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室町時代14〜15世紀を中心に社会・経済重要度 A

倭寇と東アジア交易―日明貿易・朝鮮・琉球はどのようにつながっていたのかわこうとひがしあじあこうえき にちみんぼうえきちょうせんりゅうきゅうはどのようにつながっていたのか

一言でいうと

14〜15世紀の東アジアでは、日本・明・朝鮮・琉球の間を船や人、商品が活発に行き来していました。しかし海上交通には、正式な外交・貿易だけでなく倭寇の活動も含まれていました。1368年に明、1392年に朝鮮王朝が成立すると、両国は倭寇への対応を重要な外交課題とします。足利義満は1401年に明へ使節を送り、1404年には勘合を用いる日明貿易が始まりました。朝鮮との交流では対馬の宗氏が重要な仲介者となり、琉球では1372年から明への進貢が始まり、15世紀には中国・日本・朝鮮・東南アジアを結ぶ中継貿易が発展しました。室町時代の対外関係を、現在の国家同士だけでなく、幕府・守護・対馬・琉球・商人・禅僧など多様な主体が海を通じて結ばれた世界として理解します。

14世紀後半の東アジアでは何が変わったのか

14世紀後半、東アジアの政治秩序は大きく変化しました。1368年、中国では元に代わって明みんが成立し、1392年には朝鮮半島で高麗に代わって朝鮮王朝ちょうせんおうちょうが成立しました。

日本では南北朝の内乱が続いたのち、足利義満の時代に室町幕府の政治的な安定が進みます。琉球列島では北山・中山・南山という三つの勢力が並び立つ三山時代さんざんじだいを経て、15世紀に統一へ向かいます。

その海を、商人・武士・禅僧・使節・海上武装勢力などさまざまな人々が行き来していました。

倭寇とは何だったのか

14世紀後半、朝鮮半島や中国沿岸では倭寇わこうと呼ばれる海上武装勢力の活動が活発になりました。倭寇は沿岸地域を襲い、人や物資を奪うなどしたため、高麗や明にとって深刻な問題になりました。

日本では南北朝の内乱が続き、西日本でも政治的な統制が不安定でした。こうした状況は倭寇の活動が広がる背景の一つでした。

ただし倭寇は室町幕府が派遣した正規軍ではありません。また倭寇と呼ばれた集団の実態は時期や地域によって異なるため、一つの固定された民族集団としてではなく、東アジア海域で活動した多様な海上勢力として理解します。

なぜ明や朝鮮は倭寇の取り締まりを日本へ求めたのか

倭寇の被害を受けた側から見ると、海上で活動する集団がどこの勢力に属しているのかを完全に把握することは困難でした。そのため明や高麗・朝鮮は、日本側の有力な政治権力に倭寇を取り締まらせようとします。

日本側でも九州探題や西国の守護などが外交交渉に関わりました。ただし室町幕府が日本列島のすべての海上勢力を完全に統制できたわけではありません。

倭寇問題は単なる海賊対策ではなく、東アジア諸国が日本側の誰を外交相手として認めるのかという問題とも結びついていました。

明はどのような国際関係をつくろうとしたのか

1368年に成立した明は、皇帝を中心とする外交秩序を形成しました。周辺の国や地域の支配者が明へ使節を送り、皇帝へ貢物を差し出すことを朝貢ちょうこうといいます。

明の皇帝は相手の支配者を王として認めたり、返礼品を与えたりし、外交と貿易が結びつきました。一方、明は民間人による自由な海外交易を制限する海禁かいきん政策もとりました。

そのため明との正式な交易を行うには、外交関係の枠組みが重要でした。

足利義満はなぜ明と正式な関係を結ぼうとしたのか

南北朝合一を実現して国内での政治的地位を高めた足利義満は、東アジアでも明との正式な外交関係を築こうとしました。1401年、義満は明へ使節を派遣します。

外交実務では禅僧が重要な役割を果たしました。禅僧は漢文による外交文書の作成や交渉を担うことができたからです。

その後、義満は明の外交秩序のなかで日本国王にほんこくおうとして扱われるようになります。これは日本国内で天皇に代わって国王になったという意味ではなく、明の皇帝を中心とする対外関係のなかでの位置づけです。

