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飛鳥時代7世紀半ば〜710年文化重要度 A

白鳳文化―律令国家の形成は仏教美術をどう変えたのかはくほうぶんか りつりょうこっかのけいせいはぶっきょうびじゅつをどうかえたのか

一言でいうと

7世紀後半、天智・天武・持統朝を中心に国家制度の整備が進む一方、寺院の造営や仏像・壁画・瓦などの仏教美術も大きく発展しました。この時期の文化を、美術史では一般に白鳳文化はくほうぶんかと呼びます。飛鳥文化の仏像に見られた厳格で神秘的な表現から、より若々しく、丸みや量感を持つ造形へ変化し、大規模な寺院造営も進みました。律令国家の形成と東アジア文化の受容が並行して進んだ文化として理解します。

「白鳳時代」という時代があったのか

白鳳は、飛鳥・奈良・平安のような日本史全体の統一的な時代区分ではなく、主に美術史で7世紀半ばごろから710年の平城京遷都までの文化を説明するために使われてきた言葉です。

研究者や分野によって年代の区切りには幅があるため、「645年から710年までが白鳳時代だった」と機械的に区切るのではなく、飛鳥時代後半に発展した仏教美術を中心とする文化概念として理解します。

飛鳥文化とは何が違うのか

推古朝を中心とする飛鳥文化では、飛鳥寺や法隆寺などの寺院が造られ、鞍作鳥らによる仏像制作が進みました。仏像には左右対称的な構成、細長い身体、厳格で神秘的な表情などが見られます。

白鳳文化になると、仏像の顔や身体に丸みと量感が増し、表情も明るく若々しい作品が現れます。ただし、ある年を境に一斉に様式が切り替わったわけではなく、新しい表現が徐々に広がった文化的変化として見ます。

なぜ大規模な寺院造営が進んだのか

7世紀後半には王権による国家形成が進む一方、山田寺・川原寺・大官大寺・薬師寺など大規模な寺院が造営されました。

仏教は個人の信仰だけでなく、天皇・皇族・有力氏族が国家や一族の安泰を願うための重要な文化でもありました。大寺院の建設には大量の木材・瓦・金属・職人・労働力・食料が必要で、国家や有力者の動員力を示す大規模事業でもありました。

山田寺―発掘された寺院から白鳳文化を見る

山田寺は蘇我倉山田石川麻呂が641年に造営を始めた寺院です。石川麻呂が649年に亡くなった後も造営は続きました。

発掘調査では東回廊が倒れた状態で見つかり、7世紀寺院の木造建築を具体的に知る重要な資料となっています。白鳳文化は現存する仏像だけでなく、発掘された寺院建築からも復元できます。

資料で見る:飛鳥資料館「第二展示室」

685年―山田寺の仏像が開眼する

山田寺には丈六の薬師如来像が造られ、685年に開眼したと伝えられています。その頭部が現在興福寺に伝わる国宝の仏頭ぶっとうです。

ふっくらとした顔、長く弧を描く眉、穏やかな口元などには、飛鳥時代前半の仏像とは異なる若々しい造形が見られます。本来は巨大な仏像の頭部で、最初から頭部だけの作品として造られたわけではありません。

白鳳彫刻の特徴は、飛鳥彫刻よりも丸み・量感・若々しさを持つ造形として捉えます。

680年―天武天皇が薬師寺の建立を発願する

680年、天武天皇は皇后の鸕野讃良皇女、後の持統天皇の病気平癒を願って薬師寺やくしじの建立を発願しました。

最初の薬師寺は藤原京に造られ、現在は本薬師寺と呼ばれます。天武天皇の死後も持統天皇が造営を引き継ぎ、天武・持統朝の政治的連続性は文化事業にも見ることができます。

資料で見る:薬師寺「薬師寺デジタル絵巻」

薬師三尊像は何が新しいのか

薬師寺金堂の本尊は、薬師如来と日光・月光菩薩からなる薬師三尊像やくしさんぞんぞうです。白鳳文化を代表する金銅仏として知られています。

人体の丸みや自然な立ち姿、衣の表現には強い立体感があり、台座にも葡萄唐草文・蓮華文・四神・異国風人物など多様な意匠が表されています。東アジアを通じて広く伝わった文化要素を考える手がかりになります。

