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飛鳥時代7世紀後半〜708年社会・経済重要度 B

富本銭―日本で貨幣はいつ、なぜ使われ始めたのかふほんせん にほんでかへいはいつ なぜつかわれはじめたのか

一言でいうと

7世紀後半、天武・持統朝を中心に律令国家の形成が進む中で、国家による金属貨幣の製造も始まりました。その代表が富本銭ふほんせんです。飛鳥池遺跡から富本銭の未完成品や鋳型などがまとまって出土し、和同開珎より古い7世紀後半に製造された日本最古の鋳造貨幣であることが明確になりました。ただし富本銭以前にも無文銀銭が使われ、富本銭がどこまで広く流通したかには議論があります。素材価値を利用する貨幣から国家が規格を定める銅銭へ、さらに708年の和同開珎へ進む流れとして理解します。

富本銭より前に「お金」はなかったのか

貨幣は、現在の硬貨や紙幣だけを意味するものではありません。古代には米や布なども価値を表し、交換や支払いに用いられました。

さらに7世紀には、銀そのものの価値を利用した無文銀銭が使われていました。そのため、富本銭を「日本人が初めて使ったお金」と考えるのは適切ではありません。

無文銀銭とは何か

無文銀銭は、その名のとおり貨幣名などの文字が刻まれていない銀製の貨幣です。7世紀を中心とする遺跡から出土し、銀片を加えるなどして重量を整えた例も確認されています。

価値は国家が銭文によって保証するというより、銀そのものの重量や素材価値に大きく依存していたと考えられます。

無文銀銭と富本銭の違いから、素材そのものの価値を利用する段階と、国家が一定の形・規格を持つ銭貨を造る段階の違いが見えてきます。

683年―銀銭ではなく銅銭を使うよう命じる

『日本書紀』の天武12年、683年の記事には、今後は銅銭を用い、銀銭を用いてはならないという趣旨の命令が記されています。

ここでいう銀銭を無文銀銭、銅銭を富本銭とみる考えが有力です。単に銅の丸い製品を作っただけではなく、国家が特定の銭貨を使用させようとする政策があったことが重要です。

ただし683年を富本銭の製造開始年と断定することはできません。使用を命じている以上、それ以前から銅銭が存在した可能性があります。

683年は富本銭の初鋳年と断定せず、国家が銅銭の使用を命じる段階まで貨幣政策が進んでいた年として押さえます。

飛鳥池遺跡の発見で貨幣史が変わった

富本銭そのものは以前から知られていましたが、古代に実際に製造された貨幣なのか、厭勝銭のようなまじない用の銭なのかは長く議論されていました。

大きく状況を変えたのが明日香村の飛鳥池遺跡です。発掘調査で富本銭の完成品だけでなく、未完成品・失敗品・鋳型・鋳棹・坩堝・研磨具などがまとまって出土しました。

これによって7世紀後半の飛鳥で富本銭が実際に鋳造されていたことが明らかになり、和同開珎より古い日本最古の鋳造貨幣として位置づけられるようになりました。

資料で見る:文化庁「富本銭が語る古代の貨幣」

飛鳥池遺跡は富本銭だけを造る工房ではない

飛鳥池遺跡では富本銭だけでなく、金・銀・銅・鉄・ガラス・漆など多様な素材を扱った生産活動の痕跡が見つかっています。

木簡などから王宮や寺院と深く結びついた国家的な総合工房だったと考えられます。富本銭の鋳造も、民間の職人が独自に始めたものではなく、天武・持統朝の国家形成と結びついた生産事業として理解します。

富本銭はどんな形をしているのか

富本銭は円形の銅銭で中央に四角い穴を持つ円形方孔の形をしています。上下には「富」「本」の文字があり、左右にはそれぞれ七つの点からなる七曜文が配置されています。

円形方孔の銭貨は中国で発達した形式で、特に唐で621年から鋳造された開元通宝の影響が重要です。

一方で、富本という独自の銭文や七曜文を持っており、唐銭をそのまま複製したものではありません。

「富本」と七曜文には何が表されているのか

「富本」という文字については、中国古典に見られる、貨幣を国を富ませる根本と考える思想との関係が指摘されています。ただし特定の一文を直接の由来と断定するのではなく、中国の貨幣思想との関係として捉えます。

左右の七曜文は、日・月と木・火・土・金・水の七曜を表すとされ、陰陽五行思想との関係が考えられています。

富本銭には中国の貨幣制度だけでなく、中国由来の思想や世界観も取り入れられていたことが分かります。

なぜ国家は銅銭を造ろうとしたのか

7世紀後半には官人組織・戸籍・税制・大寺院・藤原京などが整えられ、国家が動員する人と物資の規模が大きくなっていました。

その中で、物の価値を共通の尺度で表し、交換や支払いに利用できる銭貨制度を導入しようとすることには大きな意味があります。

ただし、藤原京の労働者すべてに富本銭で賃金を支払った、あるいは全国の日常取引を富本銭へ統一した、とまで確認されているわけではありません。

富本銭は普通のお金として広く使われたのか

富本銭は日本最古の鋳造貨幣として位置づけられていますが、実際の流通範囲や具体的な使用方法には議論が残っています。

出土例は飛鳥以外にもありますが、後の和同開珎ほど大量・広範囲に確認されるわけではありません。流通用の貨幣として重視する見方がある一方、儀礼的・厭勝的な性格も検討されてきました。

