969年、安和の変。左大臣・源高明が失脚する
  • 安和の変には為平親王・守平親王をめぐる皇位継承と外戚関係が関係する。単純に藤原氏の陰謀だけで説明しない
  • 10世紀後半以降、藤原北家の摂政・関白が継続的に置かれ、摂関政治が定着する
  • 良房・基経=基礎形成 → 10世紀後半=定着 → 道長・頼通=最盛期

Check

理解度チェック

各文が正しいか、○か×で答えてください。回答すると、その場で解説を確認できます。

0 / 5 問回答

  1. 問1

    藤原基経が887年に関白となって以後、摂政・関白は一度も途切れず置かれ続けた。

  2. 問2

    967年に関白となった藤原実頼は、冷泉天皇の外祖父でもあった。

  3. 問3

    安和の変は、藤原氏が源高明を排除するために事件の全過程を最初から計画した陰謀だったと確定している。

  4. 問4

    摂関政治の定着は、摂政・関白という官職だけでなく、天皇家との婚姻や外戚関係、皇位継承との結びつきによって支えられた。

  5. 問5

    摂関政治では、藤原氏だけが政治を行い、天皇や他の公卿は政治に関与しなかった。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 藤原実頼が関白となる
  2. 摂関政治が定着する
  3. 安和の変が起こる
  4. 藤原基経が関白となる
  5. 延喜・天暦の治が行われる

Sources

参考資料

  1. 摂関政治史論考国立国会図書館 NDLサーチ

    10世紀の摂関政治、冷泉朝、安和の変をめぐる政治構造について参照。

  2. 藤原摂関家の政治構造に関する研究東京大学学位論文データベース

    藤原実頼・師輔系統、外戚関係、摂関の政治的位置について参照。

  3. 源高明研究神戸大学学術成果リポジトリ

    源高明と為平親王の婚姻関係、安和の変の政治的背景について参照。

  4. 藤原千晴について国立国会図書館 レファレンス協同データベース

    安和の変における為平親王擁立計画と関係者の処分について参照。