学制・徴兵令・地租改正―新政府はなぜ教育・軍隊・税を全国共通の制度にしたのか
一言でいうと
廃藩置県によって藩を廃した新政府は、地方制度を中央政府のもとへ統合するだけでなく、教育・軍事・租税でも全国共通の制度をつくろうとしました。1872年の学制は身分や男女を問わず広く教育を受けさせる学校制度を構想し、1873年の徴兵令は武士だけを軍事の担い手とする仕組みを改め、満20歳の男子を中心に兵役を課す国民皆兵の原則を掲げました。同年の地租改正では、石高やその年の収穫量を基準とする年貢から、土地の地価を基準に所有者へ原則金納で課税する制度へ転換しました。三つの改革は分野こそ異なりますが、国家が藩や旧身分を介さず、人々の教育・兵役・納税へ直接関わる仕組みをつくる点で共通しています。一方、学校費用や兵役、一定額の地租は人々に新しい負担をもたらし、制度への批判や抵抗も起こりました。近代化は国家制度の整備であると同時に、人々と国家の関係が大きく変わる過程でもありました。
廃藩置県のあと、なぜ全国共通の制度が必要になったのか
1871年の廃藩置県によって、旧藩主が地域を統治する制度は廃止されました。しかし、中央政府が全国を一つの国家として運営するには、行政区画を変えるだけでは不十分でした。
江戸時代には、教育は藩校・寺子屋・私塾など多様な形で行われ、軍事は主に武士身分が担い、年貢の仕組みも領主や地域によって異なっていました。新政府が全国的な政策を行うには、こうした制度を国家共通の仕組みへ組み替える必要がありました。
そこで1872〜1873年に、学制・徴兵令・地租改正という重要な制度改革が相次ぎます。教育・軍事・租税という異なる分野を同時に見ると、明治政府が人々を国家へ直接結びつける制度を整えていったことが分かります。
学制はどのような学校制度を目指したのか
1872年8月、新政府は学制を公布しました。国立公文書館は、これを日本で最初の近代的学校制度を定めた基本法令と位置づけています。全国を大学区・中学区・小学区に分け、各地に学校を設ける全国的な学校制度を構想しました。
学制に先立つ布告では、華族・士族・農工商などの身分や男女の別にかかわらず、広く教育を受けることを目指す方針が示されました。教育を一部の身分の教養ではなく、人々が自らの生活や職業に役立てるものとして位置づけたことは、近代教育制度への大きな転換でした。
ただし、学制が公布されたからといって、直ちにすべての子どもが学校へ通えるようになったわけではありません。学校の設置・維持費は地域住民の負担に大きく依存し、授業料も必要でした。文部科学省の教育史資料は、こうした民費負担への不満が学制への批判につながったことを示しています。
学制は全国的な学校制度と広い就学を構想しましたが、1872年に現在と同じ義務教育制度が完成したわけではありません。
徴兵令は軍隊と身分の関係をどう変えたのか
1873年1月、新政府は徴兵令を発しました。江戸時代の軍事力は基本的に武士身分を中心としていましたが、新政府は身分にかかわらず国民から兵士を集める国民皆兵を原則とする軍制へ転換しようとしました。
徴兵令では、男子は満20歳で徴兵検査を受け、合格者の中から選ばれた者が常備軍に3年間、その後4年間は後備軍として兵役の対象となりました。また、17歳から40歳までの男子を国民軍の兵籍に登録することも定められました。
ただし、発足当初からすべての男子が一律に兵役へ就いたわけではありません。一家の主人、官庁勤務者、一定の学校の生徒、270円の代人料を納めた者など、多くの免役規定がありました。したがって『国民皆兵』は徴兵令の原則を示す言葉であり、1873年から完全に例外なく実施された制度という意味ではありません。
地租改正は年貢をどのような税へ変えたのか
1873年7月、新政府は地租改正を実施に移しました。政府にとって、全国共通の政策を継続して行うには、毎年安定して確保できる財政収入が必要でした。
地租改正では土地の所有者を確定し、土地の収益力などから地価を算定して、地価の3%を地租として課しました。納税者は地券を持つ土地所有者とされ、旧来の石高制にもとづく米などの物納から、原則として貨幣で納める金納へ改められました。
また、地租はその年の豊作・凶作によって増減させないことが原則でした。年ごとの収穫量に左右されにくいため政府は安定した税収を得やすくなりましたが、農民側から見ると凶作の年でも一定の税負担を求められる仕組みになったことを意味します。
地租改正は土地所有制度とも結びついています。1872年には田畑永代売買の禁令が解かれ、地券の発行が始まりました。地券は土地所有を示す証書であると同時に、地租を誰が負担するかを明確にする役割を持ちました。
近代化改革は人々にどのような負担をもたらしたのか
学制・徴兵令・地租改正は、国家の制度を整えるという政府側の目的だけで進んだのではありません。学校の建設費や授業料、兵役による労働力の離脱、貨幣で一定額を納める地租などは、人々の日常生活へ直接影響しました。