資料で見る:薬師寺「金堂」

現在の薬師寺東塔は天武朝の建物なのか

現在奈良市西ノ京に建つ薬師寺東塔は、薬師寺が平城京へ移った後の730年に建立されたとされています。

したがって、天武天皇が680年に建立を発願した藤原京の薬師寺の東塔が、そのまま現在まで残っているわけではありません。本薬師寺と現在の薬師寺を混同しないようにします。

仏像だけでなく瓦や塼仏も発達する

白鳳文化の特徴は金銅仏だけではありません。寺院の屋根を飾る瓦には精巧な蓮華文などが用いられ、粘土を型に押して仏像を表した塼仏せんぶつも多数作られました。

山田寺・川原寺などからは瓦・塼仏・塑像片など多様な資料が出土しています。寺院全体が建築・彫刻・絵画・瓦・金属工芸を組み合わせた巨大な美術空間でした。

法隆寺金堂壁画―大陸につながる仏教絵画

白鳳期の絵画を考える代表例が法隆寺金堂壁画です。釈迦・阿弥陀などの浄土世界を描いた大規模な壁画で、インドから中国へ展開した仏教絵画の流れを受けた表現が見られます。

1949年の火災で原壁画の大部分が焼損し、現在の金堂では再現壁画が見られます。文化財を学ぶときは、現在見えるものが制作当時の状態そのものなのか、修理・再建・模写を経たものなのかも区別します。

資料で見る:東京国立博物館「法隆寺金堂壁画」

高松塚古墳の壁画も同じ国際的な文化環境にある

7世紀末から8世紀初めには、明日香村の高松塚古墳たかまつづかこふんが築かれ、石室には四神・日月・星宿・人物群像などが描かれました。

寺院美術とは性格が異なりますが、東アジアの図像・服飾・天文知識を取り入れた壁画からも、白鳳期末の国際的な文化環境を見ることができます。高松塚古墳そのものは終末期古墳として別テーマで詳しく扱います。

白鳳文化は仏教が全国民へ広まった文化なのか

白鳳期には寺院の数が増え、仏教文化は社会へ広がりましたが、現代のように全国の人々が同じ形で寺院へ通い、仏教を信仰していたと考えるのは適切ではありません。

巨大寺院の造営主体は天皇・皇族・中央や地方の有力氏族が中心でした。白鳳文化は仏教が社会へ広がる重要な段階ではありますが、国家・王権・有力者と仏教の結びつきがさらに強く大規模になった時代として捉えます。

国家形成と文化は別々ではない

政治史では律令・戸籍・班田・藤原京を、文化史では寺院・仏像・壁画・瓦を学びます。しかし当時の社会では、この二つは完全に別の動きではありません。

大寺院を造り、仏像を造り、そのために各地から人材・技術・物資を集めること自体が、国家や王権の組織力を示す事業でした。白鳳文化は「律令国家ができた後の余裕で生まれた芸術」ではなく、国家形成と並行して発展した文化として理解します。

このページで覚えたい流れ

7世紀半ば、王権による国家形成が加速する → 中国・朝鮮半島との交流を通して新しい仏教美術・建築技術が入る → 山田寺・川原寺など大規模寺院の造営が進む → 仏像は飛鳥文化の厳格な表現から、より丸み・量感・若々しさを持つ白鳳彫刻へ変化する → 680年、天武天皇が薬師寺建立を発願する → 685年、山田寺の丈六仏が開眼する → 天武天皇の死後も持統天皇が薬師寺造営を引き継ぐ → 法隆寺金堂壁画など大陸的な仏教絵画も発達する → 瓦・塼仏など寺院を構成する工芸も高度化する → 694年、藤原京へ遷都する → 7世紀末から8世紀初めには高松塚古墳の極彩色壁画にも東アジア文化の影響が現れる → 710年、平城京遷都後の天平文化へつながる