そのため「貨幣ではなかった」と切り捨てることも、「現代の硬貨のように全国で日常的に使われた」と決めつけることも避けます。

「日本最古の貨幣」は何を意味するのか

富本銭より前には無文銀銭が使用されていました。そのため「日本最古のお金」という表現は、何を貨幣と定義するかによって答えが変わります。

学習上は、無文銀銭は銀そのものの価値を利用した貨幣、富本銭は7世紀後半の日本最古の鋳造貨幣、和同開珎は708年以降に国家が本格的な普及政策を進めた銭貨、と区別すると分かりやすくなります。

無文銀銭 → 富本銭 → 和同開珎という違いを、素材価値・国家鋳造・本格的流通政策の変化として整理します。

708年―和同開珎へ

708年、律令国家は和同開珎を発行しました。富本銭に続く国家鋳造の銭貨ですが、和同開珎では銭貨を広める政策がより明確に進められます。

銭を蓄えた者への叙位などの政策も行われ、平城京の建設や都市的な経済活動の中で銭貨利用が拡大していきます。

富本銭を国家による鋳造貨幣導入の初期段階、和同開珎を本格的な銭貨流通政策への展開として捉えると、二つの違いが理解しやすくなります。

富本銭から律令国家の何が見えるのか

富本銭の背景には、国家的な工房、金属加工技術、中国の貨幣制度・思想、国家による銅銭使用命令、藤原京へ向かう都市化があります。

小さな銅銭ですが、国家が人・土地だけでなく、物の価値や交換についても統一的な仕組みを作ろうとし始めたことを考える重要な資料です。

貨幣制度も、律令・戸籍・都城と同じく東アジアの制度を参照しながら進められた国家形成の一部として理解します。

このページで覚えたい流れ

7世紀、米・布などとともに銀も交換や価値の手段として使われる → 無文銀銭が銀そのものの価値によって用いられる → 唐の制度を参照しながら中央集権国家の形成が進む → 7世紀後半、国家的総合工房である飛鳥池遺跡で富本銭が鋳造される → 開元通宝の影響を受けた円形方孔の銅銭を作る → 683年、天武天皇が銀銭ではなく銅銭を用いるよう命じる → 国家が銭貨の使用を制度化しようとする → ただし富本銭の流通範囲・具体的な使用方法には議論が残る → 694年、藤原京へ遷都する → 701年、大宝律令が完成する → 708年、和同開珎が発行される → 国家が銭貨の普及政策を進め、本格的な貨幣流通へ向かう

富本銭を「和同開珎より古い日本最古のコイン」とだけ覚えるのではなく、無文銀銭のような素材価値を基礎とする貨幣から、国家が規格を定めて鋳造する銅銭へ移り、律令国家が貨幣制度を作ろうとした初期段階として理解します。

Review

入試で押さえるポイント

  • 富本銭は7世紀後半に鋳造された日本最古の鋳造貨幣
  • 飛鳥池遺跡では富本銭とともに鋳型・鋳棹・坩堝・未完成品などが出土した
  • 飛鳥池遺跡は富本銭だけの造幣施設ではなく、多様な素材を扱う国家的総合工房
  • 683年、『日本書紀』に銀銭ではなく銅銭を用いるよう命じた記事がある
  • 683年の記事の銀銭を無文銀銭、銅銭を富本銭とみる考えが有力
  • 683年を富本銭の初鋳年と断定しない
  • 無文銀銭は富本銭より前から使われており、富本銭を日本で初めて使われたお金とはしない
  • 富本銭は唐の開元通宝など中国の銭貨制度の影響を受ける
  • 上下に富本、左右に七曜文を持つ
  • 富本銭の流通規模・具体的用途には議論が残る
  • 708年、和同開珎が発行され、本格的な銭貨普及政策が進められる
  • 無文銀銭・富本銭・和同開珎の違いを関連づけて理解する

Check

理解度チェック

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0 / 5 問回答

  1. 問1

    富本銭は、日本列島で人々が初めて使用した貨幣である。

  2. 問2

    683年の銅銭使用命令が、富本銭を初めて鋳造した年を示している。

  3. 問3

    飛鳥池遺跡から未完成品や鋳型などがまとまって出土したことで、7世紀後半の飛鳥で富本銭が実際に鋳造されていたことが明らかになった。

  4. 問4

    富本銭は、和同開珎と同程度に全国の日常取引で広く流通していたことが確実に確認されている。

  5. 問5

    708年の和同開珎では、富本銭の段階よりも銭貨を広める政策が明確に進められた。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 富本銭が鋳造される
  2. 和同開珎が発行される

Sources

参考資料

  1. 富本銭が語る古代の貨幣文化庁

    富本銭の形態、七曜文、飛鳥池遺跡の出土状況、開元通宝との関係などを参照。

  2. 日本貨幣史日本銀行金融研究所 貨幣博物館

    無文銀銭、683年の銅銭使用令、富本銭から和同開珎への貨幣史を参照。

  3. 古代の貨幣日本銀行金融研究所 貨幣博物館

    無文銀銭の重量利用、富本銭の流通・厭勝銭をめぐる見方について参照。

  4. 飛鳥池遺跡出土品の調査成果奈良文化財研究所

    飛鳥池遺跡の国家的工房としての性格と富本銭製造関連資料について参照。