← 平成時代の年表へ戻る
平成時代1997〜2001年を中心に社会・経済重要度 A

1997〜1998年金融危機と金融再生―銀行・証券会社の破綻に政府はどう対応したのかせんきゅうひゃくきゅうじゅうななからせんきゅうひゃくきゅうじゅうはちねんきんゆうききときんゆうさいせい ぎんこうしょうけんがいしゃのはたんにせいふはどうたいおうしたのか

一言でいうと

バブル崩壊後、日本の金融機関は不動産・企業向け融資の不良債権を抱えながら処理を進めましたが、問題は短期間では解消しませんでした。1997年には景気が再び悪化し、アジア通貨危機も重なって金融市場の警戒が強まりました。11月には北海道拓殖銀行が資金繰りに行き詰まり、山一證券は巨額の簿外債務と市場からの信認低下を背景に自主廃業へ向かいます。大型金融機関の相次ぐ経営破綻は、個別企業の問題を超えて、預金・市場取引・企業融資が連鎖的に縮小する金融システム危機への懸念を高めました。政府は1998年に金融監督庁を発足させ、金融再生法と早期健全化法を成立させました。金融再生法は破綻金融機関の処理や特別公的管理の枠組みを整え、日本長期信用銀行などを一時国有化しました。早期健全化法は、破綻前の金融機関に公的資金を投入して自己資本を増強する仕組みを整え、1999年には主要銀行への資本注入が行われます。日本銀行も信用秩序維持のための資金供給を行い、1999年2月にはゼロ金利政策を導入しました。それでも企業の債務調整や貸し渋り、物価の弱さは長引き、2001年には量的緩和へ進みます。金融危機を理解する際は、北海道拓殖銀行、山一證券、日本長期信用銀行などの破綻原因を一つにまとめず、不良債権、資金調達、市場の信認、簿外損失、景気後退など異なる要因が、金融システム全体への不安によって結びついた過程として見る必要があります。

バブル崩壊後の不良債権は、なぜ1997年まで金融危機として残ったのか

1990年代初めに地価・株価が下落すると、金融機関がバブル期に行った不動産・企業向け融資の一部が回収困難となり、不良債権が積み上がりました。しかし担保価値や企業の再建可能性の評価には時間がかかり、金融機関は損失処理と自己資本の確保を長期にわたって進めることになりました。

1997年には国内景気の悪化に加え、アジア通貨危機によって海外経済や金融市場への不安も強まりました。金融機関同士が相手の財務内容を警戒し始めると、問題は単なる不良債権の額だけでなく、『この金融機関へ資金を貸して返ってくるのか』という信用の問題へ変わります。金融市場で資金を調達できなくなれば、資産を持っていても日々の決済が続けられなくなるためです。

金融危機では、損失額だけでなく『資金を調達し続けられるか』という市場の信認が決定的になります。

北海道拓殖銀行と山一證券は、同じ理由で行き詰まったのか

北海道拓殖銀行は不良債権処理や資本増強を進めようとしましたが、北海道銀行との合併が延期され、預金減少、株価下落、市場からの資金調達困難が重なりました。1997年11月には自力での業務継続が困難となり、北洋銀行などへの業務承継を前提とする処理へ進みました。日本銀行は預金払戻しなどを続けるための特別な資金供給を決めました。

山一證券もバブル崩壊後に収益が悪化していましたが、状況は同じではありません。1997年には格下げや不祥事で市場の信認が低下し、巨額の簿外債務の存在が明らかになりました。11月24日、山一證券は廃業・解散に向けた営業休止を決定します。日本銀行は顧客財産の返還や取引決済を円滑に行うため、主力銀行を通じた資金供給を決めました。

拓銀は銀行として不良債権と資金繰りが行き詰まり、山一は証券会社として簿外債務と市場信認の崩壊が大きな問題となりました。両者は同じ1997年11月に表面化しましたが、個別の経営問題を同一の原因へ還元することはできません。

なぜ個別金融機関の破綻が『金融システム危機』と受け止められたのか

銀行や証券会社は相互に資金を貸し借りし、企業・家計の預金、決済、証券取引を支えています。そのため大型金融機関が突然支払い不能になれば、取引相手にも損失が及び、別の金融機関への不安まで拡大するおそれがあります。1997年には三洋証券の破綻後に短期金融市場の警戒が強まり、拓銀や山一など信用力に懸念を持たれていた金融機関の資金調達が一段と困難になりました。

金融機関は自己資本を守ろうとして新規融資を抑えたり、既存融資の回収を急いだりすることがあります。こうした『貸し渋り』や信用収縮が広がると、金融部門の問題が設備投資、雇用、企業倒産など実体経済へ波及します。この連鎖を防ぐことが、政府と日本銀行の政策課題となりました。

1998年の金融再生法・早期健全化法は、何を分けて処理しようとしたのか

1998年6月、銀行・証券会社などを検査・監督する金融監督庁が発足しました。同年10月には金融再生法と早期健全化法が成立し、金融機関の財務内容を検査した上で、破綻処理と資本増強を行う新たな制度が整えられました。

