ワカタケル大王とヤマト王権―関東と九州の刀剣銘は何を語るのか
一言でいうと
5世紀後半、埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣と、熊本県の江田船山古墳から出土した大刀には、ワカタケル大王に関係する銘文が残されています。とくに稲荷山鉄剣銘には、東国の有力者が大王に仕えたことが具体的に記されており、近畿の大王と関東・九州の地域有力者との広域的な政治関係を同時代の文字資料から考えることができます。ただし、これは後の中央集権国家のような全国直接支配が完成していたことを意味しません。
ワカタケル大王とは誰なのか
前のページでは、中国史書『宋書』に記された倭の五王の最後の王、倭王武を学びました。一方、日本列島で見つかった5世紀後半の刀剣銘には、ワカタケル大王の名が記されています。
刀剣銘では「獲加多支鹵大王」などと表記され、これをワカタケル大王と読みます。後世の『古事記』『日本書紀』に登場する雄略天皇にあたり、中国史書の倭王武とも同一人物とする見方が有力です。
つまり5世紀後半の同じ王が、中国側の史料では倭王武、日本列島の同時代資料ではワカタケル大王、後世の史書では雄略天皇として現れている可能性が高いことになります。
倭王武・ワカタケル大王・雄略天皇は同一人物とする見方が有力ですが、史料ごとに使われる名前と成立時期が異なることを意識します。
稲荷山古墳―関東で見つかった115文字
現在の埼玉県行田市にある埼玉古墳群の一つが、稲荷山古墳です。5世紀後半に築かれた前方後円墳で、発掘調査によって後円部の埋葬施設から鉄剣が出土しました。
1978年、この鉄剣を調査したところ、表面57文字・裏面58文字、合計115文字の金象嵌による銘文が確認されました。現在は金錯銘鉄剣として知られ、出土品とともに国宝に指定されています。
資料で見る:埼玉県立さきたま史跡の博物館「国宝 金錯銘鉄剣」
471年―鉄剣に記された辛亥年
銘文の冒頭には、辛亥年と記されています。この年は古墳の年代やワカタケル大王の活動時期などから、一般に471年と考えられています。
『古事記』や『日本書紀』が成立するのは8世紀ですが、稲荷山鉄剣銘は5世紀そのものの資料です。そのため、5世紀後半の人物や政治関係を同時代の文字から考えられる点に大きな価値があります。
古墳時代の前半は、古墳の形や副葬品など考古資料を中心に政治関係を考えてきました。5世紀になると、このような文字資料も利用して王権と地域社会の関係を具体的に考えられるようになります。
ヲワケはなぜ大王の名を鉄剣に刻んだのか
稲荷山鉄剣銘を書かせた人物はヲワケです。銘文にはヲワケの祖先の名が何代にもわたって記され、代々大王に仕えてきたことが述べられています。
ヲワケ自身もワカタケル大王に仕え、その功績を記録するために鉄剣を作らせたと考えられます。銘文には杖刀人という語もあり、ヲワケはその「首」として大王に仕えたことが記されています。
ここから分かるのは、東国の有力者が近畿の大王を単に知っていたというだけではなく、大王との政治的・軍事的な奉仕関係を自らの地位の重要な根拠としていたことです。
稲荷山鉄剣銘は、大王と東国の有力者との関係を、地域有力者自身の系譜と奉仕の記録として具体的に示す資料です。
なぜ関東でワカタケル大王の名が見つかるのか
ワカタケル大王の政治的な中心は近畿にありました。それにもかかわらず、大王の名を刻んだ鉄剣が遠く離れた関東の古墳から出土しました。
3〜4世紀には、前方後円墳が各地へ広がることから地域有力者とヤマト王権との関係を考えました。5世紀後半になると、稲荷山鉄剣銘によって、大王と地域有力者との関係が文字によっても確認できるようになります。
これはヤマト王権が近畿だけの政治勢力ではなく、東国の有力者とも広域的な政治関係を結ぶ王権へ成長していたことを示す重要な手がかりです。
九州の江田船山古墳にも大王名が残る
熊本県和水町にある江田船山古墳からも、文字を刻んだ大刀が出土しています。江田船山古墳は5世紀後半ごろの前方後円墳で、多数の武器・武具・装身具などが出土しました。
特に重要なのが、銀象嵌銘大刀です。刀身には70文字余りの銘文があり、「大王」という語も確認できます。
資料で見る:東京国立博物館「銀象嵌銘大刀」
大王名の部分には欠損があり、稲荷山鉄剣ほど明瞭ではありませんが、現在ではワカタケル大王を記したものとする見解が有力です。証拠の残り方が異なるため、二つの資料を同じ確実さで扱わないことも大切です。
関東と九州―二つの刀剣銘が意味するもの
稲荷山古墳は関東、江田船山古墳は九州にあります。離れた二つの地域から、同じ5世紀後半の大王と関係すると考えられる刀剣銘が見つかっていることは重要です。
このことから、近畿の大王を中心とする政治関係が東国から九州までの地域有力者へ広がっていたことを考えることができます。地域有力者はそれぞれの地域で力を持ちながら、大王との関係にも組み込まれていました。
つまりヤマト王権の拡大は、地域有力者をすべて中央官僚に置き換えたというより、各地の有力者との政治的な結びつきを広げ、強めていった過程として理解するのが適切です。
広い政治関係と中央集権国家は同じではない
関東と九州に大王名をもつ刀剣銘が残るからといって、ワカタケル大王が後の律令国家のような地方行政組織を使って全国を直接統治していたことにはなりません。
