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古墳時代4世紀後半〜5世紀社会・経済重要度 A

渡来人と新技術―須恵器・馬・鉄製農具は社会をどう変えたのかとらいじんとしんぎじゅつ すえきうまてつせいのうぐはしゃかいをどうかえたのか

一言でいうと

4世紀後半から5世紀になると、朝鮮半島との交流の中で日本列島へ移住する人々が増え、須恵器の生産、馬の飼育・利用、鍛冶など新しい技術が広がりました。こうした人々を渡来人と呼びます。新技術は生産・交通・軍事・土木など社会のさまざまな分野を変え、ヤマト王権や各地の有力者の活動も支えました。ただし、海外の技術が一方的に持ち込まれたのではなく、列島にあった技術と組み合わされながら定着していったことが重要です。

渡来人とは誰なのか

古墳時代には、朝鮮半島を中心に海外から日本列島へ移住する人々が増えました。こうした人々を歴史学では一般に渡来人とらいじんと呼びます。

ただし、渡来人は一つの地域から同じ時期に移住した一つの集団ではありません。当時の朝鮮半島には百済・新羅・加耶など複数の政治勢力があり、異なる時期や事情でさまざまな人々が海を渡りました。

また、人の移動は朝鮮半島から日本列島への一方通行でもありませんでした。倭の人々も朝鮮半島へ渡っており、東アジアを人や物が往来する中で技術や文化が伝わりました。

渡来人は一つの民族集団の名称ではありません。海外から列島へ移住したさまざまな人々をまとめて表す歴史学上の呼称です。

須恵器―窯で焼く新しい土器

渡来文化を代表するものの一つが、須恵器すえきです。須恵器は、窯を使って高温で焼く灰色で硬い土器です。

それまでの列島では、弥生土器から続く技術を受け継いだ土師器はじきが使われていました。須恵器は土師器とは焼成方法が大きく異なり、朝鮮半島との交流を通じて新しい窯業技術が伝わったことで生産が始まりました。

重要なのは、須恵器を海外から完成品として運び続けたのではないことです。列島内に窯が造られ、専門的な技術をもつ人々が生産を行うようになりました。

陶邑―列島内に大規模な生産地が生まれる

須恵器生産を代表するのが、大阪府南部に広がる陶邑窯跡群すえむらかまあとぐんです。

5世紀ごろから多数の窯が築かれ、須恵器が大規模に生産されました。朝鮮半島から伝わった新しい技術が、列島内の専門的な生産へ発展したことを示す重要な遺跡です。

つまり、技術の変化は「朝鮮半島から技術が伝わる」で終わりません。技術を担う人々が列島で生産を行い、大きな生産地が形成され、作られた製品が各地へ広がる段階まで進みました。

資料で見る:堺市「陶邑窯跡群」

馬の飼育・利用が広がる

5世紀には、馬の飼育や乗馬も日本列島で本格的に広がりました。馬を利用するには、動物そのものだけでなく、飼育の知識や乗馬技術、馬具を作る技術などが必要です。

古墳からは轡くつわなどの馬具が出土し、後には馬を表した埴輪も作られました。馬の導入は、動物一頭の輸入ではなく、馬を利用するための技術体系が広がったことを意味します。

馬は長距離の移動や情報伝達を助け、軍事面でも重要でした。また、豪華な馬具を備えた馬は有力者の権威を示す存在にもなりました。

資料で見る:神戸市埋蔵文化財センター「古墳時代」

鉄を加工する技術が発達する

鉄器そのものは弥生時代から使われていました。そのため、「渡来人によって5世紀に初めて鉄器が伝わった」と考えるのは誤りです。

5世紀に注目したいのは、鉄を加工する鍛冶かじ技術が発達し、武器・甲冑・馬具・農具・工具など、より多様な鉄製品が作られるようになったことです。

朝鮮半島との人の移動は、こうした専門技術の発展とも深く関係しました。新しい技術は既存の鉄器利用に加わり、列島社会の生産や軍事を支えるようになります。

鉄製農具が農業や土木工事を支える

古墳時代には鉄製の鍬や鋤などの利用が広がり、5世紀には刃先の形も改良されました。鉄製農具の発達は、農作業の効率を高めるだけでなく、水路を掘るなどの土木作業にも役立ちました。

前のページでは5世紀に巨大古墳が築かれたことを学びました。巨大古墳の築造には大勢の人々を動員する政治力だけでなく、大量の土を掘り、運び、積み上げるための道具や土木技術も必要です。