学制では住民負担への不満が強まり、徴兵制にも免役の不公平感などを含む反発が生じました。地租改正では地価の算定や税負担をめぐって各地で反対運動・一揆が起こり、1877年には地租率が3%から2.5%へ引き下げられました。
そのため明治初期の近代化を、政府が新しい制度を導入し人々が一方的に受け入れた過程として描くことはできません。国家の制度形成と、それによって新たな義務や負担を負うことになった人々の反応の両方を見る必要があります。
三つの改革に共通する変化は何か
学制は子どもの教育、徴兵令は男子の兵役、地租改正は土地所有者の納税を全国共通の制度へ組み込みました。それぞれ対象は異なりますが、藩や旧身分の制度を介さず、中央政府が全国の人々へ共通の制度を及ぼそうとした点で共通しています。
これらの改革によって、政府は教育を通じて人材を育成し、全国から兵士を集め、安定した租税収入を確保する仕組みを整えました。中央集権国家を実際に動かすための人的・軍事的・財政的な基盤が形成されていったのです。
一方で、制度は発布された年に完成したわけではなく、その後も学校制度・徴兵制度・地租制度はいずれも改正されました。明治維新を理解するときは、廃藩置県で中央集権化が終わったのではなく、こうした全国制度を実際に社会へ浸透させる長い過程が続いたことを押さえる必要があります。
Review
入試で押さえるポイント
- 1872年の学制は全国的な近代学校制度を構想し、身分や男女を問わず広く教育を受ける方針を掲げた
- 学制下の学校運営は地域住民の負担に大きく依存し、制度公布と同時に現在と同じ義務教育が完成したわけではない
- 1873年の徴兵令は国民皆兵を原則とし、満20歳男子の徴兵検査を基礎に常備軍3年・後備軍4年の兵役を定めたが、当初は多くの免役規定があった
- 1873年の地租改正は土地所有者を納税者とし、地価の3%を原則金納で納め、豊凶によって税額を増減しない制度へ転換した
- 地租改正への反対運動が続く中、1877年に地租率は3%から2.5%へ引き下げられた
- 学制・徴兵令・地租改正は、中央政府が教育・軍事・租税を全国共通化し、人々と国家を直接結びつける制度形成として理解する
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- 問1
1872年の学制公布によって、現在と同じ義務教育制度が直ちに全国で完成した。
学制は全国的学校制度と広い就学を構想しましたが、学校費用などを地域住民が負担し、実施には困難もありました。
本文の該当箇所を確認する - 問2
1873年の徴兵令は国民皆兵を原則としたが、制度発足当初には一家の主人や一定の学生、代人料納付者など免役規定もあった。
国民皆兵は原則でしたが、当初からすべての男子が例外なく兵役に就いたわけではありません。
本文の該当箇所を確認する - 問3
地租改正後の地租は、その年の豊作・凶作に応じて毎年税額を増減することを基本とした。
地租は地価を基準とし、豊凶によって税額を増減させないことが原則でした。政府は安定した税収を得やすくなる一方、凶作時にも一定負担が残りました。
本文の該当箇所を確認する - 問4
地租改正では土地所有者を納税者とし、地価を基準に原則として貨幣で納税する制度へ転換した。
地券を持つ土地所有者が地価の一定割合を金納する仕組みとなり、旧来の石高制や物納中心の年貢から転換しました。
本文の該当箇所を確認する - 問5
学制・徴兵令・地租改正は、藩ごとの制度を復活させて教育・軍事・租税を各地方の自主運営へ戻すことを共通目的とした。
三つの改革は、中央政府が教育・軍事・租税に全国共通の制度を設け、人々と国家を直接結びつける方向を持っていました。
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Timeline
関連する年表
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Sources
参考資料
- 明治5年(1872)8月|学制が公布される国立公文書館
1872年の学制公布と全国を学区に分ける学校制度の構想を確認。
- 学制発行ノ儀伺|学制の発布国立公文書館
学制序文が身分・男女を問わない教育方針を示したこと、西洋諸国の制度を参照して制定されたことを確認。
- 三 学制の実施文部科学省
学制下の学校経費が民費を原則とし、住民負担が制度への批判につながったことを確認。
- 明治6年(1873)1月|徴兵令が発せられる国立公文書館
満20歳男子の徴兵検査、常備軍3年・後備軍4年、国民軍、免役規定を確認。
- 明治6年(1873)7月|地租改正条例が制定される国立公文書館
地価3%、金納、豊凶によらない税額、地券所有者を納税者とする地租改正の骨格を確認。
- 地租改正と地券発行国税庁 税務大学校
地租改正の目的、地券、金納、税率3%から2.5%への引下げを確認。
- 地券の世界国税庁 税務大学校
1872年の壬申地券、田畑売買解禁との関係、地租改正後の改正地券を確認。
