三代格式―律令を変えずに、どう時代の変化へ対応したのか
一言でいうと
奈良時代に整えられた律令は、平安時代に入っても国家運営の基本でした。しかし社会や政治が変化すると、古い律令の条文だけでは対応しにくい問題が増えていきます。そこで朝廷は、新しい法令で律令を補う格と、役所が実際に仕事をするための細かな手続きを定める式を整備しました。平安時代には弘仁・貞観・延喜の三代にわたって格式が編纂され、これを三代格式と呼びます。令外官と同じく、律令を捨てたのではなく、律令を土台として現実に合わせて制度を更新した仕組みとして理解します。
律令は一度作ったら変えられないのか
701年の大宝律令、718年に成立した養老律令によって、国家運営の基本となる法体系が整えられました。しかし平安時代になっても、7〜8世紀の社会がそのまま続いていたわけではありません。
国司の監督、都の治安、土地制度、租税、役所の仕事など、実際の政治では新しい問題が生じました。前のページで学んだ勘解由使・蔵人所・検非違使も、その変化への対応でした。
官職を新しく加えるだけでなく、法そのものの運用も現実に合わせて補う必要がありました。
まず律・令・格・式を区別しよう
律は犯罪とそれに対する刑罰を定めた法、令は官僚制度・租税・土地・身分など国家運営の基本制度を定めた法です。二つを合わせて律令と呼びます。
格は律令制定後に出された法令を整理し、時代に応じて律令を補ったり変更したりする役割を持ちました。
式は律令や格を実際に運用するため、役所の仕事や儀式などの細かな手続きを定めたものです。『律・令=国家制度の基本、格=追加・修正、式=運用の細則』と整理すると分かりやすくなります。
なぜ律令そのものを全部作り直さなかったのか
社会が変わったのなら、新しい律令を一から作ればよいようにも思えます。しかし朝廷は、律令国家という基本的な枠組みそのものを捨てようとしていたわけではありません。
そこで、律令を基本法として残し、必要に応じて格で規定を追加・修正し、式で実務を具体化する方法が取られました。
前のページの令外官とよく似ています。官制では令外官を追加し、法制では格式を追加することで、既存制度を全面的に作り直さず現実へ適応させていきました。
820年―弘仁格式が撰進される
嵯峨天皇の時代、藤原冬嗣らによって弘仁格式の編纂が進められました。弘仁11年の820年に弘仁格・弘仁式がいったん撰進され、その後の修訂を経て830年に施行されました。
嵯峨天皇の時代には、蔵人所・検非違使などの新しい官職も整えられています。つまり嵯峨朝は律令を捨てた時代ではなく、平安京を中心とする国家運営に合わせて官職と法制度を再編した時代と見ることができます。
弘仁・貞観・延喜―なぜ三回も格式を作ったのか
弘仁格式を作った後も社会は変化し、新しい法令が出され続けました。そこで弘仁格式に続いて、貞観格式、延喜格式と法令や施行細則が整理されていきます。
この弘仁格式・貞観格式・延喜格式をまとめて三代格式と呼びます。
三つを単なる暗記項目として並べるのではなく、社会が変化する → 新しい法令が増える → それを整理する → さらに時代が進んで新しい格式が必要になる、という繰り返しとして理解します。
三代格式は律令に代わる新しい法律なのか
完全に置き換えたわけではありません。律令は依然として国家制度の基本でした。格式はその律令を補ったり、現実に合わせて修正したり、実際の運用方法を定めたりするものです。
したがって『律令から三代格式へ交代した』ではなく、『律令に格による追加・修正と、式による運用細則を重ねた』と理解します。
ここでも、平安時代になると律令制がすぐに崩壊したという理解は避けます。
927年―『延喜式』が完成する
三代格式のうち、現在特に重要な史料となっているのが『延喜式』です。醍醐天皇の命によって905年に編纂が始まり、927年に完成し、967年に施行されました。
『延喜式』は全50巻からなり、神祇官や太政官をはじめ各官司の実務、租税、軍事、宮廷儀礼、祭祀など多くの規定を収めています。
式は実務の細則を定めるため、通常の歴史書には残りにくい細かな情報まで記録されています。そのため政治制度だけでなく、祭祀・食文化・技術など古代社会を具体的に知る重要な史料でもあります。
資料で見る:宮内庁書陵部「延喜式」
三代の格はどうやって分かるのか
弘仁格・貞観格・延喜格は、すべてが完全な形で現在まで残っているわけではありません。