そのため5世紀の社会変化は、王権の政治力だけでなく、それを支えた生産技術や道具の発達もあわせて見る必要があります。

資料で見る:文化遺産オンライン「古墳時代の鉄製農工具」

新しい技術はヤマト王権とどう関係したのか

須恵器生産、鍛冶、馬の飼育などには、それぞれ専門的な知識をもつ人々が必要でした。ヤマト王権や各地の有力者にとって、そうした技術者を受け入れ、組織することには大きな意味がありました。

鉄製農具や土木技術は生産力や開発を支え、須恵器は専門的な生産活動を発展させ、馬は交通や軍事に利用されました。鍛冶技術は農具・武器・馬具など多様な道具の生産を支えました。

つまり東アジアとの交流による人と技術の移動は、社会の生活技術を変えただけではなく、王権や有力者が人や物を動かす力を支える要素にもなりました。

「渡来人が日本を文明化した」とは考えない

朝鮮半島から新しい技術が伝わったことは重要です。しかし、技術をもたない列島社会へ、進んだ技術が一方的に与えられたと考えるのは適切ではありません。

列島にはそれ以前から農業・土器生産・鉄器利用・土木技術などがありました。そこへ海外から新しい技術が加わり、既存の技術と組み合わされながら列島社会の中で改良・普及していきました。

また、移住した人々やその子孫も列島社会の中で生活し、地域社会やヤマト王権を構成する人々になっていきます。「日本人」と「渡来人」という二つの集団がいつまでも完全に分かれて存在したと考えないようにします。

渡来文化は一方的に受け取られたのではなく、列島社会の中で既存の技術と組み合わされ、変化しながら定着しました。

このページで覚えたい流れ

朝鮮半島との交流が深まる → 4世紀後半以降、海を越えて移住する人々が増える → 5世紀に須恵器・馬・鍛冶などの新しい技術が広がる → 陶邑などで専門的な生産が発達する → 鉄製農具や馬の利用が生産・交通・軍事・土木を支える → ヤマト王権や各地の有力者の活動を支える

前のテーマまで東アジア交流を外交や戦争から見てきました。このページでは、同じ交流を人と技術の移動から見ることが重要です。

Review

入試で押さえるポイント

  • 4世紀後半〜5世紀、朝鮮半島から渡来する人々が増え、新しい技術や文化が広がった
  • 須恵器は窯を使い高温で焼く、灰色で硬い土器
  • 陶邑窯跡群は5世紀から須恵器を大規模に生産した代表的な窯跡群
  • 5世紀には馬の飼育・乗馬と馬具の利用が広がった
  • 鉄器自体は弥生時代から存在し、5世紀に初めて伝わったわけではない
  • 5世紀には鍛冶技術が発達し、鉄製農具なども改良された
  • 渡来文化は一方的に受容されたのではなく、列島社会の中で既存の技術と組み合わされながら定着した

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0 / 5 問回答

  1. 問1

    古墳時代の「渡来人」は、一つの地域から同じ時期に来た一つの民族集団を指す名称である。

  2. 問2

    須恵器は朝鮮半島から完成品を輸入し続けた土器で、日本列島では生産されなかった。

  3. 問3

    5世紀の馬の利用拡大は、馬そのものだけでなく、飼育・乗馬・馬具製作などの技術体系が広がったことを意味する。

  4. 問4

    日本列島で鉄器が初めて使われたのは5世紀で、渡来人が鉄器そのものを初めて伝えた。

  5. 問5

    古墳時代の技術革新は、技術をもたなかった列島社会へ海外の技術が一方的に与えられた過程として理解すればよい。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 朝鮮半島から渡来人の移住が増える
  2. 須恵器の生産が始まる
  3. 馬の飼育・利用が広がる
  4. 鉄製農具の利用が広がる
  5. 沖ノ島で海上交通にかかわる祭祀が始まる

Sources

参考資料

  1. 国立歴史民俗博物館 講演会資料「技術革新の世紀」国立歴史民俗博物館

    5世紀の人の移動と須恵器・鉄器生産・馬の飼育などの技術革新について参照。

  2. 古墳時代神戸市埋蔵文化財センター

    須恵器、乗馬と馬具など、朝鮮半島との交流を通じて広がった技術について参照。

  3. 陶邑窯跡群堺市

    5世紀の須恵器生産と陶邑における大規模な窯業生産について参照。

  4. 古墳時代の鉄製農工具文化遺産オンライン

    5世紀の鍛冶技術の発達と鉄製農工具の改良について参照。