日明貿易はいつ始まったのか

1404年、勘合を用いる正式な日明貿易にちみんぼうえきが始まりました。一般に勘合貿易かんごうぼうえきとも呼ばれます。

それ以前にも日本と中国の間で人や物の移動はありました。室町時代の日明貿易の特徴は、室町幕府と明との正式な外交関係のなかで公的な貿易が行われたことです。

義満は貿易から経済的な利益を得るとともに、明との外交関係を自らの政治的権威にも利用しました。

勘合とは何のために使われたのか

日明貿易で重要なのが勘合かんごうです。明側には、来航した船が正式な日本の使節なのか、倭寇などの非公認勢力なのかを区別する必要がありました。

そこで公的な使節・貿易船であることを確認する仕組みとして勘合が利用されました。教科書では合札と説明されることがありますが、重要なのは正式な外交・貿易の使節であることを確認する仕組みだったことです。

倭寇の活動と日明貿易を別々の事項としてではなく、海上秩序を管理する問題としてつなげて理解します。

日明貿易では何が取引されたのか

日本側からは銅・硫黄・刀剣・扇などが輸出され、明からは生糸・絹織物・陶磁器・書籍などが日本へもたらされました。

また中国銭も日本へ流入し、国内の貨幣流通に大きな役割を果たしました。日明貿易は単なるぜいたく品の輸入ではなく、日本国内の経済にも影響したのです。

禅僧や商人の往来を通じて書籍・絵画・工芸品などももたらされ、文化交流も進みました。

日明貿易はずっと続いたのか

ずっと同じ形で続いたわけではありません。義満の死後、4代将軍足利義持は明との関係に消極的となり、1411年に日明貿易は中断します。

その後、6代将軍足利義教の時代の1432年に再開されました。時代が進むと、幕府だけでなく有力守護大名や大寺院、博多・堺などの商人も貿易に深く関わるようになります。

日明貿易を義満が始めて幕府が最後まで独占した貿易と考えず、幕府政治や有力守護・商人との関係によって担い手も変化したと理解します。

朝鮮王朝と日本はどのような関係を築いたのか

1392年、高麗に代わって朝鮮王朝が成立しました。朝鮮にとっても倭寇への対応は重要な問題でした。

日本と朝鮮の交流では、特に対馬つしまが重要です。対馬は日本列島と朝鮮半島の間に位置し、室町時代には対馬の宗氏そうしが朝鮮との外交・貿易に大きな役割を持つようになります。

日朝関係を京都の室町幕府と朝鮮王朝だけの外交としてではなく、対馬という地域権力が両者を結ぶ関係として理解します。

応永の外寇とは何だったのか

1419年、朝鮮軍が対馬へ出兵しました。日本では応永の外寇おうえいのがいこう、朝鮮側では己亥東征などと呼ばれる事件です。

朝鮮側には倭寇の根拠地を攻撃する目的がありました。しかし戦闘は長期的な占領にはつながらず、その後は対馬の宗氏と朝鮮との関係が再構築されていきます。

1443年には宗氏と朝鮮との間で嘉吉条約かきつじょうやく、朝鮮側で癸亥約条と呼ばれる取り決めが成立し、歳遣船などを一定のルールのもとで管理する関係が整えられました。

