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飛鳥時代673〜689年政治・外交重要度 A

天武朝の国家改革―皇親政治・八色の姓・飛鳥浄御原令は何を目指したのかてんむちょうのこっかかいかく こうしんせいじ やくさのかばね あすかきよみはらりょうはなにをめざしたのか

一言でいうと

673年、壬申の乱に勝利した大海人皇子は飛鳥浄御原宮で天武天皇てんむてんのうとして即位しました。天武朝では皇族を政治の上位に置きながら官人組織を整え、681年には律令の編纂を命じ、684年には八色の姓やくさのかばねによって氏族秩序を再編しました。天武天皇の死後も改革は引き継がれ、689年に飛鳥浄御原令あすかきよみはらりょうが施行されます。天武朝を、皇族・官人・氏族を国家の制度の中へ再配置し、法と歴史の編纂を進めた段階として理解します。

壬申の乱の勝利で何が変わったのか

672年の壬申の乱で大海人皇子側が勝利すると、天智朝の近江政権を支えた政治勢力は大きく再編されました。

翌673年、大海人皇子は近江ではなく飛鳥へ戻り、飛鳥浄御原宮で天武天皇として即位します。ここから新しい王権が国家制度そのものを組み替えていく段階へ進みました。

ただし、壬申の乱の勝利だけで新しい国家体制が完成したわけではありません。天武朝から持統朝へ続く長い制度整備として見ます。

「皇親政治」とは何か

天武朝の政治は一般に皇親政治こうしんせいじと呼ばれます。「皇親」は皇族を意味し、天武天皇は皇族を政治の上位に位置づけながら政務を進めました。

ただし「皇族だけですべての政治を行った」という意味ではありません。実際の行政には多数の氏族出身官人が必要であり、皇族が上位から政治を統括し、その下で官人が行政を担う体制として理解します。

有力氏族を政治から排除したのではなく、皇族を上位に置きながら氏族を国家の官人組織へ組み込む方向が強まりました。

皇族内部の秩序も整えようとした

壬申の乱は皇位継承をめぐる内戦でした。天武天皇にとって、皇族内部の対立を抑え、次の王権を安定させることは重要な課題でした。

679年には天武天皇・皇后と草壁皇子・大津皇子・高市皇子など六皇子が吉野に集まり、互いに争わず協力することを誓ったと『日本書紀』に記されています。一般に吉野の盟約と呼ばれます。