白鳳文化を「きれいな仏像が作られた時代」とだけ覚えるのではなく、律令国家の形成と並行して大寺院の造営が進み、中国・朝鮮半島を中心とする東アジア文化を取り入れながら、建築・彫刻・絵画・瓦などの仏教美術が大きく発展した文化として理解します。

Review

入試で押さえるポイント

  • 白鳳文化は主に美術史で使われる文化区分で、一般に7世紀半ばから710年ごろまでを扱う
  • 飛鳥文化から白鳳文化へ、ある年に一斉に切り替わったわけではない
  • 白鳳文化は天智・天武・持統朝を中心とする律令国家形成と並行して発達した
  • 山田寺・川原寺・大官大寺・薬師寺など大規模な寺院造営が進む
  • 山田寺仏頭は685年に開眼した大型金銅仏の頭部で、白鳳彫刻の代表例
  • 白鳳彫刻では飛鳥彫刻よりも丸み・量感・若々しい表情を持つ作品が見られる
  • 680年、天武天皇が薬師寺建立を発願し、持統天皇が造営を引き継ぐ
  • 薬師寺薬師三尊像は白鳳文化を代表する金銅仏として重要
  • 現在の薬師寺東塔は730年建立とされ、天武朝の建物がそのまま残ったものではない
  • 寺院では仏像だけでなく、瓦・塼仏・壁画など多様な美術が発達した
  • 法隆寺金堂壁画は大陸文化の影響を受けた古代仏教絵画の代表例で、1949年の火災で原壁画の大部分が焼損した
  • 高松塚古墳の壁画からも白鳳期末の国際的な文化環境を知ることができる
  • 白鳳文化を仏教が全国民へ完全に普及した文化とは考えない
  • 国家形成と仏教文化の発展を一体の動きとして理解する

Check

理解度チェック

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0 / 5 問回答

  1. 問1

    白鳳時代は、645年から710年までと厳密に定められた日本史全体の正式な時代区分である。

  2. 問2

    飛鳥文化から白鳳文化への仏像表現の変化は、ある一つの年に一斉に起こったのではなく、新しい表現が徐々に広がったものと考える。

  3. 問3

    現在奈良市に残る薬師寺東塔は、天武天皇が680年に建立を発願した藤原京の薬師寺の建物がそのまま残ったものである。

  4. 問4

    白村江の戦い後も、中国・朝鮮半島との文化交流は途絶えず、人・技術・情報の移動が続いた。

  5. 問5

    白鳳文化の時期には、仏教はすでに日本列島の全国民へ同じ形で完全に普及していた。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 白鳳文化が栄える
  2. 薬師寺の造営が始まる
  3. 高松塚古墳が築かれる

Sources

参考資料

  1. 白鳳―花ひらく仏教美術―奈良国立博物館

    白鳳文化の年代・性格、造寺造仏の拡大、白鳳彫刻や国際交流について参照。

  2. 第二展示室奈良文化財研究所 飛鳥資料館

    山田寺跡の発掘成果と東回廊など7世紀寺院建築について参照。

  3. 薬師寺デジタル絵巻薬師寺

    680年の薬師寺建立発願、本薬師寺から平城京薬師寺への歴史、東塔建立年代について参照。

  4. 金堂薬師寺

    薬師三尊像の造形と台座文様について参照。

  5. 法隆寺金堂壁画と百済観音東京国立博物館

    法隆寺金堂壁画の仏教絵画としての位置づけと1949年火災について参照。

  6. 高松塚古墳の概要文化庁

    高松塚古墳の年代と壁画の四神・日月・星宿・人物群像について参照。