← 明治時代の年表へ戻る
明治時代1890年代〜1911年社会・経済重要度 A

工場労働者と工場法―産業化は女性・児童を含む労働者の生活をどう変えたのかこうじょうろうどうしゃとこうじょうほう さんぎょうかはじょせいじどうをふくむろうどうしゃのせいかつをどうかえたのか

一言でいうと

明治後半の産業革命によって機械制工場が増えると、多くの人が賃金を得て工場で働くようになりました。とくに製糸・紡績などの繊維産業では、農村出身の若い女性が重要な労働力となり、寄宿舎で暮らしながら働く者も多くいました。工場によって条件には差がありましたが、長時間労働、夜業、衛生・疾病、年少者の就業などが社会問題となります。政府は1900年に大規模な工場調査を行い、1903年に農商務省が『職工事情』を刊行して実態を明らかにしました。工場労働者を保護する法制は経営側の反対や戦争などで長く実現せず、1911年にようやく工場法が成立します。工場法は年少者の就業や女子・年少者の労働時間などを規制しましたが、適用範囲や例外があり、実際の施行は1916年でした。したがって、明治期の工場法成立を『労働条件が直ちに改善した』と理解せず、工業化が生んだ労働問題に国家が初めて本格的な保護規制を設けた転換点として捉える必要があります。

産業革命は働き方をどのように変えたのか

機械制工場が広がると、農業や家内工業だけでなく、工場へ決まった時間に通勤したり寄宿したりして賃金を得る工場労働者こうじょうろうどうしゃが増加しました。

工場では多数の労働者が同じ場所で機械を使い、生産工程に合わせて働きます。これは大量生産を可能にする一方、機械を長時間稼働させるための交替制や夜業、厳しい時間管理を生みやすい働き方でもありました。

ただし、明治期の労働者をすべて同じ環境で働く『工場労働者』として一括することはできません。繊維、鉱山、鉄工、造船など業種によって労働者の性別・年齢・技能・雇用形態や労働条件は大きく異なりました。

なぜ繊維産業では女性労働者が重要だったのか

明治後半の製糸・紡績では、若い女性が多数働きました。農村の家計にとって娘の賃金は重要な現金収入となり、企業側も各地から女性を募集して工場労働力を確保しました。

遠方から集められた女性労働者のため、多くの工場は寄宿舎きしゅくしゃを設けました。寄宿生活は住居と労働力確保を結びつける仕組みでしたが、労働者の日常生活まで工場側の管理下に置かれやすい面もありました。

女性が工業化を『補助した』のではなく、生糸・綿糸という主要な輸出・工業製品の生産を実際に支えた労働主体だった点が重要です。一方で、低賃金や若年労働力として利用された側面もあり、産業発展と労働問題を分けずに考える必要があります。

工場労働の何が社会問題になったのか

紡績工場では機械を昼夜動かすための交替制が採用され、長時間労働や深夜業が行われました。製糸工場でも長時間作業や寄宿生活などが問題となりました。さらに、粉じん、高温多湿、換気、疾病、工場事故など労働衛生上の課題もありました。

1900年、政府は工場法制定の基礎資料を得るため全国的な工場調査を行い、その結果は1903年の農商務省商工局『職工事情しょっこうじじょう』などにまとめられました。そこでは紡績・製糸をはじめ多様な業種について、労働者の年齢・雇用・労働時間・寄宿舎などの実態が調査されました。

ただし、『明治の女工は全員が同じように酷使された』という描き方も避ける必要があります。企業・地域・時期によって賃金や福利厚生、寄宿舎、勤続期間などには差がありました。重要なのは、工場労働の拡大によって労働者保護を社会全体で制度化する必要が明確になったことです。

富岡製糸場の1870年代の伝習工女と、1890〜1900年代の大規模製糸・紡績工場の女工を同じ条件だったとみなしません。工業化が進むにつれて企業規模・募集方法・労働時間・寄宿生活も変化しました。

なぜ工場法の制定には長い時間がかかったのか

政府は1880年代から工場労働を規制する法制度を検討しましたが、産業発展を妨げるという経営側の反対や、どこまで保護を義務づけるかをめぐる対立があり、法制化は進みませんでした。