金融再生法は、経営が立ち行かなくなった金融機関を金融整理管財人の管理や特別公的管理の下に置き、預金者や金融システムを保護しながら処理する枠組みを設けました。1998年10月、日本長期信用銀行は特別公的管理、すなわち一時国有化の対象となり、12月には日本債券信用銀行も同様の措置を受けました。

一方、早期健全化法は、ただちに破綻処理するのではなく、自己資本が不足する金融機関へ公的資金を投入して健全性を回復させる仕組みを設けました。1999年3月には主要銀行への大規模な資本注入が実施されます。『破綻した金融機関を処理する制度』と『存続可能な金融機関の資本を強化する制度』を分けた点が重要です。

金融再生法は破綻処理、早期健全化法は資本増強という役割の違いを押さえると、1998年の金融政策対応を整理しやすくなります。

金融システムを支えても、なぜ景気と物価の弱さは続いたのか

金融機関の破綻処理と資本注入は、金融システムが連鎖的に崩れる危険を抑えるための政策でした。しかし企業にはバブル期の過剰債務や過剰設備が残り、銀行も融資姿勢を慎重にしていました。企業の投資・雇用、家計の消費が弱ければ、金融機関を安定させるだけで需要がすぐ回復するわけではありません。

日本銀行は1999年2月、無担保コールレートをできるだけ低くする、いわゆるゼロ金利政策を導入しました。金融機関が低い金利で資金を調達できる環境をつくり、企業金融や景気を支えることが目的でした。2000年8月にいったん解除されましたが、景気と物価の弱さが続き、2001年3月には量的緩和政策へ移行します。

この時期の金融再生は、1998〜1999年の制度整備だけで完了したわけではありません。不良債権処理は2000年代前半まで重要課題として残りました。したがって、ここでは金融危機の沈静化までを扱い、その後の小泉政権下の不良債権処理・構造改革は後続Topicへ分けて考えます。

Review

入試で押さえるポイント

  • バブル崩壊後の不良債権問題が長期化し、1997年には景気悪化や市場の信用収縮と重なって金融システム危機として表面化したこと
  • 1997年11月に北海道拓殖銀行が資金繰りに行き詰まり、山一證券が巨額の簿外債務と信認低下を背景に自主廃業へ進んだこと
  • 1998年に金融再生法と早期健全化法が成立し、破綻金融機関の処理と、存続可能な金融機関への公的資本増強を制度上区別したこと
  • 1998年10月に日本長期信用銀行が一時国有化され、金融システム安定のため政府が直接的な破綻処理へ踏み込んだこと
  • 日本銀行が1999年2月にゼロ金利政策を導入し、その後もデフレ圧力と不良債権問題への対応が2000年代へ続いたこと

Check

理解度チェック

各文が正しいか、○か×で答えてください。回答すると、その場で解説を確認できます。

0 / 5 問回答

  1. 問1

    1997年の金融危機では、不良債権の額だけでなく、金融機関が市場から資金を調達し続けられるかという信認も重要な問題となった。

  2. 問2

    北海道拓殖銀行と山一證券は、どちらも同じ種類の簿外債務が原因となって1997年11月に経営破綻した。

  3. 問3

    1998年の金融再生法は破綻金融機関の処理を、早期健全化法は存続可能な金融機関への資本増強を主な役割とした。

  4. 問4

    日本長期信用銀行は1998年に特別公的管理の対象となり、一時国有化された。

  5. 問5

    1999年のゼロ金利政策の導入によって不良債権処理と物価下落の問題は直ちに解消し、2000年代へ持ち越されなかった。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 大手金融機関の破綻が相次ぎ金融システム不安が深刻化する
  2. 北海道拓殖銀行が経営破綻する
  3. 山一證券が自主廃業を発表する
  4. 金融再生法と早期健全化法が成立する
  5. 日本長期信用銀行が一時国有化される
  6. 日本銀行がゼロ金利政策を導入する

Sources

参考資料

  1. 金融機関の破綻事例に関する調査報告書金融庁 金融研究研修センター

    1997年金融危機における短期金融市場の信用収縮と、三洋証券・北海道拓殖銀行・山一證券の連鎖的な資金調達問題を確認

  2. 北海道拓殖銀行に対する手形貸付にかかる特別措置に関する件日本銀行

    北海道拓殖銀行の不良債権処理、預金減少、市場性資金調達の困難と、1997年11月17日の特別資金供給決定を確認

  3. 山一證券への資金融通のための富士銀行に対する貸出措置に関する件日本銀行

    山一證券の市場信認低下、巨額の簿外債務、1997年11月24日の営業休止決定と日銀の資金供給を確認

  4. 金融庁(旧・金融監督庁)不良債権関連年表金融庁 金融研究センター

    1998年の金融監督庁発足、金融再生法・早期健全化法、日本長期信用銀行等の一時国有化、1999年の公的資本増強の時系列を確認

  5. 金融市場調節方針に関する公表文 1999年日本銀行

    1999年2月12日の金融市場調節方針の一段の緩和と、その後のゼロ金利政策の継続を確認