琉球はなぜ明との関係を重視したのか

日本列島の南では、琉球も独自に東アジア外交を展開していました。1372年、中山王察度さっとが明へ進貢したとされています。

ここで重要なのは、琉球の外交を室町幕府の外交の一部として考えないことです。当時の琉球は室町幕府とは別に明と直接関係を結んでいました。

明への進貢によって公的な交易を行うことができ、中国の文物も琉球へ流入しました。三山時代には複数の勢力が明との関係を持ちました。

1429年の三山統一で何が変わったのか

1429年、尚巴志しょうはしが三山を統一し、第一尚氏王統の琉球王国が成立したと整理されます。

統一後の琉球王国は明との進貢関係を基盤としながら海上交易を発展させ、中国・日本・朝鮮・東南アジアを結ぶ中継貿易ちゅうけいぼうえきで重要な役割を果たしました。

室町時代の東アジア交易を日本と中国の二国間関係だけで見ることはできません。琉球も重要な海上交易の担い手でした。

室町時代の東アジア交流は国と国の関係だけだったのか

それだけではありません。室町幕府、守護大名、九州探題、対馬の宗氏、博多や堺の商人、禅僧、琉球王国、倭寇などの海上勢力といった多くの主体が活動していました。

正式な外交と貿易、地域間交易、私的な交易、海上武装勢力の活動が同じ海域で並存していました。

室町時代の東アジアを理解するときは、現在の国境線だけで区切るのではなく、海を通じて人・物・情報が移動するネットワークとして見ることが重要です。

このページで覚えたい流れ

14世紀半ば以降、倭寇の活動が活発化 → 1368年、明成立 → 1372年、中山王察度が明へ進貢 → 1392年、朝鮮王朝成立 → 足利義満が明との正式な外交関係を目指す → 1401年、遣明使を派遣 → 義満が明の国際秩序のなかで日本国王として扱われる → 1404年、勘合を用いる日明貿易が始まる → 1411年、義持が日明貿易を中断 → 1419年、応永の外寇 → 1429年、尚巴志が三山を統一 → 琉球王国が中継貿易を発展させる → 1432年、日明貿易再開 → 1443年、宗氏と朝鮮の間で嘉吉条約

倭寇・日明貿易・日朝関係・琉球貿易を分断せず、海上秩序と交易ネットワークの形成という一つの流れとして理解します。

Review

入試で押さえるポイント

  • 14世紀後半、倭寇が朝鮮半島・中国沿岸で活発に活動
  • 1401年、足利義満が明へ使節を送り、1404年に勘合を用いる日明貿易が開始
  • 義満の日本国王は明の外交秩序における位置づけで、日本国内で天皇に代わったという意味ではない
  • 朝鮮との外交・貿易では対馬の宗氏が重要な仲介者となった
  • 1419年の応永の外寇後も日朝交流は続き、1443年に嘉吉条約が成立
  • 琉球は1372年から明へ進貢し、15世紀に中国・日本・朝鮮・東南アジアを結ぶ中継貿易を発展させた

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0 / 5 問回答

  1. 問1

    倭寇とは、室町幕府が朝鮮・中国沿岸へ派遣した日本人だけの正規軍を指す。

  2. 問2

    足利義満が明から日本国王として扱われたことは、日本国内で天皇に代わる君主になったことを意味する。

  3. 問3

    勘合は、明側が来航船を正式な日本の使節・貿易船として確認するための仕組みとして用いられた。

  4. 問4

    1404年に始まった日明貿易は、その後中断せず室町幕府だけが一貫して独占した。

  5. 問5

    室町期の琉球は室町幕府とは別に明と直接関係を結び、進貢と交易を展開した。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 倭寇の活動が朝鮮半島・中国沿岸で活発になる
  2. 明が建国される
  3. 中山王察度が明へ入貢し正式な交易を始める
  4. 朝鮮王朝が成立する
  5. 足利義満が明へ使者を派遣する
  6. 勘合を用いる日明貿易が始まる
  7. 足利義持が明との公式な通交を中断する
  8. 朝鮮軍が対馬へ侵攻する(応永の外寇)
  9. 尚巴志が沖縄島の三山を統一する
  10. 足利義教が日明貿易を再開する
  11. 宗氏と朝鮮の間で嘉吉条約(癸亥約条)が結ばれる
  12. 琉球が東アジア・東南アジアの中継貿易を発展させる
  13. 南北朝が合一する

Sources

参考資料

  1. 文化交流展示:展示コンセプト―交易圏の拡大九州国立博物館

    中世の勘合船、倭寇、禅僧、日朝交流、琉球の中継貿易を東アジア海域の交流として確認する参考資料

  2. 先史から近代における日朝交流史像の再構築国立歴史民俗博物館

    中世の日朝交流、私的交易から前期倭寇、朝鮮王朝成立後の交流への展開を確認する参考資料

  3. 歴史概要沖縄県

    1429年の尚巴志による統一と琉球のアジア交易を確認する参考資料

  4. 嘉吉条約について知りたい。国立国会図書館 レファレンス協同データベース

    1443年の嘉吉条約(癸亥約条)と対馬宗氏・朝鮮の通交関係を確認する参考資料