「天皇」と「日本」―なぜ倭王から天皇、日本国へ変わったのか
一言でいうと
7世紀の国家形成が進む中で、君主を表す天皇という称号と、国家を表す日本という国号が定着していきました。ただし、二つが同じ日に一斉に決められたわけではありません。天皇号の成立時期には研究上の議論があり、出土文字資料から確実に確認できるのは7世紀後半です。日本の国号も7世紀末から8世紀初めに成立・定着したと考え、律令国家形成と東アジア外交の中で理解します。
「倭王」と「大王」は同じ場面で使われた言葉ではない
5世紀の中国史書には、讃・珍・済・興・武という倭の五王が登場します。これは中国との外交関係の中で倭の支配者を倭王と表したものです。
一方、稲荷山古墳出土鉄剣など日本列島の金石文では大王という称号が確認されます。史料や使用場面が異なるため、「倭王という正式称号を廃止して天皇へ改称した」と一直線に考えないようにします。
607年の「日出づる処の天子」はどうつながるのか
607年の遣隋使では、『隋書』に倭の国書が「日出づる処の天子」と記したことが伝えられています。倭の君主が中国皇帝に対して自立的な姿勢を示した重要な外交表現です。
この遣隋使外交と天皇号の成立を結びつけ、推古朝に成立したと考える説もあります。ただし、「天子」と「天皇」は別の語であり、この国書だけで天皇号が正式に成立していたと証明できるわけではありません。
天皇号はいつ始まったのか
『日本書紀』は古い時代の君主にも天皇という語を用いますが、『日本書紀』自体は8世紀に成立した史書です。そのため、後世の称号を過去へさかのぼって用いている可能性があります。
天皇号の成立時期には推古朝説や天武朝を重視する見方などがあり、一つの年に断定するのは適切ではありません。
飛鳥池遺跡の木簡から「天皇」が確認できる
明日香村の飛鳥池遺跡からは、「天皇」という文字を含む木簡が出土しています。遺構は7世紀後半に位置づけられ、遅くとも天武朝ごろには天皇号が使われていたことを示す重要な文字資料です。
したがってこのサイトでは、「天皇号の起源を一つの年に断定せず、7世紀の国家形成と外交の中で成立し、遅くとも天武朝には使用を確認できる」と整理します。
資料で見る:奈良文化財研究所 木簡庫「飛鳥池遺跡出土木簡」
天皇号の成立年は断定せず、出土文字資料では遅くとも天武朝ごろに使用を確認できると押さえます。
なぜ新しい君主号が必要になったのか
7世紀には冠位・官人制度、大化改新、戸籍、律令編纂、八色の姓、都城などが整えられ、有力氏族との関係を基礎とする王権から、君主を頂点に全国を制度的に統治する国家へ変化していました。
その国家の頂点に立つ君主をどのように位置づけるかも国家形成の一部でした。また、中国皇帝の冊封を受ける倭王とは異なる立場を東アジア外交の中で示そうとしたことも背景として考えられます。
国の名前はそれまで何だったのか
中国側の史料では古くから倭と呼ばれていました。国内ではヤマトという呼び方もあり、倭・大倭・ヤマトは時代や文脈によって使われ方が異なります。
そのため、昔の正式国名が常に倭国で、ある日に日本国へ改名したという現代的な国名変更として考えるのは適切ではありません。
「日本」という国号はいつ成立したのか
日本という国号の厳密な制定年も一つには定めにくく、7世紀末から8世紀初めに成立・定着したと考えるのが適切です。
701年には大宝律令が完成し、翌702年には粟田真人らの遣唐使が派遣されました。この使節は、新しい国号を東アジア外交の場で示す重要な機会となりました。
なぜ「日本」という名前なのか
日本は文字どおりには日の本を表し、中国から見て東方、日の昇る側に位置することと関係づけて説明されます。
ただし607年の「日出づる処の天子」から直接日本という国号が作られたと証明されているわけではありません。国号の成立理由や正式化の過程には研究上の議論があります。
「日の出る国だから日本になった」とだけ覚えず、7世紀の外交と国家形成に伴う新しい自己呼称として理解します。
「倭」という字が嫌だったから変えたのか
後世の中国史書には旧称の倭から日本へ変更した理由を説明する記述がありますが、国号変更と同時代の記録とは限りません。
そのため、「倭という字の意味が悪いから日本に変えた」と一つの理由だけで説明せず、律令国家形成・東アジア外交・自国の位置づけの変化が重なった問題として考えます。
702年―粟田真人らが新しい国家を対外的に示す
702年、粟田真人らを中心とする遣唐使が中国へ向かいました。国内では大宝律令によって国家制度を整え、国外では新しい国号を用いる国家として中国王朝と向き合う時期です。
「701年、大宝律令 → 702年、遣唐使」という連続性から、国内制度の整備と外交上の自己規定が密接につながっていたことを押さえます。
「天皇」と「日本」は何を表していたのか
天皇は国家の頂点に立つ君主の称号で、日本はその君主を中心とする国家の名称です。