この盟約によって後の皇位継承争いが完全になくなったわけではありませんが、壬申の乱後に皇族内部の秩序を意識していたことが分かります。

官人組織そのものも整えられていく

天武朝の改革は皇族を重視したことだけではありません。行政を担う官司や官人をより制度的に組織する動きも進みました。

有力豪族が個々の立場から王権を支える仕組みから、役割を分けた官司と官人によって国家を運営する仕組みへの移行がさらに進みます。

ただし、後の大宝律令で整う太政官・八省などの官僚制が天武朝にそのまま完成していたと考えるのは適切ではありません。天武朝はその形成過程にあります。

681年―律令の編纂を命じる

681年、天武天皇は律令を定め、法式を改めることを命じたと『日本書紀』に記されています。後の飛鳥浄御原令へつながる重要な政策です。

後の律令国家では、律は主に犯罪と刑罰、令は行政・身分・租税など国家制度を定める法として整備されます。

ただし681年に完成した律令法典が直ちに全国へ施行されたわけではありません。この年は編纂を命じた段階で、事業は天武天皇の死後まで続きました。

同じ681年、国家の歴史も整理し始める

681年には、川島皇子・忍壁皇子らに帝紀と上古の諸事を整理・記録させる命令も出されました。後の国史編纂につながる重要な事業です。

国家にとって、歴代の王権がどのように続いてきたのか、各氏族がどのような由来を持つのかを整理することは、自らの政治秩序を説明することにもつながります。

天武朝では、国家を動かす法を整えることと、国家の過去を記録・整理することが並行して進められました。

684年―八色の姓を定める

684年、天武天皇は八色の姓を定めました。氏族へ与える姓を、真人・朝臣・宿禰・忌寸・道師・臣・連・稲置の八種類に再編する制度です。

八種類の名称を覚えるだけでなく、古墳時代以来の氏族秩序を、王権との関係に応じて国家側から再編した政策であることを押さえます。

資料で見る:奈良県立万葉文化館「八色の姓」

八色の姓は何を変えたのか

古墳時代以来、氏族には臣・連などの姓がありました。天武朝はこの氏姓秩序を廃止するのではなく、天皇・皇室との関係や氏族の位置づけに応じて新しく順位づけしました。

つまり「豪族を消す」のではなく、氏族を国家秩序の中で再編し、官人として利用する方向へ進んだことが重要です。

八色すべてが同じように授けられたわけではなく、実際には上位の真人・朝臣・宿禰・忌寸などが特に重要でした。

八色の姓は氏姓制度の廃止ではなく、氏族秩序を国家側から再編する制度です。

天武天皇の死後も改革は続く

天武天皇は686年に亡くなり、681年から進められていた法制整備の完成を自ら見ることはありませんでした。

その後は皇后の鸕野讃良皇女が政治を担い、天武朝の政策を引き継ぎます。律令編纂・官人制度・戸籍・都城などの整備は持統朝へ連続していきました。

そのため、天武朝と持統朝を切り離すのではなく、連続した国家形成過程として理解することが重要です。

689年―飛鳥浄御原令が施行される

689年、天武朝から進められてきた法制整備を受けて飛鳥浄御原令が施行されたと『日本書紀』に記されています。

飛鳥浄御原令の本文そのものは現存していませんが、木簡や後世の法令などから、官人制度や行政制度が整備されていたことを考えることができます。

ただし、689年に後の大宝律令と同じ完成形の律令国家が成立したわけではありません。飛鳥浄御原令は重要な段階ですが、701年の大宝律令へさらに制度整備が続きます。

資料で見る:奈良文化財研究所 木簡庫「己丑年」木簡

天武朝で何が大きく変わったのか

天武朝では、皇族を政治秩序の上位に置くこと、官司・官人組織を整えること、八色の姓で氏族を再編すること、律令編纂を進めること、国家の歴史を整理することが並行して進みました。

有力氏族との個別的な関係を基礎にした王権から、天皇を頂点に皇族・官人・氏族を制度的に位置づける国家へ大きく進んだ時期と考えられます。

ただし制度の完成はまだ先で、持統朝の庚寅年籍・班田・藤原京、さらに701年の大宝律令へつながります。

このページで覚えたい流れ

672年、壬申の乱で大海人皇子が勝利する → 673年、飛鳥浄御原宮で天武天皇として即位する → 皇族を政治の上位に置く皇親政治を進める → 官司・官人制度の整備を進める → 681年、律令の編纂を命じる → 同年、帝紀・上古の諸事を整理するよう命じる → 法と国家の歴史を整える事業が進む → 684年、八色の姓を制定して氏族秩序を再編する → 686年、天武天皇が亡くなる → 皇后が改革を引き継ぐ → 689年、飛鳥浄御原令が施行される → 天武朝で進められた改革が持統朝の庚寅年籍・班田・藤原京へつながる

天武朝を「壬申の乱に勝った強い天皇の時代」とだけ覚えるのではなく、皇族・官人・氏族の位置づけを整理し、法と歴史を国家の側で編纂することで、天皇を頂点とする統治制度を具体化していった時代として理解します。

Review

入試で押さえるポイント

  • 673年、大海人皇子が天武天皇として飛鳥浄御原宮で即位する
  • 天武朝では皇族を政治の上位に置く体制を一般に皇親政治と呼ぶ
  • 皇親政治は皇族だけで政治をしたという意味ではなく、氏族出身官人も行政を担った
  • 681年、天武天皇が律令の編纂を命じる
  • 同じ681年、帝紀・上古の諸事を整理するよう命じ、後の国史編纂につながる事業を進める
  • 684年、八色の姓を制定し、真人・朝臣・宿禰・忌寸など八種の姓で氏族秩序を再編する
  • 八色の姓は氏姓制度の廃止ではなく、氏族秩序を国家側から再編する制度
  • 686年、天武天皇が亡くなり、改革は皇后へ引き継がれる
  • 689年、飛鳥浄御原令が施行される
  • 飛鳥浄御原令の本文は現存せず、689年に大宝律令と同じ完成した律令制が成立したわけではない
  • 天武朝の改革は持統朝の庚寅年籍・班田・藤原京へ続く

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0 / 5 問回答

  1. 問1

    天武朝の皇親政治とは、皇族以外の氏族出身官人を政治から排除し、皇族だけで行政を行う体制だった。

  2. 問2

    681年に天武天皇が律令編纂を命じた時点で、完成した律令法典がただちに全国へ施行された。

  3. 問3

    八色の姓は古墳時代以来の氏姓秩序を廃止したのではなく、王権との関係に応じて氏族を国家側から再編する制度だった。

  4. 問4

    天武天皇が686年に亡くれた後も、律令編纂や官人制度などの改革は皇后に引き継がれ、持統朝へ連続した。

  5. 問5

    689年に飛鳥浄御原令が施行されたことで、701年の大宝律令と同じ完成形の律令国家が成立した。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 天武天皇が即位する
  2. 天武天皇が律令の編纂を命じる
  3. 八色の姓が定められる
  4. 飛鳥浄御原令が施行される
  5. 壬申の乱が起こる

Sources

参考資料

  1. 天武天皇奈良県立万葉文化館 万葉百科

    673年の即位、681年の律令編纂・歴史編纂、684年の八色の姓など天武朝の主要政策を参照。

  2. 八色の姓奈良県立万葉文化館 万葉百科

    684年の八色の姓の内容と氏族秩序再編の性格について参照。

  3. 木簡庫 6AJBPF40000144奈良文化財研究所

    689年が飛鳥浄御原令頒布年であることを示す『日本書紀』記事との関係を参照。

  4. 木簡庫 6AJHQF64000101奈良文化財研究所

    飛鳥浄御原令制下の官人制度と後の大宝・養老令との差異について参照。