しかし三代の格を内容別に整理した『類聚三代格』が残っています。弘仁・貞観・延喜の三代の格を事項ごとに分類した法令集で、平安時代の法制度を知る重要な史料です。
大学受験では、まず『弘仁・貞観・延喜=三代格式』という組み合わせを確実に押さえます。
令外官と格式は同じ流れで理解できる
ここまでの平安初期政治には共通点があります。律令にない新しい仕事が必要になる → 令外官を置く。律令だけでは新しい問題に対応できない → 格を追加する。法令を実際に運用する細かな手続きが必要になる → 式を整備する、という流れです。
朝廷は律令国家を一度壊して新国家を作ったのではなく、律令を基本として残しながら必要な制度を継ぎ足していきました。
この変化がさらに進むと、地方支配や土地・税の仕組みそのものも変化していきます。次に学ぶ公営田も、この『律令の原則を維持しながら現実へ対応する』流れの中で理解できます。
このページで覚えたい流れ
奈良時代に律令国家が整う → 平安時代になって社会・政治が変化する → 古い律令だけでは対応しにくい問題が増える → 官職では勘解由使・蔵人所・検非違使などの令外官を追加する → 法制度でも律令を補う必要が生じる → 格で新しい規定を追加・修正する → 式で役所の細かな実施方法を定める → 820年、弘仁格式が撰進される → 貞観格式へ続く → 延喜格式へ続く → 弘仁・貞観・延喜をまとめて三代格式と呼ぶ → 927年、『延喜式』が完成する
三代格式は律令に代わる新しい法体系ではありません。律令を基本として残しながら、格式によって現実に合わせた国家運営を続けた仕組みとして理解します。
Review
入試で押さえるポイント
- 律=犯罪と刑罰、令=国家制度の基本
- 格=律令制定後に出された追加・変更の法令、式=律令・格を施行するための細かな規則
- 弘仁格式・貞観格式・延喜格式をまとめて三代格式と呼ぶ
- 820年、嵯峨天皇期に藤原冬嗣らが弘仁格式を撰進し、830年に施行される
- 927年、醍醐天皇期に『延喜式』が完成し、967年に施行される
- 三代格式を律令に代わる新法体系とせず、律令を補完・修正して現実へ対応したものと理解する
- 令外官の設置と格式の編纂は、どちらも律令国家の現実への適応という流れで理解できる
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0 / 5 問回答
- 問1
格は律令制定後の追加・修正を担い、式は法令を実際に運用するための細かな手続きを定めた。
格は律令を補足・変更する法令、式は役所の実務や儀式などを具体的に運用するための細則です。
本文の該当箇所を確認する - 問2
三代格式は律令を廃止して、それに代わる新しい法体系として作られた。
律令は国家制度の基本として残り、格式はその律令を現実に合わせて補足・修正し、運用を具体化するために編纂されました。
本文の該当箇所を確認する - 問3
弘仁・貞観・延喜の三代格式が作られた背景には、社会の変化に伴って新しい法令を繰り返し整理する必要があった。
一度格式を編纂しても新しい法令は増え続けたため、時代ごとに法令と施行細則を整理し直す必要がありました。
本文の該当箇所を確認する - 問4
『延喜式』は927年に完成すると、その年から直ちに施行された。
『延喜式』は927年に完成しましたが、施行は967年です。完成年と施行年を区別する必要があります。
本文の該当箇所を確認する - 問5
令外官の設置と格式の編纂は、どちらも律令を基本に残しながら現実の問題へ対応する制度調整として理解できる。
官制では令外官を加え、法制では格・式を加えることで、朝廷は既存の律令国家を全面的に作り直さず現実へ適応しました。
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Timeline
関連する年表
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Sources
参考資料
- 日本古代の法典―律令格式国文学研究資料館・国立歴史民俗博物館
律・令・格・式の関係、弘仁格式・貞観格式・延喜格式の編纂・施行年代を参照。
- 延喜式宮内庁書陵部
905年の編纂開始、927年の完成、967年の施行と、式の性格・内容について参照。
- 類聚三代格国立国会図書館
弘仁・貞観・延喜の三代の格を事項別に整理した法令集であることを参照。