誰が国家の頂点に立つのかを示す君主号と、どの国家なのかを示す国号が、律令国家形成の中で整えられていったと理解します。
702年に突然「日本」が誕生したわけではない
702年に初めて日本という国家が誕生したとすると、それ以前のヤマト王権・倭から続く長い国家形成が見えなくなります。
前方後円墳を共有する広域政治秩序、推古朝の改革、大化改新、天智朝の戸籍、天武・持統朝の制度整備、大宝律令という長い過程の中で、天皇・日本という名称が新しい律令国家の自己規定として定着したと考えます。
このページで覚えたい流れ
5世紀、中国史書では倭の支配者が倭王と呼ばれる → 日本列島の金石文では大王という称号が確認される → 607年、遣隋使の国書で「日出づる処の天子」と名乗り、自立的な外交姿勢を示す → 7世紀を通して中央集権的な国家制度が整えられる → 君主の新しい称号として天皇が定着していく → 飛鳥池遺跡の木簡から遅くとも天武朝ごろには天皇の使用を確認できる → 天武・持統朝に律令・戸籍・都城などを整える → 7世紀末から8世紀初めに日本の国号が定着する → 701年、大宝律令が完成する → 702年、粟田真人らを遣唐使として派遣する → 新しい日本という国家として東アジア外交へ向かう
「倭王が天皇へ、倭国が日本へ一度に改名した」と覚えるのではなく、国内の王権・国家制度が変化する中で君主号「天皇」と国号「日本」が段階的に成立・定着し、それを東アジア世界に示していった過程として理解します。
Review
入試で押さえるポイント
- 5世紀の中国史書には倭王、日本列島の金石文には大王が見られ、使用場面が異なる
- 607年の「日出づる処の天子」は自立的な対隋外交を示すが、天皇という語そのものではない
- 天皇号の正確な成立時期には研究上の議論がある
- 飛鳥池遺跡から天皇と記された7世紀後半の木簡が出土し、遅くとも天武朝ごろには使用を確認できる
- 天武天皇が天皇号を初めて作ったと断定しない
- 日本の国号は7世紀末から8世紀初めに成立・定着したと考える
- 701年の大宝律令と、君主号・国号の定着を国家形成の流れの中で関連づける
- 702年、粟田真人らが遣唐使として派遣され、新しい国家の姿を対外的に示す重要な機会となった
- 倭という字が悪いから日本へ変えたと理由を一つに断定しない
- 天皇は君主の称号、日本は国家の名称
- 702年に突然日本という国家が誕生したのではなく、それ以前から続く国家形成の到達点として理解する
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- 問1
607年の国書に「天子」とあるため、この時点で「天皇」という称号が正式に成立していたことが確実に証明できる。
「天子」と「天皇」は別の語で、607年の国書だけから天皇号の正式成立を証明することはできません。
本文の該当箇所を確認する - 問2
天皇号の成立年は一つに断定できないが、飛鳥池遺跡の木簡から遅くとも天武朝ごろには使用を確認できる。
天皇号の成立時期には複数の見方がありますが、7世紀後半の飛鳥池遺跡木簡は「天皇」の使用を示す重要な文字資料です。
本文の該当箇所を確認する - 問3
古代には正式国名「倭国」が一貫して使われ、ある一日に法令で「日本国」へ改名されたと考えればよい。
倭・大倭・ヤマトなどは時代や文脈で使われ方が異なり、現代的な一日の国名変更として単純化するのは適切ではありません。
本文の該当箇所を確認する - 問4
「日本」という国号は、7世紀末から8世紀初めに成立・定着したと考えるのが適切である。
厳密な制定年を一つに定めるのは難しく、大宝律令や702年遣唐使とも関係する国家形成・外交の中で成立・定着したと考えます。
本文の該当箇所を確認する - 問5
702年の遣唐使を境に、それ以前とは断絶した新しい国家「日本」が初めて誕生した。
ヤマト王権・倭から続く長い国家形成の中で、天皇号と日本国号が律令国家の自己規定として段階的に定着したと捉えます。
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Timeline
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Sources
参考資料
- 律令国家と東アジア東京大学 BiblioPlaza
天皇号の成立論、遣隋使・遣唐使外交、日本国号と律令国家形成の関係を参照。
- 日本古代国家と東アジア東京大学 BiblioPlaza
天皇号・日本国号と東アジア外交、702年遣唐使の位置づけを参照。
- 木簡庫 5BASNL36000101奈良文化財研究所
飛鳥池遺跡出土の「天皇」木簡と7世紀後半の文字資料について参照。
- 獲加多支鹵大王銘鉄剣東京大学総合研究博物館
5世紀の大王号を示す稲荷山古墳出土鉄剣銘について参照。