稲荷山鉄剣から分かるのは、東国の有力者が大王に仕える関係をもっていたことです。地域の有力者そのものが消滅したわけではなく、自らの地域で力を保ちながら大王との政治関係を結んでいました。
古墳時代を通じて繰り返し確認してきたように、広い政治的影響力と、後世の中央集権国家による直接支配は区別して考えます。
関東・九州に大王名が残ることは広域的な王権関係を示しますが、全国を中央政府が直接統治したことを示すものではありません。
「大王」という呼び方にも注目する
刀剣銘では、ワカタケルは大王と記されています。5世紀の同時代資料そのものから、ヤマト王権の最高位の王が大王と呼ばれていたことを確認できます。
この段階では、後の時代に用いられる「天皇」という称号をそのまま同時代の呼称として使わないようにします。史料が実際にどのような称号を記しているかを区別することが重要です。
倭王武とワカタケル大王をつなげる
前のテーマで学んだ478年の『宋書』には、倭王武が宋へ上表文を送ったことが記されています。一方、471年ごろの稲荷山鉄剣には、ワカタケル大王に仕えたヲワケの記録があります。
さらに九州の江田船山古墳にも、ワカタケル大王と考えられる名をもつ大刀銘が残っています。これらを合わせると、中国皇帝と外交する倭王と、列島内部で各地の有力者を結びつける大王という、5世紀後半の王権の二つの側面が見えてきます。
中国史書と列島の刀剣銘という異なる種類の資料を照らし合わせることで、5世紀後半のヤマト王権をより具体的に理解できるようになります。
このページで覚えたい流れ
5世紀にヤマト王権が成長する → 471年ごろ、東国のヲワケがワカタケル大王に仕えたことを稲荷山鉄剣に記す → 九州の江田船山古墳にもワカタケル大王と考えられる名をもつ大刀銘が残る → 関東・九州の有力者と大王との広域的な政治関係が文字資料から確認できる → 478年、同じ王と考えられる倭王武が宋へ上表文を送る
このあと、ヤマト王権が地域有力者や人々をどのような仕組みで組織したのかを、氏姓制度・国造・部民・屯倉から見ていきます。
Review
入試で押さえるポイント
- 稲荷山古墳は埼玉県にある5世紀後半の前方後円墳
- 稲荷山古墳の金錯銘鉄剣には115文字の銘文があり、ワカタケル大王の名が記される
- 銘文の辛亥年は一般に471年と考えられている
- ヲワケはワカタケル大王に仕え、祖先から大王に仕えてきたことを銘文に記している
- 熊本県の江田船山古墳からも、ワカタケル大王と関係すると考えられる銀象嵌銘大刀が出土した
- ワカタケル大王は雄略天皇にあたり、中国史書の倭王武とも同一人物とする見方が有力
- 関東と九州の刀剣銘は、大王と各地の有力者との広域的な政治関係を示す重要な同時代資料
- 広域的な王権関係があったことと、全国を中央集権的に直接支配していたことは同じではない
- 5世紀の同時代資料では、最高位の王は大王と記されている
Check
理解度チェック
各文が正しいか、○か×で答えてください。回答すると、その場で解説を確認できます。
0 / 5 問回答
- 問1
稲荷山古墳の鉄剣銘にある辛亥年は、古墳やワカタケル大王の年代などから一般に471年と考えられている。
辛亥年は一般に471年と考えられ、稲荷山鉄剣銘は5世紀後半の政治関係を伝える同時代の文字資料です。
本文の該当箇所を確認する - 問2
倭王武・ワカタケル大王・雄略天皇が同一人物であることは、史料上まったく疑いなく確定している。
三者を同一人物とする見方は有力ですが、異なる時期・種類の史料に現れる名称を結びつけた研究上の理解であり、断定の強さを上げないことが重要です。
本文の該当箇所を確認する - 問3
江田船山古墳の大刀銘は、大王名の部分まで稲荷山鉄剣と同じ程度にはっきり残っている。
江田船山古墳の大刀銘は大王名の部分に欠損があり、稲荷山鉄剣ほど明瞭ではありません。ワカタケル大王を記したものとする見解が有力です。
本文の該当箇所を確認する - 問4
関東の稲荷山古墳と九州の江田船山古墳の刀剣銘は、近畿の大王と離れた地域の有力者との広域的な政治関係を考える資料になる。
関東と九州という離れた地域から同時期の大王と関係する刀剣銘が見つかるため、大王と地域有力者との広域的な政治関係を考える重要な資料です。
本文の該当箇所を確認する - 問5
5世紀の刀剣銘にはワカタケルが「天皇」と記されており、この時期に天皇号が同時代の称号として確立していたことが確認できる。
5世紀の刀剣銘で確認できる称号は「大王」です。後の「天皇」という称号をそのまま5世紀の同時代呼称として扱わないようにします。
本文の該当箇所を確認する
Result
0 / 5 問正解
間違えた問題は解説と本文を確認してから、もう一度解いてみてください。
Timeline
関連する年表
前後の出来事とつなげて位置を確認できます。
Sources
参考資料
- 国宝 金錯銘鉄剣埼玉県立さきたま史跡の博物館
稲荷山古墳出土鉄剣の115文字の銘文、ワカタケル大王、ヲワケと大王との関係について参照。
- 稲荷山古墳・金錯銘鉄剣の解説埼玉県立さきたま史跡の博物館
辛亥年を471年とする解説、杖刀人とヲワケについて参照。
- 肥後江田船山古墳出土品文化庁 国指定文化財等データベース
江田船山古墳出土品と銀象嵌銘大刀について参照。
- 銀象嵌銘大刀東京国立博物館
江田船山古墳出土の銀象嵌銘大刀と銘文について参照。