1890年代後半から法案作成と調査が本格化しましたが、日露戦争などもあり制定はさらに遅れます。工場調査や『職工事情』によって労働実態が可視化され、女性・年少者の長時間労働や健康問題への関心が高まるなかで、保護立法の必要性が次第に強く認識されました。

この過程は、工場法が労働者側の運動だけで成立したとも、政府が一方的に善意で導入したとも説明できません。工業化に伴う社会問題、政府の調査、企業側の利害、議会での議論などが重なって成立へ進みました。

1911年の工場法は何を規制したのか

1911年3月、工場法こうじょうほうが成立・公布されました。これは日本で最初の本格的な工場労働者保護法と位置づけられます。

工場法は、原則として常時15人以上の職工を使用する工場などを対象とし、年少者の就業制限、女子・年少者の労働時間や深夜業、休憩・休日、業務上の傷病に対する扶助などを定めました。ただし対象外となる小規模工場があり、交替制などに例外規定も置かれていました。

また、法律が成立した1911年に直ちに施行されたわけではありません。経営側との調整や行政準備を経て、実際に施行されたのは1916年9月です。したがって明治時代に起きたのは『工場法による労働保護の完成』ではなく、国家が最低限の労働条件を法律で規制する原則を初めて本格的に打ち出したことでした。

工場法成立は明治の産業化の何を示したのか

殖産興業の初期には、政府の中心課題は工場や産業を『つくること』でした。しかし産業が実際に拡大すると、そこで働く人々の健康・安全・生活をどう扱うかが新しい政策課題になります。

工場法の成立は、労働契約を企業と労働者だけの私的問題に任せず、国家が一定の最低基準を設ける方向へ進んだことを示します。一方、その保護は女性・年少者を中心とし、成人男性の労働時間などには広い規制が及ばず、適用範囲にも限界がありました。

明治後半には、こうした労働問題と並行して労働組合や社会主義運動も現れます。ただし、それらは工場法と同じ運動ではありません。労働運動・社会主義運動と国家の対応は、後のTopicで別に扱います。

Review

入試で押さえるポイント

  • 明治後半の製糸・紡績では農村出身の若い女性が主要な工場労働力となった
  • 紡績の交替制・夜業、長時間労働、寄宿舎、衛生・疾病などが工業化に伴う労働問題となった
  • 政府は1900年に全国的工場調査を行い、1903年の農商務省『職工事情』などで工場労働の実態を明らかにした
  • 1911年の工場法は年少者の就業や女子・年少者の労働時間などを規制した日本最初の本格的労働保護立法
  • 工場法は適用範囲や例外に限界があり、実際の施行は1916年であって明治期には施行されていない

Check

理解度チェック

各文が正しいか、○か×で答えてください。回答すると、その場で解説を確認できます。

0 / 5 問回答

  1. 問1

    明治後半の製糸・紡績では、農村出身の若い女性が主要な工場労働力として生産を支えた。

  2. 問2

    明治期の工場労働者は、業種・企業・地域にかかわらずほぼ同じ労働条件で働いていた。

  3. 問3

    政府は1900年に工場調査を行い、1903年の『職工事情』などで労働時間や寄宿舎を含む工場労働の実態を調べた。

  4. 問4

    1911年に工場法が成立すると、その年から全国の対象工場で直ちに施行された。

  5. 問5

    1911年の工場法は全工場・全労働者を対象に、成人男性を含む労働時間を一律に規制する完成した労働法だった。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 工場労働者が増加し女性労働者が紡績・製糸業を支える
  2. 製糸・紡績を中心に産業革命が進む
  3. 工場法が成立する

Sources

参考資料

  1. 工場法が成立する国立公文書館『日本のあゆみ』

    1911年3月の工場法公布、適用範囲、年少者・女子の保護規定、1916年施行を確認。

  2. 工場法施行から100年―今だから学びたい労働基準法の成り立ちとその意義厚生労働省

    工場法制定までの長期経緯、1900年工場調査、『職工事情』、繊維女工の労働・衛生問題を確認。

  3. 綿糸紡績職工事情国立国会図書館

    農商務省商工局が1903年に刊行した紡績職工調査の書誌と、政府調査が工場法議論の基礎となったことを確認。

  4. 石原修―工場法を施行せよ!厚生労働省

    紡績女工の長時間労働・寄宿生活・健康問題と、工場法施行までの経緯を補足確認。